le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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『のだめカンタービレ』のことなど

この土日は、<親鸞本>を横に置いて、コミック『のだめカンタービレ』(講談社)の勉強?をしておりました。
この作品、クラシック音楽・演奏家の話ということで、CDショップにいくといつも売り場の傍らに置いてありますから、そういう作品があるということは前から知っていたのですが、読む決め手となる一押しがなく、「クラシック音楽を題材としたコミックなんて、読まなくたって中身は想像できる」とかなんとか自分で勝手に理屈をつけて、これまで手を出さずにおりました。
それが、再興中世前期勉強会のメンバーから最新巻(第15巻)を頂いたこと、日大のゼミ誌に掲載されていた作者・二ノ宮知子さんへのインタビューを読んだこと、そしてこの作品が10月からテレビドラマ化されることを知って、いい機会かも知れないと思って一気に読んでしまいました。
読む前の思い込みのなかでは、『ガラスの仮面』的に、クラシック音楽への蘊蓄がこれでもか、これでもかとちりばめられているのかなと想像していたのですが、実際に読んでみて、意外とあっさりしているなあという印象を受けました。もっともこれは、『ガラスの仮面』の主題が「演劇」なのに対して、『のだめカンタービレ』は「音楽」と、主題の違いも影響していて、音楽(演奏)というのはそもそも言語化しにくいということがあるのかもしれません。それに音楽演奏では、演劇よりも技術の占める役割が大きいので、いわゆる「ハート」だけでは処理できないということもあるのでしょう(主人公の「のだめ」こと野田恵ちゃんは、楽譜を読むのが苦手で、印象だけでハートフルな演奏をする少女という設定にはなっていますが…)。全体的に、『のだめカンタービレ』の物語は音楽以外のところ(演奏家の人間関係)で大きく拡がっていて、音楽は物語の背景という感じもしました。ともかく、全体がものすごくあっさりしているのがトレンディなのかもしれませんね。
とはいえ、出てくる曲の大半が知っている曲ですから、それを主人公であるのだめやそのあこがれの人・千秋真一(玉木宏に期待!)の演奏で想像してしまって、私などはかなり疲れます。文字通り、頭のなかで、存在しないのだめや千秋の演奏が、嵐のようにガチャガチャと響きまくっている感じで、この嵐は当分やみそうにありません。なにせのだめによれば、たとえばベートーヴェンの『悲愴ソナタ』は、「実家が新築した時二階に玄関ができて引っ越し中何度も階段を上り下りしなきゃいけなくて悲しい顔をしているおじいちゃんとおばあちゃん」というイメージの曲で、「階段の下りは上りより楽なんで長調のところは気持ちいいんデス。でも結局疲れ果ててこの第一楽章の最後はまた短調で嫌になって終わるんデス。だから最初と最後の和音はおばあちゃんの嘆きの訴えなんデスよ」(第12巻)というのですから…。

ところで、土曜日、そうやって『のだめカンタービレ』を読みながら渋谷から地下鉄に乗りこもうとしていたら、すぐ横に黒いTシャツの変なおじさんが乗りこんできました。それまで『のだめ…』に夢中でまわりの状況を全然把握していなかったので、突然、至近距離に黒服の怪人が登場したことにはびっくりです。そして、意識が地下鉄内の環境に同化しだすと、その怪人が、作曲家・ピアニストの高橋悠治さんであるということにまたびっくり。なにせ、彼は、私がお金を払ってそのCD(バッハのインヴェンション等)を購入した唯一の日本人演奏家なのです。もちろん、彼はそんなこと知るはずもなく、地下鉄のなかで、ぼんやりあくびなどをしてましたが、尊敬する演奏家のすご横で、音楽コミックを読むというのも、非常におもしろいものでした♪

ryuuzetsu.jpg
高く伸びたリュウゼツランの花茎
うってかわって日曜日は、知人の誘いで新宿御苑に晩夏から初秋の植物を観にいきました。新宿御苑にはこれまでも何度か行ったことがあるのですが、なぜかいつも閉園間際で温室に入れず、昨日は、「暑い暑い」と言いながら温室にも入ってみました。温室には、異次元から来たような不思議な植物が所狭しと並んでいて、ちょっと壮観でした。なかでも見事だったのは、数十年に一度花を咲かせ、花が咲くと枯れてしまうという龍舌蘭の花ですね。花茎が10メートル以上も伸びているのです。
知人は、私がコミック好きだということをよく知っていて、かつ、そのかなでも私が特に好きな内田善美作品を人に貸したら、そのまま戻らなくなって残念に思っているということまで知っていて、たまたまネットオークションで安く出ていたから入手したと内田善美の『草迷宮・草空間』をプレゼントされました。こういう気のきいたプレゼントは、とてもうれしいですね。
知人とは、新宿御苑を二時間弱散策して、近くで生ビールを一杯ひっかけながら定家の話などをして別れました。

と、ここまで書いていたら、宅配便のノックがして、九州に住んでいる若い友人から、これまた私が好きな映画『メゾン・ド・ヒミコ』のDVDが送られてきました。とても良いタイミングで、これまたうれしいです♪

   *    *    *

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  1. 2006/09/11(月) 13:08:11|
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『紅天女』が能に

三島由紀夫の関連で、歌舞伎(人形浄瑠璃)演目の解説を検索するために日本芸術振興協会(国立劇場)のサイトにアクセスしていたところ、来年二月に国立能楽堂で、少女漫画『ガラスの仮面』(美内すずえ)を原案とする新作能『紅天女』が演じられるという記事を発見した。伝統芸能と現代、芝居と漫画、そうした厚い垣根を取り払うという意味でよい企画だと思う。

『紅天女』制作発表ページ
『紅天女』公演情報

テーマ:古典芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/12/18(日) 12:01:49|
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現実へのしなやかな抗議ーー大島弓子『つるばらつるばら』

…ということで、気になる大島弓子の作品集『つるばらつるばら』(白泉社文庫)を読んでみた。表題作『つるばらつるばら』のほか、『夏の夜の獏』『ダイエット』『毎日が夏休み』『恋はニュートンのリンゴ』を収録。作品は1988年から1990年にかけて『ASUKA』に発表されたものだが、その感覚は今読んでもみずみずしい。

tsurubara.jpg

作品のテーマは、『夏の夜の獏』など三作が家族の崩壊(離婚)と再生を扱った深刻なもの。しかしそれとは逆に、絵のタッチはどこまでいってもかわいらしくファンタスティックだ。
また『夏の夜の獏』をはじめとする作品の主人公たちは、コミュニケーションを失いつつある大人たちの世界から身を守るため、みずからを大人化し、大人たちを子供とみている(そうした視線をもった主人公たちが、自分の実年齢の子供たちや兄弟たちと交流できないのはこれも当然で、主人公の多くは登校拒否して学校には行っていない)。
そんなちょっとこわいくらいの内容を、それとはアンバランスなまるでメルヘンのような絵で描く。それが大島弓子の世界だと、最初にあらためて確認。
さて、作品集『つるばらつるばら』に描かれる世界のなかでは、平和で安穏な家庭はすでに崩壊してしまっており、大島弓子は、読者をいやおうなくその崩壊した世界に引きずりこむのだが、その世界の悲惨をストレートに訴えることなど少しも眼中にはない。そうではなくて、彼女が主張するのは、その悲惨な世界に対してある違和感をもって抗議すること、崩壊した世界にある絶対の世界を対峙させ、その絶対の世界に殉ずることを選ぶことなのだと思う。だから大島弓子は、絵柄からうける表層的な印象とは異なり、現実を回避し、幻想の世界のなかに閉じこもった安直なファンタジー作家などではけしてない。大島弓子の作品全体が、世界の崩壊に対する一種の警告なのであり、その警告は、真剣になればなるほどメルヘンの色調をおびる。このギャップが大島弓子の魅力なのだ。
また作品集『つるばらつるばら』では、一種のエレクトラ・コンプレックスが隠れた主題のひとつであるようにも思われる(このちょっとあやうい主題を描くときにも、大島弓子はメルヘンの外装をけして崩さない)。『ダイエット』『毎日が夏休み』では、主人公は母の連れ子であり、父親(義父)はもっとも身近な異性である。主人公たちは母をとおして、母の恋人としてそうした父親に接する。したがって父には距離感があり、父には簡単に近づけない(その距離感が、『毎日が夏休み』では逆に、罪を分け合う共犯者のような親密な父娘をうみだす)。
作品集『つるばらつるばら』のなかに、ラブ・ストーリーはあるが、それは通常の意味でのボーイ・ミート・ガールの話ではない。つまり大島弓子が描く恋は、きっかけもプロセスもない、みずから選ぶことすら許されない運命の恋だ。
『恋はニュートンのリンゴ』では、主人公・甘木三時子は大学生・泡盛給二に一方的な恋をするが、周囲からは(そして給二からも)まったく理解されない。大島弓子はその恋がなぜ報われないのかという不条理を一生懸命問いかけるのだが、一般的にいえば、それは三時子が小学二年生でしかないからだ。
さて表題作の『つるばらつるばら』。私には、この作品は作品集のなかで最も難解なのだが、話の構造は自体は『恋はニュートンのリンゴ』とよく似ている。主人公・富士多継雄は、小さい頃から、細い路地、バラの垣根、石段、木のドアのある家をよく夢に見た。そして夢に殉じて生きるしかない自分を見つめながら成長してきた。夢のなかで継雄は「たよ子」と呼びかけられる。継雄は、たよ子となって自分に呼びかけてきた男と結婚すると決め、ゲイボーイになって、夢の中の家と男を探し続ける。60歳を過ぎた2030年、整形をしなければゲイボーイとしての美貌を維持できなくなった継雄は、ふらっと倒れた街角でついに夢の家と男をみつけ、男と結ばれる。
三時子も継雄も、普通の意味では、じぶんがなぜ相手を愛するか説明できないであろう。
ちなみに、タイトルの「つるばらつるばら」は、「つるかめつるかめ」と「くわばらくわばら」を組み合わせた厄よけの造語という。しかし作品のなかで厄よけに効果があったかどうか、私には少しもさだかでない(*^_^*)。

   *   *   *

犬童一心監督が準備したという『つるばらつるばら』のシナリオがどのようなものか、私には見当もつかないが、『つるばらつるばら』という作品集は、『メゾン・ド・ヒミコ』を読み解くための重要なヒントをたくさん提供してくれるように思う。
  1. 2005/09/02(金) 14:06:03|
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