le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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百人一首から映画『春の雪』を読み解く

行定勲監督の映画『春の雪』は、三島由紀夫の原作にはないさまざまなシーンを創作し、話のなかに挿入している。そうしたもののなかでもっとも成功しているものは、プロローグの百人一首のシーンではないかと思う。
和歌の世界を百人一首で代表させることそのものは、あまりにも短絡的で私は好まないが、この映画の場合、和歌の家としての朝倉家の歴史を短いシーンで象徴させるものとして、うまい導入だと思った。同時に、このシーンは、回想シーンが少ないこの映画のなかで、唯一幼い清顕と聡子が登場するシーンであり、清顕と聡子の恋心が幼い日にすでにめばえていた運命的なものであったということを的確に伝えている。
ところで、この百人一首のシーンでは、聡子の好きな歌として

  瀬を早み岩にせかるる瀧川の われても末にあはむとぞ思ふ

という崇徳院の歌が紹介され、後に、この歌(札)が映画のなかで重要な意味をもつことになるのだが、映画をみていてそれ以上に重要な歌があるのに気づいたので、ちょっとそれを記しておく。その歌とは、壬生忠見の

  恋すてふわが名はまだき立ちにけり

という歌で、映画のなかでは上の句だけがさらりと読み上げられ、そのまま崇徳院の歌に続けられる。しかしこの忠見の歌、実は下の句が映画『春の雪』にとって非常に重要で、そのために数ある百人一首の歌のなかから、この歌を崇徳院の歌の前に選んだのだと思った。もったいぶらずに忠見の歌の下の句を記しておこう。

  人知れずこそ思ひそめしか

  (恋をしているという私の名はすでに評判になってしまった、人に知られないようにあの方を思いはじめたのであったのだが…)

全体を通して読むと、映画『春の雪』のなかで、忠見の歌のもつ重要性、なんとなくおわかりいただけるのではないだろうか。と同時に、この重要な意味をもつ下の句を読みあげず、上の句によって暗示するだけにとどめた脚本の奥ゆかしさを私は買う。もちろん、その奥ゆかしさは忠見の歌の内容とも合致している。

ただし、映画のなかでの百人一首の使い方、もう一箇所はまったくいただけない。
新橋駅での清顕との永遠の別れの間際、なぜ聡子がそれまで清顕とばらばらにもっていた崇徳院の札をわたすという設定にしたのだろうか。たしかに、清顕に対する聡子の思いがある日突然生じたものではなく、聡子にとって清顕以外の男は存在しえなかったという気持ちはそれで明確になる。しかしそうして自分の思いを明確に伝えることと、すぐ後の出家、そして清顕と会うことをかたくなに拒む心理が、少なくとも私のなかではうまく結びついてくれない。それならば、清顕と聡子は思いがすれ違ったまま別れるという原作の設定の方が、聡子の現世からの超脱に結び付けやすいと思う。
それと、崇徳院の札によって聡子の真の思いを知るということは、清顕の次の行動(月修寺訪問)の意味をまったく違うものにしてしまう。つまり、原作の設定では、思いがすれ違ったままであるがゆえに互いの思いを最後に一度確認したいということになるが、映画では、聡子の思いを知ったのでいとしさがつのってもう一度あいたくなるというようにしかとれなくなる。
月修寺に行くためのお金を祖母から盗むのか(映画)、友達から借りるのか(原作)という違いも、ささいなようで簡単に見過ごすことはできない。それは、どうしても月修寺に行くという清顕の気持ちの純粋さにかかわることだからだ。
清顕と聡子の別れにいたるプロセスは、原作でも複雑に入り組んでおり、それをそのまま映像化するのが困難だったということは理解できるが、松枝家と朝倉家の会議に聡子が乗りこんできたり、聡子の月修寺行きがすんなり決まったり、そして清顕との最後の面会が許されず松枝家の執事の機転で偶然あえるようになるというような改変は、聡子の決意を通俗化し、かえってわかりにくいものにしてしまったように私には思われた。
そして、プロローグでは奥ゆかしかった脚本が、大詰めにきてその奥ゆかしさを捨ててしまったのが残念だった。

   *    *    *

ところで、映画はともかく、百人一首にはさまざまな謎が秘められていると指摘され、またそれについての解説も多いが、実は百人一首の成立はそうした複雑なものではないという考え方もある。
映画をきっかけに百人一首に興味をもたれた方、ぜひ↓ページにもアクセスを!
『後鳥羽院「人も惜し」歌の新たな文脈』
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テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/10/31(月) 13:26:53|
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三島に負けた?映画『春の雪』

10月29日、六本木のVIRGIN TOHOで行定勲監督の映画『春の雪』を初日に観た。
いわずと知れた三島由紀夫の小説『春の雪』の映画化だが、自由な脚色が、前半は成功し、後半は乱れたという印象をうけた。

三島の小説、松枝清顕と朝倉聡子の恋物語だが、その恋は、小説を読み進んでいくにしたがって、①幼い頃からの憧憬が深化したもの(清顕からする聡子へのあこがれと反発)、②聡子と洞院宮治典王との婚約が内定するという状況変化からくる禁じられたものへの挑戦、③聡子の父である朝倉伯爵の松枝侯爵に対する秘められた反感からくる倒錯的な復讐劇(朝倉伯爵の意をくんだ聡子付の侍女・蓼科の思惑)と様相を変化させていくように描かれている。
私は、この構造、なかでも③の復讐劇の部分が①②の説明や描写を無化しているようで、三島の小説のストーリー展開に納得できないのだが、映画ではこの種明かし的な部分を冒頭におき、複雑な謎解きゲームとしての『春の雪』に肩すかしをくわせた。この意表をついた、しかしながらこれ以外には考えようのない見事な脚色にあっけにとられた私は、いっぺんで映画に引きつけられてしまった。映画は続いて、小説にはない幼い清顕と聡子が百人一首をして遊ぶ回想シーンに変わるが、このシーンを創造して清顕と聡子の関係を象徴させたのもみごとだと思った。
ところで、小説『春の雪』は、清顕の心理をくどいほど細かく書き込んでいるのだが、時間的にも表現の特性からいっても、そうした構造をそのまま取り入れることが不可能な映画というジャンルでは、原作を思い切って削ると同時に、削ったものを補うセリフやシーンを挿入しなくてはならない。それが、転生を象徴する蝶の飛遊、聡子の棺、清顕の夢などとして描かれ、多少しつこくはあるが、三島独特の説明過多から逃れていると思った。清顕の友達・本多に小説にはないさまざまなセリフを割り振って、彼を説明役に使った部分もうまい。
ただ、原作の③を作品の背景に退けてしまった(見方によっては、プロローグにおかれたために、作品全体における③の比重は大きくなっているともいえる)分だけ、清顕の恋の理由付け(①と②)の矛盾は拡大してしまう。これは映画の罪ではないのだが、要するに、『春の雪』という小説は、一見ラブストーリーのようでありながら、清顕がなぜ聡子を愛するかという肝心な点が少しも描かれていない(この矛盾を解決するため、三島は③を挿入して、この話を無理やりラブストーリーではなくしてしまった?)。『メゾン・ド・ヒミコ』を論ずるに際して、芸術作品のもつ多面性を擁護した私の言説からすると、この批判は首尾一環していないと受けとめる方もあるかと思うが、『春の雪』に関して言えば、①②③は異なる視点からみた清顕の心理の説明として互いに退けあう面をもっており、それをいくら重ねても多面的にはならないのだ(単純化していえば、『メゾン・ド・ヒミコ』のなかで沙織の行動や心理が複雑なのは、父への思い、母への思い、春彦への思いが沙織の内部で同時に重なるからだが、『春の雪』では、清顕の単純な心理が、①②③という異なる視点から説明されるために複雑化するという構造をもつ)。
したがって、あえて言えば、三島の原作の観念小説としてのおもしろさは、蓼科の思惑(朝倉伯爵の復讐の意志)が読者に明らかになってからの、清顕と聡子の思いのゆくえにあるともいえるのだが、映画は、これをもラブストーリーの流れのなかで処理しようとするため、後半、矛盾だらけの陳腐な物語に堕してしまった。
こうした点から、映画のなかで私が違和感を感じたのは、まず、朝倉家と松枝家の秘密会議への聡子の登場、そして、新橋駅での別れのもつ意味の違い(映画は完全なメロドラマ)、清顕が月修寺に行くための資金調達方法(映画は遺族年金の窃盗、原作では本多から金を借りる)、そして何より、月修寺に行く前から清顕は風邪気味であり、たまたまその風邪をこじらせたために死んだともとれるようなラストにいたる描写である。
なかでも清顕の死は、宿命との絶望的な戦いに賭け、その戦いが敗色濃くなるなかで病を得るという小説の設定の方が壮絶である。またそれでこそ、清顕の行動に対応するものとしての聡子の出家が、単なる恋の断念ではなく世俗的なものすべてからの超脱として重みを増す(したがって、聡子は朝倉家と松枝家の会議には出席せず、その決定だけを受け入れたとする原作の方が、動かし難いものの存在を感じさせる)。

私は、なにも三島作品を神聖視するものではないし、小説を映画化する際にその脚色は自由であっていいと思うが、映画『春の雪』は、その自由が奔放に流れて、いわば等身大のラブストーリーへと通俗化してしまったのが残念だ。

テーマ:映画 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/10/30(日) 15:46:34|
  2. 映画
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マーラー第5交響曲演奏史ーー映画『春の雪』に触発されながら

映画『春の雪』(行定勲監督)を観ていたら、綾倉聡子の婚約者・治典王がSPレコードをかけるシーンおよびそれに続く聡子からの手紙が主人公の松枝清顕に届けられ清顕が読まずに燃やすという重要なシーンでマーラーの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」が使われており、非常に驚いた。
このアダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティが『ヴェニスに死す』(1971年日本公開)のタイトル音楽に使い世界的に有名になった曲だが、行定監督がマーラーのアダージェットを使用したのは、ヴィスコンティへのオマージュではないかとも思え、興味深かった。
(1970年に死んだ三島は、もちろん『ヴェニスに死す』を観てはいないが、1970年に日本公開された前作『地獄に堕ちた勇者ども』については、「荘重にして暗鬱、耽美的にして醜怪、形容を絶するような高度の映画作品」(『映画芸術』1970年4月号)と絶賛している。)
以下、マーラー第5交響曲の演奏史について調べてみたことを簡単にメモしておく。

マーラー第5交響曲の初演は1904年(明治37年)。その7年後の1911年(明治44年)にマーラーは亡くなっている。
大正のはじめと時代設定されている『春の雪』のなかでマーラーの第5交響曲が使用されているのは、この事実だけとってみれば不可能なことではない。
ただ問題は、その演奏をSPレコードで聴くという設定にあり、調べた限りでは、マーラーのアダージェットの録音は、ウィレム・メンゲルベルク指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のものが最初で1920年(大正9年)。次は、トーマス・マンと親交があったブルーノ・ワルター指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のもので1938年(昭和15年)録音。マーラーの音楽は、マーラーの生前から賛否両論で当時の音楽界に受け入れられていたとはいえず、この時代、メンゲルベルクとブルーノ・ワルター以外の人がこの曲を演奏したり、ましてや録音しているということはまず考えられない。また、マーラーの交響曲は長大なため全曲録音が困難で、メンゲルベルク、ブルーノ・ワルターとも、戦前はアダージェットのみの部分録音しか残していない。
参考までに、ブルーノ・ワルターとともにマーラーに師事したオットー・クレンペラー(トーマス・マンとのかかわりでいえば、彼はマンの小説『ファウスト博士』のなかで、主人公アードリアーン・レーヴァーキューンが作曲した仮空の前衛的音楽作品『デューラーの木版画による黙示録』の初演者ということになっている。ちなみに、クレンペラーは、私が最も尊敬する指揮者である)はこの曲をまったく演奏しておらず、次のように酷評している。
「現在わたしは『なき子を偲ぶ歌』や『さすらう若人の歌』と、いくつかの交響曲が好きですが、交響曲すべてが好きなのではありません。つまり、わたしはのぼせあがった馬鹿ではないということです。わたしはマーラーの書いたものならなんでも好きだというわけではないのです。第一交響曲はこれまでに一度しか指揮したことがなく、わたしはこの曲の終楽章が大きらいです。第五交響曲では第一楽章の葬送行進曲は大好きですが、スケルツォは長すぎます。それからアダージェットーーハープと弦楽のための小曲ーーはとてもよい曲だが、まるでサロン・ミュージックです。終楽章もやはり長すぎる。だからわたしはこの交響曲を指揮したことがないのです。」(P・ヘイワース編『クレンペラーとの対話』、佐藤章訳、白水社、1976年、50頁)
こうした点から判断すると、映画『春の雪』のなかに出てきたマーラー・アダージェットのSP盤というのは、現実には存在しえない幻のレコードというしかなさそうだ。ただし、現実には存在しえないといっても、作品行為としてそれを存在させるということはあってもいいと私は思う。その場合、当時の音楽界に受け入れられていたとは思えないマーラーのSP盤を購入し、それを婚約者に聴かせるという行為は、治典王の性格づけの問題とからんでくる。もっとも、映画を観ている限り、行定監督がそこまで深く考えていたようには思えないのだが…。

ところで、日本では、マーラーの音楽は意外なほど早く紹介されている。
これは、マーラーの影響を受けたユダヤ人の指揮者クラウス・プリングスハイムが、日本への楽旅のなかで、マーラーを意図的に取りあげているためで、マーラーの第5交響曲は、プリングスハイムの指揮の指揮により1932年(昭和9年)日比谷公会堂で日本初演されている(オーケストラは東京音楽学校管弦楽部)。ちなみに、クラウス・プリングスハイムは、トーマス・マン夫人、カーチャの双子の兄妹。
映画とマーラーという点では、ヴィスコンティの前に、たとえば大島渚が『新宿泥棒日記』(1969年公開)のラストでマーラーの第8交響曲を使用しているのだが、この映画でマーラーの交響曲が使用されていることについての分析、私はまだほとんど読んだことがない。ちなみに、マーラーの第8交響曲はゲーテ『ファウスト』のテクストが使用されており、救済をテーマとするそのテクストは、『新宿泥棒日記』の内容と深く結びついている。

   *    *    *

『ファウスト』といえば、三島の小説『春の雪』では、清顕が聡子をさそった帝劇の演目は歌舞伎なのだが、映画ではそれがグノーのオペラ『ファウスト』にかわっていた。
映画を観ながらこの変更の理由をいろいろ考えていたのだが、私はいまだ明確な結論に達することができずにいる。

テーマ:音楽 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/10/30(日) 11:40:18|
  2. クラシック音楽
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小説『春の雪』ーー意識の単純化に違和感

映画『春の雪』公開にあわせて、その原作である三島由紀夫の小説『春の雪』を読んだ。はじめに書いておくと、私は三島の小説が好きではない。今まで、何冊か読んではいるが、好き・嫌いでいえば、むしろ嫌いな作品が多い。たとえば『仮面の告白』は、そうした嫌いな小説の代表のようなものだ。人間図式が、「わかる・わからない」ということであまりにも単純化されすぎているような気がするのだ。『春の雪』がその第一部をなす『豊穣の海』も、数年前に一度全体をとおして読んでいるのだが、けして好きにはなれなかった。

さて『春の雪』。三島は主人公・松枝清顕の行動を描写するときに、その行動の背景にある心理を事細かに書き込んでいるのだが、今回この作品を読んで、何よりもまずその三島的な心理描写に、私は強い抵抗を感じた。つまり、三島のように登場人物の心理を細かく規定してしまうと、ほんらい潜在的であるはずの意識が、清顕自身に、あるいは友人の本多や聡子、蓼科に自明の意識であるように映じているのではないかと思えてくるのだ。
おそらく、『春の雪』を書いていた三島にとっては、意識・無意識とは、単に気づく・気づかないという相違でしかなかったのではないか。それと気づいてしまえば、無意識は顕在的な意識となる。そうした明確な「意識」が、登場人物の行動を決定していく。たとえば映画『メゾン・ド・ヒミコ』の分析で指摘したような意識の多面性への配慮、一つの行動の背景に無限の意識が同時に反映されているというような捉え方、三島からは感じられない。

作品の途中まで清顕と聡子の「意識」の産物であるかのように語られていた恋物語が、実はすべて蓼科の思惑通りに進んでいたのであり、清顕の「意識」も、聡子の「意識」も、蓼科に操られていたとするようなストーリー展開も、謎解きとしてはおもしろいのだが、これまた、人間の意識や行動を、あまりにも単純化しているような印象を受ける。
作品全体の構造を私のように理解すると、この作品のなかで、清顕と聡子の「意識」が周囲から解放された独自のものとして展開するのは、読者に蓼科の思惑が明らかにされた以降ということになるが、それにしては前段の疑似恋物語が長すぎる(蓼科の思惑がなければ、『春の雪』の前半部は「不可能な恋」への賭けの物語として読むことができる)。

原作が好きではないので、実際のところ、私は行定勲の映画『春の雪』にほとんど何も期待していない。ただ、何も期待していないので、その分、映画としてはおもしろくみれるのではないかという変な期待はある。三島が描写している登場人物の心理をすべて説明するとなると、この映画はナレーションだらけになってしまうと思うが、そういうわけにもいきますまい。
さていかなることにあいなりますやら…。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/10/29(土) 11:27:13|
  2. 文学(人と作品)
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『メゾン・ド・ヒミコ』ーー深層意識のラブストーリー

18日に犬童一心と田中泯のトークショーを聴き、その機会に『メゾン・ド・ヒミコ』を再見(四度目)したこと、そしてその後、このブログでまつさんにインスパイアされながら『メゾン・ド・ヒミコ』の方法論についていろいろ考察したことをふまえ、ここでもう一度、『メゾン・ド・ヒミコ』について現在の私が感じていることをまとめておきたいと思う。

さて、『メゾン・ド・ヒミコ』を四度観終えたあとの私の率直な感想は、これは風変わりな、しかし非常によくできたラブストーリーではないかということだった。
この作品のなかに社会的なテーマを見いだそうとしている人たちは、こうした言い方を身も蓋もないと感じるのでないかと思うが、映画や小説のなかで、ラブストーリーは、これまで手を代え品を代えいろいろ語られてきたわけで、ラブストーリーというジャンルは非常に陳腐化している。そこで犬童一心が『金髪の草原』以来追い求めているのは、手垢のつかない、いわば不可能な恋物語であるということが言えるのではないかと思う。
しかしこれはなにも、犬童一心が単に奇をてらった映像作家だということを意味するのではない。そうではなくて、犬童一心は、社会のなかで人間性が希薄化していくなかで、ラブストーリーそのものが存在基盤を突き崩され、存立しえなくなりつつあるということを非常に強く感じている作家だということだ。
犬童作品を特徴づけるものの一つと指摘されるフェティシズムという性愛感情も、人間性が希薄化した世界のなかではむしろありふれた反応といえると思うが、これはなにも、フェティシズムを人間全体ではなく身体やそれにかかわる特定の部分やものを愛することと限定的に考えなくても、現代社会においては愛そのものがフェティシズム化しつつあると広くとらえれば、当然生じてくる問題設定であり表現方法だと思う。

さて四度目の『メゾン・ド・ヒミコ』、こちらには映画のいろいろな細部がすでにみえているということもあるのだが、沙織がメゾン・ド・ヒミコについて以来のいろいろなやりとり、私には、この作品が本質的にはラブストーリーであることをカモフラージュするための巧妙な仕掛けとみえた。キクエの登場も、ルビーの登場も、いわばお化け屋敷的にうまくできていて、これから展開するのがラブストーリーであるということから、観客の眼をうまくそらしている。
そうしたなかでの沙織と春彦の言葉のやりとりやさまざまな行動、これを表層的にとらえればディスコミュニケーションの典型でしかないのだが、それを柴崎コウとオダギリジョーという生身の役者が演じているのを観るとき、二人は一瞬にして互いの世界を了解し合い、その根本的な了解にもとづいて、表層的なさまざまな言葉のやりとりをしているしているようにみえてくるのだ。
私がその観を強くしたのは、沙織が母の写真について語るシーンと、物乾し場のシーンなのだが、たとえば物乾し場のシーンは、春彦が半田との外出から戻ってきたあとの、ある意味で非常になまなましいシーンなわけで、そこでかわされるキツイ会話とは裏腹に、そのときの沙織の眼差しは、春彦のセクシャリティーに対する嫌悪ではなく春彦のしたたかさに対する畏敬を含んでいるように私には感じられた。そして、それに対する春彦のリアクションだが、沙織のそうした視線に気づきながら、いや、気づいているがゆえにそれを外そうとする、複雑な心理を秘めているように思われた。
こうした複雑な演技があるために、この作品は、一見唐突なような後半が自然なものとして流れていく(作品の前半部分に伏流する、作品が直接語らないものをつかみそこねると、この作品の後半はきわめて不自然なものにみえてくる。私がいう「自然」、「不自然」というのは、そういう意味では相対的なものといってもいい)。
こうした私の印象をフォロー・アップしてくれたのが、映画をみ終わった後のトークショーで語られた、犬童一心の次のような言葉だ。
「実際に撮影にはいって人が動き出すと、ああここのシーンは実はこういう意味をもっていたのかと気がつくところがあった」
これは、この作品の構造に関する非常に重要な指摘で、つまり、この作品に関しては台本(撮影する前のプラン)とできあがった作品が、監督にとっても違う意味をもってしまっているということであり、『メゾン・ド・ヒミコ』は、撮影する前にもっていたプランを単純に具体化していくというかたちで「つくられた」作品ではないということである。

ここで、『メゾン・ド・ヒミコ』とは直接関係のないエピソードを一つ挿入することをお許しいただきたい。
これはある役者から聴いた話だが、とあるテレビドラマを撮影している時に、田中○子の演技があまりにもすばらしく、かつある時、それが必ずしも台本に書かれた通りではないことに気づいたその役者は、彼女になぜそこでセリフを飛ばしたのかと聴いてみたという。そのこたえは、「台本に書かれているセリフは、その役を理解するときには必要なものだが、その役になりきってしまえば、セリフは必要がないときがある」というものだったという。これは田中○子とある演出家が、演技というものを互いにすべて了解したうえで可能な表現ともいえるが、台本=作品ではないということを、うまく示していると思う。

さて、『メゾン・ド・ヒミコ』に戻ると、柴田コウとオダギリジョーという生身の役者が沙織と春彦を演じるとき、いくら個々のシーン(の撮影)が全体から分断されているとはいえ、個々のシーンをそこだけで完結するものととらえることは不可能で、どうしても、作品全体を考えながら個々のシーンを演じていくことになる(これは、演技論というより、どちらかといえば認識論的な問題である)。ということは、この作品の終わり方が、それ以前のシーンの演技にも反映されているということになる。あるシーンを撮影している時、直接そこで作品の終わり方を意識しなくても、潜在意識の片隅に作品の終わり方がひっかかってしまう。そうした役者の自分でも意識しないひっかかりが、観る側には反発=共感という登場人物の深層意識の表現にみえてくる。
この映画に関して、犬童一心が「演出する」ということを非常にセーブしたこと、そしてなにか記録を撮るように登場人物の動きを撮影したということ、この演出方針・撮影方針が、不可能な恋愛という主題とからみ合いながら非常にうまくいきていることがわかる。

『メゾン・ド・ヒミコ』は、みごと、深層意識のラブストーリーになりえているのである。

テーマ:映画 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/10/27(木) 14:54:33|
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『メゾン・ド・ヒミコ』におけるシュールレアリスムーーまつさんにインスパイアされながら:その2

犬童映画におけるフェティシズムの問題ですが、私はこの点に、ルイス・ブニュエルと同じような問題関心をみます(ちなみに、私がもっとも尊敬する映画作家はブニュエルです)。ただこの点は、私のなかでもまだうまくまとまっておりませんので、この書き込み、単なる事実の列記といった感じの雑駁なものとなってしまうかと思いますが、お許し下さい。

さて、『メゾン・ド・ヒミコ』をみたときに、この作品のタッチとの類似ということで最初に思い浮かんだのが実はブニュエルであり、シュールレアリスムということなのですが、ブニュエルとの対比や『メゾン・ド・ヒミコ』におけるシュールレアリスムに言及すること、私はこれまで意図的にさけてきました。それがなぜかというと、『メゾン・ド・ヒミコ』、さらには『金髪の草原』をシュールレアリスム作品として分類していまうことは、そうした分類を読んだ人が、これらの映画を作品に即して考えるということをやめてしまうかもしれないとおそれたからです。
実際のところ、犬童作品をシュールレアリスムと規定してしまえば、話は非常に単純なわけで、「あ、シュールだからなんでもありなのね」で済んでしまうわけです。私としては話をそう簡単に済ませたくはない。そこで、犬童作品の表現論というものを、これまで、作品に即していろいろ書き連ねてきたわけです。
また犬童作品に対する批判の多くも、私からすると、それとは意識せずに犬童作品のシュールレアリスム的な方法論を批判したものが多いように思われます。私としては、映画の方法論というのは、たくさんあっていいのではないかと思いますから、直接的なリアリズムを求める作品もあれば、そうでない作品もありうるのであって、この点からすると、『金髪の草原』や『メゾン・ド・ヒミコ』は直接的なリアリズムを求めない作品であるというだけで、それは作品の欠陥でもなんでもないと思うのです(リアリズムをめざした作品が結果としてリアルなものにならなかったとしたら、その作品は批判されるべきでしょうけれど)。
私は、批判派を含めて、『メゾン・ド・ヒミコ』を観た多くの人と話をしましたが、それからすると、これはどういうシーンか、このシーンで何が起こっているのかということに関して、個々のシーンの直接的な意味をめぐる見解の食い違いというのはほとんどないのです。ところが、個々のシーンをよりトータルに意味づけしようとするときにさまざまな食い違いが生じ、平行論になってしまう(たとえば、沙織と春彦がデキタかどうかということに関して、映画の描写に曖昧な点はなにもないわけです。ところがそのシーンを意味づけしようとしたときに、「ありうる」とか「ありえない」とかもめるわけです。ダンスホールのシーンもそうですね)。ですからこれは、映画のつくり方が稚拙で、個々のシーンの意味が曖昧だから観た人の意見がわかれるのではなく、それ自体は明確なシーンをみて、鑑賞した人間が総合判断を行おうとするときに生じる見解の相違なのであり、作者によって予期されていた効果なのだと思います。

さてフェティッシュの問題ですが、ある意味でブニュエルほど部分的なものに対する欲望にこだわりつづけた映像作家はめずらしいのではないでしょうか。それと『ビリディアナ』にみられるように、ブニュエルには身体障害者に対する、やはりフェティッシュとしかいいようがない関心がありますね。これも身体の部分に対する欲望と関連していると思います。『哀しみのトリスターナ』のなかの、足を切断したトリスターナの裸身に対するこだわりなどは、そうしたフェティシズムと身体障害へのこだわりが結びついたものといえるかもしれません。犬童一心の場合も、ブニュエルほど明確ではありませんが、そうしたフェティッシュな関心が強く、またそれを意識的に表現しているのはまつさんのご指摘の通りだと思います。
そこで次に、ブニュエルや犬童一心がそうしたこだわりをもつのはなぜかということを考えてみると、結局、シュールレアリストは、潜在意識や一個の人格のなかの他者からの転移(他己形成)を重視し、自律的な人間心理や、普通の意味における行動の動機というものには興味をもっていませんから、人間の行動が表層的にはバラバラのものとして描かれることになり、それを普通に言えば、フェティシュな関心だけで動いているようにみえるということになるのだと思います。いやもしかすると、シュールレアリストは、人間はフェティッシュな関心しかもたないと言っているのかもしれません。いずれにしても、身体やモノに対する部分的な関心(欲望)と、人間の心理や人格性を認めないということは、シュールレアリスムにおいては、表裏一体のものとして結びついているといえると思います。
まつさんが書いておられる、
「彼(犬童)の作品には「食事」場面が必ず登場する。「食」=「セックス」を想起させるように、「旺盛な食欲」=「欲望」という図式が見え隠れする。
春彦が「欲望なんだよ」と告白するように、彼らを結びつけるものは「愛」ではないと言及している。これまでの作品群においても「食」は「欲望」であり、結果「食」に魅せられると破局を迎えていることが判るだろう」
という点は、ブニュエル映画にもそのままあてはまるものであり、たとえば、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』という作品は、そうした食欲と性欲だけを主題とした作品といえますね。
犬童監督は、次は暴力を題材とした映画を撮りたいといっているようですが、この暴力というのも、私からすると欲望、それも潜在的な欲望と結びついた自己コントロールできないものということで、非常にシュールレアリスティックな主題だと思います。

いずれにしても、まつさんが指摘しておられるフェティッシュということは、犬童作品を解くための大きな鍵だとは思いますが、私としては、「犬童一心はシュールレアリストだからその作品はフェティッシュなんだ」と断定的には語りたくないのです。そういう風に紋切り型にとらえるのではなく、ある映像作家がフェティッシュな関心をもつというのはどういうことなのかを、犬童作品をきっかけにしてじっくり考えてみたいと思っています。

(この記事を書きながら、私は、自分がなぜ『メゾン・ド・ヒミコ』の登場人物たちの行動をその潜在意識のレベルでとらえたくなるのか、少しみえてきました。)

テーマ:心理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/10/23(日) 23:17:51|
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『メゾン・ド・ヒミコ』における現実と虚ーーまつさんにインスパイアされながら:その1

まつさん、私のブログの『メゾン・ド・ヒミコ』関係の記事へのコメントおよびTBありがとうございます。『メゾン・ド・ヒミコ』のこと、誉め合ってばかりいてもしかたがないのじゃないかと思っていたところですので、コメント感謝しております。ただし、まつさんの書かれた記事およびコメントへのお返事、小さいスペースではとても対応しきれない(irresponsable)と判断しましたので、こちらに新たな記事をたてて、じっくりお返事させていただくことにしました。
誤解なきようあらかじめ記しておきますと、私はこの記事によってまつさんを説得しようとか、これによって二人が『メゾン・ド・ヒミコ』についての共通の了解に達するであろうといった安易なことは考えていません。なんというか、これは、『メゾン・ド・ヒミコ』について私がこれまで考えてきたことの自己確認のような内容になるのではないかと思っています。ですから、この書き込みがまつさんにとってはなんの説得力もなく、私の記事がもう一度私に向かって「差し戻される」だけとしても、それはそれでやむをえないことだとも思っています。

さて、『メゾン・ド・ヒミコ』は、これだけは誰もが認めるように、非常に複雑なテーマをごった煮のようにつめこんだ作品ですから、私が書いたものも含めて、この作品についての感想やコメントの多くは、その複雑なテーマを整理しようという方向にあるように思います。
ところで、まつさんの記事が私にとって重要なのは、『メゾン・ド・ヒミコ』が抱える複雑な問題をこの作品のなかだけで整理してしまうのではなく、『金髪の草原』『ジョゼと虎と魚たち』『死に花』(この作品、私は未見)というトータルのなかでとらえようとしておられる点で、私も『メゾンドヒミコ』は、他の犬童作品、特に『金髪の草原』とあわせて考察した方がよく理解できるのではないかと思っています。
ということで、まつさんの記事のなかから、それに関係する箇所、引用させていただきます。

「これまでも犬童監督は「金髪の草原」(1999)や「死に花」(2004)でも老人を扱ってきたが、そこにはファンタジー的な現実を超越した「悪意」があった。それは「金髪の草原」での若返りや「死に花」での強盗など「到底無理」なことをやってのけることに対するシニカルな視点だ。
このシニカルな視点は現代社会で同じ「マイノリティ」という意味合いを持つ障害者を主人公にした「ジョゼと虎と魚たち」(2003)にも現れている。
つまり犬童作品に登場する「マイノリティ」たちは、魅力的に描かれているのだが、現実的ではないという共通点を持つ。ここに「愛情」はなく、「悪意」によって引き出される悲劇が観客の琴線を「揺らしている」に過ぎない。
よって、この作品を「ファンタジー」として捉えないと、なかなか共感は出来ないだろう。
それは登場人物が綺麗事ばかり楽しそうに語り、現実問題に直面すると目を背けているからにほかならない。」

このなかで、「犬童作品に登場するマイノリティたちは、…現実的ではない」というのは、私にとってもとても重要な指摘なのですが、この「現実的・現実的ではない」つまり、「現実的とは何か」という問題、私は犬童作品の核をなす重要なテーマだと思っています。
つまり、私は犬童監督の「戦略」がもっとも解りやすいかたちで表現されている作品は『金髪の草原』ではないかと思うのですが、ここでは、観客は、映画のなかで起こっていること(映画が直接的に描いていること)が「現実」だと思う余地はまったくないわけです。そのうえで、この作品は、観客に向かって、「あなたはここで描かれていることを非現実だと思いますか」と問いかけてくる。おそらく、まつさんはその問いかけを「悪意」ととらえておられるのだと思いますが(そしてそのことを「ファンタジー的な現実」という言葉で表現しておられるのだと思いますが)、私は逆に、その問いかけに犬童監督のロマンを感じるのです。
仮に犬童監督がある悪意をもって『金髪の草原』をつくったのであれば、ラストシーン、主人公に老けたメークをさせるなり、老けた役者に代えるなりの、いわゆる「虚」を「現実」に転換する別の表現が可能だったのではないでしょうか。そうではなくて主人公を若いまま飛ばせたということに、この一見虚にみえるものこそが現実であり、われわれが日常現実と思い込んでいるものは実は「虚」にすぎないという犬童監督のメッセージがこめられていると私は感じました。
『ジョゼと虎と魚たち』は、そうした現実と虚の問題を、『金髪の草原』のように明確に虚とわかるものと現実を対比させて描くのではなく、いわゆる現実のなかに虚を求めた実験作と私はとらえています。
この点、まつさんには私のつたないデリダ論をお読みいただいているので、あえてそれとからめながら書きますと、『ジョゼと虎と魚たち』と『メゾン・ド・ヒミコ』は、現実と虚という問題を二項対立的にとらえるのではなく、最初に一般的に誰にでも認められる「現実」を強く打ち出しておいて、そこから「虚(真の現実)」を紡ぎ出すという、手のこんだ手法を採用しているのではないでしょうか。つまり、この二作、とりわけ『メゾン・ド・ヒミコ』では、「現実/虚」という「既存の二項対立に従わないものを指示するために」<現実>が用いられているのであり、「二項対立の外部を示すため、まさにその二項対立の内部に位置する古い名」すなわち<現実>を維持し続けているように、私には思われるのです。ですから、『金髪の草原』では、直接的に描かれているのは現実か虚かという問題はほとんど生じないのに、『メゾン・ド・ヒミコ』は、画面で展開していることが現実か虚かということが、大きな論争になってしまうのですね。
以上のような考え方からして、私は、『メゾン・ド・ヒミコ』は「現実問題に直面すると目を背けている」作品ではなく、「現実の虚構性を暴こうとした」作品だととらえています。
「老い」の問題、「ゲイ」の問題からこの作品を語ることも可能でしょうが、この作品にとって、それは副次的な問題であると私は考えます。つまり、同じ素材を社会問題として扱うことも可能でしょうが、犬童監督は、「リアルとは何か、そのリアルは作品のなかでどのように表現されるのか」ということをまず問題にしているのではないでしょうか。

(個々のシーンの解釈の問題につきましては、私として充分に書いたつもりですので、それに関する問題は、この記事ではすべて省略させていただきました。また、犬童作品における「フェチなエロス」の問題は、これはこれで大きな問題ですので、それは別記事で取り上げさせていただきたく存じます。)

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  1. 2005/10/23(日) 14:01:37|
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differanceーー『メゾン・ド・ヒミコ』を観てデリダについて考える

『メゾン・ド・ヒミコ』についていろいろ言葉を書き連ねながら、今、私はことし亡くなったフランスの哲学者ジャック・デリダの言説戦略について思いをはせている。
 フランス現代思想の旗手としてフーコーとならび称されてはいるが、デリダの言説戦略はフーコーのそれとは大きく異なる。難解といわれているにしても、フーコーの言説戦略が少なくとも表層的には直叙的であるのに対し、デリダは、「デリダ語」といわれる独自の用語を次々に生み出し、通常の意味におけるテクストの理解を拒み続けてきた。
 そうしたデリダの発想を象徴する言葉の一つにdifferanceという言葉があるのだが、この言葉、フランス語以外の言葉にはちょっと置き換え(翻訳し)ようがない。
 differanceという言葉は、直接的には動詞differerを名詞化したもので、differerには「延期する(ずらす)」、「~を異にする(区別する、差をつける)」という二つの系統の意味があり、differanceは「ずらすこと」と「区別すること・差異」の二つの意味を同時にもつ。ただし、この後者の意味に関しては、通常のフランス語にdifference(英語のdifferenceにほぼ同じ)という言葉があり、デリダはこのdifferenceとデリダが考える「ズレ=差異」の違いを明示するために、そのテクストのなかで、ことさら自己の造語であるdifferanceを強調する。
 ところでおもしろいことに(これはデリダの意図的な戦略であるのだが)、フランス語として発音するとdifferenceとdifferanceにはなんのズレも違いもなく、どちらも同じように「ディフェランス」となってしまう。つまり、デリダのいうdifferanceというのは違いなき違いでもあるのだ。
 さて前おきはこのくらいにして、デリダ論にはいることにしよう。とはいえ、これは『存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』(新潮社、1998年)なかで展開される東浩紀のデリダ論の私的要約でしかないのだが…。

    *    *    *

 さて、『存在論的、郵便的』のなかで、デリダおよび著者の東浩紀が批判するのは、エクリチュール(書く行為)はパロール(声ー意識)をなぞっているという古典的な考え方ではないかと思われる。したがって、デリダは原エクリチュールという概念をもちだして、これをパロールに先行させるが、実際のところ、この「原エクリチュール」という概念は非常にわかりにくい。ただし、パロールを単なるフォネー(音/声)の現象とするのではなく、そこに声と一体化した「意識」をもからめて考えるのだとすると、話は少しわかりやすくなる。つまり、原エクリチュールとは原意識ではないかと。
 ただこのとき、デリダは個人を個人たらしめる意識の原点(オリジン)に遡行しようとするのではなく、ここで無意識の問題をからめてくる。つまり個人の意識というのは他者の転移であって、内なる原点は存在しないと(=つねにすでに)。
 おもしろいことに言語がこれと関係してくるわけで、言語は個人以前から存在し、本来的に個人の「外」のものであるから(ex-、aus-)、言語を使ってなにかを表現するという行為にオリジナリティは存せず、エクリチュールはいわば無限の転移の繰り返しなのだという発想が、デリダにはあると思う。
 こうして考えてくると、東が、哲学者は郵便局で、偉大な哲学者とは大きな郵便局だと主張するのも理解できる。つまり彼らはオリジナルを創出するのではなく、ひたすら言語を通過させる。
 こうして、言葉と意識をネットワークの問題として同じ土俵にあげる土台ができあがるわけだが、そうして言語を大量に通過させるときに、どこかでしばしば配達ミスや差し戻しなどがおこる。この配達ミスこそ、言語流通(郵便ネットワーク)のポジティブな面からは見えてこない<オリジナル>だとデリダは考えていたというのが、本書(『存在論的、郵便的』)全体を通じた東の結論のひとつではないか。
 また実際、deconstruction、differance、grammatologie、responsabiliteをはじめとするデリダの術語は、読む人の誤配を誘うようにできてもいる(ちなみに、デリダ的に用いられるresponsabiliteは、ネット関係者にはとりわけ興味深い概念というべきであろう。デリダ的に考えると、この言葉は「res可能性(response-abilite)」であると同時に「責任をもつ」ということである)。
 さて、以上の整理によって、「デリダはなぜあのようなテクスト形体を選ぶのか」という、『存在論的、郵便的』のなかで東が初期に設定した疑問は、ある回答に達したことになるのではないか?
 デリダの「エクリチュール」という概念は、人間意識を写しとったものでもなければ、書かれた言語でもない。言語の習得に先立つ「社会関係」こそがデリダのいう「エクリチュール」であって、この術語を用いることによって、デリダは「人は社会のなかに書きこまれてる」ということを示そうとしているのではないか。この辺、デリダは「世界内存在」という術語を提唱して人間とは本来的に社会的存在であることを示そうとしたハイデガーの戦略をしっかり継承していると思う。
 また発達心理学との違いでいえば、言語なり社会関係を習得していくことをデリダは自己形成とはみずに、フロイト的な「転移」つまり他己形成とみているのではないか。

 議論が過度に抽象的にならないよう、『存在論的、郵便的』のなかの東の文章も引用しておこう。
 「70年代初期のデリダは一般に、位置ずらしの局面における戦略、つまり転倒の「終わりなさ」が要請する転移的技法を「古名paleonymie」の戦略と名付けている。それはどのようなものか。例えばデリダは、「エクリチュール」という語を導入する。しかしその語は実は、もはや既存の哲学的二項対立、パロール/エクリチュール(話されたもの/書かれたもの)の対立に従わないものを指示するために用いられている。つまりここでデリダは、二項対立の外部を示すため、まさにその二項対立の内部に位置する古い名を維持し続けている。そしてそのような捻れは、脱構築のこの局面が転移的であるため生じる。そこではあらゆる語が「脱構築されるシステムの内側と外側」、つまり分析者と被分析者とに「二重に記載され」、「いかなる概念、いかなる名、いかなるシニフィアンもこの構造を逃れることはできない」。それゆえ「単一の著者により署名された操作は、定義上この隔たり[=古名の戦略]を実践することができない」。分析者デリダは、新しい事態を引き起こすため、被分析者の用いた古い語を再応用するしかない。」(上掲書、297~8ページ)
 やや難解な文章だが、東のこたえは引用したテクストの冒頭に記されている。たとえばデリダが「エクリチュール」という言葉を用いるのは、「エクリチュール」ではないなにものかをを示すためなのだ(そしてその「エクリチュール」ではないなにものかは、「エクリチュール」という言葉によってしか示しようがない!)。

 デリダは、自己の思想を「正確に」伝えるためではなく、読む人に配達ミスや差し戻し、あるいはズレを生じさせるためにその著作を書き続けた。こうしたデリダの著作がもつdifferanceの構造や方法論は、『メゾン・ド・ヒミコ』という作品の構造に、そしてそのなかに登場する人物の行動に幾分似てないといえないこともない。
 いやそれ以上に、『メゾン・ド・ヒミコ』について語るには、デリダが生み出したような柔軟な言葉を用いなくてはならない。自戒の意味をこめてそう思った。

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  1. 2005/10/22(土) 18:52:55|
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『メゾン・ド・ヒミコ』トークショーを聴く

昨日(18日)は、渋谷のシネマライズで行われた『メゾン・ド・ヒミコ』の監督・犬童一心と田中泯のトークショーを聴きに行った。上映終了後、今まで画面の中で動いていた同じ人が、ポンと飛びだしてきて生身で話し出すという感覚は、なんともいえず不思議でおもしろい。
本質的に舞踏の人である田中泯は、トークショーがはじまっても寡黙で、多弁な犬童一心との対比がこれまたおもしろい。
トークは、犬童監督が田中泯に出演を依頼するきっかけとなった日本アカデミー賞受賞式での出会いのエピソードの紹介からはじまり、田中泯が動いているところではなく、プレゼンターとしての自分の出番を待ってじっとすわっている姿をみて彼に決めたという話になっとく。田中泯は田中泯で、出演を承諾する前に送られてきた台本を読んで、自分にこの役を依頼するというのはいったいどんな男だろうと、犬童監督の訪問を待っていたと語った。だから、この映画に出演するということは、犬童監督の最初の二言、三言で即決したという。
演出に関しては、犬童監督は田中泯の演技になんの注文もつけず、すべてを彼にまかせていたという。監督曰く、「映画は大勢のスタッフでつくるものなので、この映画に関わったスタッフのなかにも田中泯の演技に違和感を感じてそれを修正しようとする人がいたが、自分はそういう人のなだめ役に回って田中泯が自由に動けるようにとだけ配慮した。監督というのは、そういうなだめ役にまわることもあるのだ」という。
したがって、田中泯の動き、そしてそれとからむ柴崎コウの動きも、監督の指示というより、自発的なものが多いのだが、田中泯とやりとりしながら柴崎コウがどんどん変化していくのがわかり、なにか自分はその変化を記録しているという気がしたという。いいエピソードだ。

さて映画の方は、これで四度目の鑑賞だが、正直言って今回が一番楽しめた。振り返って前回の見方を反省してみると、「否定派」の存在を意識して、彼らをどのようになっとくさせるかという視点から見すぎていたように思う。先日タックスノットで、『メゾン・ド・ヒミコ』についてかなりつっこんで議論をしたことで、自分のなかでこの問題がいちおう整理でき、今回は、なにかすんなり作品に入り込め、笑うべきところで笑い、泣くべきところで泣きながら、とてもおもしろく作品を鑑賞した。
それで気づいたこともまたいろいろあるのだが、映画をみながら、ふと、私がこうして自分の解釈を書くことが、他の人が自分でこの作品を解釈することの邪魔になるのではないかと思えてきたので、基本的に、もうこれ以上私の解釈は記さないことを決心した。
この点については、トークのなかで、犬童監督自身が、「実際に撮影にはいって人が動き出すと、ああここのシーンは実はこういう意味をもっていたのかと気がつくところがあった」と語っている。
『メゾン・ド・ヒミコ』という作品に絶対の解釈などはなく、悪も善も、醜も美も、作品のなかですべてが同時に具現化されているのだ。醜悪なもの、穢れたものを排除して成り立つ美はしょせんはなかいものでしかなく、真の美というのは、醜悪なものも穢れたものも、すべて呑みこんだところに成立すると、『メゾン・ド・ヒミコ』は沈黙のなかで示しているのではないだろうか。

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  1. 2005/10/19(水) 15:27:36|
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タックスノットで『メゾン・ド・ヒミコ』について激論!

昨日(16日)は、例によって遅めに起きてブランチを食べてから、コインランドリーで読書&洗濯。今読んでいる本は『中世ヨーロッパの身分制議会』(A・R・マイヤーズ著、宮島直機訳、刀水書房、1996年)。近代議会の原形となる身分制議会がヨーロッパという特異な地域でどのようにして生まれたのか等を記した本だが、王権論を逆から述べているようでおもしろい(多くの場合、身分制議会は王権を制限する方向にはたらく)。
夕方、まず渋谷に出て、シネマライズで明日(18日)の『メゾン・ド・ヒミコ』トークショー(犬童一心&田中泯)のチケットを予約。トークショーを開催することがまだ一般に広がっていないのか、私が行った時点では、18日19:10の回はそれほど予約が入っておらず、まんなかのいい席を押さえることができた。ちなみに、『メゾン・ド・ヒミコ』はいつ行ってもこんでいるので、劇場のまんなかの席でみるのはこれが初体験だ。G列6番という席をとったので、明日、髭をはやしたださい中年男をみかけた方はよろしく(^_^)。
その後、西武百貨店の裏にある画廊、美蕾樹(ミラージュ、宇田川町17-1、TEL=03-3463-8477)に立ち寄った。たまたまアスベスト館にゆかりの写真家、ダイトウノウケンさんが土方巽夫人、元藤あき子さんにちなむ写真展を開いており、土方さんや元藤さんと一緒に踊っていた人などが思い出話をしていたので、しばらくの間、その話に聞き入った。
美蕾樹のあとは新宿に移動。まずは伊勢丹でジャケットをみる。伊勢丹からきたダイレクト・メールにちょっと気になるジャケットが載っていたので、それをチェックするためにバーバリーの売り場に直行。めざすジャケットが店頭にならんでいないので店員さんにきいてみると、そのジャケットは11月発売なのでまだ並べていないとのことだったが、サンプルがあるというのでそれをみせて貰った。ただ、実物は写真のイメージとちょっと違っていたので(それにサイズが合わない)、今回は見送りということにした。そのあとは、地下で翌日用の食材を買い込み、買い物が終わってから、伊勢丹の食堂街で簡単に夕食。
腹ごしらえもすみ、9時ごろ、伊勢丹裏の新宿三丁目にあるゲイバー「タックスノット」に向かう。タックスノットのマスター大塚隆史(タック)さんは、ゲイのオピニオン・リーダー的存在で、私は、タックスノットが開店した当初から、もう20年以上のつきあいになる。自分自身がアーチストでもあるタックさんは、さまざまな芸術活動についてゲイとして一家言もっており、『メゾン・ド・ヒミコ』にも、制作段階からいろいろかかわったという。
そのタックさんは、実は『メゾン・ド・ヒミコ』に対する最も強硬な反対派の一人であり、この映画の最も熱狂的な支持者の一人であることを自認する私が彼と話をするとシチュエーションは、第三者的にみれば、非常に奇妙なものにうつるだろうと、おもしろかった。ただし、この映画に対するタックさんの意見はすでにきいていたし、それに対する私の意見もすでに述べているので、互いに相手を説得しようと激論するのではなく、昨日は、互いの立場を再確認した感じだ(タックさんは制作行為論として『メゾン・ド・ヒミコ』を論じ、私は作品論として論じようとするので、論点がかみあわず、議論は完全な平行線になる)。
ただ、ネットなどに流れているタックさんの考えと、タックスノットで直接きくタックさんの考えは微妙に異なっており、タックさんの考え方は誤解されて伝わっている部分があるのではないかと彼に直接指摘した。このブログで、彼の意見を私なりに要約してみたいとも思うのだが、それがまた誤解を生むのは不本意なので、ここでは要約を行わない。関心のある方は、直接、タックスノットで確認されることをおすすめする。
で、私の方も、『メゾン・ド・ヒミコ』を三度みて、この映画についての私の考え方が最初とはだいぶ違ってきているということを彼に話した。つまり、私の考えは、はじめ、この映画はゲイ映画ではない(それ故、この映画にゲイ映画であることを期待してみにいって、ゲイ的なものがないことを批判するのはおかしいのではないか)というものだったのだが、今は、『メゾン・ド・ヒミコ』は、もしかするとその本質的部分においてゲイ映画なのではないかと考えている。
これに対して、タックさんからは、「じゃあ、あなたの考えるゲイ映画ってなに?」という鋭い質問が返され、こたえにつまった私は、それを宿題にさせてもらった。
こうして議論が煮つまったところへタイミング良く、『メゾン・ド・ヒミコ』で山崎を演じていた青山吉良さんが来店。犬童一心論など、具体的な方向で、話がまた盛り上がった。ちなみに、タックさんと私は、犬童監督の前作『ジョゼと虎と魚たち』を評価しないということで、意見が一致した。
こうして『メゾン・ド・ヒミコ』の話題にどっぷりつかっているうちに終電の時間となり、後ろ髪をひかれながらも、タックスノットを出て帰宅した。
ちなみに、青山さんは、毎週月曜日タックスノットに入っており、月曜日にタックスノットに行けば、いつでも青山さんに会うことができる(月曜日はタックさんはお休み)。タックさんも青山さんも『メゾン・ド・ヒミコ』をみて、いろいろなことを話したいという人が来店するのは、男女を問わず大歓迎という。

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  1. 2005/10/17(月) 12:19:57|
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『メゾン・ド・ヒミコ』ーーほんもののなにかに出あえる映画

10日、三たび『メゾン・ド・ヒミコ』をみた。
それにしてもなんと美しい映画なのだろう。8月に初めてこの映画をみて以来、毎日のようにこの映画のことを反芻しているのに、『メゾン・ド・ヒミコ』はやはり新鮮だった。そしてなにより、とても美しかった。映画をみおわったあと、すなおに「美しい」といえることが心地よかった。
ある作品に接して、「美しい」といえれば充分という作品、いったいどれだけあるのだろう。『メゾン・ド・ヒミコ』はそんな希有な作品だ。そしてその美しさは、なにか激しい出来事があれば浮き飛ばされてしまうようなそんなひ弱な美しさではなく、逆にすべての事態を吹き飛ばしてしまうような力強い美しさなのだ。
実は今、私は『メゾン・ド・ヒミコ』のそんな力強い美を発見したということで満足しているのだが、それでもあえて、なにかもう少し書いてみることにしよう。

   *    *    *

まずオープニング。
沙織はなぜメゾン・ド・ヒミコでアルバイトする気持ちになったのだろうか。
映画のなかで、それは高額のアルバイト代のためと、いちおう説明される。
でも私はそうではなく、メゾン・ド・ヒミコでアルバイトすると決心した瞬間、沙織はすでに卑弥呼を許していたのだと思った。そうではなく、卑弥呼がどうしても許せない、その存在がどうしても認められないというのであれば、いくらお金が欲しくてもこのアルバイトは引き受けなかったと思う(現に沙織は風俗のアルバイトをしていない)。でもその許しは沙織の心の中の自分でも気づかないような奥底で行われ、沙織自身も自分が卑弥呼を許しているとは気づいていない。だから、「このアルバイトをするのはお金のためなんだ」という、自分を納得させるための口実が必要だったのだと思う。
私がその思いを強くしたのは、卑弥呼の部屋で、沙織の口から母親の最後の様子が語られるシーン(実は今まで、このシーンの重要性に気づいていなかった)。
亡くなる直前、母親はぼけてまわりの人が認識できなくなり、看病する沙織を卑弥呼と思ってうれしそうにしていたという。この事実を語りながら、沙織は、卑弥呼に向かってなぜ自分たちを捨てたのかと問いつめるのだが、実際には、卑弥呼の思い出にひたりながらうれしそうにしている母親をみて、沙織は卑弥呼をなかば受け入れていた(受け入れなければならないと思った)のであろう。
だから、この映画は、世の中で語られていることとは逆に、ゲイである父親と娘の葛藤の映画ではまったくない。
考えてみると、卑弥呼がゲイバーのママになる決心をして家を捨てる前、卑弥呼と母親はどのように接していたのだろうか。私には、ゲイバーのママになると決めた瞬間から卑弥呼の性格が突然変わったようには思えない。そうではなくて、妻にカミングアウトする前から、卑弥呼は他の男とは違うなにかしらナイーブな面をもった男性であり、彼女はほかの男とは違う卑弥呼のそうした面を含めて、卑弥呼の全体が好きだったのではないだろうか。卑弥呼のカミングアウトは、そうした妻への卑弥呼なりの誠実さゆえであったと私は思う。卑弥呼にカミングアウトされた瞬間、妻はショックを受け裏切られたと思ったであろうが、時が経つとともに卑弥呼のカミングアウトを受け入れていったのではないだろうか。
だから、沙織の春彦への感情は、そんな母親をみながら育った娘の自然な反応ともいえる。ゲイバーのママとなって母と自分を捨てた父親への反発から「強い男」を求めながらも、心の奥では「弱い男」に惹かれてしまうのだ。
こんな風に考えていくと、『メゾン・ド・ヒミコ』は、人間と人間の葛藤を描いた映画ではなく、悲惨な現実にがんじがらめになっている女性が、自分の心の底に潜んでいるほんとうの自分への扉を少しずつ開き、自分を解放していく過程を描いた映画だと気がつく。
だからこの映画はさわやかなのだ!

そんなことを考えていたら、この映画のなかで歌われるドヴォルザークの『母が教え給いし歌』は、他にかえようがない見事な選曲であることに気がついた。

「母が私にこの歌を
教えてくれた 昔の日
母は涙を浮かべていた

今は私がこの歌を
子供に教えるときとなり
教える私の目から涙があふれ落ちる」
(堀内敬三 訳)

何も波乱のない人生、何も波乱のない愛なんて、人生でもなければ愛でもない。
波乱があるからこそ人生も愛もすばらしい。
そしてこの思い、波乱のない人生を送り、人との波乱のない接触を愛だと思っている人には伝えようがない。
人は傷つき、もがいてはじめて、人生の、愛のすばらしさを自分で発見する。
その時歌う愛の歌は、同時に涙の歌でもあるのだ。

    *    *    *

沙織の「触りたいとこないんでしょ」のセリフのあと、普通に考えれば、現実の世界ではそれに対する春彦のリアクションがなくてはならないのだが、観客が固唾をのみながら春彦の次のセリフを待っている瞬間、画面はさっと海の光景にカットインする。
卑弥呼の葬儀が終わり、沙織がメゾン・ド・ヒミコを去る決定的な瞬間、春彦は無言で、別れの仕草はなにも行われない。
このなにも語られずなにの仕草もないということにわれわれは感動する。
なにもないから、そこにはなにかがかんじられるのだ。ほんもののなにかが!

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  1. 2005/10/13(木) 14:07:27|
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植物の引き取り手募集

歌人・評論家の須永朝彦さんが、マンションのヴェランダ工事にともない栽培している鉢植えを処分しなくてはならず、困っておられるようです。珍しいものもありますので、引き取ってもよいと思われる方は、下記のサイトをご覧下さい(私も6鉢、頂戴しました)。

http://www.d2.dion.ne.jp/~octa/sun/sunaga19.html   
  1. 2005/10/11(火) 12:57:21|
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日本史研究会で京都行き:その2

すぐ下にも書いたように、8日、9日と、京都女子大で開催された日本史研究会大会を聴講した。今回の大会の共通テーマは「歴史的環境と自己意識」。このテーマにそって、初日は全体会シンポジウム「中世仏教の国際環境」が、二日目は個別報告が行われた。

個人的に刺激的だったのは、初日の「中世仏教の国際環境」というシンポジウム。日本の政治や仏教界は、平安時代の末期に大きな転換期を迎えるが、この時期は、唐の滅亡など東アジアのさまざまな地域で王朝(国家)の交替が起こった時期でもあり、東アジア全体をとらえた大きな視点から日本仏教に生じた変化を見なおそうということで、上川通夫さんの「日本中世仏教の成立」、横内裕人さんの「自己認識としての顕密体制と<東アジア>」、古松崇志さんの「考古資料・石刻史料よりみた契丹(遼)の仏教」の三つの報告が行われた。
報告後の質疑応答のなかでは、平雅行さんの「中世日本を導く国家原理は、ほんらいさまざまな可能性が考えられたのであり(仏教、儒教、神道)、仏教はその一つにすぎなかった。ただ、仏教には中国中心主義を相対化するという側面があり、それゆえ、唐滅亡後の中国(宋)が儒教を中心に国家を編成していくのに対し、日本を含む同じ時期の周辺国家は、逆に仏教中心に国家を編成していったといえるのではないか」という発言がおもしろかった。
私も、上川さんと横内さんに不明の点をちょっと質問させていただいた。
シンポジウム終了後は七条の居酒屋に場所をかえて懇親会。この大会をめざして全国から集まった研究者同志が、改めて面識を深めた。日本史研究会にかぎらず、研究会というのは、報告もさることながらこの懇親会が実におもしろい。この日の懇親会には、報告者三人も顔を出し、シンポジウムの正式の席とはちょっと違ったくだけた感じで、ざっくばらんにさまざまな意見を交換し合った。私はというと、Sさんという気になる研究者が会場にいたので、彼に挨拶し、その研究レジュメを送ってもらうことにした。
二日目は、水谷千秋さんの「古代天皇と天命思想―七世紀を中心として― 」と宇佐見隆之さんの「中世末期地域流通と商業の変容」を聴講した。こちらは、私が関心をもって取り組んでいる分野ではないので、正直なところ、かなり難しい。
また大会会場には、歴史図書の販売コーナーも特設され、ここでさまざまな専門書が二割引で買える。私は、元木泰雄編『古代の人物6 王朝の変容と武者』(清文堂)、桜井好朗『日本の隠者』(塙書房)、中井真孝『法然絵伝を読む』(思文閣出版)、中尾良信『日本禅宗の伝説と歴史』(吉川弘文館)などを買い込んだ。

宇佐見さんの報告後、昼食をはさんで質疑応答やコメントが予定されていたが、私はここで大会を辞去し、少し京都市内を回ることとした。
まず足を運んだのが、京都女子大から徒歩で10分ほどのところにある三十三間堂(蓮華王院)。実は、ここは、前日も大会に行く直前にちょっと訪問したのだが、何度観てもすごいとしかいいようがない。蓮華王院は、平安時代の末期に後白河院の命によって創建された寺院(現在の三十三間堂はその一部)で、後白河院は、この蓮華王院を自己の宝蔵と位置づけ、絵巻に代表されるさまざまな宝物を収集する大コレクターだった。頼朝が上洛した際に後白河院がそのコレクションを見せつけようとしたところ、後白河院の世界に引きずり込まれまいとする頼朝が、それをやんわり拒否したというエピソードも伝えられている。その後、後白河院のコレクションの大半は散逸してしまったが、現在の三十三間堂に残る千一体の千手観音は、後白河院のコレクションにかけた情熱を、数々の戦火をくぐりぬけて今まで伝えている。だから三十三間堂は、一体一体の観音像を鑑賞する場所などではなく、私にすれば、それを千一体も作らせた(集めた)という後白河院の「狂気」を鑑賞する場所なのだ。
三十三間堂の次にどこに行くかちょっと迷ったが、ここから近いし、まだ一度しか行ったことのない東福寺を訪問することにした。
東福寺は洛中の名所から少し離れているので、大寺院のわりには訪れる人が少ない。鎌倉時代中期に摂関として絶大な権力をふるった九条道家が創建した禅宗寺院だ。ただここは、火災などのために創建当時の建物がほとんど残っていないのだが、広大な敷地に配された巨大な堂や門の雰囲気は、道家の栄華をしのぶに充分だ。また創建当時は大仏もまつられていたというが、今その大仏はなく、だから、ここは三十三間堂とはまったく雰囲気が違う。「空間」が東福寺の主役だ。
さて、三十三間堂、東福寺と、京都市内を南下した後は、ついでに宇治の平等院を訪問することにした。宇治には東福寺から京阪電車でいけるので、交通の便もよい。宇治に行くのはこれで三度目だが、実は私は鳳凰堂のなかにはいったことがない。三度目の正直を狙ってはいるのだが、東福寺を出るときに三時をまわっているのが気がかりだ。ままよ、と京阪電車に乗り込む。
さて、結論からいうと、今回も鳳凰堂には入れなかった。四時少し前に平等院に着いたのだが、鳳凰堂への入場はもう締め切りという。やむなく庭から鳳凰堂を眺めた。今みてきたばかりの三十三間堂、東福寺と比較すると、平等院はいかにもこじんまりとしていて(創建当時は、平等院を中心として周辺に多くの堂が立ち並んでいたと考えられるが)、それでいて鑑賞(崇拝)の対象(阿弥陀仏)がきちんと中心に据えてある。寺院のあり方が蓮華王院や東福寺とはまるで違う。ある意味では、最も寺院らしい寺院だ。
いずれにしても、この日回った寺院は、平安後期から鎌倉中期までいちおうそれぞれの時代を代表する人物がたてた寺院であり、宗旨も、浄土信仰、密教、禅と異なっている。日本史研究会のシンポジウムを思いやりながら、時代の変換をこうして具体的に凝縮してみることができたことに満足した。

平等院を後にして宇治川の川沿いを少し散歩。宇治川の流れをしばらくみていると、これは『源氏物語』~宇治十帖そのままできないかという気がしてくる。浮舟が吸い込まれそうになったのはこのとうとうとした流れだったとのだと、最後は仏教を少しはなれて『源氏物語』の世界に思いをはせた。
夕暮れの宇治を後にして、再び京阪電車に乗り込んで四条の繁華街に出、少し土産を買い込んでから新幹線に飛び乗った。短いが充実した京都行だった。
  1. 2005/10/10(月) 10:08:35|
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日本史研究会で京都行き:その1

明日(8日)、明後日(9日)と京都女子大で開催される日本史研究会大会に行ってきます。
この間、私は、当ブログへアクセスできなくなると思いますが、ご了解ください。
大会報告はいずれも刺激的なものばかりですが、なかでも上川通夫さんの「日本中世仏教の成立」に大いに興味を惹かれています。
  1. 2005/10/07(金) 13:54:33|
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多田智満子さんのこと

矢川澄子さんのことを書いていたら、反射的に多田智満子さんのことも書きたくなってきた。
矢川さんの場合とは逆に、多田さんはまずその翻訳をとおしてお名前を知ったのだが、多田さんがどういう方なのかという関心は、その時点ではまったく生じなかった。矢川さんの場合とは逆に、多田さんは、自分の創作や翻訳から自分の存在感をきれいにぬぐい去ることができる人で、そんな多田さんの個性が、私に多田さんに対する関心を生じさせなかったといっていい。
多田さんを代表する仕事は、ベルギー出身の女性作家マルグリット・ユルスナールの長編小説『ハドリアヌス帝の回想』で、私が最初に読んだのもこの作品。同性愛者であったローマ皇帝ハドリアヌスが、死を目前にしてその生涯をふりかえるという内容だ。しかしその書き方は、細々とした身辺雑記といったものからはほど遠く、時間を超越してヨーロッパ文化全体を見据えたというような、壮大な視点から描かれている。
実は、この翻訳には三島由紀夫によるこれ以上はないと考えられる讃辞があって、曰く、「多田という人は知らないが、これはおそらく男性の偽名ではないか。内容が内容だけに、本名で翻訳するのを憚って女性の名をつかって翻訳したのではないかと思われる。いずれにしても、女性にはこの硬質な文体は書けない」といった趣旨のものだ。三島の推測はみごとにはずれているのだが、その一方で、その翻訳の文体に関する洞察は、多田さんへのこれ以上は考えられない讃辞になっている。
そんな多田さんが、矢川さんと女学生以来の友人だと私が知ったのは、そう古いことではない。澁澤龍彦との家庭生活に失敗しながらも、その家庭に、そして自分が女性であることにこだわり続け、そのこだわりを作品にし続けた矢川さんと、幸福な家庭生活のなかで、家庭や女性性といった個人的なものをすべて遮断して磨かれた言葉を紡ぎ続けた多田さんほど対照的な存在はないだろう。全く違った資質をもち、嫉妬やライバル意識があったればこそ、矢川さんにとって多田さんは、どうしても無視できない「友人」だったのだと思う(矢川さんが亡くなる一ヶ月ほど前、私は、矢川さんから、神戸に行って多田さんに会ってきたというメールをいただいた。その時はなんとも思わなかったのだが、あとから考えたら、あれは死を決意した矢川さんが多田さんに最後のお別れをしに行ったのだと気がついた。この矢川さんの最後の訪問については、多田さん自身による「水澄みてあれ」という手記がある<『ユリイカ』特集号 矢川澄子・不滅の少女>)。
私は、一度だけ多田さんにお会いしたことがある。仕事で徳島に行った折、神戸で下車して六甲山のふもとにある、閑静な多田さんのご自宅を訪問させて頂いたのだ。神戸に住んでいると、文学に関心をもつ人になかなか会えなくて寂しいと、多田さんは、手づからヘレンドのカップで紅茶をいれて歓迎してくれた。その時の会話の内容はほとんど忘れてしまったが、なにか、西洋と東洋の文学観の比較論のようなことを話したような気がする。そんな多田さんが、回復不能な癌に冒されたのが数年前。自分の死期を知り、最後の時をめざして気丈に身辺整理をしている伝えられる多田さんの姿が、ハドリアヌスの姿とオーバー・ラップした。

多田さんのユルスナール翻訳では、『ハドリアヌス帝の回想』が代表作とされるが、小品ながら『東方綺譚』もすばらしい。自分の作品が、日本で多田智満子というまたとないすぐれた翻訳者にであったことはユルスナールもよく知っていた。女性であることをまったく感じさせないどこか豪毅なところのあるユルスナールの作風と多田さんの文体は、まさにこれ以上は考えられないベスト・マッチというべきだろう。
また、ユルスナールには三島由紀夫論『三島あるいは空虚のヴィジョン』があるが、こちらは澁澤龍彦さんの翻訳。自分の三島論が、三島の盟友ともいえる澁澤によって翻訳されたことに、ユルスナールは、これまた非常に満足していたにちがいない。
ちなみに、マイベスト・ユルスナールは『黒の過程』(岩崎力訳)。宗教改革の時代のヨーロッパを舞台にした歴史小説だが、その主題は、ヨーロッパ思想とは結局なんだったのかということ。「思想」そのものを主題として、これだけの厚みを描き出した小説を、私は他に知らない。

なお、多田さんの翻訳を含むユルスナールの主要作品は、白水社からユルスナール・セレクションとして刊行されている。
  1. 2005/10/05(水) 15:06:17|
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MY KAMAKURA, MY SHIBUSAWA AND MY FRIENDS

ブログに何の記事を書こうか、自分のことでも少し書いてみようか、しかし私に自分のことなどかけるだろうかと思っていたら、ふと矢川澄子さんのことを思い出した。

yagawa.jpg

彼女の小説の大半は自伝的なもので、別れた夫のこと、なぜ自分たちは別れたのかを綴ったものだが、そうした自伝的な小説を書きながら、矢川さんの視点は、いつしか自分と夫のことを離れ、幻想の世界に飛躍していくのだった。
私は、その自己解体のすごさが矢川さんの真骨頂だと思うが、そうやって自己を解体するためにはどうしても夫との別離というフィルターをとおさざるをえず、そのことに気づいてはもう一度作品の出発点に戻って自己の矛盾になやみ続けるーーそんな強烈なトラウマ文学、彼女にしか書けない痛々しいトラウマ文学(ファンタジーの外貌をまとった)だ。
私は、矢川さんにお会いするまで矢川さんの作品を読んだことがなく、やはり「澁澤龍彦前夫人」という強烈なレッテルのもとに彼女の存在を考えていたのだが、それは矢川さんにとっても同じだったのだろう。いや、安易に「同じだったのだろう」などという推測を許さないほど、彼女のなかの「澁澤龍彦」は、別れてからも彼女を呪縛し、それゆえいつもその呪縛について書こうとしながら、結局はそれを果たさずに亡くなってしまった。実際の矢川さんに数度お会いし、少し言葉を交わさせてもらったら、私の作品も読んで下さいと、ある日、彼女から作品集成(書肆山田)が送られてきた(今メモをみたら、私はこの集成をいただいた直後と矢川さんが亡くなった直後の二度読んでいる)。そんなやさしいところのある人だった。

さて、先日、九州に住んでいる友人Y君と電話で話をしていたら、彼の夢のなかに私が登場し、私の論文が本になったのを示して自慢げに話していたという(夢の中の会話の場所は新宿・紀伊國屋書店店頭)。いい夢なので、その夢が実現するよう、手元にあったクラシックのCDを彼に送り、彼の夢と私のCDを交換してもらうことにした。

Y君とは、彼が東京に住んでいたころしょっちゅう会っていたが、二度ほど、一緒に鎌倉に行ったことがある。
鎌倉を訪問するときの私のルートはだいたい決まっていて、北鎌倉駅で降りて浄智寺に向かい、澁澤龍彦さんの墓にお参りしてから、その足で澁澤邸を訪問し、そのあと、ふらふらと鎌倉を散策するというものだ。
Y君と鎌倉に行ったときも、二度ともこのコースで、私たちにとって、鎌倉に行くということはイコール澁澤龍彦について考えるということなのだった(あらかじめお断りしておくと、私は澁澤龍彦の熱心な読者ではない。ただ私の周囲の状況で、澁澤龍彦とは何だったのかいろいろ考えるようしむけられている感じだ<ちなみに、サド侯爵は18世紀人>。矢川さんとの出会いも、そんな「偶然の必然」のなかに入るといえる)。
ちなみに、澁澤さんの自宅、なかでもその書斎は、澁澤さんが生きていた当時そのままに残されており、書斎にいれていただくと、ふと澁澤さんが奥の方から出てくるのではないかという幻想にとらわれそうになる。

さてY君との二度目の鎌倉行きでは、澁澤邸を出てから鎌倉駅に移動し、そこで誘われるままに人力車で鎌倉を見物した。とは言ってもその日は時間が遅く、大半の名所はすでにしまってしまったからといって、人力車がまわってくれたのが、鎌倉市内から少し入った滑川沿いの小さな赤い橋。その川沿いの光景をみているうちに、澁澤さんと矢川さんが最初に住んでいた古い家はこの滑川沿いにあって、二人はいつも部屋の窓からこの川を見下ろしていたのだと、不思議な既視感におそわれた(そのあとで、私とY君は、澁澤さんと矢川さんはなぜ別れたのかといった話をしたと思う)。

その日はそれから、由比ヶ浜まで歩き、暗くなった海をみてから近くの江ノ電に乗ることにしたのだが、その江ノ電の駅「長谷」にもなにか既視感がある。そのベンチをどうもどこかで見たような気がするのだ。それで考えてみたら、江ノ電の長谷駅は、私が好きな吉田秋生のコミック『ラヴァーズ・キス』のラストシーンの舞台で、このコミックを何度も読み返していた私は、いつのまにか駅のたたずまいを記憶に焼き付けていたのだ(そういえば、矢川さんに鎌倉を舞台にした青春物語『ラヴァーズ・キス』を読ませたいと思いながら、彼女の早すぎる死でそれを果たさずに終わってしまった)。

さて、この『ラヴァーズ・キス』のなかでヒロイン理伽子がいつも弾いていた曲がベートーヴェンのピアノ・ソナタ「テンペスト」。
そして私が友人の夢と交換しようとしているのがその「テンペスト」だ。
  1. 2005/10/04(火) 14:45:23|
  2. 文学(人と作品)
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『言葉と物』における「分類」

このブログでのフーコー『言葉と物』の分析、管理人の正確を反映してどうも脈絡のないものになってしまっているが、フーコーはもちろんハイデガーの問題設定に応答することを主目的として『言葉と物』を書いたわけではない。ハイデガーの問題は、やはりこの著作の隠れた主題というべきだろう。
そこでもう一度、このブログでも最初にとりあげた「分類」の問題にもどってみる。

17世紀~18世紀(フーコーのいう古典主義時代)にかけて、市民社会の成立という新たな社会状況に対応して、所有権の正当性や認識の根拠を問う論争が生じ、そのなかで、そうした正当性の問題に対する解決策として、起源をめぐる論争がさかんに行われるようになってくる。それに対する古典主義時代の解決策(解答法)は、時間による変化を重視するものと構造的なものとの二つがあるが、これは結局、この時代、そういう二つのパターンがあったとしかいえない性質のものである。現代に直接つながる19世紀の学問体系がみいだした解答は、こうした古典主義時代に見いだされた思考パターンとは全くことなっており、古典主義時代の知と19世紀以降の知には断絶があるーーこれがフーコーの『言葉と物』がまず第一に言おうとしていることではないだろうか。

『言葉と物』第五章「分類すること」では、この古典主義的な二つのパターンが具体的にわかりやすく紹介されており、フーコーの筆がさえている感じがする。
曰く、「(生物分類の可能性の問題については)リンネのように、自然がすべてひとつの分類法におさまると主張する者と、ビュフォンのように、そうした堅い枠組みにおさまるには自然はあまりにも多様で豊かだと主張する者とがいた。」(翻訳書149頁)
18世紀には、基本的に解剖学的を適用した生物分類が存在しないため、分類は、ひたすら生物の外形の類似や相違に着目して行われる。
たとえば、植物の場合であれば、花、葉、根などさまざまな機能をもった機関がその外側にあらわれるので「分類」しやすいが、動物の場合、外形だけからの分類というのは非常に困難だ(たとえば鯨と魚類をどのように位置づけるか。鳥類と四足獣のあいだでムササビをどのように位置づけるか。もう少し時間が経ってカントの時代になればカモノハシをどう位置づけるか)。
これは生物の例ではないが、フーコーは、たとえば、現代の科学者が行うように化石を過去の生物の残骸とするのではなく(=物としては鉱物)、鉱物と生物のあいだのミッシング・リングをつなぐ中間的存在物(=生物化しつつある鉱物)とする説をおもしろげに紹介している。
現代の生物分類法は基本的にリンネの体系的分類を引き継いでいるわけだが、ではリンネの分類法がビュフォンに比較して正しかったのかというと、フーコーは、それは偶然だとする。つまり、解剖学も遺伝学もない時点では、「種」の定義は本質的には不可能であり、18世紀人が考えていた「種」とわれわれが考える「種」とは異なる概念であり、「科」とか「属」とか、その用語だけが共通しているのだと。
ダーウィン以降、「種」という概念は、それ以前の「種」概念から決定的に差異化される。つまり、18世紀においては、「種」を区別することもしくは「分類」は、絵画のような静止的な一覧表のなかに存在するさまざまな生物にみられる類似と相違の言表(構造分類)であったものが、ダーウィン以降、「種」とは、とある共通した祖先からをもつ生物グループという新たな意味を与えられるようになる(=「種」は起源をもつ)。
われわれは、ダーウィン流の「分類」をあまりにも当然と受けとめている結果、リンネを読むときに、ダーウィンの「種」概念を遡及的にリンネに適用してしまうにすぎない。
  1. 2005/10/03(月) 13:24:41|
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