le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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三島由紀夫の初期短編を読む:その1

三島由紀夫作品もだいぶ読み進んで、今は短編集をいくつか読んでいる(『真夏の死』<新潮文庫>、『ラディゲの死』<新潮文庫>、『花ざかりの森・憂国』<新潮文庫>、『中世・剣』<講談社学芸文庫>)。この辺で、三島の短編をいくつか読んだ中間報告をしておこう。

三島の短編の特徴は、まず、それが彼の十代~二十代に集中して書かれていることではないだろうか(もちろん三十代に書かれた『憂国』のような例外はある)。したがって、三島の短編を読むことは、私にとって、十代の三島とはじめて接するということでもあった。すでに読了した作品のなかから、彼が十代に書いた作品をあげてみる。
『花山院』、『花ざかりの森』(昭和16年)、『みのもの月』(昭和17年)、『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』(昭和19年)、『中世』(昭和20年)。ここで興味深いのは、『花ざかりの森』をのぞきすべての作品が平安時代~室町時代に題材をとった歴史小説であることで、『花ざかりの森』も、平安末を想定した小さな物語を挿話としてもつ。したがって、この時期の三島がどのような題材に関心をもっていたか、この五つの短編はある程度物語っているといえる。またついでにいえば、この五つの短編の世界は、平安時代(『花山院』『花ざかりの森』『みのもの月』)と室町時代(『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』『中世』)に偏しており、古代と近世が欠けているというだけでなく、鎌倉時代を題材とするものもない。このことは、三島が単に古い時代に関心を寄せていたというだけでなく、その関心が特定の時代に限られていたことを示しているように思われる。

さて、以上の五つの短編のなかでまずおもしろいと思ったのは『みのもの月』(短編集「ラディゲの死」所収)で、この作品が、私にとっては三島読解の大きな手がかりになってくれた。
『みのもの月』は平安末とおぼしき時代のある女性と貴族の手紙のやりとりという形式の小説である。そのなかに、「君は艶にうつくしく荘厳されたみ寺がほのおにつつまれてもえおちようとするとき、もえ頽れるがままにまかせておくことこそほんとうの法師の心ばえとはおもわぬであろうか」(新潮文庫版、21頁)というフレーズが出てくるのだが、このフレーズを読んだとき、私は反射的に『金閣寺』(昭和31年)を思い浮かべた。つまり、のちに小説『金閣寺』となって結晶する思想は、この『みのもの月』のなかにすでに含まれており、昭和25年に実際におこった金閣寺放火事件は、三島のなかに小さな芽として存在していた思想が、作品として結晶するきっかけをあたえたに過ぎないものではないかと思えてきたのだ。してみると、『金閣寺』を執筆した折の三島の関心は、現実の金閣寺放火事件の背景を再現することにあったのではなく、美しい寺が燃えていくのをみたいとい屈折した願望を、三島にかわって実現した男の内面にあったのではないかという気がしてくる。金閣寺放火事件も『金閣寺』という作品も、通常、「戦後」という時代の特殊性のなかで理解されるのであるが、三島にとってそれは「戦後」という問題と無縁であるということを、『みのもの月』は示しているのではないだろうか。
おそらく、十代の三島にとって、平安末と室町時代は、美しいものや文化が次々と解体していく滅びの時代ととらえられ、そのことが、目の前で進行している第二次大戦のさなかの社会と二重写しになって、魅力を放っていたのではないだろうか(「力」を義とする新しい社会が建設されていく鎌倉時代は、三島の関心を呼ばない)。そうした滅びの目撃者であることの自覚と戦争のもたらすある種の緊張感が、この頃の三島文学のあり方を決定していたように私には思える。

ところで、上にあげた五つの短編は、十代の三島がどのような作家をめざしていたかをも明らかにしてくれる。そしてその理想の作家像は、戦後まもなく書かれた『禁色』(昭和26-7年)の狂言回しである老作家・檜俊輔に明確に示されているように思われる。すなわち、三島自身が描く俊輔の作品(文体)の特徴とは次のようなものである。
「不感のうちに鋭敏な感覚のおののきが、不倫のうちに危殆に瀕した倫理観が、不感のうちに雄々しい動揺が立ち現れる。この逆説的ななりゆきを辿るために、何と巧みに編み出された文体であろう!いわば新古今風な、ロココ風なこの文体、言葉の真の意味における『人工的』な文体、そこにはいわゆる裸の文体と対蹠的なもの、パルテノンの破風に見られる運命の女神像や、パイオニオス作のニケ像に纏綿するあの美しい衣類の襞に似たものがあるのである。流れる襞、飛翔する襞、それは啻(ただ)に肉体の動きに照応しこれに従属した流線の集合ではなく、それ自体流動し、それ自体天翔ける襞なのである。」(新潮文庫版、9頁)
しかしこの理想像は、二十代の三島によって決定的に放棄される。
二十歳になった三島が目撃せざるを得なかった第二次大戦後に実際におとずれた一種の弛緩状態とそれに続く滅びや破壊は、三島を含めたほとんどの日本人にとって予期せぬものであった。戦争中に訪れた滅びが物質的世界の滅びであったとすれば、戦後に訪れたものはそれより遙かに深刻な精神的世界の滅びであった。三島由紀夫が実質的に世に出ていったのは、そうした荒廃のなか、しかも皮肉にも、最も檜俊輔的ではない作品『仮面の告白』(昭和24年)によるものであった。戦後の荒廃した社会のなかで世に受け入れられようとすれば、檜俊輔的作品、すなわち三島が十代に書いたような典雅な作品は、三島自身によって否定されるしかなかったのだ。『仮面の告白』に続けて書かれた『青の時代』(昭和25年)も『愛の渇き』(昭和25年)も、『仮面の告白』の延長線上にある社会小説・風俗小説であったし、なにより『禁色』自体が、同性愛の世界を描いたセンセーショナルな風俗小説として読まれる運命にあった。
してみると、三島の不幸は、自己が理想とする作品と社会に受け入れられるために必要な作品とのこうした乖離にあったのではないかと思えてくるのだが、するとそれは、三島自身の資質や才能の問題というだけではなく、やはり「戦後」という時代の問題ということにもなる。戦争がなく、戦後もなかったならば、われわれが知っているような三島由紀夫という作家は存在しなかったのではないだろうか。
戦後の文壇のなかで寵児ともてはやされながら、そうした自己の作品をどこかしら不満げにつきはなして眺めざるをえなかった作家、さりとて時代から超然とすることもできずに時代を意識した作品しか書くことができなかった作家。そうした不幸な作家のありようを、三島由紀夫が十代に書いた小説は裏側から示しているように私には思われる。
つまり、これは三島を読む重要なポイントではないかと思われるのだが、三島の場合、作家として自己形成した十代後半という重要な時期と第二次世界大戦がちょうど重なってしまったために、作家としても人間としても自己形成が途中で放棄されたまま、まったく想定外の世界に作家として出て行かざるをえなかったのではないだろうか。私には、このことが三島の生涯と作品に、自死という結末を呼び込んだように思える。
三島の作品を読むとき、私はいつも三島自身の所在がわからないという中途半端な感じをうけてきたのだが、今の私には、それは、三島由紀夫が経たこうした個人史と時代の重なり方および戦後がもたらしたそれらのねじれによるものではないかと思えてきた。つまり、三島作品をあいかわらず中途半端なものと思いつつも、ここへきて、その中途半端さのよってきたるところがみえてきた、あるいは従来より一歩踏み込んで三島作品と接することができるようになってきたといえる。

私にとって、それが三島が十代に書いた短編の功であり、これらの短編は、それ自体すぐれているというだけでなく、三島という現象を解く重要な鍵であるように、私には思えるのである。

   *    *    *

この記事のなかで取りあげた五つの短編のなかで、私は『中世』を最も好むと同時に、三島を代表する傑作の一つではないかと思う。ここには、ヨーロッパであればユイスマンスやユルスナールを思わせるデカダンスが色濃くあらわれている。ちなみに、三島の『中世』もユイスマンスの『さかしま』も亀を偏愛する男の話である。
また『花山院』(「ラディゲの死」所収)の実質的主人公が陰陽師・安倍晴明であるのも、三島の先見性を示しているといえるのではないだろうか。

参考サイト「三島由紀夫の歴史と生い立ち」~戦時下の青春期

訂正:三島は『花山院』という短編を二度書いており、新潮文庫「ラディゲの死」におさめられていて私が読んだ作品は昭和25年に書かれた二度目のものです。最初の作品は昭和16年に書かれていますが(『大鏡』のなかの挿話の書き換え)、こちらには安倍晴明はほんのわずかしか登場しません。訂正致します。
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  1. 2005/11/28(月) 11:52:42|
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市川崑『炎上』ーー三島の『金閣寺』を自由に読み替え

市川崑監督の映画『炎上』(昭和33年)をビデオでみた。三島由紀夫の小説『金閣寺』(昭和31年)を市川雷蔵主演で映画化した作品で、同年のキネマ旬報ベストテンで邦画部門の第4位に選出されている。
映画は、肝心の金閣寺からの映画化の許諾がなかったとのことで、原作の金閣寺を聚閣寺という架空の寺に代え、同時に、タイトルも『金閣寺』から『炎上』に変更して、撮影・公開された。金閣寺という名称が使えず、タイトルも『金閣寺』ではないからといって、作品が三島の原作から完全に乖離してしまったというわけではないが、映画は、三島が小説で準備したシチュエーションを借りながら、原作とは異なる意味をもった作品に仕上がっている。
またこの映画には、制作会社・大映も相当力を入れてのぞんだようだが、その結果当然浮上したカラー撮影の提案を、「私は炎の色があかあかと出るとかえってつまらないと思い、会社の反対を押し切ってモノクロで撮った。白黒の美しさを追求したかった」として拒んだというのは、市川崑の見識の高さを示すものというべきだろう(このエピソードはsea1900さんに教えていただいた)。

さて原作と映画の最大の違いは、映画は完全に犯罪心理を追う構成になっていること。映画の冒頭と最後が、主人公・溝口(市川雷蔵)が放火事件後に逮捕されてからのエピソードとなっているのが、それを明確に示している。
また原作は、放火後に主人公が「ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルチモンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った」(新潮文庫版、330頁)と述懐するところで結ばれているのに対し、映画の主人公は、放火後に自殺を試みたとされる。つまり、原作が、結果的には生きようとして放火する人間の話であるのに対し、映画は放火後に罪の意識から死のうとする人間の話である。したがって、放火にいたるまでのシチュエーションは原作も映画も同じように進行しながら、その意味付けはまったく異なることになる。かなり大胆な映画化ということになろう。
人物関係で原作と映画が大きく異なるのは、まず、原作で主人公の内面形成に大きな比重を占める二人の友人との交友および議論がかなり縮小されていること。これには、友人たちとの議論の内容があまりに観念的すぎて、映像表現に適していないという判断もあったようだ。それに代わって、映画では寺の住職(中村雁治郎)と主人公の母親(北林谷栄)の比重が非常に高く、全体の狂言回しのような役割を与えられている(この二人に関しては、原作にないシーンやセリフがかなり追加挿入されている)。
主人公が吃りであるという設定も、三島は、「吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの障害を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉をあやつることによって、内界と外界との間の戸をあけっぱなしにして、風とおしをよくしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆びついてしまっているのである。吃りが、最初の音を発するために焦りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐(もち)から身を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている。やっと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたしているあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、…そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであった。」(新潮文庫版、7~8頁)と、デリダのズレに関する議論を思わせるような記述を行いながらかなりの重点を置いているのに対し、こうした内面表現が困難な映画では、母親とのやりとりのなかで吃りの心的説明が行われるシーンがあるものの、放火事件との関連のなかでは副次的な役割に後退しているように思われる。
(三島の文章を引用しながら気がついたのだが、『吃りが、最初の音を発するために焦りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐(もち)から身を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている』という一文は、これだけなぜ三人称になっているのだろうか。私には少し違和感がある。)
逆に映画は、戦後の寺院経営や観光の世俗化に対する主人公の内的反発を放火心理の背景として重視しているように思われ、燃える寺を目にした住職の「仏罰だ」というセリフが印象的だ。

ところで、映画化における原作の変更ということで気になっているのは、大学における主人公の友人として登場する人物(仲代達矢)の名前が、原作の柏木から戸刈に変更されている点(もう一人の友人は鶴川という名で、これは原作のまま)。友人の名前に関して寺の名前と同様のクレームがあったとも考えられないのだが、この改変にはどのような事情があったのだろう。ちなみに、柏木という名前は、『源氏物語』の後半に登場して物語を暗転させる柏木を連想させるのだが、戸刈という名前からは、そうした連想がはたらかない。三島に『源氏物語』への連想があったかどうか気になるので、映画化におけるこのささいな変更が、私には非常に気になるのである。

参考サイト『炎上』

付記1:三島は、自分の小説を自由に改変して映画化した市川崑の才能を非常に高く評価していたふしがある。昭和45年に書いたヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』の評において、三島がこの作品と並ぶ映画史上の傑作としてあげているのは、市川崑の『雪之丞変化』(昭和38年)である。

付記2:『炎上』における市川雷蔵の演技を、三島は次のように評している。「君の演技に、今まで映画でしか接することのなかった私であるが、『炎上』の君には全く感心した。市川崑監督としても、すばらしい仕事であったが、君の主役も、リアルな意味で、他の人のこの役は考えられぬところまで行っていた。ああいう孤独感は、なかなか出せないものだが、君はあの役に、君の人生から汲み上げたあらゆるものを注ぎ込んだのであろう。」(『雷蔵丈のこと』、昭和39年1月)

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  1. 2005/11/24(木) 12:09:34|
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三島由紀夫『金閣寺』ーー美学も犯罪論も不在の奇妙な犯罪小説

三島由紀夫の『金閣寺』(昭和31年刊 )を読んだ。これ以前の三島作品と異なり、この作品には三島の直接の分身も登場しなければ、三島の理想の化身も登場しない。『金閣寺』は、ある意味で、三島が書いた最初の小説らしい小説だといえると思う。
しかし、この作品が書かれてから約50年たった現在、この作品を小説として純粋に味わうだけでなく、一度この小説を解体し、三島と『金閣寺』の関係をあらたな視点から見なおしてみる必要もあるのではないかとも思った。以下、そうした観点から、作品としての『金閣寺』を少しはなれ、この記事では、『金閣寺』を書くという行為が三島にとってどのような意味をもつものだったのか、少し考察してみよう。

まず、久しぶりに『金閣寺』を再読して私が感じた、この作品が内包する矛盾(問題点)をあげてみる。
①金閣寺とは美か?
②金閣寺放火は犯罪か?
③『金閣寺』という作品は、放火心理の説明たりえているか?

①については、金閣寺がある種の美であることを認めるにしても、それが日本を代表するものかということになると、私には疑問がある。もしこれが銀閣寺とか平等院鳳凰堂というのであれば、その美は、純粋に美学的問題、精神的問題として論ずることができるであろうが、金閣寺は、建物全体に金を貼っているということがその美のあり方とかかわる重要なポイントを占めているわけで、本質的に、美というよりは、権力とか富の象徴という側面が強いのではないだろうか。つまり、金閣寺という建造物は、建築史のなかでいえば中尊寺金色堂や秀吉の黄金の茶室につながるものではないか私には思えるのである。したがってそれを単純に「美」と言い切っていいものかどうか、三島は金閣寺を「美」と考えていたどうか、それが、この作品を再読して感じた最大の疑問だった。
そうした点から勘ぐれば、金閣寺をめぐる義満と世阿弥の同性愛のエピソード(文学作品でいえば、杉本苑子の『華の碑文』などにくわしい)などの方が、三島的にいえば金閣寺を他の空間とは異なる特別な空間たらしめるにたるものだと思うが、『金閣寺』という作品のなかに金閣寺が歴史的にどのような意味をもつ空間であったのかということへの言及はなく、作品は、ひたすら建造物としての金閣寺の讃美に満ちている。
この作品が戦後間もない時期に書かれ、日本的なものへの憧憬が作品の根底にあること、さらには、昭和25年に実際に起こった金閣寺放火事件が貴重な文化遺産の喪失として日本人の意識になまなましい印象を与えていた時期に書かれたことを考え合わせても、三島自身の金閣寺観、あるいは北山文化への言及がないということは、この作品を失われた美への挽歌として読もうとするとき、奇妙な事実というべきではないだろうか。
要するに、『金閣寺』という作品は、一見ある美の喪失について書いているようにみえながら、三島は、その美そのものには少しも関心をはらっていないのである。

②の点も従来あまり指摘されていないと思うが、金閣寺放火というのは、少なくとも自然法上の犯罪ではない。つまり、たとえば殺人が犯罪であるということと、金閣寺放火が犯罪であるということを同列に論じることはできない。また、一般的にいって放火が他者の財産の侵害という意味で自然法に触れるとしても、特定の人の財産とはいえない金閣への放火は自然法上の犯罪とはいえない。
三島は、たとえば『青の時代』(昭和25年刊)のなかで数量刑法学なる奇妙な概念(新潮文庫版、77~78頁)をもちだしてきたり、『春の雪』(昭和44年刊)のなかで主人公清顕の友人・本多繁邦に「実定法への懐疑と或る疾ましさ」(新潮文庫版、78頁)を抱かせたりしているが、『金閣寺』という作品は、犯罪そのものを主題にしているにもかかわらず、そうした法学的な知識や懐疑をもちだすことが慎重に避けられている。そこで、この作品を評論する際、一般的には「美への犯罪」といった文学的概念をもちだしてこざせるをえないが、こうした概念が法学上なんら意味をなしえないということは、東大法学部出身の三島には明白だったであろう。
要するに、金閣寺放火は、社会的な規範の侵犯であるがゆえに犯罪とされるわけだが、自然法的モラルのようなものを持ちだしてきて考えると、単純に犯罪とはいえない側面をもっている。この点をもう少し深く考えるために、『春の雪』で展開される三島(本多)の法や犯罪に対する考え方をみてみよう。
「本多は、十九世紀のロマン派的な歴史法学派や、さては民俗学的法学派の思想にとらわれていたわけではなかった。明治の日本はむしろそういう歴史主義から生れる、国家主義的な法律学を要求していたけれども、彼は逆に、法の根柢にあるべき普遍的真理のほうへ顔を向け、それだからこそ今ははやらない自然法思想にも心を惹かれていたのに、このごろでは法の普遍性が包摂する限りを知りたく、もし法が、ギリシア以来の人間観に制約された自然法思想をふみこえて、よりひろい普遍的真理(かりにそんなものがあるとして)へ足をつっこめば、そこで法自体が崩壊するかもしれないというような領域へ、いちずに空想を馳せることを好んでいた」(新潮文庫版、75頁)
しかし『金閣寺』のなかに、こうした「法自体が崩壊するかもしれないというような領域」への直接的アプローチはない(あえていえば、この作品のなかで複数の解釈が試みられている「南泉斬猫」の公案が、そうした領域に通ずる可能性はあると思う)。とすれば、『金閣寺』という作品の主題はなんなのか?少なくとも単純に犯罪心理の解明であるということはできないと思うが、三島はその辺の議論をあえて曖昧にぼかしながら、一般論として『金閣寺』を執筆したとしかいえないのではないだろうか?

③、これは②の問題点ともからんでくるが、作品の中心を構成する叙述(主人公・溝口の生活環境や心理の分析)と金閣寺放火という具体的行為がうまく結びついていないのではないだろうか。つまり、『金閣寺』の主人公と同じような環境・心理状態にあったとしても実際に犯罪は犯さないというケースは数多く考えられると思うが、そこで主人公を放火という具体的な行為に踏み切らせたものは何なのか。この最も肝心な点が、三島の筆力によっても描き出されていないように、私には感じられる(というのは、もしかすると、作品『金閣寺』における放火は、あくまでも観念上の行為だからだろうか?)。
言い方をかえると、これは、放火にいたる主人公の人生や心理は、はたして放火の原因なのかどうかという問題なのだが、少なくとも私には、それが放火の直接的原因とは思われない。つまり、主人公のそうした人生や心理が、主人公をして放火という具体的行為を行わせるためには、なにか決定的な飛躍が必要なのではないかと私は思う。しかしそうした意識の飛躍のようなもの、『金閣寺』の描写にはない。これは、三島が無意識を認めないということにもかかわってくる問題だと思う。
これはなにも、三島に対して私が無理難題をふっかけているのではなく、『春の雪』を読めば、三島自身にも次のようなすぐれた犯罪心理の描写がある。
「それからどうして二人が浜町河岸の空地の夕闇の中へ紛れ入ったのか、とみの記憶も定かではない。帰ろうとするひでを、とみが無理に引止めているうちに、足が自然にそちらへ向いたのかとも思われる。ともあれ、とみははじめから殺意を以てそこへ誘導したのではない。
 二言三言なお争った末、ひでは川面だけに残っている夕明りに、白い歯並の見えるほどに笑って、こう言った。
『いつまで言ったって無駄ですよ。そんなにしつこいから松さんにも嫌われたんでしょ』 この一言が決定的であった、ととみは陳述しているが、そのときの気持はこんな風に述べられている。
『…それをきいたとき、私は頭に血がのぼって、さあ、何と申しましょうか、丁度暗闇のなかで、赤児が何やらが欲しい、何やらが悲しくてたまらぬと思いましても、愬える言葉もなく、ただ火がついたように泣き出しまして、むしょうに手足をばたばたさせるような気持で、そのわれにもあらずばたばたする手が、いつのまにか風呂敷包を解いて庖丁を握り、庖丁を握ってばたばたしている手に、闇のなかで、ひでさんの体がふつかってしまった、と、こう申す他はありませんような次第でございました』」(新潮文庫版、254~5頁)

この殺人の瞬間の描写と『金閣寺』における放火の瞬間の描写を比較すると、『金閣寺』の描写には明らかに何か決定的なものが欠けているといわざるをえない。とすると、『金閣寺』を単純に犯罪心理を描いた作品とすることはできないのである。

ここで、②と③の問題点を簡単にまとめると、『金閣寺』という小説は、心理小説としてはおもしろいと思うのだが、それが無理やり犯罪心理、犯罪の動機と結びつけられているという気がする。それでもあえて、この小説が何かを描こうとした小説だとすれば、それは生きようと決意する人間の物語、主人公が生きようと決意するまでのプロセスを描いた物語ということになろう。そうした主人公にとり、金閣寺放火は単なる「一ト仕事」でしかない。そしてそう考えない限り、②や③の矛盾は解決しない。しかしそれにしては、『金閣寺』という作品は仕掛けがあまりにも大げさで、大方の視点は、その仕掛けにのみ目がいってしまうのではないかと私には思われる。

参考ページ重森完途氏『鹿苑寺庭園』の要点(金閣寺および金閣寺庭園の成立史)

   *    *    *

『金閣寺』を読み終えたところで、三島についてあるまとまったイメージを構築したいと思っていたところ、書店でたまたま『三島由紀夫ーー没後35年・生誕80年』(河出書房新社/文藝別冊)をみつけたので、さっそく購入した。
そのなかでまず最初に読んだのは、「三島由紀夫ーー世紀末デカダンスの文学」という澁澤龍彦と出口裕弘の対談(初出は『ユリイカ』86年5月号)。三島が無意識を認めないと主張しているということは、この対談で知った(230頁)。ただし、澁澤、出口の二人が、三島作品を最初から傑作と決めてかかっている点には賛成できない。われわれは三島作品を評価の定まった古典として受けとめるのではなく、もう一度原点にたちかえり、それがほんとうにすぐれたものであるかどうかを作品に即して判断するところから、三島論を構築していかなくてはならないのではないだろうか。

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  1. 2005/11/20(日) 12:19:11|
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三島由紀夫『沈める滝』ーーエピクロス的人間像の完成

『沈める滝』:昭30年刊の三島由紀夫の中編小説。三島は、前年、昭和29年に『潮騒』を発表、また昭和31年に『金閣寺』を発表。『沈める滝』は、ちょうど油がのった時期の作品といえる。
ストーリーは、某電力会社に勤める何不自由のないエリート青年・城所昇が、とある女性をしったことを機に、その女性から自分を引き離すことを目的に、一冬、外界と交通が謝絶された山奥のダム建設現場ですごし、初夏の訪れとともにその女性と再会するというもの。三島の小説としては珍しく、自然の描写、巨大なダムの建設にかける青年の思いが客観的な筆致で描かれており、それが他の三島作品にはないこの小説独特の魅力といえる。

「実際、瀬山の濫用する「人間的」という不潔な言葉は別として、人間主義の下に包まれていた時代の技術には、自分たちの作るものが神の摂理にも叶い、人々の幸福にも資するという安楽な予定調和があり、使命感があったろうと昇には思われた。われわれの時代がそれを失ったのは事実だが、しかしまた、何人かの人間が夢中になることなしには、何人かの精神の集中と情熱と精力なしには、決して出来上がらない仕事が今日もなお存在することも事実なのだ。仕事というものは本来そうしたものだし、中世の職人的良心や、ブゥルジョアジーの十九世紀的勤勉さは、仕事というものをそれ以外のものだとは決して考えなかった筈である。
 技術がもし完全に機械化される時代が来れば、人間の情熱は根絶やしにされ、精力は無用のものになるだろうか。科学技術の進歩にそそがれる情熱や精力は、かかる自己否定的な側面をも持っている。しかし幸いにして、事態はまだそこまでは来ていない。
 ダム建設はこのような意味で、一種の象徴的な事業だと思われた。われわれが山や川の、自然のなお未開拓な効用をうけとる。今日ではまだ幸いに、われわれ自身の人間的能力である情熱や精力の発揮の代償としてうけとるのだ。そして自然の効用が発掘しつくされ、地球が滓まで利用されて荒廃の極に達するまでは、人間の情熱や精力は根絶やしにはされまいという確信が昇にはあった。
 ダム建設の技術は、自然と人間との戦いであると共に対話でもあり、自然の未知の効用を掘り出すためにおのれの未知の人間的能力を自覚する一種の自己発見でなければならなかった。
 あの幸福な予定調和を失い、人間主義の下における使命感と分業の意識を失った技術は、孤独になりながらも、今日ではエヴェレスト征服にも似たこうした人間的な意味をもつようになった。つまり瀬山のいうように、一定の機構の下におしこめられた技術に、ひよわな技術者的良心が追随してゆくのではなく、それとは逆に、人間的能力の発見の要請が先にあって、技術がそれに追随してゆくべきなのだ。」(新潮文庫版、99~101頁)


しかし、作品の冒頭と結末の人妻・顕子とのエピソードはやはり三島のもの。逆にいうと、この人間くさい枠構造が、自然と対峙する小説という『沈める滝』の全体構想を無化しているようにも読める(自然とは、あくまでも人間に「征服」されるべきものにすぎない)。
昇も顕子も、偶然にであうまで、恋のアバンチュールは多いが相手に夢中になることはなく、一夜限りの関係を繰り返すさめた人間として描かれる。しかしそうしたさめた人間同士である昇と顕子の情事は二人の内面を変化させ、互いに、はじめて次の機会をもちたいという気持ちを抱く。その気持ちにとまどった昇は、先述のダム建設現場での越冬を志願するのである。
しかし情事による変化は顕子の方が大きい。男に対する顕子のさめた態度は、実は不感症という肉体性からくるものであり(不感症の女性の問題は『音楽』<昭和40年>に引き継がれる)、昇によってそれが癒されたと感じてから、顕子の思いは急速に昇に傾いていく。しかしそうして普通の女に変貌した顕子を、昇はもはや愛することができない。昇にとっての顕子の魅力は、あくまでも、情事の最中になにも感じないというところにあった。このすれ違いが悲劇となって、『沈める滝』は閉じられる。

結局、『沈める滝』における昇の人物造形は、『禁色』の悠一の内面をそのまま引き継いだものといえよう。女(同性愛者である悠一の場合は男)と情事を重ねながらそのどれにも入り込むことのない青年というほとんど人工的な設定、『禁色』の場合は完全な都会人(大学生)であったものが、『沈める滝』の場合は、石や鉄といった無機物のみを愛して成長し、社会のなかでは大自然にも人間から遮断された生活にも動じない男として造形される。こうした設定は、一面では『潮騒』の新治にも似ているが、野性人である新治は、自己の内面を吐露して小説を牽引することができない。『沈める滝』の昇にいたって、快楽を極めてその快楽を超克し、いわばエピクロス哲学のアタラクシアの境地にたつ人間像は完成されたといっていいだろう。
一方、そうした昇に、そして昇のみに共感した顕子は不幸な存在というしかないが、三島は顕子のなかには深く入り込まず、人里離れた山奥に秘かに存在しダムが完成すれば水没してしまう「沈める滝」のようなものとして冷たく突き放して描く。
三島らしい男性中心のエゴイスムも顕在である。

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  1. 2005/11/16(水) 12:34:00|
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三島由紀夫『愛の渇き』ーー 「意識」のもたらす不毛の構図

映画『春の雪』公開をきっかけに、このところ三島由紀夫の小説ばかり読んでいる(『仮面の告白』『禁色』『潮騒』『音楽』『春の雪』)。これらをとおした私なりの三島論は、いずれじっくり記してみたいと思っているが、今朝は『愛の渇き』を読み終えたので、とりあえず、この作品を中心に三島文学について感じていることの中間報告を試みてみよう。

『愛の渇き』は、『仮面の告白』を出版した翌年の昭和25年に発表された中編小説で、その翌年に大作『禁色』が執筆されている。
ストーリーは、大阪近郊の富豪の家におこる恋愛事件。家の主・弥吉には、謙輔、良輔、祐輔の三人の息子がいるが、長男の謙輔夫婦は弥吉の家に寄食、良輔は病死、祐輔は戦後シベリアに抑留されて戻ってきていない。悦子は次男・良輔の妻で、良輔没後、弥吉の家に身を寄せている。
さて、良輔の生前、悦子は夫に対する愛を感じないまま、夫の浮気に苦しめられる。弥吉の家では、舅・弥吉に求められるまま体を許すが、弥吉を愛しているわけではない。悦子の関心は、おのずから若くたくましい下男・三郎に向かうが、三郎に愛を告白するわけでもなく、三郎の行動を監視してはまた嫉妬に苦しめられるだけである。

さてこの三郎だが、三島は、無教育で野性的な自分好みの若者としてこれを造形している(『潮騒』の新治に近い設定)。そして三郎の魅力の一つは、そうした自分の魅力に気づいていないところにあるのだが、悦子の行動によって最終的に自分の魅力に気づかされる。しかしそれに気づいた三郎は、同時に、自分は誰も愛していない、誰をも愛さないということにも気づく。その部分の三島の描写は次のようなものである。

「この一見便利そうな合言葉(註:愛)は、彼には依然として、彼が行きあたりばったりに送って来た気楽な生活に余計な意味をつけ、また彼が今後送べき生活に余計な枠をはめこむ、何かしら剰余の概念としか思えなかった。この言葉が日用必需品として存在し、時と場合によってはこの言葉に生死も賭けられる、そういう生活の営まれる一室を彼は持たない。持たないばかりか、想像することさえ容易でない。ましてやそんな一室の持主の、その部屋を亡ぼすために家全体に火を放つような愚行のたぐいは、彼には笑止のいたりだったのである。
 若者が少女のそばにいた。その当然の成行として、三郎は美代に接吻した。交接した。そして美代の腹には子供が芽生えたのである。また何かしらんの成行によって、三郎は美代に飽きた。一そう子供らしい戯れはさかんになったが、少なくともそんな戯れは、相手が美代でなくても誰でもよかった。いや、飽きたといっては妥当を欠くかもしれない。美代が三郎にとって必ずしも美代であることを要しなくなったまでである。
 三郎は人間がいつでも誰かを愛さないなら必ず他の誰かを愛しており、誰かを愛しているなら必ず他の誰かを愛していないという論理に則って行動したことがたえてなかった。」(新潮文庫版、220~1頁)


もとより、悦子とて特定の男を真剣に愛したことはない。誰をも愛さないまま身勝手な嫉妬にさいなまれていただけなのである。三郎への一方的な思いも、それが秘めたる思いであるから意味をもつのであって、その思いが明らかになった瞬間、三郎が悦子を愛するという保証はどこにもない。自己意識といったものをほとんどもたない三郎と、名門意識、インテリ意識で武装した悦子(おそらくは三島の分身)の精神世界のへだたりはあまりにも大きい。三郎に愛されたいという悦子の気持ちは、結局は自己愛を変形させたものにすぎないのである。

したがって『愛の渇き』は、恋愛小説に似てはいるものの、通常の意味での恋愛は少しも描かれていない。そしてこうした構造は、三島の小説のなかで最後までかわることがなかったのではないかと私は思っている。
たとえば、一見同性愛の恋愛小説にみせかけた『禁色』において、主人公の悠一はさまざまな男と肉体関係をもつが、それらの男に恋愛感情をもつことはない。『春の雪』の清顕も、自己意識ばかりが強く聡子を愛することができない男として造形されている。清顕の心理や行動は、幼さや環境によるというより、結局、三島的世界の人間という枠のなかで理解しなくてはならないのではないかと思う。

ところで、三島がサド侯爵の作品にひかれ、サドの翻訳者である澁澤龍彦と親交を結んでいたのは有名だが、三島がサド侯爵にひかれたのは、必ずしも三島にサディズム的傾向があったからということではなく、サド侯爵の作品がけして恋愛を描かなかったからではないかと、今、私は思っている。

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  1. 2005/11/13(日) 14:50:02|
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『パープル・バタフライ』ーーおさえた大人の歴史ドラマ

このところ立て続けに自閉的な映画ばかり観たので、ロウ・イエ監督の中仏合作映画『パープル・バタフライ』は、外に向かってなにかを伝えようという明確な意志をもった作品であるということ、そしてそれがおさえた描写で静かに表現されているということが心地よかった。
(新宿武蔵野館で鑑賞。初日なので、上映前に仲村トオルのトークショーを聴くことができた。)

舞台は1920年代から30年代にかけての中国(満州、上海)。時代に引き裂かれる日本人・伊丹(仲村トオル)と中国人女性・ディン・ホエ(チャン・ツィイー)の使命観と愛の交錯がテーマのスケール大きな作品。
映画の表面上のメイン・ストーリーは日中の諜報合戦・暗殺合戦なのだが、人物関係が複雑であるにもかかわらず、この映画、セリフが極めて少ない。自身で監督と脚本家を兼ねているロウ・イエの意図は、複雑な人間関係を細かく説明することではなくて、とある状況のなかに投げ込まれた男と女の行動を静かに描いていくところにある。この作品では、男と女の愛も憎しみも、そうした状況のなかから自然に立ち上がってくる。
この脚本の方針と関連して特筆すべきなのが、この映画の撮影だ。私がそれを強く意識させられたのは上海駅頭での銃撃シーンだが、カメラ(おそらくはハンド・カメラ)は、一つのホームから向かい側のホームに降り立った人間を延々と移し続け、その画面の揺れとカメラの焦点がなかなかさだまらないこと、そしてショットそのものの長さが、観る側の不安感と緊張感を高める(プログラムの解説によれば、この映画のなかで、撮影監督のワン・ユーは深度の浅いレンズを多用しているという)。
またカメラ・ワークとならんですばらしいのは、この映画の大半が雨のシーンであるということで、その濡れた感じが、この映画に、輪郭の曖昧な独特の雰囲気をプラスする。
戦争(抵抗運動)を描くという点からいっても、恋愛を描くという点からいっても、この映画、人間関係や心理を説明しだせばいくらでもそうした描写をつけ加えることができたと思うが、あえてそれを排したがゆえに、ストーリー上の細かな破綻を避けることができたと同時に、作品全体に普遍性が出た。
人間描写という点では、日本人諜報員・伊丹の心理や行動に「悪い日本人」のステレオタイプなイメージを押しつけず、冷静に描ききった点も評価できる。最期の瞬間に静かにタバコに火をつけようとする伊丹のダンディズムは、日本人以外がみても納得できる男の理想像ではないかと思う(作品全体をとおして、伊丹役の仲村トオルはおさえた演技がひかる)。
それでも、この作品の難点をあえて一つあげるとすると、主要登場人物がすべて死んだあとに回想として挿入されるディン・ホエと抵抗運動のリーダー・シエ・ミン(フェン・ヤンチェン)のラブ・シーンではないか。この映画のすべての人物関係は、ここにいたるまでに充分描き尽くされており、このシーンは明らかに余計だ。

ところで、日中の1920年代から30年代を描いた映画としては意外なことに、この映画は時代背景の説明にもあまり踏み込まない。もちろん、日本による中国侵略と中国側の抵抗運動は、それがこの映画の人間関係と直接からむだけに、最初から最後まで執拗に描かれるが、それを特定の歴史的事件と結び付けることを、この映画はしない。
それだけに、物語が終わり、伊丹とディン・ホエがともに死んだ後に、日本軍の南京侵略のドキュメント・フィルムが流される意味は大きい。われわれは、それを真摯に受けとめるべきであろう。

(ちなみに、この映画のタイトル「パープル・バタフライ」とは、中国側の秘密抵抗組織のコード名)

参照『パープル・バタフライ』公式サイト

テーマ:映画 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/11/13(日) 00:20:35|
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映画からなにかが伝わるとは

直前に書いた行定作品と犬童作品の分析のなかで、犬童作品(『メゾン・ド・ヒミコ』)のコミュニケーション論の分析に不十分な点を感じたので補足しておく。
直前の記事では、『メゾン・ド・ヒミコ』が提起するコミュニケーションの難しさの問題として、①母と沙織のあいだのコミュニケーションの問題、②沙織の内部での意識のありかたの問題ーーの二点を指摘したのだが、少し考えているうちに、この二点は明確に区別されるべきだと思えてきた。

まず①の問題だが、これは伝達される内容というより、受け手の側の受容力に強くからんでくる問題だ。送り手が伝達しようとするものが非常に複雑なメッセージである場合、受け手は、そのメッセージを受け損なうという事態が充分予想される。ただし、そのメッセージの複雑さが単純に論理的な側面にあるのであれば、送り手は、受け手にあわせてその論理をいわばかみくだくことで、メッセージはある程度伝達可能となる。問題は、そのメッセージの複雑さが論理的な側面にはない場合で、この場合、メッセージは本来的に伝達不可能といわざるをえない。この、メッセージの複雑さが論理的な側面にない場合とはどのような場合かといえば、受け手が送り手と同じ感覚器官・受容器官を欠く場合や、受け手が送り手と同じ体験を欠く場合ということが想定できる。たとえば目の不自由な人に、色彩感覚をストレートに伝えることはできないし、ある体験をとおしてはじめて了解できる事柄を、そうした体験を欠く人に直接伝えることはできない。『メゾン・ド・ヒミコ』の母と沙織の場合は、この、受け手が母と体験を欠くために伝えることができないというケースに相当すると考えられる。

次に②の問題は、受け手の問題というより、伝達しようとする情報そのものが内包する問題、もしくは伝達手段・伝達行為そのものが内包する問題である。
②の説明として、直前の記事では十一面観音の造形を例示したのだが、映画のなかにこうした表現が皆無というわけではない。その例として今私に思い浮かぶのは、『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督)のなかの陸軍軍人ハラの処刑直前のシーン。この作品では、ハラに扮するビートタケシの演技が非常に評判になったのだが(このことは、北野武の最新作『TAKESHIS'』のなかでも比喩的に回顧されている)、処刑直前のシーンで、タケシはなんとも表現しようのない泣き笑いをして絶賛された。
処刑直前の人間の心理の分析というと、私は加賀乙彦のいくつかの作品を思い浮かべるのだが、自身監獄医でもあった加賀は、死刑囚と無期囚の心理状態の違いに強い興味をいだき、死刑囚は時間の閉所恐怖、無期囚は時間の広場恐怖のなかにいると分析している。処刑直前の死刑囚は、われわれの常識とは異なり、往々にして非常な躁状態に陥いって喜びと悲しみの感情を同時に示すのだが、これを加賀は、じっくり喜んだり嘆き悲しんだりする時間的余裕がない死刑囚は、すべての感情を同時に表出せざるをえないのだと指摘している。『戦場のメリークリスマス』におけるビートタケシの極限的な演技の説明として、この加賀乙彦の分析以上のものはないだろうと私は考える。
こうした凝縮された心理をそのままダイレクトに伝えることができるメディアとして、映画は非常にすぐれている。そして、それを死という極限状態においてではなく、日常心理のなかに見いだしたのが『メゾン・ド・ヒミコ』だといえるのではないだろうか。

ところで、『メゾン・ド・ヒミコ』のなかでは、①の問題は、実は②の問題とからめながら提起されているともいえる。つまり、別れた夫・卑弥呼に対する母の思いは、愛・嫌悪といったかたちで明確にはなっておらず、しかもこれに社会通念が絡んでくるので、特定の感情として他の人間には伝えられないということになる。そうした複雑な状態・感情を、沙織の母は体験してしまったのだ。そのとき、この苦しみ・悲しみであると同時に喜びである感情を、そうした感情を体験したことのない人間に伝える手段をもたないと、母は判断したのであろう。
しかし、母のこうした複雑な思いについて映画は直接的にはなにも語らないので、われわれは映画を観ながらそれを想像するしかない。このブログに私が記している解釈も、そうした意味においては絶対的なものではなく、あくまでも私の解釈であり、母の思い、母の沈黙については、映画を観た人が、自分の体験にあわせて、それぞれ自分の解釈を構築していくしかない。『メゾン・ド・ヒミコ』という作品は、作品から正しい解釈を導き出すことよりも、各人が自己の解釈を構築することの重要性を語っているようにも思われる。

考えてみると、映画というのは(そしておそらく小説も)、不思議なコミュニケーションだ。われわれは、映画を観たり小説を読んだりするとき、その作中人物になった気がして映画や小説のなかのできごとを疑似体験する。
しかしこの疑似体験とはいったい何なのか。作品のメッセージが、疑似体験しかもたないわれわれに伝わるとはどのような事態であるのか。
映画や小説について語らなくてはならないことは多い。

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  1. 2005/11/12(土) 14:12:16|
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行定作品と犬童作品の表現の違いはどこからくるか

最近観た映画、行定勲監督の『GO』と『春の雪』も、犬童一心監督の『メゾン・ド・ヒミコ』も、言葉にならないものを伝えようとし、それが全体の鍵になっている作品だと思った(『GO』はビデオで鑑賞)。この記事では、これらの作品を分析しながら、その「言葉にならないもの」について、また「言葉にならないものを伝えるとはどのような事態を指すか」について、私なりに少し考えてみよう。

まず、『GO』。
この作品では、主人公杉原の親友・ジョンイルが、電話では話せない大事なことを話したいから直接会って話したいと杉原に電話したのち、地下鉄の駅で殺されてしまい、ジョンイルが話したかったことは、謎のまま残される。そして杉原や観客が、その伝わらなかったジョンイルのメッセージを考えるところに作品の奥行きが形成される。
『春の雪』では、冒頭、三島由紀夫の原作にはない、幼い清顕と聡子が百人一首をするシーンが挿入されるが、このなかで、壬生忠見の和歌「恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか」が上の句だけ読まれ、下の句が読まれないということに、「秘めたる恋」という強いメッセージ性が感じられる。
私は、『GO』という作品と『春の雪』という作品は、画面のなかで暗示されるだけにとどまり具体的に示されなかったものが、直接示されなかったがゆえに大きな意味をもち、作品に奥行きを与えるという点で構造的に共通していると思う。

ところが、『メゾン・ド・ヒミコ』のコミュニケーションについての考え方は、『GO』『春の雪』とは、方向性が異なる。『メゾン・ド・ヒミコ』においては、一見、画面をとおしてすべてが語られ、すべてが示されているように思われるにもかかわらず、われわれは語られざるなにかを感じる(それがこの映画への感動となったり不満になったりする)。これはどういうことなのだろうか。

考えてみると、たとえば、『GO』のなかのジョンイルのメッセージは、ジョンイルの死によってたまたま語られずに終わってしまうのだが、もし仮に彼が死ななかったらという展開を考えると、作者によって、それは本質的に語ることができる、伝えることができる性質のものだったと想定されていることがわかる(ただし、それは「会う」という行為を介在させることによって伝えることができるものであり、「電話」では伝えられないとされている。これはこれで、コミュニケーション論としておもしろい問題だが、ここではその問題は省略する)。
『春の雪』のなかの壬生忠見の和歌の扱いもこれとほぼ同じ。それは百人一首のなかに入っている和歌であるがゆえに、百人一首を丹念にあたれば、下の句(のメッセージ)、そしてあえて下の句を読まないということのメッセージ性は誰でも発見することができる。
するとこれらのメッセージの非伝達性は状況からくるもので、メッセージが本来含んでいる問題ではないということがはっきりしてくる(作者の関心は、メッセージの内容ではなく、メッセージが伝わらないという状況にある)。

これに対し『メゾン・ド・ヒミコ』が提起するのは、物理的な障害は存在しないにもかかわらず伝えることができないなにものかの存在という問題である。
たとえば、主人公・沙織の母が別れた夫・卑弥呼と秘かに会っていた(卑弥呼の行動を秘かに認めていた)ということは、『メゾン・ド・ヒミコ』の鍵となる重要な事実だと思うが、なぜ彼女がそうした自分の行動を沙織に説明しなかったのかについて、映画はなにも語らない(だいいち、母親そのものが映画には登場しない)。こうした意図的沈黙は、おそらく、自分の行動をいくら説明しても娘はその行動を理解できないし、それゆえそれを語ることは意味がないと母は考えていたからだと、私は思う。そうした母の行動およびそれが自分に隠して行われていたことについて、映画のなかで沙織は真剣に悩むのだが、そのこたえは、沙織自身の問題としてしか与えられない。つまり、一人の男を真剣に愛し、悩んだとき、沙織は、自分の問題として母親の愛と苦しみを了解する。この部分、結果だけをとらえれば、亡くなった人(ジョンイル、沙織の母)が提起した問題を自分の問題として解決するという点で『GO』と『メゾン・ド・ヒミコ』は共通しているのだが、二つの作品のあいだには、ジョンイルは自己の思いを語ろうとし、沙織の母はそれについて沈黙したという、決定的な違いがある。
しかし、『メゾン・ド・ヒミコ』が提起する、ある心理や感情を伝えることの難しさは、この母と沙織のあいだのコミュニケーションの問題、より正確にはコミュニケーションの伝達や受け止め方の問題にはにとどまらない。実は、母と沙織の関係もそうなのだが、沙織と父親・卑弥呼、沙織と卑弥呼の恋人・春彦、これらの人間関係は、単純に憎しみや嫌悪といえるものを超えたさまざまの感情がからまって形成されており、一方が主で他方は従であるというようなかたちで単純化することができない。

こうした『メゾン・ド・ヒミコ』的コミュニケーション論は、通常の意識論、コミュニケーション論の範囲では非常に説明しにくいのだが、私は、密教の十一面観音という構造モデルを介在させることで、この問題の本質がわかりやすくなるのではないかと考えている。
十一面観音とは、一つの身体のうえに十一の面(顔)がついている観音(まれに、十二面や十面の場合もある)で、それらの十一の面は、具体的には、正面の三面が慈悲相(菩薩面、寂静面)、左三面が瞋怒相(忿怒相、忿怒面)、右三面が狗牙上出相(白牙相)、そして後の一面が大笑相(大笑面、暴悪大笑面、暴悪相)、頂上の一面が仏面相(仏面、如来面)となっている。十一面観音像がつくられるようになった背景、通常は、さまざまな状況における観音のさまざまな心理やはたらきを十一に要約し、一つの身体のうえに表したとされることが多いが、そうではなくて、私は、人間の心のなかでは、慈悲も怒りも笑いも悟りも、究極的には同じであり、人は、たとえばなにかを哀れんでいるときに同時に怒り笑いそして悟っているということを積極的に造形したものではないかと思っている。
しかし、言うは易し行うは難し。実際には、こうした心理状態は造形、表現が非常に難しい。ここでこの記事の主題である言語表現とからめながらこの問題に迫ってみると、われわれがふだん使用する日常言語は、とある限定された事柄に対応することで「意味」や「はたらき」をもっているわけだが、十一面観音的表現とは、言語を限定された指示対象から解き放つことに意義があり、このため、通常のコミュニケーション論からすれば、そうした表現をもってしては「意味」は伝わらない・伝えることができないということになる。
こうした混沌とした心理状態を「虚」と言ってかたづけてしまうなら話は簡単なのだが、私などは、人間の日常意識、日常心理というのは、そうした本来的な混沌の一部を汲み上げたにすぎないもの、したがって、一見単純にみえる意識作用も一皮めくってみれば混沌なのではないかと考えているので、十一面観音の造形の問題を、簡単には看過できない。
また仏教史的にみれば、十一面観音を造形した密教の意識論は、三島由紀夫が晩年に関心を示した唯識教学(法相宗)の潜在意識論を発展的に受け入れたものであり、十一面観音の造形の背後に潜在意識論の存在を指摘するのは、あながち見当違いとはいえないと思う。

さてこうした私の考え方からすると、『メゾン・ド・ヒミコ』の映画作法は、混沌とした人間意識を、単純化してしまうことなく混沌としたまますくいあげたものであり、話法として非常に巧みにできているといえる。また、事態を分析的というよりは包括的にとらえる映画表現の特性とも合致していると思う(たとえば小説というジャンルやこの私の書き込みは、日常言語、さらには分析的話法と緊密に結びついているために、『メゾン・ド・ヒミコ』が伝えたものをそのままのかたちで伝えることはできない)。
『メゾン・ド・ヒミコ』は、日常意識を超えた世界について、表面的にはなにも語らない。しかしだからといって、『メゾン・ド・ヒミコ』が描き出す世界が日常意識の世界のなかで終始しているということはできない。あえていえば、『メゾン・ド・ヒミコ』は、作品全体が日常意識を超出していくことへの大きな賭けなのだと思う(犬童一心監督は、『メゾン・ド・ヒミコ』はなにかを試す映画なのだと語っている)。したがって、『メゾン・ド・ヒミコ』のおもしろさとは、そこで具体的に示されているもののおもしろさではなく、映画をとおして模索されているもののもつおもしろさだといえる(作品は、その模索のプロセスだけを具体的に提示しているのだ)。

とりとめのない記事になってしまったが、まとめとして、最後に簡単に、行定作品と犬童作品が提示する恋愛観の違いを示しておこう。
『GO』では、映画の冒頭『ロミオとジュリエット』のなかのセリフが引用され、「バラという名で呼ばれる花は、roseであれ、バラであれ、どのような名前で呼ばれても本質は変わらない」という認識論が示される(周知のように、この命題はウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』の根本テーマである)。これは、映画のなかの恋愛観とからむもので、民族、言語、国境を超えて恋愛の本質は一つという主張に繋がる。
ところが『メゾン・ド・ヒミコ』は、恋愛をそのように単純化してはとらえない。嫌悪や憎しみがそのまま愛に転化していくような恋愛もある。いや、嫌悪や憎しみが愛に転化するのではなく、実は嫌悪や憎しみそのものが愛であるという、通常の意味での意識論・本質論を超えたところで、その恋愛観は語られる。またその恋愛は、同性愛でもなければ異性愛でもなく、既成の恋愛概念にはまったくあてはまらない、その意味では恋愛とは呼べないような恋愛でもある。つまり、『メゾン・ド・ヒミコ』の恋愛観は、いわば、恋愛を解体したところに成立する絶対的恋愛観なのである。

(この記事は、北野武作品『TAKESHIS'』を観る前に構想したものだが、書き終えたのは『TAKESHIS'』を観た四日後である。このため、『TAKESHIS'』のなかで展開されているコミュニケーション論・表現論をも念頭におきながら書くことになった。ただし『TAKESHIS'』が内包しているコミュニケーション論・表現論については、別のかたちでとりあげたいと思っている。)

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  1. 2005/11/09(水) 12:28:58|
  2. 映画
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内藤明美さんのリサイタル

私の大好きなメゾソプラノ内藤明美さんが、11月11日(金)、東京オペラシティ・リサイタルホールでひさびさにコンサートを開く。

naitoh.jpg

曲目は、ブラームス(1833-97)「セレナード」「ひばりの歌」「昔の恋」歌曲集「ジプシーの歌」他、ベルク(1885-1935)「四つの歌曲」、エベン(1929- )「六つの中世の歌」という非常に凝ったもの。なかでも、チェコの作曲家ペトル・エベンの歌曲は、内藤さんでなければ、まず歌われることがないといっていいだろう。
内藤さんは長崎県出身。国内ではお茶の水女子大、東京芸大で音楽を学び、1984年に渡独して、シュトゥットガルト音楽大学でリートとオペラを学んでいる。1985年ブラームス国際コンクール声楽部門、1986年セルトゲンボッシュ国際声楽コンクール入賞の経験をもつ。
歌手としての内藤さんの魅力は、なんといってもその天性のふくよかな声なのだが、声のいい歌手がおうおにして自分の声におぼれて美しく歌うということを超えることがほとんどないのに対し、けして声におぼれないということが、内藤さんのさらなる魅力をつくっている。
また内藤さんは、メゾソプラノのありきたりのレパートリーに満足せず、歌唱困難な現代歌曲にも次々と挑戦しているのだが、普通であれば単なる知的アプローチに終わってしまう現代歌曲の歌唱が、内藤さんの声で歌われると、肉感をそなえた説得力のある曲にきこえてくるからふしぎだ。
声と知性の二つを兼ね備えた内藤さんは、日本における希有のメゾソプラノといっていいだろう。
ピアノは平島誠也さん。チケット料金は\4,000(全席自由)。開演は19:00。|
内藤さんのリサイタルについての詳しい問い合わせ、チケットの申し込みは、日本声楽家協会(TEL=03-3821-5166)まで。

参考サイトPetr Eben

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  1. 2005/11/06(日) 12:59:29|
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『TAKESHIS'』とのすれ違い

北野武作品をはじめて観た。新作『TAKESHIS'』(於:渋谷シネパレス)。

takeshis.jpg

結論からいうと、この作品、私にはひっかかるものがなにもなかった。
犬童一心作品『メゾン・ド・ヒミコ』評のなかに書いたシュールレアリスムという点でいえば、『メゾン・ド・ヒミコ』よりも『TAKESHIS'』の方がはるかにかつ明確にシュールなのだが、自分にとってはシュールであればなんでもいいということではないということを、『TAKESHIS'』を観てへんに納得した。逆にいえば、手法としてのシュールレアリスムというのは、ある意味で極めて模倣しやすく陳腐化しやすいという一面をもっており、へたをすると、作家の個人的な夢想を長々とみせつけられるだけということになりかねない。シュールレアリスムの作家として自己を維持していくのはそれだけ大変なことなのだということを、『TAKESHIS'』を観ながら考えた。
さて、『TAKESHIS'』が私になにも訴えてこなかった理由を自己分析してみると、まず、①シーンの転換が極めて早い、②私のなかに過去の北野作品の蓄積がまったくなく、過去の作品への自己言及が把握できなかったということが挙げられる。加えて、『TAKESHIS'』は撮影後の編集に非常に凝っており、そのことは彼の作品をはじめて観る私にも明確にわかるのだが、そうした凝った編集のあとだけが印象として突出するために、全体として非常に強い人工臭を感じ、作家・北野武のスタンス、身体性がますます把握できなくなってしまうのだ(北野武自身が主演しているというのに!)。ただしこの辺は、映画監督なり映像作家ということで私が考えるものと、北野武が考えているものがズレており、私には最後までそのズレが修正できなかった(北野武の所在がつかめなかった)ということであるかもしれない。
シーンの転換が早いという点に関していえば、『TAKESHIS'』には細かいシーンが非常に多く、観る側が考えたり感情移入しようとする前に、北野ペースでどんどんシーンが変わっていく。このあたり、たとえばルイス・ブニュエルにも細かいシーンの転換は多いが、逆にブニュエルはワンショット・ワンシークエンスに近い長回しをすることもあり、個々のシーンを観ながら、そのシーンを観客が分析していくゆとりがある。つまりブニュエルは、観客をいったんシーンのなかに投げ入れてから、次のシーンでそうした観客の思惑を逆転させていくという手法をとることが多いのだが、『TAKESHIS'』では、少なくとも私はシーンのなかに入るゆとりがなく、したがって、思惑や意識の逆転も起こらなかった。すべてのシーンが、それこそ機関銃のように次々と変わっていくのを、あっけにとられて観ていただけだ。
少し言い方をかえると、『TAKESHIS'』という作品全体をとおし、北野武のイマジネーションが自由に飛翔しているのは充分にわかるのだが、それを観ている私のイマジネーションは凍りついたままで、いっこうに飛翔できない。一つ一つの画面は極めて幻想的なのに、それがこちらの幻想につながらない、いや、観客が自分の幻想にひたることは、作品によってはじめから厳しく拒否されているーー『TAKESHIS'』の幻想性とは、そうした極めて一方向的な冷たい幻想性であるように私には思われた。

結局、『TAKESHIS'』は相当観客を選ぶ作品なのだろうが、私とは最後まですれ違いに終わってしまったという感じだ。

   *    *    *

ところで、私が最近観た映画『メゾン・ド・ヒミコ』『春の雪』『TAKESHIS'』は、それぞれスタンスは違うが視覚的イメージが非常に強烈なのだが、視覚的イメージが強烈であるということは一面極めて危険だということ、『TAKESHIS'』を観ながら強く感じた。

参考記事『メゾンドヒミコ』におけるシュールレアリスムーーまつさんにインスパイアされながら:その2

テーマ:映画 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/11/06(日) 02:09:39|
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