le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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『抵抗』『スリ』『ジャンヌ・ダルク裁判』を観て

ロベール・ブレッソンの映画『抵抗』『スリ』『ジャンヌ・ダルク裁判』をビデオでたて続けに観た。これによって、ブレッソンに対する自分なりのイメージがかなり明確になったので、とりあえずそれを簡単に記してみたい。

これまでも浅沼圭司氏はじめさまざまな人の見解を引用しながら確認してきたように、ブレッソン映画には、さまざまな特徴があり、今回、それらを具体的に確認できたということは大きいが、実際に観てみると、自分にとって一番大きなブレッソン映画の特徴は、ストーリーを要約できないということであった。
しかしそれはブレッソンの映画が複雑だとか、人物関係が入り組んでいるとかいうことを意味しない。そうした観点からいうならば、ブレッソン映画の構造は非常に簡潔で、映画のなかで時間が逆転することもほとんどなければ、回想シーンが挿入されるといったこともない。できごとは、ほぼおこった順番にスクリーンに提示されていく。
したがって、たとえば『抵抗』は「死刑囚は逃亡した(この映画の原題)」という「物語」をもち、『ジャンヌ・ダルク裁判』は「ジャンヌ・ダルクの裁判」という「物語」をもっているとはいえるのだが、それ以上のストーリーを語るとなるととたんに困惑せざるをえない。その困難が一番大きなのは『スリ』で、この映画のストーリーはまず語ることができない(参考までに、浅沼圭司氏は『スリ』の物語を次のように要約している。「主人公ミシエル(Michel)がすりをはたらき、逮捕され、刑務所にいれられるーー、ただそれだけだ」<『ロベール・ブレッソン研究ーーシネマの否定』、水声社、135頁>。この映画の「ストーリー」を要約しようとすれば、私もこのとおりいうしかない。しかし、これがはたして「ストーリー」といえるだろうか?)。
ちなみに、ブレッソンの初期作品に『ブーローニュの森の婦人たち』(1945年)があるが、これは『百科全書』の編集者として知られる18世紀の思想家ディドロの小説『運命論者ジャックとその主人』の一部を映画化したものだということで、このディドロの小説というのが、まずストーリーを要約できない。初期にこの小説に注目しているという事実は、ストーリーないし物語に対するブレッソンの関心がどの辺にあるかを示していると思う。
さて実は直前の記事で、私が『抵抗』を<音楽的>だとしたのも、整理して考えてみるとこの点とからむ問題で、映画そのものが、たとえばソナタ形式の楽曲のように、最初に主題を提示し、それが明確に打ち出されると、今度は第二主題が登場し、ついで第一主題と第二主題がからみあいながら発展していくといった構造(流れ)はもつが、いわゆる「物語」にあるような結末もしくは(弁証法的な)結論を、ブレッソン映画はもたない。したがって当然のことながら、ストーリー(物語)から導き出されるメッセージ性のようなものも、ブレッソン映画はもたない。ブレッソン映画は、その終わりにむけてただ流れていく。映画というものは「物語」を視覚的に再現する仕掛けであると考える人にとって、ブレッソン映画は、何をいおうとしているかわからない映画ということになってしまう。
ところで、日本で最初に公開されたブレッソン映画は『抵抗』だが、この映画のオリジナル・タイトルは「死刑囚は逃亡した、または風は吹きたいところに吹く Un condamne a mort s'est echappe ou le vent souffle ou il veut」であり、困惑した封切会社が、この逃亡行為にドイツ軍への抵抗というメッセージ性を読み込み、日本タイトルとしたものであろう。しかし、実際にみる『死刑囚は逃亡した』という作品には、そうした政治性・社会性は皆無であり、映画はひたすらその脱獄のプロセスだけを追う(しかも、タイトルが過去形になっているので、観客はその脱獄が成功するということを情報としてあらかじめ知らされていることになる。したがって、主人公の行為が成功するか失敗するかという意味での「スリル」は、この映画では半減されている)。主人公のフォンテーヌがなぜ逮捕されたのか、彼はどのような経歴、思想をもつか、その家族構成はどうなっているか、等の「物語」の発生源を映画は語らない。映画が提示するのは、フォンテーヌが今何をしているか(しようとしているか)だけである。回想シーンがまったくなく、映画は、逮捕されてからのフォンテーヌの行動を順に追うだけなので、登場人物も極めて少ない。したがって、いわゆる「ドラマ」が生じ、それをめぐって「ストーリー」が展開していく余地はほとんどない。この意味で、平板といってしまえばこれ以上平板な映画はないともいえるのだが、こうした観点からいえば、ブレッソン映画は、つねに極めて平板である(同じ事実をプラス方向からみたとき、ブレッソン映画は、つねに極めて「禁欲的」とされる)。あるいは、文字どおり風のような映画といえるだろうか。それを手にとどめようとしてもむなしい。
ところで、第二次大戦下の被占領フランスで、ドイツ軍に抵抗する(囚人が脱走する)という行為は、もしかすると(もしかしなくても)社会的・倫理的にプラスの意味合いをもたされてしまうかもしれない。そしてブレッソン映画はそうしたプラスの倫理観を描こうとした映画という風に理解できるかもしれない。そこで、そうしたプラスの倫理観(社会道徳)を徹底的に否定したのが次作の『スリ』といえよう。ある青年が他者の財布をスリとるプロセスを執拗に描くこの映画は、映画に社会的倫理観の肯定を求めようとする人の顔を背けさせるかもしれない。ただそうであるがゆえに、『スリ』という作品をとおして、『死刑囚は逃亡した』という作品におけるブレッソンの関心は、逃亡行為そのものであって、それが社会通念としてどのような意味をもつかは、どうでもよいことだったのだということが明らかになってくると思う。
ついでながら、この『スリ』という映画で、ブレッソンがスリという行為を単純に犯罪(悪)としてはとらえていないと強く感じたのは、主人公のスリ行為のなかに、競馬場を舞台にしたものが複数回あるという事実からだ。競馬で得たお金、もしくは競馬に使うお金というのは、普通に考えれば労働の成果(もしくはいわゆる「生活費」)ではなく、運命の巡り合わせとしかいいようがないお金ではないかと思うが、それをつきつめていくと、競馬場を舞台としたスリ行為が、個人財産・個人所得の剽窃がどうかを断定するのはかなり難しいということになってくると思う(ちなみに、『スリ』という映画と神の存在の問題の関わり合いは、競馬で得たお金が財産なのか、それをスリとることが犯罪なのかを考えたときに出てくるだろう。風は吹きたいところに吹く!)。
いずれにしても、『抵抗』も『スリ』も、ひたすら主人公の行動を描いた映画なのだが、一転して、『ジャンヌ・ダルク裁判』は、古い裁判記録の再現という性格上、「言葉」を中心に組み立てられた映画である。言葉の洪水といってもいい。極端にセリフの少ない『抵抗』や『スリ』を観たあとで『ジャンヌ・ダルク裁判』を観ると、そのセリフの多さにまず物理的にとまどうのだが、しだいにこれは、行為(アクション)として言葉を扱った映画ではないかと思えてきた。
つまり、裁判におけるジャンヌの言葉が裁判官や聴衆に何かを訴えかけ、そのことが裁判結果に反映されるというのであれば、これは「裁判ドラマ」、セリフ劇といっていいと思うのだが、裁判のなかのジャンヌの言葉が裁判官を動かすことはなく、審理(言葉のやりとり)を無視して、裁判はひたすらあらかじめ定められている結論(ジャンヌの火刑)にむかってすすんでいく。したがって、この作品がジャンヌ・ダルクの裁判を描いているのは事実であるけれども、そのプロセスで誰かに共感を呼び起こすというような意味での心理的な展開やドラマはなく、それゆえ、ストーリーを要約することは、結果的になにも意味をもたないのである。とすると、この『ジャンヌ・ダルク裁判』、セリフは多いがセリフ劇ではないということになってしまう。

ブレッソン映画について語りたいこと、語らなくてはならないことはまだまだ多いが、とりあえずは、彼の作品における物語性の欠如を指摘しておこう。

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  1. 2006/04/26(水) 11:12:31|
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シネマの否定、演奏の否定、演劇の否定、そして…

この辺で、このブログにアクセスしてくださっているみなさんのために、3月21日付けの映画『バルタザールどこへ行く』関連の記事(「ロベール・ブレッソンの作風をめぐって 1」)にはじまった一連のエントリーの方向性を少し整理しておこうと思う。

書き込みをはじめた当初から、私には、これを映画だけの記事にはせず、指揮者オットー・クレンペラーの演奏の問題とからめて考えてみたいという意図はあったのだが、それが明確になったのは、浅沼圭司氏の著作『ロベール・ブレッソン研究』(水声社、1999年)が「シネマの否定」というサブタイトルをもつことを知ってからだった。
私はこのキーワードを「演奏(音楽解釈)の否定」と読み替えてクレンペラー論に導入し、そのうえで、ブレッソンの「シネマの否定」とクレンペラーの「演奏の否定」が行き着く先を探ってみたいと考えた(「ブレッソンとクレンペラーの対位法」)。
このあたりの流れは、これまでの記事でなんとなく理解して頂けているのではないかと思っているのだが、ブレッソンとクレンペラーにおける「否定」について考えているうちに、この問題は実はポツドール(三浦大輔)論とも結びつくもので、その場合ポツドールは、「演劇の否定」として捉えられるべきものだと気がついた。実際ポツドールの舞台は、ブレッソンの映画と比較したときに理解しやすい部分が多いと思う(たとえば、尾崎宏次氏が指摘する「演技の一回性」の問題は、ポツドールの舞台でも大きな問題となる。それにどう対処するかという結論は、ブレッソンとポツドールでは大きく異なるのだが…)。
さて、私の構想はここから急旋回して、議論の全体を五部構成で考えているのだが(もちろん、その第一部から第三部までは、「シネマの否定」「演奏の否定」「演劇の否定」がしめる)、その第四部と第五部の内容については、何が出てくるかこれからのお楽しみとしばらくふせて、ブレッソン、クレンペラー、ポツドールの読解をすすめながら自分の中でもう少し構想を発酵させることにしたいと思う。ただ、そのヒントだけをここで簡単に記しておくと、浅沼圭司氏の対談の紹介ではじまった一連の記事は、浅沼圭司氏の著作の分析で終えることを考えている。

さて、肝心のブレッソン映画だが、私には基本的に部屋でビデオを観るという習慣がないため、どうやったら作品が観れるのか思い浮かばず、これまで記憶をたどったり、資料を紹介するというかたちで議論を進めてきた。それが、先日安いビデオ&DVDプレーヤーを購入したのをきっかけに、映像資料を参照するのが容易になり、これから先の議論は、それらをも参照しながら進めていきたいと思う。

ということで、昨日、その第一弾として『抵抗』(1956年)をビデオで観た。この作品、かつてどこかのシネマテークで一度観ているのだが、久しぶりに再見して、やはりすばらしい作品だと思った。荻昌弘氏が『ジャンヌ・ダルク裁判』の作品研究で指摘しているような映像的特徴(「カメラは、ほとんど、歩むことも、首をふるさえも、やめる」)は、この作品ですでに明確に打ち出されており、かつ、目覚ましい効果をあげている。『抵抗』に対する私の細かい考え方は、別記事に詳しく記してみたいと考えているが、この作品を観てすぐに頭に浮かんできた感想は、これはとても<音楽的>な映画であるということ。その<音楽的>という言葉も、このブログではクレンペラーの音楽演奏をブレッソンの映画と同時進行で分析しているため、自己遡及的でほんらいは使用すべきでないのだが、にもかかわらず、『抵抗』という映画は<音楽的>だと思った。それはどういうことなのかというと、要するに、『抵抗』という作品は、通常の映画のように人間同士の葛藤(ドラマ)としては進行せず、一つの場面と次の場面が結びつく緊張感、もしくはある種の流れを主軸として構成されているということ。そうした流れ主軸の展開を、私は<音楽的>と言ってみたいのである。
また『抵抗』に続いては、これから、『スリ』(1959年)、『ジャンヌ・ダルク裁判』(1962年)も観ることを予定しており、毎日新しい記事をアップするのは難しいとは思うが、それらの感想も可能な限り記していきたい。

もちろん、これら一連の話題に関して、部分的なこと、全体的なこと、さまざまなご意見、ご感想、トラックバックも大歓迎♪

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テーマ:異文化コミュニケーション - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/04/22(土) 12:14:22|
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尾崎宏次氏の『ジャンヌ・ダルク裁判』分析

ロベール・ブレッソン作品『ジャンヌ・ダルク裁判』のプログラムである『アートシアター』72号では、演劇研究者・尾崎宏次氏も、ブレッソンが素人を起用して映画をつくるのはなぜかについて、非常に興味深いコメントを執筆している。比較的短い文章なので、以下、全文を引用・紹介する。

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演技の一回性 尾崎宏次氏

 ジャンヌ・ダルクほど有名な人物を、そしてこの裁判ほどポピュラーな事件を、まったく既成の俳優からはなれてつくったのはなぜだろうか。私はこの秀抜な映画をみて、ブレッソンという監督のなかにある、いってみれば、表現者として持っている複眼のようなものを考えた。ごくつづめて言ってしまえば、映画にでてくる素人たちがここに残したものの高さは、ねりにねった技術をもっている狂言師が残すものと、じつによく似ていた。
 これはいったいどういうことなのであろうか。一応の映画についての常識を通ったうえで、どうも、演技の一回性ということがきわめて整然とこの人のなかにたくわえられているように思う。それは、リアリズムにまつわりついている類型的な描写みたいなものをとりのぞかなければならないという、一種の覚悟のようにも見受けられるのである。
 裁判だけを撮る、しかも、この裁判には弁護ということがない、欠けている。そこで、裁判とはいうものの、裁くものと裁かれるものしかいない。そのうえ、証拠は抽象的でだれにもつかみだせない神の実話だから、しぼっていくと、ごく単純化された「対話」なのである。法廷と石廊下と牢獄だけが、なんどもくりかえされるけれども、そこにしか「対話」はないのである。対話は、それが通じあわないからはげしく高揚するのであって、通じあうためのものではない。ここに劇の発生がある。
 素人がブレッソンにとって必要欠くべからざる「俳優」でありうるのは、そういう場においてである。ストーリイの上を滑っていくためではない。ということは、この監督の頭のなかには、たぶん、人間がそういう場に立ったらかならず演じうる可能性をだれでも一回ははらんでいる、という考え方があるにちがいない。それは、演技をくりかえすということとはちがう。くりかえされぬ「場」、ここでは裁きである。この場がくりかえされぬものとなるために、映画はできあがったら、もう二度とくりかえされない、という条件とぴったり合っているのである。この両方の支柱のうえで、素人が必要になっている。
 よく言われることだが、芝居やオペラで人物が死ぬときには、ずいぶん大げさなまねをしているのであるが、それでも充分に観客を納得させることができるのは、それが様式化されているからである。この様式は映画が拒否する。しかし映画は無様式ではない。ブレッソンの映画様式は、この拒否をすこぶる潔白に拒否としてもつことからはじまっているのだと思う。
 そこで、私に興味があるのは、描写癖の削除ということもあるが、演技の一回性をたしかに手中のものとするためには、この裁判のような二者対立の矛盾が要るのである、ということである。矛盾は解決されるどころか、一本の黒く焼けた棒になって、そのまま残るだけの話である。そこで、矛盾は私たちの内面の問題になってくる。つまり、素人がはらむ表現の可能性というものは、そういう矛盾の一方にじぶんが立つということであって、だから、ある意味でいうと、俳優が失った不安を、素人は持ちうるということになるのかもしれない。これはきわめて挑戦的なことである。
 この一回性を私たちがスクリーンを通して追体験すると、映画のジャンヌ・ダルクは、けっして歴史は事件であるなどとみていないことが、判然としてくると思う。私が合せた焦点はそこにある。


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荻昌弘氏の作品分析と尾崎宏次氏のコメントから、『ジャンヌ・ダルク裁判』という映画の構造がかなり明確になってきたのだが、それによれば、この作品は英雄ジャンヌ・ダルクの一生を描いた伝記映画ではなく、文字通り、「裁判」を描いた映画であるということ、そしてその裁判とは、おそらく神学論争のようなものであろうということ(見神体験の普遍化・論証)だ。
ブレッソン映画の系譜のなかで、今までこの作品はうまく位置づけようがなかったのだが、これによってようやくブレッソンが『ジャンヌ・ダルク裁判』を撮った理由がほのみえてきたような気がする。

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テーマ:名作映画 - ジャンル:映画

  1. 2006/04/20(木) 11:24:39|
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荻昌弘氏の『ジャンヌ・ダルク裁判』分析

昨日神田をau hasard(行きあたりばったり)にふらついていたところ、ロベール・ブレッソン『ジャンヌダルク裁判』のプログラム『アートシアター』72号(1969年発行)を発見した。この号は、私が『バルタザールどこへ行く』のプログラム(『アートシアター』76号、1970年発行)を買い求めた際すでに絶版となっていたもので、それ以来、実に30数年ぶりの発見!である。
資料的に非常に貴重なもので、以下、この号から、巻頭に掲載された荻昌弘氏の作品研究の一部を抜き出して紹介したい。荻氏の研究は、『ジャンヌ・ダルク裁判』という作品をその技法と関連づけながら分析したもので、今はじめて読んで、映画の作品分析としての質の高さに感心した(ブレッソン映画の質の高さが、こうしたすぐれた作品分析を呼ぶということでもあろう)。すでに紹介済みの『バルタザールどこへ行く』についての浅沼圭司氏と品田雄吉氏の対談と合わせ、ブレッソン映画の特質がよくおわかり頂けるのではないかと思う。
(残念ながら、私は『ジャンヌ・ダルク裁判』未見。DVDも絶版で購入不可という。とりあえずは、こうした作品分析から『ジャンヌダルク裁判』に迫るしか手がなさそうだ。)

bresson-jeanne.jpg


作品研究 ジャンヌ・ダルク裁判(抜粋) 荻昌弘氏

 強く信念に生きる人間が、一筋の行為と思想をつらぬき通してゆく潔癖な純粋感は、つねに、ロベール・ブレッソン映画の、根底をなす精神である。
 「田舎司祭の日記」は病魔と中傷に堪えぬいて、魂の救済に使命をみいだしつづける青年司祭の、純白の日記であった。「抵抗」(56)では、対独レジスタンスをみずからのの使命と思いさだめたフランスの青年将校が、逮捕直後から黙々と独房のドアを削りつづけ、誰の命令でも誘いでもなく、ひとりの信念と判断で脱獄を実践してゆく。「スリ」(59)は、極度の潔癖な洗練を必要とするこの職業の技法的緊張を、徹底的な局部のつみ重ねで凝視した映画であった。ロベール・ブレッソン作品にあっては、主人公のこのような無垢の純粋感が、それを映像に凝縮してゆく作者自身の文体の簡潔さと完全に一致することによって、極度に夾雑物を蒸留しきった、独自の、白木のようなシンプリシティがうみだされるのである。
 そのブレッソン作品のなかでも、1962年の黒白スタンダード作品「ジャンヌ・ダルク裁判」は、簡潔のうちにも簡潔な秀作、と呼ばなければならないものだ。ここには、中世、絶対の権力であったカソリック教会に向って、あくまで、「自分は神の声をきいた」と”われ”の目ざめを言い張りつづける一人の少女、その少女の使命確信とそこへいたる人間的苦悩が、いっさいの余分な属性を切り捨てた形で、抽出される。おそらく70余年の映画史中、劇場用に製作されたフィーチュアで、これほど簡素な統一体へ、いっさいのぜい肉と湿気をしぼりあげ、削りぬいた劇映画はなかったのではあるまいか、と思える一時間五分である。

(中略)

 ロベール・ブレッソンは、処女作「罪の天使」(43)いらい、一作が一作ごとに、環境描写を、その映像から駆逐しつづけてきた、といわれる。その「剰余の排除」は、端的なクローズアップ芸術であった。「スリ」のあとをうけるこの「ジャンヌ・ダルク裁判」にいたって、ほとんど極限に達してしまう。局部の微細な凝視のつみあげ、が美学の基盤となっている点は、これが、「抵抗」や「スリ」と、少しも変わっていない、彼独自の特質である。ここでは、例によってカメラは、ほとんど歩むことも、首をふることさえも、やめる。移動撮影は、刑場へ運ばれるジャンヌの素足の歩み、そのほかわずかに見られる程度である。パンニングは、ジャンヌが独房へ戻り、人間的動揺と弛緩をとり戻す際、ごくしぜんに視線の動きなどにつれて行われるにすぎない。あとは徹底したフィックスショット。その硬質なモンタージュは、ただ、ヒロインが入廷するその間際だけ、ディゾルヴで和らげられるのみである。
 カメラの首が固定しているだけではない。ここでは、特に法廷を凝視する場合、カメラは、定位した人物に対する位置から角度まで固着させてしまう。判事に証言(答弁)をつづけるジャンヌは、つねに、斜右前からだけ、不動のカメラ位置でキャッチされる。裁判官たちも、陪席の僧侶も、傍聴者も、同様のフィックスである。右前から、とらえられたういういしい素人娘、フロランス・カレのジャンヌは、そのカメラの固定によって、いいようなく確信にみちみちて見え、この少女が全心全身に安定してもちつづけた慈愛を表現しつくす。そして判事の場合は、聖書のせまい解釈から故意に一歩も出ようとしない、頑なな教条主義を。
 特に重要な独自の文体は、この映画が全篇、たった一ショットもの「全景」も「遠景」も、そして人物の「大写し」も持たぬことであった。法廷の全景すらない。独房や刑場の、ひきもない。ブレッソンは、1時間5分のほとんどを、徹底的に、動きのない、ミディアム・ショットのつみ重ねだけで押通すのである。たえずジャンヌは、ミディアムで入廷し、ミディアムで毅然と判官たちの難問をきりぬけつづける。

(中略)

 そしてその正論の少女は、一日の訊問を不動の姿勢で胸張って耐えぬくと、独房のベッドで、涙に乱れる。迫ってくる処刑。近づかない救い。映画は、彼女の、この凛然たる法廷と、涙の独房とのつきることのない繰返しをループしてゆく。すべてが定位置の、同じリズムでおこなわれるこの繰返しは、映画に、さながらカノンのような、堅固な構築性をうみだしてゆくだろう。そして、その構築のはてにあるものーーそれこそがブレッソンの作品をつらぬく、いわゆる、”どうしても避けられない結末を待つ、焦慮のサスペンス”なのである。「田舎司祭の日記」を、そして「抵抗」を「スリ」を、禁欲的なまでにするどくひきしめたサスペンスフルなドラマ的前進感が、ここでも、一見まったく粘着力をもたぬショットを、目にみえぬ磁性で結びつけ、悲劇のクライマックスへ向って集約する。(以下省略)


【参照】ディゾルヴ(多重露出)[週刊シネママガジンサイト内]

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  1. 2006/04/19(水) 13:46:28|
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『東文彦 祖父石光真清からの系譜』(阿部誠)を読む

阿部誠氏の『東文彦 祖父石光真清からの系譜』(太陽書房、2005年)を読んだ。三島由紀夫の十代(15歳~18歳)の文通相手として知られる東文彦(大正9年~昭和18年)の、おそらくは初の評伝だ。
三島研究のなかで東が重要なのは、一般的には、東が三島のはじめての本格的読者・批評者であり、一緒に同人誌『赤絵』を刊行している(昭和17年7月、昭和18年6月)からなのだが、それにとどまらないことは、阿部氏の丹念な仕事によってはじめて明らかになったといってよいだろう。それは、東が三島の十代を一気に『豊穣の海』につなぐキーパーソンでもあるということだ。
『豊穣の海』が東文彦と結びつくのは、第二部『奔馬』のなかの神風連の乱のエピソードによってなのだが、その辺の経緯、阿部氏の研究によって紹介してみよう。
まず阿部氏によって明らかになったのは、三島が石光真清の『城下の人』(龍泉閣、昭和33年、同年の毎日出版文化賞受賞。なお同書は、現在中公文庫の一冊として刊行されている)を所蔵していたということ。しかもこの『城下の人』は本来四部作なのだが、三島はその第一部にあたる『城下の人』のみを所蔵していたという。それは、石光真清に対する三島の関心のあり方をも示唆しているように思われる。実は、『城下の人』のなかには、明治9年に熊本でおこった神風連の乱についての記述があり、三島はおそらくこの著作によって神風連を知り、それに関心をもつようになったと考えられる。
ところで、三島が実際に神風連を取材のために熊本を訪問するのは昭和41年のことだが、その折に三島が訪ねた荒木精之氏は、三島が神風連に関する著作をすべて読んでいることを感じたと証言しており、おそらくこの時点までには『城下の人』を読んでいたのであろう(すると、この熊本訪問で三島が直接石光真清関係者を訪ねなかったのはなぜかという疑問が生ずるが、それには、なにか別の事情があったのであろう)。
阿部氏が明らかにしているのは、この事実だけではない。以下はさらに重要な指摘なのだが、『城下の人』の最初の刊行(二松堂)は昭和18年7月で、この初版本の表紙と挿絵は当時存命中の東文彦が描いているという(東の死は同年10月)。石光真清と東文彦の血縁関係は、真清の次女・菊枝が東文彦の母であるということだが、結核で療養中の東文彦と三島は、感染のおそれから面談は数えるほどしかなく(確実なのは昭和16年2月19日の一回)、それ以外は、菊枝が三島と応対し、三島と文彦の「会話」を媒介していた。
実は、三島が東文彦と交際し、東の父・季彦の資金で同人誌『赤絵』が刊行された昭和17年~18年は、石光家(東家)にとっては、真清の手記『諜報記』刊行(昭和17年2月)、真清の死(昭和17年5月)、『城下の人』刊行(昭和18年7月)という非常に重要な時期でもあり、三島は、菊枝を通してこの一連の事実を知っていた蓋然性が非常に高い。『城下の人』も、初版刊行時のすでに読んでおり、昭和33年版は、その内容を確認するために所蔵したのであろう。

三島の全作品、なかでも十代作品およびそれと重なる東文彦の作品は、この基本的事実を踏まえたうえで読まれるべきものだと私は考える。
三島といえば、通常、同性愛と右翼思想が大きなテーマと考えられており、十代作品は、戦後、三島が本格的「文学」を志していくための習作という位置づけが多いように思う。しかしこれだけで終わるのでは、あまりにも紋切り型の読解ではないだろうか。
一方、三島の十代作品を刊行時から読んでいるといっても、たとえば奥野健男氏の『三島由紀夫伝説』(新潮社)の場合、これらの作品は時代迎合的なもので、そのため三島は戦後ただちには文壇に受け入れられなかったと位置づけられているのだが、私はこうした判断は根本的に間違っていると思う。それは三島が東文彦に宛てた書簡(現在新潮文庫から『三島由紀夫 十代書簡集』として刊行されている。ただし阿部氏によれば、書簡の配列に誤りがあるという)を読めばすぐにわかることで、三島は、通常三島の右翼的思想に強い影響を与えたとされる日本浪漫派に対しては批判的で、むしろ反時代的な小説(「ますらおぶり」に対する「たわやめぶり」の軟弱な小説)を書こうとしている。奥野氏が『三島由紀夫伝説』を執筆した時点ではこの書簡は公刊されておらず、奥野氏の見方は、三島の十代小説の多くが古代から中世を舞台にした歴史小説であることを単純に「古代回帰的」と断定した、短絡的で先入見の入ったものになっていると思う。
また、同性愛にしても、それを直接的なテーマとした作品は三島には意外に少なく、私には、十代小説よりむしろ『仮面の告白』や『禁色』の方が、直接的なスキャンダルを売り物にした時代迎合的な作品と思える。
それはさておき、十代の三島作品は、三島がほんらい展開したかった小説世界がストレートに描かれているように思え私には好感がもてるのだが、三島の不幸は、彼が小説家として生きていくことを決めた昭和20年代という時代が、戦後の混乱のなかで刺激の強い小説ばかりが求められた時代であり、戦争中(十代)に三島がめざしていた小説世界を発展していく機会がなくなってしまったことだろう。『禁色』は、同性愛の風俗を描いた作品というより、挫折した古典的小説家の話とした読んだときはじめておもしろい作品たりえると思うのだが、その挫折した小説家に、三島が、東文彦の小説の登場人物と同じ「俊輔」という名前を与えているのは興味深い。これは、戦前の三島や東がめざした小説世界に対する訣別の書としても読めるのではないだろうか。

さて、東作品そのものに関しては、三島の評(『東文彦作品集』序)があるうえに、阿部氏の詳細な分析もあるので、ここには特に記さない。
ただいえるのは、年齢的なものとその生活のほとんどが病床にあったという二つのハンディキャップから、東作品には、いわゆる「実人生」のかおりがほとんどしないということだ(そしてそれは、三島の十代作品にも共通する)。三島がいみじくも記しているように、東作品から感じられるのは「クラヴサンの音色」であり、その透明感を私は好ましいと思う。
その意味で、東文彦が長生したらどのような作家になったかおもしろいとも思うが、三島同様、東は本質的には戦後の混乱期にむいた作家ではなかったとも思う。しかしこのことは、小説家としての東の資質をおとしめるものでは少しもない。
いずれにしても、『東文彦 祖父石光真清からの系譜』刊行を機に、東文彦に関心をもつ人が出、また三島文学を違った角度から読む人が増えればいいと思っている。

なお、『東文彦 祖父石光真清からの系譜』は、太陽書房のサイトで直接注文できる。
ちなみに、今秋(10月頃)には『東文彦全集』の刊行も予定されているという。

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  1. 2006/04/08(土) 14:57:26|
  2. 文学(人と作品)
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ブレッソンとクレンペラーの対位法 2

『アートシアター』76号掲載の浅沼・品田対談にそった「ブレッソンとクレンペラーの対位法」の記事、続けてみよう。
そこでまず問題にしたいのは、①「映画をつくること自体が一種の哲学」「ブレッソンの場合、語ることと考えることが全く一致している」と、②「主知主義的な、あるいは明晰さというものは、ブレッソンの根本的な資質」という二つの指摘だ。

まず第一の指摘。
これは非常に重要な指摘で、直接的には何のために映画をつくるのかという問題とかかわってくると思うが、それをさらに普遍化すれば、芸術表現は何のために行われるのかということにもなるだろう。そしてそのように普遍化すれば、それは音楽表現(演奏)をめぐる議論としても十分通用する。
クラシック音楽の演奏では、一般的に、はじめに「曲(作品)」があって、演奏者は、作曲者が何を伝えたいのかを自分なりに分析し、その分析結果(曲に対する解釈)を演奏をとおして提示すると考えられていると思う。しかし私からすれば、ここにすでに落とし穴があるのであって、このような考え方でいくと、演奏において最も重要視されなくてはならないのは、「何を語るか」もしくは「曲の内容」ということになってくる。音楽の場合、はたして「曲の内容」と「曲の形式」とを明確に分離することができるのだろうか。
結論を急がないようにしよう。
実は、西洋音楽においては、この問題はベートーヴェンを境にして二通りの回答がありうると思う。つまり、ベートーヴェンとそれ以降の作曲家の楽曲は、ある意味で「内容(語りたいもの・伝えたいもの)」を形式に優先させ、既存の形式を破戒することでそれを実現していった。ところがそれ以前のバッハやモーツァルトの楽曲というのは、曲の直接的なメッセージ性は希薄で、それよりは形式美や形式にそって演奏する歓びを聴く人に伝えるというタイプの音楽ではないだろうか。つまり、モーツァルトとベートーヴェンのあいだに、音楽とは何か、楽曲が伝えようとするものは何かをめぐる大きな断層があるのだ。当然、その断層の前と後では、演奏(曲の伝え方)は変化せざるをえないということになる。したがって、演奏に際して内容を優先させるか、形式を優先させるかは、モーツァルト以前とベートーヴェン以降とどちらを主にして楽曲を考えるかという問題ともなろう(いったい、ベートーヴェンの第五交響曲(「運命」)や第九交響曲による「感動」と同じようなものを、何でもいい、モーツァルトの楽曲で味わうということがありうるだろうか)。
ここで非常に大ざっぱな言い方をすれば、実はベートーヴェンが本格的に活動しだした19世紀という時代は、社会全体をとおし、どう語るかよりも何を語るかが重視された時代だったと思う。音楽表現(作曲・演奏)が「内容重視」に傾いたのも、こうした社会全体の要請と無縁ではないのではないだろうか。
19世紀の末頃から、こうした社会の要請に対する疑問が登場してくる。
たとえば、クレンペラーとも親交があったストラヴィンスキーやシェーンベルクの音楽は、「どう語るか」という問題の登場と同時に、それまで全く存在しなかった新たなタイプの語りとしてスポットライトを浴びるようになった音楽ではなかったか。彼らの音楽においては、「新たな内容(思想)」はとりもなおさず「新たな形式」「新たな響き」として表現される。ドビュッシーやラヴェルをそれに加えてもいい。ストラヴィンスキーらにおいても、ベートーヴェンの時代に生じたように既存の形式は破戒されるのだが、それは、形式から切り離された超越的音楽思想を求めての破戒ではない。それは形式の破戒、新たな響きの探究がそれ自体一つの思想性をもつような、そうした種類の破戒だった。したがって、調性の破戒=音楽の身体性の破戒といった通俗的理解とは逆に、こうした運動を、音楽における身体性の回復の動きといってもいいかもしれない。バッハやモーツァルトの音楽も、こうした問題意識の登場に応じて、19世紀末から20世紀初頭に再評価され、さかんに演奏されるようになった。

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ストラヴィンスキー(左)とクレンペラー(右)<1928年、ベルリン>

要は、音楽表現(演奏)には、本来的に二つの方向性がありうるのであって、その一つは、18世紀までの音楽と20世紀の音楽がめざす、「音」に徹底的にこだわり、「音」そのものの可能性の追求として音楽をとらえるという方向で、もう一つは、19世紀音楽がめざしたような、音楽を出発点として、それをとおして何ものかを徹底的に語ろうという目的論的な方向性だ。後者においては、語り口=どう語るかは結局手段の問題でしかない。最終的には、何を語ろうとするか、その思想の高さが音楽や演奏をはかる規準となる。私は、音楽演奏における「主観主義」の実態は、こうしたところにあるのではないかと考えている。
さてここまでくれば少し書きやすいのだが、クレンペラーが音楽から排除しようとするのは、実は、主観性というよりも目的論的な考え方だと思う。彼の演奏は、けして単純な客観主義や即物主義に基づくものではない。だから私は、「映画をつくること自体が一種の哲学」「(そういう意味の哲学で問題になるのは、「何が語られたか」であって「どう語られたか」は必ずしも思想とは関係ないと考えられることが多い、内容がよければ少しくらい語り方が拙劣で、というような区別の仕方をよくやるのだけれども、)ブレッソンの場合、語ることと考えることが全く一致している」といった浅沼圭司氏の発言をクレンペラーに関してもそのまま当てはまると考えている。
つまり、クレンペラーの演奏においては、「何を語るか」「何を伝えるか」の前に、演奏スタイル、すなわち「どう伝えるか」がつねに第一の問題となるのであり、「どう伝えるか」を無視した音楽的メッセージはありえない。スタイルの追求において、クレンペラーは非常に厳しい。それは、彼の人生すべてを凝縮した厳しさだと思う。クレンペラーにとって、「語り方が拙劣である」ということは、「内容が拙劣である」ということなのだ。かくてクレンペラーの演奏では、音楽はひたすら純粋な音の戯れ(jeu)をめざしていく。しかし「戯れ」といっても、それは中途半端な生やさしいものではない。主観性であれなんであれ、その戯れを妨げるものは演奏から積極的に排除される。「感動」「共感」といった曖昧なものには、一切目もくれない。彼は、聴衆の「新鮮な」感動や共感を引き出すためにいわゆる客観的演奏を行っているのではない。もしそうだとすれば、それは主観的演奏と同様、断罪されなくてはならないだろう。演奏においてクレンペラーがめざすのは、聴衆に冷や水を浴びせかけ、第一次的な感動や共感から引き離すことなのだ(フルトヴェングラーの炎の演奏に対する氷の演奏)。この意味において、クレンペラーは、「一種の純粋主義者だろうし、音楽というものの立場からみた絶対主義者」である。
ただ、以上のような考え方をふまえたうえで考察をすすめていくと、ブレッソンの表現とクレンペラーの表現、すなわち映画と音楽の間の大きな相違も気になってくる。
それは、いわば表現の「素材」の問題なのだが、音楽は、それ自体何の意味ももたない「音」を素材とするのに対し、映画は、つねに「何か」をスクリーンに映し出さなくてはならない。「何か」を映しだした時点で、その「何か」はとある意味性をもってしまう。映画は本質的に「意味」の呪縛から逃れることのできない芸術だといっていい。そうした点において、「語り」そのものに的をしぼって表現行為を行おうとするブレッソンの出発点は、クレンペラー以上に困難だともいえる。浅沼氏が引用する、「映画というものは何ものかの写真ではない、”ものそのもの”なんだ」というブレッソン発言は、この観点から、もっとつきつめられなくてはならない。
逆にクレンペラーの場合、クレンペラーのめざす方向性が音楽表現の二つの方向性の一つであるということは、これだけではクレンペラーの演奏を評価する決め手にはならないことを意味する。
(私がここまで書いてきたことを、音楽演奏に関して至極当然のこととして読まれた方もいると思うが、「音楽界」では、この当然のことが当然として受け止められていないため、クレンペラーの評価は非常に低い。世の多くの音楽評は、クレンペラーに目的論的な演奏を求め、それがまったく見当たらないからといって、クレンペラーは「大味」「ぼんくら」と評される。)
問題の所在がようやく見えてきたようだ。対位法を続けよう。

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  1. 2006/04/02(日) 16:00:55|
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