le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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後期ハイデガーの思想ーー『存在論的、郵便的』から

浄土仏教やイスラームの思想を「暗号」や「根源的コミュニケーション」の位相からとらえるには、それらを脱宗教化して言説のレベルをずらしていくという戦略もある意味で有効かもしれません。以下、それに必要な範囲で、東浩紀氏の『存在論的、郵便的ーージャック・デリダについて』(新潮社、1998年)の要文を抜き出してみます。浄土仏教、イスラームという文脈のなかでは見えにくかった要素が、東氏のテクストと照合することによって見えてくるという部分もあるのではないでしょうか。
ちなみに、この『存在論的、郵便的』という著作は、「伝達(郵便)」を大きな主題の一つとしており、伝達の問題を存在論とからめようというのが東氏の戦略だと思いますが、そこでは、「通常、テクストはとある意図・意味を伝えるものであり、その伝えられた意図・意味からテクストのオリジナリティーが判断されるが、正確に伝えられるものにオリジナリティーはない。そうではなくて、テクストが伝えられるときに誤配や配送ミスによって差し戻されたり伝達過程で消えていくメッセージがあり、その誤配等にこそオリジナリティーがあるのだ」と主張されていると私は考えています。今回この著作を部分的に読みかえしてみて、「痕跡」という概念が、言い得て妙というか、非常におもしろかったです。
ところで、この抜き書きは、大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』(法蔵館、1990年)に対するより直接的な註をもめざしています。後記ハイデガーをキー・ワード(キー・パーソン)にして、『親鸞のコスモロジー』と『存在論的、郵便的』は図らざる連関を示しているのではないかと私には思えるのです。

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「後期ハイデガーは言語のみに、それもギリシア語とドイツ語を中心とする特定の語彙の解釈のみに依存して思考を進める。これは通常、哲学の神秘思想化、あるいは解釈学化(あわせればカバラ化)と見なされている。」(東氏上掲書238頁)

「ハイデガーはフッサールから出発した。後者の現象学は、カントの超越論哲学を継承し採用している。超越論的自我(メタ)が意識的相関者(オブジェクト)を構成するという現象学の主張、いわゆる「ノエシス-ノエマ構造」は形式的には、論理形式(メタ)が世界=思考の底面の安定を要請する。」(同書239-41頁)

「では前期ハイデガーはどうか。前述したように、彼のシステムは二レヴェルの短絡から成立している。その短絡回路を以下「クラインの管」と呼ぶことにしよう。その存在は声(フォネー)の機能、メタとオブジェクトの峻別を犯す。第三章でも触れたように、『存在と時間』はこの機能侵犯に「呼び声 Ruf」という音声的隠喩を当てている。呼び声(ルフ)は私の外から到来するものではない。それは「私の中からしかも私を超えて aus mir und doch uber mich」響く。そしてその声こそが「現存在の本来的な存在可能」を、つまり「客体的存在者の『事実性』からは本質的に区別されるべき」「実存性」を開示する。呼び声(ルフ)が実存論的構造を可能にする。私たちはこのハイデガーの主張を、今度はクラインの壺の安定化装置について語られたものと解釈できるだろう。(中略)私たちは以下このシステムを、やはり前二章にしたがい「否定神学システム」と呼ぶことにしよう。」(同書241-2頁)

「30年代のハイデガーはそこからの前進を図る。それが転回(ケーレ)と呼ばれる。ではどのように前進したか。呼び声(ルフ)の由来が現存在内部に求められないとすれば、それは外部から侵入したと考えられるほかない。したがって転回(ケーレ)後のハイデガーは、超越論的シニフィアンの循環運動ではなく、その到来の局面を問題とする。私たちはこの変化を隠喩的には、超越論的シニフィアンを指示する語が「呼び声(ルフ)」から「存在の声(シュティンメ)」へ移動したことに確認できる。所有者が不明だった呼び声(ルフ)と異なり、「存在の声」はまさに「存在」の声として聞かれる。つまりその聴取において、現存在ははっきりと受動的位置に置かれる(後期ハイデガーにおいては、「聞くこと horen)」は一般に「隷従・所属 horig, gehoren」を意味する)。そしてこの論理的変化に伴って、「存在」の含意もまた前期とは微妙に異なっていく。それはもはや単なる思考の限界、「不可能なるもの」を指示するひとつの語ではない。後期ハイデガーにおいては「存在」はむしろ、現存在が耳を傾け従う声、否定神学システムを安定化させる超越論的シンフィアンの発信源(Ursprung)の名として機能する。例えば『「ヒューマニズム」について』のドイツ語は、つぎのように記している。「Dass aber das Da […] sich ereignet, ist die Schickung des Seins selbst」。意訳すればこうだ。Daの性起、すなわちクラインの壺の底面の成立可能性は、「存在そのもの」から送付(schicken)される。現存在はその受信者に過ぎない。したがってそこでは、哲学の目的も変わってしまう。哲学はいまや実存論的構造ではなく、実存そのものの成立可能性の根拠=発信源を問わなければならない。そして「Als das horend dem Sein gehorende ist das Denken, was es nach Wesensherkunft ist.」。存在の声に耳を傾け、そこに所属したときはじめて、思考は自分がどこから到来したかを考えることができる。」(同書245-6頁)

「46年の「アナクシマンドロスの箴言」は、つぎのように記している。「to chreonは、存在者の存在を思考が言葉へともたらした最古の名である」。「言葉は存在の現成するものを名付けるため、ある唯一な、それしかない唯一の語を発見せねばならない」。「存在の存在者に対する区別は[…]、存在がそこに到来する言葉のなかで保持され続けるような、ある痕跡を刻印する[…]そしてそのときのみ、その区別は忘却された区別として経験に入ることができる」。ハイデガーの主張はこうだ。まず最初に「存在」は、つまり声(シュティンメ)の発信源はなんらかの語で命名されねばならない。そしてその語は命名の力を痕跡として(声として)保持する。哲学はその痕跡を手がかりにしてはじめて、存在者の領域を超え「存在」そのものへと遡行できるだろう。この規定は具体的には、ハイデガーが各々の哲学用語(例えばchreon)を一種の固有名として読解していることを意味する。そしてこの含意は、50年代のテクストではさらに明確になっている。「人間存在の二重襞への関わりにおいて、支配的でありかつ支持的なものは言葉である」。呼び声(ルフ)=声(シュティンメ)は、言語を介してのみ現存在に到達する。したがって「語は物でも存在者でもない。[…]詩人の経験に従っても、また思考の最古の伝承[Uberlieferung]に従っても、語は存在を与えるものだ」(Unterwegs zur Sprache<言葉への途上>)」(同書247-8頁)

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  1. 2006/08/30(水) 09:31:36|
  2. 哲学
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「暗号」を解読する能力

直前の記事では、親鸞の超越者観、言語観と比較するために、井筒俊彦氏の論考からイスラームにおける超越者観、言語観の一端をみてみました。私は、井筒氏のいう「暗号」というのは、啓示、もしくは超越者とのコミュニケーションを考えるうえで、非常におもしろい概念だと思います。つまり、「暗号」というのは、直接は理解できないという面とあるプロセスを通過することで理解可能となるという面との、二つの側面をもっているのですね。と同時に、「暗号」が送られてきた瞬間に、それがなんらかのシグナルなのか、それともただのでたらめな雑音なのか、受信者が(直観的に)みわけないと、暗号解読のプロセスには移行できない。受信者が暗号とただの雑音を受信時にみわけているとすると、暗号というのは単なる雑音とは異なるなんらかの特徴をもっているか、受信者がそうした特殊能力をもっているかいずれかでなくてはなりません。イスラームの場合後者の見解に近く、暗号解読者は預言者と呼ばれ、その「解」は絶対です。
浄土仏教の場合、送信者である阿弥陀仏の側に特殊性・超越性を認め、原則的には、その発する慈悲の信号(暗号)は誰でも受信可能・解読可能とされます。とすれば、信号そのものがある特徴をもっているという考え方に近いのではないかと思いますが、その辺のところは、教理的には明確ではありません。ただいずれにしても、阿弥陀仏が発した信号(本願招喚の勅命)をそれとして理解するためには、受信者にも、最終的にある能力もしくは感受性のようなものが必要とされるのではないでしょうか。そしてその能力は、自分で開発する(自力)ことはできず、超越者の善意に待つしかない(他力)ということなのだろうと思います。
とすればどうしても、(理論的には)阿弥陀仏が送っている信号を信号として受信できない人の存在を考えなくてはならない。浄土仏教の教えは普遍的、実行が容易とは一般にいわれることですが、以上のような点をつきつめていくと、ぎりぎりのところで、それは、無差別にすべての人を救済するものではないと考えるべきではないでしょうか。
この問題点を非常に明確に指摘しているのが伊藤益氏ですね。『歎異抄』第十一条の分析
「誓願と名号」のなかで、伊藤氏は次のように述べています。
「親鸞は、不信者の救済を徹底して否定しているといわざるをえない。自己存在にまつわる根源的な悪性に苦悩する凡愚、煩悩を捨て切れずにこまでも現世に執着する人間は、弥陀の本願を疑わないかぎり、その本願の対象となりうる。だが、本願を疑い、念仏の教えを謗る者は、永遠に救われない、と親鸞は断ずる。親鸞は、弥陀ないしは仏法を信じない者までもが、仏の慈悲の心によって救われるという考えとは、終始無縁であった。」(『歎異抄論究』、北樹出版、2003年、198頁)

ところで、こうした言い方をすると顔をしかめる人もいるかもしれませんが、親鸞における「ナムアミダブツ」というのも、最初は一種の暗号として彼に体験され、次にそれが阿弥陀仏の本願ないしは慈悲を示す言葉として、親鸞の内部で位相を転換していったのではないでしょうか。その位相転換を自分自身で体験しているので、親鸞にはある種の「強さ」があるのだと思います。
しかしその転換を体験することなく、結果としての「解」だけを教説として与えられても、一般の人はなかなか信仰に入ることができないのですね。鎌倉時代に法然や親鸞の周囲にいた民衆のなかに生じたとまどい(「南無阿弥陀仏」ととなえるだけでほんとうに往生できるのか)や教団の分裂というのは、そうした構造的なところから生じたのではないかと私は思います。また、『選択集』(法然)や『教行信証』(親鸞)から浄土仏教の思想を読みとるということの難しさも、そうしたところにあるのではないでしょうか。

そうしたなかで、大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』(法蔵館、1990年)は、親鸞の内面にまで踏み込んで、思想・信仰が生まれる瞬間を明らかにしようとしたすぐれた著作ではないかと、私は思います。

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  1. 2006/08/27(日) 13:40:02|
  2. 仏教史&仏教思想
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宗教言語論ーーイスラームの場合 その2

イスラームにおける神的コミュニケーションについての井筒俊彦氏の考え方、「言語現象としての「啓示」」(『超越のことばーーイスラーム・ユダヤ神学における神と人』<岩波書店、1991年>所収)から補足しておきます。

「「不可視界」の「濃霧」の奥から、神の声が聞こえてくる。神の声、神のコトバ。ヤスパース的な表現を借りるなら、神が人間に向かって「暗号」を送ってくるのだ。声は聞こえるけれども、神の姿は見えない。「啓示」は『コーラン』においては、神の自己顕示、自己開顕ではない。神は絶対に自己を直接人に開顕しない。ただ「暗号」を送ってくるだけである。(中略)
 「暗号」とは、その意味指示対象が、直接にそのままでは、わからないような性質の記号である。だから、言語的であれ非言語的であれ、「暗号」は解読されなければならない。正しく解読された場合、『コーラン』における神の言語的「暗号」は、例外なく、人間に一定の宗教的・倫理的義務を課するものとして了解される。つまり人間は、神のコトバ(「啓示」)を正しく了解することによって、神にたいして「責任を負わされた存在」(mukallaf)となるのである。そして勿論、第一次的に神にたいして「責任を負う」人は、同時に、第二次的に、神によって制定された社会、共同体、の中に生きる他の全ての人にたいして「責任を負う」者となる。「啓示」に基づく宗教としてのイスラームの律法性はここに由来する。そしてまた、人間の倫理的な性格も。(中略)「啓示」を通じてこのような事態が成立するということそれ自体から我々は、イスラームにおける「啓示」の本質的機能がいかなるものであるかを知ることができる。他の宗教、特にいわゆる密儀宗教などによく見られるような秘儀開顕的な事態はここには全く見られない。イスラームにおける「啓示」の機能は、「隠れた神」の秘儀、玄義を開示するところにあるのではない。「啓示」は人間に一定の宗教的・倫理的義務を課し、「責任を負わせる」(taklif)ことをもって第一次的機能とするのである。
『コーラン』的世界像において、神は「記号」発信者である。神は、人間に向かって、絶えず「記号」を送ってくる。それらの神的「記号」の多くは「暗号」である。意味指示対象が、そのまま直接には判然としない「記号」を「暗号」という、そのことは前に書いた。無論、なかには意味がそのままはっきりわかるような普通の「記号」もたくさんある。これら二種の神的「記号」を一括して、『コーラン』では「アーヤ」(ayah,複数ayat)と呼ぶ。字義どおり訳せば「徴<しるし>」(表徴)。『コーラン』における最も重要な鍵言葉の一つである。神が人間に「徴」を示すことをtanzil al-ayatという。「タンジール」とは、一般的用法としては、何かを下に向かって降ろすこと。従ってtanzil al-ayatは、「徴を下す」という意味。つまり、「不可視界」(上)から「可視界」(下)に向かっての「記号」送出であって、これが現代風に言えば、神から人間へのコミュニケーションである。しかもこのコミュニケーションは、不断に行われているゆえに、結局、我々の経験的世界は「アーヤ」に満ちた場所、神的「記号」の世界、と考えられなければならない。この世界に存在するかぎりの全ての物、そこに起こるかぎりの一切の事、全存在世界が「記号」的性格を帯びる。存在は、第一義的に「記号」であるということ、それが存在にたいする『コーラン』の最も根本的な見方である。
 「不可視界」から「可視界」に向けて送られてくる神的「記号」は、先にも一言したとおり、言語的、非言語的、の二種に分れる。ひとしく「アーヤ」と呼ばれ、ひとしく神の下す「記号」ないし「暗号」とされてはいるが、言語的「記号」と非言語的「記号」との間には根本的な相違がある。
 存在を神的「記号」と同定する『コーラン』的存在論について、私が上に述べたことは、実は非言語的「記号」のレベルで成立する事態なのであって、言語的「記号」には全く当てはまらない。普通、我々が、べつに特別の意義をもたない客観的事物と見なしているものを、全て、神から送られてくる「記号」であると見ること、あるいは我々がそれに気付くこと、そこに存在の非言語的「記号」性の根拠があるのであって、いったんそういう意識の立場に立てば、この世の一切の事物事象が、神的「記号」となるのである。
「我ら[神]は彼らに我らの徴を示すであろう。遠い空の彼方にも、また彼ら自身の内部にも。やがていつの日か、彼らにも、これが真理だということがわかるであろう」(『コーラン』41.53)。「遠い空の彼方」とは、狭義では天空、天体、星辰、広い意味では自然界。「彼ら自身の内部」とは人間の意識の領域に生起するあらゆる内面的動き。要するに外界、内界、一切の存在現象が神的「記号」である、あるいは、神的「記号」として見られなければならない、ということだ。人間の歴史に起こる事件が、全てまた神的「記号」であることは言うまでもない。すなわち、世界は無数の神的「記号」の空間的広がり、歴史は無数の神的「記号」の時間的連なり、ということである。
 神が人間に向かって発信する非言語的「記号」には、二つの大きな特徴がある。その一つは、「記号」の意味的に指示する領域が、明確な境界線をもたず、従って、ごく例外的な場合を除いて、それが何を意味するかを、厳密に同定することができない、ということ。例えば、これこれの歴史的事件は、神の怒り、神の復讐を示すとか、またこれこれの事物の存在は神の愛、神の慈悲を示すとかいうふうに、漠然としたものばかりである。これが第一の特徴。
 非言語的「記号」の第二の特徴は、それが原則的には全ての人に開かれている、ということ。つまり、そうしようと思いさえすれば、誰でもそれを神の「記号」として認知できる、べつに特別の認識能力が必要とされるわけではない、ということである。
「ものを正常に考えることのできる人なら、誰でもわかるはずだ」と、この種の「記号」に関して『コーラン』は絶えず繰り返している。」(上掲書、7-11頁)

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あえて私見を記せば、「この世界に存在するかぎりの全ての物、そこに起こるかぎりの一切の事、全存在世界が「記号」的性格を帯びる。存在は、第一義的に「記号」である」という視覚において、イスラームは真言密教に通底しているのではないかという気がします。
それはそれとして、「本願の海鳴り」(大峯顯氏)という現象、もしくは比喩的表現を、私は生理学的な方向からではなく、世界における記号(暗号)の遍在の問題という観点からとらえてみたいと思っています。つまり、人間意識が介在する前に、世界にはまずとある「海鳴り」が暗号もしくは絶対的シニフィアンとして遍在している、という世界のあり方の問題として。イスラーム的には、そこに人間が登場してきて、その段階で暗号の「解読」がはじまるわけですけど(人間は記号を読みとろうとする存在?)、一般的にいえば、その暗号が解読されるか解読されないか、もしくは誤解・誤読されるかは、さほど重要な問題ではないのではないでしょうか。つまり、私には、「解」もしくは「意味」という現象そのものが相対的なものなのではないかと思えますから(ただし、イスラームにおいては、預言者の「解」すなわち『コーラン』は絶対です)。
ここで私の思念のなかに浮上してくるのは「音楽」というモデルなんですけれど、音楽というものには、現象としての表現行為(記号、文法)はあるけれど、その「解」とか「意味」というのは、当の音楽にとって本質的に無意義ではないかと思うのです。つまり、音楽というのは自己完結的な「ありてあるもの」「記号の戯れ(jeu)」ではないか、と。ベートーヴェンの「田園交響曲」のような例外を除けば、多くの場合、音楽を愉しむというのは、それを「意味」に還元して意味を味わうことではなく、記号の戯れを戯れそのものとして愉しんでいるわけです。なんというか、世界が記号や表現意志に充ち充ちているということ、そのものを愉しんでいる。
いずれにしても、世界そのものが記号の集合であるという認識ですね。これがイスラームの根底にあるというのは、啓示という問題を考えていくうえでとても重要なことではないかと思います。
この辺のところをもっとつきつめていくと、人間が語るのではなく「言葉が語る」(ハイデガー)という表現・認識がでてくるように思えるのです。

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  1. 2006/08/25(金) 14:49:48|
  2. 哲学
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宗教言語論ーーイスラームの場合 その1

このブログでは、このところずっと浄土仏教(主として親鸞の思想)についていろいろ考察してきましたが、考察をさらに先にすすめるため、この辺で少し視点を変え、浄土仏教とは違ったタイプの啓示宗教における言語コミュニケーションの問題をとりあげてみましょう。私が問題にしたいのは、井筒俊彦氏の神と預言者との間の「啓示(コミュニケーション)」に関する記述です。

井筒俊彦氏の論考「言語現象としての「啓示」」(『超越のことばーーイスラーム・ユダヤ神学における神と人』所収、岩波書店、1991年)は、端的にいえば神の啓示はどのようなかたちで預言者(ムハンマド)に下ったか、その啓示が下ったとき、預言者はなぜそれが啓示であると了解できたのかを追求した論考だと思いますが、この問題、ある意味で、浄土仏教でいう「如来より賜はりたる信心」にも通じる部分があるのではないでしょうか。
具体的に、井筒氏の文章を読んでみましょう。
「「預言者」の妻アーイシャに遡る一つの有名な「聖伝集(ハディース)」がある。ある時、ある人がムハンマドに訊ねた、「神の使徒よ、啓示はどんなふうにして貴方に下るのですか」と。この問いにたいして、ムハンマドは、こう答えたという、「[啓示の下り方はいろいろだ]。ある場合には、それは鈴がジャラジャラいう音のように(mithla salsalati al-jaras)やって来る。私にとっては、これが一番苦しい啓示の下り方だ。やがて、鈴の音は私を放して遠ざかる。そのとき、ふと気がつくと、神が私に語ろうとしたことが、この鈴の音から私に了解されていたことを私は意識する。」
 この文章には、ある顕著な文法的特徴がある。すなわち、鈴の音が去ったとたん、ふと気がつくと、神のこころを「私は[すでに]了解していた(wa'aitu)のだ」というふうに、了解するという動詞が文法的に、いわゆる完了形で言われていることである。この文法的事実が何を示唆しているか、については、イブン・ハルドゥーンの鋭い洞察がある。第一に、「私は了解していた」という文の「了解」とは言語的了解である、ということを注意する必要がある。そして、それよりもっとはるかに重要なことは、この「言語的了解」の裏の意味として、「啓示」を実際に受けつつあった現場では、ムハンマドは、ただ奇妙な金属性の音を聞いていただけであって、有意味的なコトバは全然聞いていなかった、ということである。「啓示」体験の現場で、彼の耳に響いていたのは、意味のわからない不分明な音(dawi)だけ。だが、「啓示」が終了して、日常的意識のレベルに戻った瞬間、彼は、自分の聞いていた異様な音が、明瞭に分節された有意味語の連鎖であったことに、ふと気づくのである。
 ついでながら、「鈴のジャラジャラいう音のように」(mithla salsalati al-jaras)という表現は、実は、絶対に確実というわけではない。最後の語al-jaras(「鈴」)は、別の伝承ではal-jarsである。とすれば、ムハンマドの聞いたものは「鈴の音」ではなくて、「何やら低い、わけのわからぬ音」であったことになる。そのほか、「何か金属を叩く音」とも、「鳥の羽搏きのような音」とも伝えられている。が、いずれにしても根本的な意味は変わらない。要するに、「啓示」そのものは非言語的な音であり、それが消えたとたん、いわば自動的に言語記号に翻訳されている、ということである。」(上掲書36-7頁)


「鈴のジャラジャラいう音のように」というと、なにかとても即物的な感じがしますが、結局これは、浄土仏教でいう「本願の海鳴り」(大峯顯氏)にとても近い現象なのではないでしょうか。法然や親鸞が阿弥陀仏の本願(勅命)を聞いたとき、それはまず、意味がどうのこうのというより、ナムアミダブツナムアミダブツという音の連なり、ようするに「海鳴り」として聞こえた。しかしその海鳴りが聞こえたとき、法然や親鸞は、そこに阿弥陀仏からの呼びかけを感じ、その呼びかけに従おうと思ったということじゃないかと。ナムアミダブツという「音」に対する意味づけ(教理)は、ムハンマドの場合がそうであったように、あとから来るのではないかと私には思えるのです。

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  1. 2006/08/24(木) 13:13:14|
  2. 哲学
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伊藤益氏『親鸞ーー悪の思想』『歎異抄論究』を読むーーその2

直前の記事を前提として、『歎異抄論究』のなかから、伊藤益氏の『歎異抄』の読みの要点と思われる箇所を、私見により抜き出してみましょう。

まずは第六条(本書第七章「単独者の自覚」)。
「信心の媒介者(師)は、信心の主体(弟子)に対して、弥陀をめぐる教説の概要を手ほどきすることができる。弥陀とは何か、弥陀の本願とは何か、それを信じるということはいかなる事態なのか、といった事柄を媒介者は主体に対して事細かに教授することができるだろう。だが、信心は、それによって十全な形で成り立つわけではない。事細かな教授によって、主体の側が、信心の本質についてその細部を熟知したとしても、それは信心が確立されたこととは別次元の事柄でしかない。ある人は、信心の内容をだれよりも詳しく理解している。しかし、彼自身はいまだに信心を有するものとはなっていない。そういう事態が生起しうることは、ことさらに現実に例を求める必要もないほどに歴然としている。信心について知を得た者が、真の信心へと立ち至るには、単なる知識の次元を一挙に超え出るいわば精神の「跳躍」がなければならない。主体を跳躍へと導くことは、もはや媒介者の権能を超えている。それは、弥陀と主体とが直接に対向する場面でしか果たされない。親鸞は、このことを理解していたのではなかったか。そして、その理解を、「親鸞は弟子一人も持たず候ふ」という言説によって表出したように見うけられる。」(本書134頁)

次に第十条(本書第十一章「念仏の本義」)。
「親鸞の考えでは、念仏とは、「如来より賜はりたる信心」(歎異抄第六条)のゆえに弥陀の懐に掻き抱かれた者が、弥陀のもよおしに与ってとなえるものであった。それは、行者と弥陀とをつなぐ媒介などではない。行者が念仏を媒介として弥陀につながるというような、念仏を救済の手段と見る発想は、親鸞からもっとも遠い地点で成り立つ。親鸞にとって、念仏は、弥陀の意志の直裁の具現であり、人がとなえる念仏のなかに弥陀が現成するというのが、彼の念仏観の根底をなす基本的な思考であったと見てよいであろう。いいかえれば、親鸞にとって、念仏は弥陀そのものであった。弥陀そのものである念仏が、行者の意図によって作意されるとするのは、論理的に見て、とうてい成立しがたい考えかたである。親鸞にとって、念仏とは弥陀そのもののわが肉体の口をとおしての立ち現われであり、それは弥陀自身のむ「はからひ」以外の何ものでもなかった。」(本書175-6頁)
「念仏とは、「南無阿弥陀仏」あるいは「帰命尽十方無碍光如来」ととなえることにほかならない。となえられる名号は、字面を辿ってゆけばおのずからにその意味が判然としてくるから、人間知の範囲内で十分に意味を担うことばと見てよいかもしれない。しかし、それはもともと、弥陀が人知を絶する権能のもとに紡ぎ出したことばであり、人間的世界の論理によって割り切れるものではない。「南無阿弥陀仏」ととなえることが、なぜとなえる者が弥陀の大慈悲に摂め取られて浄土へと救済されることにただちにつながるのか、人間の知はそれを日常的思考の論理によって解き明かすことができない。その意味で、念仏は、通常のことばを超えた「ことば」であるといわざるをえない。その日常性を超絶した絶対的な「ことば」は、本来、人間のことばではいい表わせないはずである。わたしたちは、それをただ仮初めに、「南無阿弥陀仏」あるいは「帰命尽十方無碍光如来」と称しているにすぎない。すなわち、念仏とは、その本義を弥陀の視点に立ってあらわにしようとするとき、本質的にいい表わしえないものとして、仮の姿をとってわたしたちの許に立ちあらわれるものだといえよう。親鸞は、おそらく、そのように考えていた。そうした観点に立って、彼は、念仏を「不可称」ととらえたのであろう。
 親鸞によれば、念仏は、通常のことばを超えた「ことば」であり、本来的に弥陀自身に属する。弥陀はその「ことば」をとおして、わたしたち凡愚の内面に現成する。弥陀は「ことば」であり、「ことば」は弥陀であるといってもよいであろう。それはしかし、本性的に限界づけられた人間の知性にとって、いい表わすことも、説き明かすことも、思慮分別を以てとらえることもできないものであった。そして、それは、人間の知性を超えるがゆえに、人間の意志的かつ主体的な作意の対象とはなりえない。それゆえ、念仏は、「無義をもつて義とす」るということになる。」(本書177-8頁)


最後に流罪記録(本書第二十二章「積年の怨恨」)。伊藤氏の『歎異抄』論の結びです。
「怨恨や憎悪、あるいは憤怒を人は煩悩と呼ぶかもしれない。もし、そうした情念が煩悩であるとすれば、親鸞は、生涯煩悩から脱却しきれなかった人物だったといっても誤りではないであろう。親鸞は、彼の教説に随順する人々から「聖人」と呼ばれる。聖人が、煩悩を完全に払拭した人格を指すとすれば、厳密には親鸞は聖人の名に値する人物ではなかったというべきであろう。しかし、親鸞が信じた浄土真宗は、煩悩から脱却し切った聖なる人間の宗教だったろうか。それは、煩悩を捨てきれない人間、すなわち煩悩具足の凡愚の救済を求める宗教ではなかったか。だとすれば、怨恨や憎悪、あるいは憤怒を抱懐し続けた親鸞が煩悩の徒にほかならなかったとしても、それはけっして矛盾ではない。ただし、親鸞は、煩悩にとらわれ続ける自己を無批判に肯定していたわけではなかった。彼は、権力に対して怨恨と憎悪を保ち続ける自己を、彼が根源悪ゆえの無力を噛み締める衆生に対して差し向けたのと同様の、悲しみの眼差しを以て見つめていた。唯円は、その眼差しが、眼光の鋭さと同時に、心底に染み入るような切なさを湛えていることに気づいていた。唯円を師への絶対的な随順へと奔らせ、ひいては歎異抄という今日なお人々の実存的心性をうつ書物を書かせたものは、実はこの気づきではなかったか。」(本書314-5頁)

他に、伊藤氏は、「親鸞思想の核心は、往相・還相二種廻向の実践にある」(本書185頁)とも指摘していますが、『歎異抄論究』全体の叙述の流れとしては、「悪性をつきつめる」という視点が強く、往相・還相二種廻向の実践がなぜ親鸞思想の核心といえるのか、少なくとも私は、伊藤氏の記述から十分読みとることができませんでした。

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ちなみに、『歎異抄論究』をとおして『歎異抄』を再読して、個人的には後序のなかの次の箇所に目がとまりました。
それは、「善信(親鸞)が信心も、聖人(法然)の御信心も、ひとつなり」という言葉と、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」という言葉が、矛盾を感じさせることなく一つの文脈に収まっているということです。浄土信仰の難しさというのは、この普遍であると同時に個的であるという点に集約されているのではないでしょうか。

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[伊藤益氏『親鸞ーー悪の思想』『歎異抄論究』を読むーーその2]の続きを読む

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  1. 2006/08/23(水) 09:46:47|
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伊藤益氏『親鸞ーー悪の思想』『歎異抄論究』を読むーーその1

伊藤益氏の『親鸞ーー悪の思想』(集英社<集英社新書>、2001年、以下では『親鸞』と略す)を読み、その勢いで『歎異抄論究』(北樹出版、2003年)を再読しました。

まずは『歎異抄論究』の「後記」から、伊藤氏の親鸞観を概観しておきましょう。
「一般に、親鸞の教えは他力の教えであるといわれる。けっして誤りではない。しかし、もしこの一般的な解釈が、親鸞思想を、他力か自力かという問題を他のすべての問題に優先させるものと見る理解を示すとすれば、そこには思想解釈として看過できない誤謬があるといわざるをえない。なぜ誤りなのかは、歎異抄を丹念に読めば瞭然としてくる。この書は、他力という精神の様態が、親鸞の思索の前提ではなくむしろその結果であったことを確示しているからである。親鸞は、何よりもまず、人間存在の根本構造を直視し、そこに不可避的な悪性が根源的なものとして巣くうことを確認した。そのとき、親鸞は、人間的能力の無力を実感せざるをえなかった。親鸞を他力の思想へと導いたものは、この実感である。人間的能力の無力を実感せざるをえなかった。親鸞を他力の思想へと導いたものは、この実感である。悪ゆえの無力を抱えた人間が、独力で救済者たる超越者を信じることができるとすれば、それはほかならぬその「信」が超越者の側から与えられる場合にかぎられる。親鸞はそのように考えるがゆえに、苦渋に満ちた思索の結果として、他力の思想を選び取ったのだった。」(同書317頁)
この人間構造に不可避的な悪性をつきつめるということが、伊藤氏の親鸞論の根底にあるのではないでしょうか。

にもかかわらず、『親鸞』と『歎異抄論究』の叙述には「転回」とも呼べるような大きな断絶があり、伊藤氏の苦悶のあとがうかがえます。
それはなぜでしょう。『親鸞』刊行と同時期に平雅行氏の『親鸞とその時代』(法蔵館、2001年)が刊行され、伊藤氏は、平氏が主張する「悪人正機説は親鸞オリジナルではない」という説と対峙し、最終的に、「史料の綿密な検討に基づいて展開されたこの論を無視することはできない」(『歎異抄論究』72頁)と、平氏の説を受け容れたためではないでしょうか。それによって、「悪」を中心に旋回する『親鸞』の議論は全面的に変更を余儀なくされ、伊藤氏は、新たな視覚から親鸞像を組み立てる必要を感じたのではないかと私には思われます。
しかしもともと、伊藤氏の悪人正機説に関するテクスト解釈(=『歎異抄』第三条の読み)と平氏のそれは非常に近いところにあったようにも思われます。
つまり、「『歎異抄』の悪人正機の説をめぐる従来のすべての解釈は、「悪」を道徳的・倫理的悪と解してきたといっても過言ではない。(中略)だが、もし、悪人正機の説にいう「悪」が道徳的・倫理的悪ではなく、別の種類の悪をさすとすれば、事態は一変する。たとえば、それが、人間が「いま」「ここ」に在るということの根本にかかわる悪、すなわち「存在論的悪」であるとすればどうだろうか。その場合、親鸞は、人間が在るということそれ自体を「悪」と見定めていることになり、そうした視点からは、具体的行為のいかんを問わず、道徳性・倫理性とは無関係な次元で、すべての人間が「悪人」以上の何ものでもないという認識論が導かれる」(『親鸞』77頁)という伊藤氏の解釈と、「親鸞は言います。「さるべき業縁の催さば、いかなる振る舞いもすべし」。自分という人間が、いかに恐ろしい可能性を秘めた存在であるかを見抜いた言葉です。心やさしき兄、親孝行で家族思いの息子や、実直で木訥な夫や父親たちが、虐殺者に豹変して蛮行をかさねることなど、珍しい話ではありません。そして彼らにできたことなら、私にできないはずがありません。私は状況次第で、どのようなことでもやりかねない人間なのです。だから、私たちはすべて悪人たらざるを得ない、と親鸞は語っているのです。」(『親鸞とその時代』143-4頁)という平氏の解釈は、ともに、親鸞が考えるところでは(末世に生きる)すべての人間が悪人である(善人は存在しない)という点で共通しており、それゆえ伊藤氏は、平説から深刻な影響を受けたのだと思います。
ただし、『歎異抄論究』の悪人論は、その影響の克服が未だ不十分で、伊藤氏は、「悪」にかわる親鸞思想の中心テーマを探りあぐねているという感じが私にはします。

ところで、大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』(法蔵館、1990年)に対する、伊藤氏の高い評価は、この転回のプロセスのなかからでてきたのではないでしょうか。
伊藤氏はもともと、『親鸞』のなかでも『親鸞のコスモロジー』をとりあげているのですが、そこでは、「教説を受け継ぐ伝統がそのままただちに教説の正当性を保証するわけではないことは、誰の目にも歴然としている。大峯顯氏の宗教的言語論(『親鸞のコスモロジー』など)を敷衍するならば、この部分に、人間が「ことば」を語るのではなく、「ことば」が人間をとおして語るという発想をみとめることができるかもしれない。いわば「存在のすみか」(ハイデガー)ともいうべき、「ことば」が、先師たちの身に宿り、それが絶対に正しいものとして、自分にも呼びかけている。親鸞は、そう考えていたのだろうか。大峯氏の理解に添ってそうとでも解釈しないかぎり、法統の正統性から自説の正当性を導く親鸞の思考を論理的に説明づけることはできないように見える。しかし、すくなくとも『歎異抄』の文脈は、「ことば」が、人間をとおして、あるいは、人間において語るという発想が親鸞にあったということを明確に示すものではない。大峯氏の理解に即して親鸞の真意をとらえる途は、平坦ではないというべきだろう」(『親鸞』32-3頁)と、留保付きの紹介に留まっています。
それが『歎異抄論究』では、次のように変化します。
「この点に関して留意すべきは、大峯顯『親鸞のコスモロジー』が展開する宗教言語論である。それによれば、親鸞は、法統の連綿たる持続性をその内部から支える人格性に信憑を寄せているのではなく、むしろ、法統のなかで各々の人格性において開示される「ことば」に信を置いているのだ、という。すなわち、親鸞は、ある具体的なことばが弥陀や釈尊、あるいは善導、法然によって語られたがゆえに正しいといっているのではない。決定的な真実性に蔽い尽くされた「ことば」が、法統を構成する人格を媒介として「世界」へと開き示されてあるその姿のうちに、親鸞は真理の呼びかけを聞き取っているものと考えられる。「ことば」を人間が真理(存在)を語るための手段としてではなく、そのただなかに真理(存在)が住みつく場としてとらえたのはハイデガーであった。大峯顯の宗教言語論は、親鸞が、ハイデガーないしはハイデガー的(実存論的)な思索を先取りし、「ことば」を真理(存在)の住みかとする思索を披瀝しているのだ、とする。
 もとより、歎異抄第二条の文脈において、そのような思索の痕跡を明確に跡づけることはできない。それを跡づけようと試みることは論者の恣意を出ないという批判も、当然起こりうるであろう。しかし、歎異抄後序が、故親鸞聖人の言説を思い出すままに書きつけるという同著述作の意図を鮮明にすべくつぎのように述べているのに接するとき、本書は、大峯顯の宗教言語論がけっして牽強付会ではないことを認めざるをえない。歎異抄後序はこう語っている。

 これ、さらに、私の言葉にあらずといへども、経釈のゆくぢも知らず、法文の浅深を心得わけたることも候はねば、定めて、をかしき事にてこそさふらはめども、故親鸞の仰せ言さふらひしおもむき、百分が一、片端ばかりをも思ひ出で参らせて、書きつけ候ふなり。
」(『歎異抄論究』58-9頁)
こうした評価の相違を考えると、『歎異抄論究』の伊藤氏は、大峯氏の言語論の方向に、親鸞思想を組み替えようとしている途上にあるといえるのではないでしょうか。伊藤氏の次のような叙述も、私にはそうした模索のなかから生じてきたもののように思われるのです。
「親鸞は、師法然に対して絶対的な随順の姿勢をとる。その姿勢の根底に、法然から受けた人格的感化があったことは否定できない。人間法然の測り知れない魅力が親鸞をとらえて離さなかったことが、そうした絶対的随順のもっとも大きな原因であったことは確実であろう。しかし、厳密には、親鸞は、なま身の「人」としての法然に情緒的に寄り縋っていたちいうよりも、むしろ、法然において自己を開示する「ことば」に絶対的な信を置いていたと見るべきではないか。法然がその人格の面で親鸞を魅きつけなかったといっているのではない。法然の人格は、多大な魅力を湛えつつ、親鸞を圧倒したであろう。だが、親鸞から見た法然には、人格的魅力を超えた絶対的な権能があった。それは、述べてきたような、真理として自己自身を語り出す「ことば」の力を前提とするものだったと見るべきであろう。「よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」とは、時間的・空間的に限局される一人格への盲目的信憑を表出するものではなく、時空を超えて同一性・不変性を保ち続ける「ことば」への信頼を語るものであった。」(『歎異抄論究』61頁)

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  1. 2006/08/22(火) 13:59:28|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその11

さて、本書もようやくグランド・フィナーレ、大峯氏はハイデガーに視線を転じ、「言葉が語る」というハイデガーの思想が、名号にも芭蕉の句にも通ずると指摘します。

「仏さまの言葉というと、仏さまがいて、それが語るというように考えがちですが、ハイデッガーは「言葉が語る」ということを言っています。言葉が語る。もちろん人間が語るのですが、その人間が語れるのは、まず言葉が語るからだ。言葉が語るといっても、言葉には言語能力も音の分節器官も備わっていないのだから言葉は語れないだろう。人間以外に言葉を語るものはいないではないかとわれわれは普通考えます。しかし、われわれが語るということの一番根底にあるのは、言葉が語るということです。言葉が語らなかったら人間が語ろうと思ったって語れないということをハイデッガーは言ったのです。その言葉が語るという世界が名号という世界だと理解することができるように私は思います。言葉が語るということを仏が語るという具合に表現してもよいと思います。」(本書218頁)

「先ほどの芭蕉の句でも、たとえだと思ったらいけないのです。菊の言葉を聞くとかいうと、たいてい比喩のように考えがちなのですね。菊というのは秋に咲く植物であって植物が言葉を語るわけがない、言葉を語るのは人間だけだと私たちはかたくなに思い込んでいますから、菊がものを言うなんて夢物語か子供だましみたいなものだと思っている。しかしそれなら、仏さまが語ると言ったってやはり夢物語のようになるのではないだろうか。仏さまが私を呼んでいるといったって、それはたとえではないのか。しかし仏さまが呼んでいるようにも思えるというのでは助からないのです。仏さまの声が本当に聞こえなければならない。仏を信じるということは、「おまえを必ず救う」と言っている仏の声が聞こえたということです。これはけっして比喩ではありません。仏さまがわれわれを呼んでいるということはけっして比喩ではない。親鸞聖人が、帰命とは「本願招喚の勅命」だと言ったのは、仏さまが私を呼んでいるように思うということではないのです。文字どおり実際に呼んでいるという厳然たる事実を言っているのです。」(本書219-20頁)

南無阿弥陀仏という名号や芭蕉の句は「言葉」以外の何ものでもありません。しかしそれは、話し手の意思・意図やものごとの意味を伝える言葉ではないと大峯氏は指摘します。言葉そのものが語り、その語りのなかでみずからを明らかにしていく、そうしたいわば自己完結的な言葉です。その自己完結的な絶対語がわれわれに呼びかけてくるのです。もしかするとこれは、ある呼びかけが先にあって、気が付いてみるとそれは言葉(言語表現)だったということなのかもしれません。
かくて、『親鸞のコスモロジー』は次のように結ばれます。
「芭蕉の開いた詩というものは、言語宇宙の底知れない深さに私たちを覚醒させるはたらきをしているように思われます。常識を超えた言語の世界の不思議です。そして芭蕉の俳句が開いたような世界をもっとどんどん深めていって、それを超えたもうひとつの深みに、南無阿弥陀仏の名号の世界があるのではないかと私は思います。」(本書220-1頁)

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  1. 2006/08/21(月) 08:48:47|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその10

『親鸞のコスモロジー』のなかで大峯顯氏がいいたいことは、「名号の宇宙」の章でほぼつきているのではないかと私は思います。ですから、最後の章「芭蕉と親鸞」は、これまで大峯氏が主張してきたことを芭蕉の俳句(詩的言語)を例にしてみていくという、適用、応用の試みといえるでしょう。
仮に名号に関して大峯氏と同じようなことを構想したとして、私だったらやはり藤原定家の歌を引きながら、名号のコスモロジーを検証しくというような方向になるでしょう。そしてそれによって宗教と和歌の二つの側面から「時代精神」といったものを浮き彫りにしてみたいというようなのが、私の基本発想なのですが、芭蕉を引き合いに出すと、時代精神というよりむしろ思想のもつ普遍性が明らかになってきます。大峯氏の発想全体からすると、そうした方向性の方が正しいといえるでしょうね。
それと、和歌と俳句では詩形が違いますから、うねるような和歌的発想よりも、対象にずばっと切り込む俳句の発想の方が、大峯氏の名号論に適合的だとはいえそうに思えます(定家の和歌は、メタ言語的)。
ただ、それはそれとして、大峯氏の名号論を鎌倉時代初期の和歌にも適用してみたい、適用できるのではないかという感じが私には強いのです。それはやはり、この時代の和歌が独自の言語感覚をもっていて、その独自の言語感覚という点で、大峯氏が分析する親鸞の名号論と通底しているのではないかと思うからです。
また人脈という点からみると、法然の大パトロン九条兼実は定家のパトロンでもありますし、常陸の隣、下野の大豪族・宇都宮頼綱は法然の弟子であるとともに定家の息子・為家の舅です。頼綱は、『小倉百人一首』の選定を定家に依頼したのは彼ではないかとされるほど定家に近い人で、この宇都宮氏の動向が、親鸞が常陸に移住したこととからんでいるのではないかと推測している研究者もいます。
親鸞ももとはといえば藤原氏(日野一族)ですから、貴族社会の動向、ものの考え方と完全に無縁ということはないと思います。

【参照】 「藤原定家の法華経題名和歌」

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前置きはこれぐらいにして、「芭蕉と親鸞」の章を読んでいくことにしましょう。
まずは、大峯氏自身による、これまでの主張の要約。
「われわれの言語は親鸞聖人がおっしゃったように、そらごと、たわごとです。まことがないと同時にまことでない。まことということは、本当の事柄、真実という意味と同時に、本当の言葉という意味です。真実と同時に真言という意味です。それがまことということです。われわれ人間の世界は、ウソの事ばかりがあると同時に、ウソの言葉ばかりがある世界です。それがわれわれの世界だとしますと、その世界の中では当然われわれは救われないわけでしょう。いったいわれわれはどうしたら救われるか。本当の言葉に出遇ったら救われる。称名念仏こそ、その本当の言葉だと親鸞聖人はおっしゃっているのです。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのことみなもてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」、とおっしゃっているのは、そういうことです。
 南無阿弥陀仏の名号は仏さまが実際にその中にある言葉です。仏さまの符合や記号ではけっしてないのです。南無阿弥陀仏をもしそう思っていらっしゃったら、これは仏さまを信じていないにならざるを得ません。南無阿弥陀仏というのは自分が言っている言葉だ、「きょうは暑いです」とか、「いつもお元気ですね」とかいうように、私が南無阿弥陀仏と言うのだと、もしそう考えていたら、それはたしかに救われません。私が言う言葉では私はけっして救われません。名号は仏さまの方が私に呼びかけている言葉だから、私は必ず救われるわけです。」(本書189-190頁)

このあたりの議論、ぜひこの記事の上方に記したページ「藤原定家の法華経題名和歌」もご参照ください。親鸞が入っていくのは南無阿弥陀仏の名号の世界、これに対して定家が追求しているのは法華経の世界(その象徴としての南無妙法蓮華経の題目)ですが、定家はそれを「仏さまの符合や記号」以上のもの、「本当の言葉」ととらえていたと思います。この「本当の言葉」とは何かという問題意識において、親鸞と定家は非常に近いところにいたのではないかと私は思うのですね。
さて、大峯氏の議論の続きです。
「しかしながら、そういう言葉の世界というものを、われわれはなかなか信じられないようです。というのは、言葉は人間の約束事だとみんな思っているからです。南無阿弥陀仏の名号だけは特別のものだというだけでは片付かない問題がここにあります。どういうわけで南無阿弥陀仏という言葉だけがほかのわれわれのすべての言葉と違うのか。いったい名号がなぜ人間の救いになるのか、仏の名前を信じることがどうしてわれわれの救いになるのか、という問題をもっと本気で問わなければならないのではないでしょうか。名号というものの論理をはっきりさせなければならない。名号というものはこういうものですという説明ではダメなんです。名号論は今までたくさん書かれています。名号というものはこういうものだと説明はされてあるけれども、名号がなぜ人間の救いになるのか、言い換えると、言葉というものは一番根源のところではいったい何か、という問題がすこしも問われないで残っていると思うのです。」(本書190頁)

こうした問題意識を前提として、大峯氏は詩的言語の世界に話題を転換します。
「そのことをおわかりいただくために、私は詩というものがひとつの入口になると思うのです。たとえば芭蕉のような偉大な詩人の言葉というものは、これは人間と人間との間だけに関係する言葉ではないのです。」(本書198頁)

ここで大峯氏がまず引用するのは芭蕉の次の句です。

  菊の香や奈良には古き仏たち

「「菊の香や奈良には古き仏たち」という言葉は、芭蕉が菊について誰かに説明しているのではないのです。菊そのものをここへ提示したのです。この言葉は、奈良について「奈良とはこういうものですよ」と言って私たちに説明しているのではないのです。奈良そのものを端的に、ここに出しているのです。ということは菊の言葉を芭蕉は聞いたのです。奈良の言葉を聞いたのです。純粋な詩の世界というものは社会的人間の言葉ではありません。菊が言っている言葉を聞きとり、奈良というものが言っている言葉を聞く人が詩人です。
 この俳句で芭蕉は私たちに、言葉というものは、その最も深い根源においては人間と人間との関係ではなくて、人間と自然との関係なのだということを証明してみせました。それは芭蕉の意見ではないかとおっしゃるかもしれませんが、けっしてそうではない。私たちがもしこの芭蕉の俳句に感動したら、その時私たちも奈良や菊の声を聞いたことになるのです。この芭蕉の俳句の中に、この芭蕉の俳句を手だてにして、私たちもやはり菊の言葉を聞いたことになる。奈良の言葉を聞いたことになる。それが詩と呼ばれてきた人間の営みの正体なのです。一口に言葉と言いましても、日常生活の「おはようございます」とか「この花は高いですね」とかいう言葉とは違う世界が詩的言語の世界の中に現われているわけです。
 芭蕉の偉大さはそういう世界を発見したというところにあります。人間が自然と話をするような世界を発見したということです。」(本書203-4頁)

大峯氏の芭蕉論、続けてみていきましょう。
「「ものの見えたる光、未だこころに消えざるうちに言ひとよむべし」と芭蕉は俳句の方法を教えています。すべてのものは光芒を放つ瞬間があると言うのです。その光芒を言葉に言い止めるのが俳句だ。ものの見えたる光、木の葉も松茸も光を放っている(「松茸や知らぬ木の葉のへばりつく」)。われわれが平生、たかが木の葉と思っている時にはそういう光を見ていないのですね。我を捨てないと光には出会えない。芭蕉は、われわれが平生当り前のものと思ってすこしも驚かないでいるその当のものが、まだ言葉のないところから現われてくるその瞬間の光、それをすかさず言葉にするのが詩というものだと教えているのです。」(本書212頁)
ちなみに、定家の法華経題名和歌も、「ものの見えたる光、未だこころに消えざるうち」に詠んだ速詠和歌ですね。この和歌では、宗教的なものを重視したがゆえに、定家は、時間をかけてじっくり詠むことによって和歌のなかに「自己の意識」が入り込むことを嫌ったのだと思います。

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テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/08/20(日) 09:13:04|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその9

「名号の宇宙」の章の最後、大峯氏はハイデガー思想の問題にもどってきます。われわれは、通常、語ることが言語に対する人間の一番最初の関係のように思っていますが、大峯氏のみるところ、ハイデガーによればそうではありません。
「(ハイデガーは)言葉に対する人間の最も原初的な関係は、言葉を聞くところにあると言うのです。聞くということ、言葉が語っていることを人間が聞くということがまず最初になければ、人間は本当に言葉を語ることはできない。聞くことが語ることの基礎だとハイデッガーは言うのです。」(本書180頁)

この辺で、8月11日の記事「大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその2」をご参照ください。
そこでは個人における「自己自身の始まり」「自意識の始まり」が問題にされていたのですが、言葉の問題をこれに重ね合わせて考えると、人はまず聞くことによって言葉と接触することが明らかではないかと思います。人が話しているのを聞くことで、言葉(会話)の前提にある他者の意思の存在を知り、それを自己の内部に投影していく。その内部投影が完了してはじめて、人は言葉を語りはじめるのではないでしょうか。ですから、この記事でも指摘したように、意識形成とはある「転移」であるともいいうると思います。
大峯氏が引く、ハイデガー自身の言葉を聞いてみましょう。
「語るということは、もともとひとつの聞くことである。それは我々が語っているところの言葉を聞くということである。それだから、語ることは同時に聞くことであるというのではなくて、語ることは前もって聞くことなのである。我々は単に言葉を語るだけではなくて、言葉から語るのである。我々にこのようなことができるのはただ、我々がそのつど、すでに言葉に聞いたということによってのみである。その時我々はいったい何を聞くのか。言葉が語るのを聞くのである。」(『言葉への道』)
大峯氏によれば、この文章は、「言葉自体の語るのを聞くということが、実は言葉というものの持つ最も深い次元である。その深い次元へ入っていくことが、言葉に対する人間の最も深い関係である」(本書180頁)と解されます。

この分析をうけて、本章は次のように締めくくられます。
「ハイデッガーはもちろん、称名念仏の思想は知らなかった人ですが、言語の本質の中に称名念仏が持っているのと同じような次元を発見していると私は思います。南無阿弥陀仏を称えるということにおいて、われわれは、測り知れない言葉の深みに入っていく。われわれの称名念仏は、仏の語りを聞くということによって、はじめて起こるわけでしょう。南無阿弥陀仏は、こちらから先に出る声ではなくて、仏さまが語っている、向こうから私の方へ呼んでいる声です。親鸞聖人は「帰命とは本願招喚の勅命なり」と『教行信証』「行巻」の中で言っておりますが、私が南無阿弥陀仏を称えるということは、向こうから私が呼ばれているということでしょう。」(本書180-1頁)

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  1. 2006/08/19(土) 10:26:24|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその8

浄土真宗の信仰における言葉の重要性の指摘に続いて、大峯氏は次のように自問します。
「阿弥陀さまの本願がまことであるなら、お釈迦さまのお説教がウソでないということはどういう意味でしょうか。阿弥陀さまというのは人間ではありません。その阿弥陀さまの本願がまことだから、それを説かれたお釈迦さまの説教がウソでないと言われるのです。(中略)『無量寿経』は弥陀の本願を説いている。仏さまの語りを説いているのです。お釈迦さまの口を通して、人間の言葉ではない言葉、真理そのものであるような言葉が説かれていると親鸞は言うのです。」(本書175頁)
大峯氏の自問は続きます。
「しかしいったい『無量寿経』がフィクションでないという根拠はどこにあるのでしょうか。このことをわれわれの実存をもって実証することが信仰の問題だとも言えます。『無量寿経』も誰か人間が作ったテキストではないかと、そんなことを思っていると、『無量寿経』によって救われるということは起こりません。『無量寿経』というものはたしかに人間の言葉で書かれてある。しかもそれは弥陀の本願を説いている。その間のギャップをどうやって飛び越えていくかという問題です。」(本書175-6頁)
『無量寿経』が「人間の言葉」によって説かれたということは、通常の意識の問題としては理解しがい・超えがたい大事件であると大峯氏はいいます。
「お釈迦さまは自分の我を捨てたから、阿弥陀さまの本願という原始言語を聞き、それを説くことができた。本願の大いなる海鳴りをお釈迦さまは聞いたのです。阿弥陀さまの言葉が人間の言葉に反射しているのが『無量寿経』です。だから「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず」ということは、実に本願の言葉が人間の言葉になった大事件のことであります。お釈迦さまという方を通してこの大事件は起こりました。お釈迦さまのおっしゃっていることがウソでないのは、人間としてのお釈迦さまは、阿弥陀さまの本願海のなかに没入して消えてしまっているからです。この没入によって『無量寿経』は、人間を超えた弥陀の本願を人間の言葉にしているわけです。親鸞聖人はそのことを、真実の教えである『無量寿経』の「宗」は弥陀の本願、名号はその「体」だとおっしゃっているのではないでしょうか。」(本書177頁)
こうした意識の問題に入っていかない限り、経典の言葉の問題は永遠に言葉の問題に留まり、そこでおさえられる言葉の「意味」は、結局、トートロジーを超えることができません。大峯氏は、それを超えたのが、善導であり、蓮如(「聖教は読み破れ」)であるとします。
「これらの人々はみな、言葉を通りながら言葉の原初へと突き抜けて行ったのです。人間としてのお釈迦さまが語ったり、善導が語ったりという、そんな地平はもう超えられている。言葉を超えたものが人間の言葉になる、人間の言葉を通して伝えられていくという、そういう不思議がここに起こっているのです。そのようにして今、われわれの前にこの浄土真宗があるのです。七高僧の伝統というのは、そういう不思議な真実の言葉の伝統のことだと思うのです。」(本書178頁)

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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/08/18(金) 08:29:03|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその7

続く第二章「名号の宇宙」のなかで、大峯氏はまず、名号が人間と仏との通路であると指摘します。
「私ども人間と仏さまとの通路は、ひとつの原始言語以外にはないというのが浄土教の根本思想だと思います。私どもと仏さまとが何によってつながるかといえば、南無阿弥陀仏という原始言語、根源的な言葉によってつながる。だから、名号というものはけっして人間が語っている言葉ではないのです。そうではなく、仏さま自身が私どもに語りかけている言葉です。本願が語っている。本願の海鳴りです。」(本書167頁)
続いて、もし名号が人間が通常用いている言葉と同じ性質のものであったなら、人間は、南無阿弥陀仏で救われるわけがないと大峯氏は断言します。
「もし言葉というものが、人間の道具、人間同士の意思の疎通をはかる手段ということで終わるのなら、名号の深い意味、本当の意味はわからないのではないでしょうか。言葉の一番の深み、根源は、人間が語るというあり方を超えているのです。」(本書168頁)
そこから、大峯氏の視点はハイデガーに移動します。
「(通常の会話において)人間同士が語っているということは事実だけれども、その人間が言葉を語るということの根底にあって、そのことを支えているものはいったい何か。それは言葉が語るということだ。言葉こそ言葉を語る真の主体だということを、ハイデッガーという人は、言葉の本質を突き詰めていったあげくに発見しています。」(本書168-9頁)
そして親鸞。
「親鸞聖人の『一念多念文意』とか、『唯信鈔文意』などを拝見しますと、一如とか真如とか、色も形もない法性法身が、方便法身という形をとって現れて、み名と形に自分自身を示されたとあります。そうしますと、言葉というものは色も形もないところから現れて来る。法性法身から現れて来る。それが南無阿弥陀仏という名号です。それは人間存在よりも先にあるものです。法性法身から形をとって現れてきたものが名号という言葉です。これは言葉というものの根源的な姿ですから、原始言語と呼んでいいと思います。」(本書169頁)
これに続いて、キリスト教の『聖書』~『ヨハネ伝』冒頭の記述「はじめに言葉ありき」などをふまえながら、大峯氏の視点はハイデガーに戻ります。
「ハイデッガーは、そこのところを神が語るとは言わないのです。人間が語るのではなくて、神さまが語っているのだといえば、それはキリスト教のドグマになります。人間が語るのでないのなら、神さまが語るのかというと、そうではなくて言葉が語るのだというわけです。私はこの「言葉が語る」ということが、法性法身というものが方便法身の名号という形になってくる消息を、一番よく言い表していると思います。」(本書169-70頁)
法性法身の言語論、それが大峯氏のみる浄土思想の核心ということに思えます。
「言葉というものの不思議さ、言葉の重要性ということが、浄土真宗の信仰と思想の核心にあると思います。そういう意味で真宗は言葉の宗教だということができます。仏さまは言葉を持っていらっしゃらない、名前もないように思いますが、実はそうではない。親鸞聖人とか法然上人は、何をされたのかと言いますと、仏さまに名前があったということを発見されたのだと言えましょう。仏さまに名前があった、南無阿弥陀仏という名があることを教えてくださったのです。それまでは、仏さまとは色も形もない存在と思っていたけれども、そうではなくて名前があるのだということを発見された。名前を名告る存在こそ仏である。仏さまにとって名前というのは偶然的なものでなくて、名前を持つところに仏さまがあるのだということです。」(本書170-1頁)

私見によれば、大峯氏のように法性法身の言語を問題にしだすとき、浄土仏教の思想(発想)は、ハイデガーの思想というよりむしろ真言宗の根本思想(発想)に限りなく近づいているといえると思います。しかしこれは、基本的に、真言宗が原始言語・根本言語に焦点をあてた思想だからではないでしょうか。通常、浄土宗は、真言宗・天台宗などの先行仏教(顕密仏教)を否定して登場し、教義的にもそれらの宗派と鋭く対立すると考えられていると思います。しかし、表層的な対立だけに着目して浄土宗を語るのは、浄土宗の思想を必要以上に狭くしているのではないでしょうか。

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  1. 2006/08/17(木) 09:20:11|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその6

続いて大峯氏は、『無量寿経』のなかの法蔵菩薩の第十七願、すなわち「たといわれ仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟してわが名を称せずんば、正覚を取らじ」を「言葉」をキーワードにして分析します。

「これはどういう意味かと申しますと、私が阿弥陀仏になった時に、十方世界のたくさんの仏たちがことごとく阿弥陀仏の名前をほめたたえなかったら自分は阿弥陀仏にならない、という意味です。しかしこれはどういうことでしょうか。自分が阿弥陀仏になった時に、その私の名前を十方世界の諸仏がみなほめたたえるということがなかったら、自分は仏にはならないという。自分が有名にならなかったらいやなんだというようなこととは違うのです。そうではなくて、阿弥陀仏が阿弥陀仏になるためには、根源的な言葉が成就しなくてはならないということを言っているのです。宇宙の中のありとあらゆる仏たちがひとしく称えるような、そういう言葉が出現しなかったら、それを生むことができなかったら自分は仏にならないという誓いです。これはつまり、およそ世界というものが完成するのは、本当の言葉が完成した時だということであります。真理というものは、実は言葉の真理にほかならない、という意味です。阿弥陀仏の勝利はとりもなおさず、言葉の勝利であるということを言っている。これは実に、われわれの世界の一番の深層にある出来事を表現したものです。
 第十七願はけっしてお伽噺を言っているのではありません。阿弥陀仏の誓願を遠い昔の物語とかお伽噺と考えるかぎり、浄土真宗を根本的に誤解することになると思います。昔、法蔵菩薩がいて、それが四十八の願いを立てたことがあった。もしそれだけなら、それは私となんら関係がない。『無量寿経』はそんなお伽噺を説いているのではなくて、われわれのこの現存在の深みにおいて今も起こっている事柄、現に今われわれが生きているこの世界の一番の根底にある出来事を説いているわけです。人間と世界が支えられるのは、実に真実の言葉によってだということを教えているのだと思います。」(本書153-4頁)


法身概念をめぐって、大峯氏はさらに先にすすみ、本章を次のようにしめくくります。
「しかしなぜ、言葉も形もない仏が言葉になるのか。『教行信証』の中で親鸞はそれを「仏意量り難し」と書いていますけれども、それは実に仏の悲しみのなせるわざであります。真実の言葉、真実というものに出遇うことができず、「そらごとたはごと」の中をどうしても出ることができないでいる衆生を見捨てることができない。そういう衆生を救うためには、自分が自ら言葉になって人間を呼ぶほかはない。真実の言葉にならなくてはならないと仏は思った。その衆生に対する底知れない仏の悲しみと申しますか、大悲というものが、世界にはじめて言葉を生むわけです。仏自らがそれであるような言葉を生むのです。南無阿弥陀仏という名号は、仏が自分自身を与えた姿です。自分の持っているお金を与えるとか、自分の持っている才能を与えるとか、そんな一部を与えたんじゃなくて、仏は自分の全部丸ごとを与えた。だから、南無阿弥陀仏以外に仏はない。南無阿弥陀仏のうしろに仏がいるのではなくて、南無阿弥陀仏という言葉が仏そのものです。そのことを経験し、そのことを信じることが浄土真宗の信心にほかなりません。」(157頁)

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ところで、大峯氏が提唱している言語の三区分に関しては、私には日常語と宗教言語の二区分でいいのではないかと思え、学問的認識の言語というのを独自の次元としてたてるという点は、大峯説に必ずしも納得しているわけではありません。概念語を独立した次元としてたてているために、(言語論としてはともかく)名号論としてはちょっと回りくどくなっているような印象を受けます。

それとは別に、大峯氏の発想をつきつめていくと、浄土教も一種の「真言思想」ということになってしまいそうな気がするんですが、私はそれもありかなと思ってはいます。つまり、親鸞をはじめとする浄土教信奉者のなかにも、ベースとしての真言志向は潜在していて(大峯流にいえば、この志向は、時代背景と関係なく普遍的?)、彼らの場合、それが「南無阿弥陀仏」という根源語・絶対語として表面に出てきたということですね。
大峯氏のこうした発想は、8月6日付けの記事「千輪慧氏の『歎異抄と親鸞』を読む」で紹介した千輪慧氏の『歎異抄』分析にも通底するところがあると思うんですが、千輪氏の分析のキーワードの一つと考えられる「本願からのよび声」という概念は、用語そのものがある意味でとてもハイデガー的だし、また同時に真言的発想ともいえますね。
要するに本願のウダーナ(感興語・自発語)とでもいったらいいんでしょうか?この辺は、意味論的アプローチがとても難しいところだと思います。

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  1. 2006/08/16(水) 11:42:56|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその5

大峯氏は、独自の観点から言葉を三つの層、三つの次元に分類します。それらは、「日常生活の言語」「学問的認識の言語」「宗教的言語」です。

日常生活の言語は、手段としての言語であり、理解されるとすぐに消えてしまうという特徴をもっています。「そういう日常生活の次元での言語が実は言語のすべてだという考え方が、われわれ現代人を無意識に支配しているようです。地球という惑星の上をくまなく支配しているこの考え方が不気味なんだ、ということをハイデッガーは警告するのです。人類はおそらく、科学技術による生活をもはや止めることはできないでしょう。そして、科学技術による言語の支配という傾向はどんどん進んで行きます。人間が人間であることを喪失していく危険がどこまで伸びていくかわからないのです」(本書140-1頁)と指摘します。
第二の学問的認識の言語とは、概念語、ロゴスの次元の言語のことです。この言語は日常言語とよく似てはいますが、大峯氏は、「このロゴスとしての言語は日常語ではない」(本書141頁)と断言します。すなわち、それは「ものの内部に入って、ものの本質というものを表現しようとする言語」(本書143頁)であり、そこでは、言語の厳密さが大事な問題となります。続いて大峯氏はヘーゲルを引き合いにだし、「普通には概念と言いますと、それは単なる概念であって実物ではないという具合に言いますが、ヘーゲルの言う概念というのは、現実のもの、実物のことなのです。あらゆるものは判断であり、あらゆるものは概念だという言い方をしています。つまり、人間の言葉に絶対者をとらえる次元があるという考えを、この概念という言葉の中に込めた」(本書144頁)と指摘します。
この二つに対し、宗教的言語というのは、「ものと一体であるような言語」(本書146頁)です。
これら三種類の言語の「次元」を、大峯氏は、「われわれの人生の表層のところ、つまり日常生活という名で呼ばれるような言葉の次元においては、言葉はものそのものを言い表していません。ものと言葉は別々になっています。先ほどの『歎異抄』の言葉にあるように、「そらごとたはごと」でわれわれは満足しているのです。けれども、それよりもっと深い生があります。(中略)学問というものはそうではなく、その日常生活のもうひとつ底へ降りる営みです。だから、日常用語よりももうひとつ深いところに学問の言葉がある。けれども、学問の言葉でもって言語の宇宙というものが全部尽きるのではないのです。もうひとつ底がある。世界にはもっと深みがある。それが宗教の世界であります」(147頁)と分析します。
大峯氏は、この「宗教的言語」を「詩的言語」とも呼びます。つまり、「言葉とそれが表現する事柄とが一つである場合」(本書150頁)というのが詩であり、この意味において、宗教的言語と詩的言語は通底するというのです。
大峯氏によれば、そういう詩の性質を一番はっきり分析した現代の思想家がハイデガーです。「ハイデッガーは、言葉というものの一番本来の姿はどこに現れているかというと、優れた詩人の言葉の中に現れていると言っています。本当の詩人は、言葉がすなわち事柄であるような世界を経験しているのであって、そういう詩人の言葉の中に言葉本来の本質が現れているというのが、ハイデッガーの考え方です」(本書151頁)と指摘します。
続いて大峯氏は、芭蕉の
 六月や峯に雲置く嵐山
の句を例示・分析し、「これが、(スイスの思想家マックス・ピカートがいう)詩人というものは人間の言葉を聞いているのではなく、もの自身の言葉を聞いているということの意味」(本書153頁)とします(ちなみに大峯氏は、毎日俳壇の撰者でもあります)。そして、「われわれの世界の表面にある日常生活では、言葉とものとは分かれておりますけれども、世界の一番の深みにおいては、言葉とものとは一つになっているのです。世界の一番の根底は、言葉が事柄であり、事柄が言葉であるという場所です。南無阿弥陀仏の名号というのは、実にそういう世界の深い底から出てくるのです。はかり知れない世界の深みから出てくるのです」(本書153頁)とします。

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  1. 2006/08/14(月) 11:03:30|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその4

本書第二部「Ⅱ 名号の宇宙ーー親鸞の念仏とは何か」は、「人間と言葉」「名号の宇宙」「芭蕉と親鸞」の三章からなります。「人間と言葉」から順番に、その内容をみていくことにしましょう。ただしこれら三章はもともと独立した講演を本書用に改稿したものであり、第一部との論理的なつながりがやや弱いと同時に各章間で内容上の重複もあります。したがって、それぞれを独立した論文として読んだ方が大峯氏の意図が把握しやすいように思われます。以下の私の読みも、各章の連続はあまり重視していません。

さて「人間と言葉」の冒頭、大峯氏は、、「言葉というものは、人間生活の目的を果たすための手段にすぎないという考え方が、無意識にいろいろなところへ浸透していっているのが現代社会の傾向」(本書128頁)とし、これに対し、後期ハイデガー(とりわけ『言葉への途上』)はそれとは異なった言語観をもっていたと指摘します。
しかしながら「人間と言葉」の章の内容は、ハイデガー思想の紹介ではなく、あくまでも名号論です。ハイデガー思想を媒介として、大峯氏は、言葉としての名号はどのような性質をもつのか、名号を称えるというのはそもそもどのような行為なのかを考えるようになり、この章でそれを記しているといえるでしょう。
「念仏によって救われることを説く浄土真宗とはいったい何か。私が思いますには、親鸞の浄土真宗とは、「仏が言葉であった」ということの発見ではないかということです。南無阿弥陀仏という名号がすなわち仏であります。人間存在を本当に救うところのものは本当の言葉以外にはない。名前のない仏は私を救うことはできない。名前のない仏を一生懸命考えたり、その仏についていろいろ研究したり分析したり、そんなことで人間は救われない。そうではなく仏の名前を称えることによってはじめて人間は救われる。逆に言いますと、本当のもの、真実あるいは如来とは、言葉になってわれわれに現れるものである。浄土真宗の本質にそういう思想があると思います。」(本書133頁)
しかしながら、大峯氏のみるところ、南無阿弥陀仏が人間を救うとはどういうことか、称名念仏によって救われるとはどういうことかということを、(経典などに記された論拠を示した人は多くいても、)その内在的な論理をはっきりさせた人はいません。
つまり、「これはどういうことかと申しますと、名号の概念的な説明はこれまで多くの宗学者たちがやって来ています。むしろ真宗教学の中にその種類の研究はたくさんあり過ぎると言ってもよいでしょう。けれども、名号という概念を分析するのではなくて、名号そのものを言葉として経験して、名号そのものの内部へ入っていくような研究はこれまでのところ少ない。仏がその名によって衆生を救うというのは何を意味しているのか、どうして名前というものにそういう不思議な力があるのかをあまり問題にしていない」(本書134頁)ということであり、したがって、大峯氏は、そもそも南無阿弥陀仏とは何かということを考えてみたいとします。
要するに、浄土真宗の信仰の核として「南無阿弥陀仏」という称名があるわけですが、これがなぜ信仰の核となりうるかを経典や論釈から「説明」するのではなく、名号を口に出すという念仏という行為そのものの意味、そしてその行為がなぜ信仰とつながるのかを大峯氏は問題にするということです。そしてここで、「念仏という行為が信仰につながる」とは、それが経典によって裏付けられているからといった無味乾燥なこたえを予期したものではなく、経典以前の一種の原行為論として、発語行為そのものが深いところで信仰とつながっているのではないかという問題意識が大峯氏にはあると思います。またそのように考えない限り、念仏の有効性の問題は、「誰それが言ったから」とか「何々に書いてあるから」という具合に、論拠の論拠を示しながらの永劫回帰を避けることができないというのが大峯氏の考えではないでしょうか。
したがって大峯氏は、経典や論釈を一端離れて念仏という行為を分析することになります。それはつまり、経典等の上からの権威によって念仏を意味づけるというのではなく、念仏という原初的行為のもつ宗教性を明らかにすることで、浄土思想、浄土経典が成立してきた過程をたどるというような議論になっていきます。
そのとき、後期ハイデガーの言語論が有効な武器になるということですね。

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  1. 2006/08/13(日) 11:46:51|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその3

『親鸞のコスモロジー』第一部の第二章、第三章は、それぞれ「人間の願いと仏の願い」「親鸞のコスモロジー」と題された論考。この二つの章では言語に関する独自の議論は展開されていないように思われますから、その要文だけを紹介しておきます。

【人間の願いと仏の願い】
この章では、本願について考察されます。
「およそ人間というものは、永遠に生きたいという願いを心のどこか深い深い奥底に持っているのだろうと思います。しかし、これは、仏さまの側の「浄土に生まれさせよう」という願いに出遇ってこそはじめて気づかされることで、自分だけでは、それはわかりません。」(54頁)
「浄土真宗とは要するに、大いなる生命の自覚のことだと思います。自覚というと自力聖道門的に聞こえますが、それなら親鸞聖人の「信知」という言葉でもよいのです。法蔵菩薩は、無限の生命への願いを成就しようとして五劫のあいだ修行して仏になった。無量寿如来とは無量寿を得た人のことです。生命そのものを自覚したら無量寿如来です。法蔵菩薩は生命の自覚にいたる無限の道程をどこまでも行こうという志を持たれたのです。できないことをしようとするのが菩薩です。できることだけをやるのなら、菩薩とは言えないでしょう。永遠に生きたい、仏になりたいという願いをぜったいにお離しにならなかったから菩薩なのです。私たちは、仏法をよく聞かないで、この願いを途中で捨ててしまう。自分の中にあるところの生命の願いに忠実でないのです。大事なもの、すばらしい宝物をいただいているのに、それを開花させることができずに殺してしまうわけです。」(82頁)
「私には俗世の願いしかないが、如来は十方衆生を永遠の生命に生きさせようという途方もない、崇高な願いを持っていらっしゃるーーこれでは、どこまで行っても「私は私」、「如来は如来」で別々です。極楽は「西方十万億土」の遠いところに行ってしまいます。それでは如来は、はるかかなたの存在で私とは無関係です。私の中は真っ暗闇でしょう。しかるに『無量寿経』は、まさしくこの対立を否定し、突破した真理の書でした。思えば如来の本願は、私の心の奥底の最後の願いだったのです。それは生きとし生けるものの願いを聞きとった願いだから、私自身の心の底にもある願いです。その願いがもとはといえば私の唯一の願いだったのに、それがどうしても私にはわからなかった。このことが知らされた経験を信心と言います。如来の本願は私の願いではないというのは、如来を疑っている証拠です。如来を信じたら、如来の本願はそのまま私のものとなるのです。」(83-4頁)


【親鸞のコスモロジー】
この章は、本書全体のタイトルともなっており、親鸞のコスモロジー(宇宙観、世界観)が考察されます。
「親鸞は宇宙を一つの円環として考えていると思います。親鸞の宇宙の真相は生命の環流です。世界というものには、まずこちらから向こうへ流れる生命の運動がある。如来の世界に生まれざるを得ないという大きな生命の潮流のようなもの、海流のようなものがある。信心によってわれわれはこれに乗るのです。それに乗ることを信という。潮流に乗らなかったら迷いです。その大きな潮流、浄土に向かって滔々と流れている、生きとし生けるもの、あらゆる物を乗せている大きな生命の流れがある。如来の他力回向がある。に乗ること、それが往相回向の利益です。ところがこの往相回向の潮流はこちらへ向かう潮流でもある。だから往相回向の潮に乗れば還相回向にならざるを得ません。同じ一つの生命の流れだからです。これとあれと流れが二つあるということはないのであって、流れの方向が違うだけのことです。二つの流れがあるのではない。大いなる如来の生命の流れがあるだけです。」(116頁)
「生きられないところで生きることができるような力はどこから来るのか。自分が決めた主観的な意味ではなくて、世界の客観的な意味というものに目が覚める。そのためには、親鸞は自分のあらゆる意味に絶望したわけです。「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」という親鸞は、生きることも死ぬこともできなくなったのです。「善悪のふたつ、総じてもて存知せざるなり」というのは、道徳的自己の判断についての迷いではないのです。自己の足もとが崩れるニヒリズムの経験が親鸞を襲ったのだと思います。生きることも死ぬこともできなくなった。自殺はなお世界の意味づけですが、それも無意味になる。この世のあらゆる意味がなくなったのです。それは、既存仏教のコスモロジーが、自力のコスモスが、破られたということでしょう。自分を含めた世界に意味がなくなる。自分の存在の足もとが崩れて虚無の深淵がのぞく。そのような無意味の中で親鸞は意味を回復したのです。その意味とはどういう種類の意味か。それは無意味と別にあるような意味ではなくて、この無意味の世界がそのままで持っているような意味であります。すべてを無意味にする罪悪深重の凡夫の世界のただ中に、ひとつの意味を親鸞は発見した。それが、阿弥陀仏の本願、本願の念仏というものであったのです。」(123頁)


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  1. 2006/08/12(土) 09:33:50|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその2

「生死を超える自然の道」の章のなかで私にとって一番刺激的なのは、大峯氏の自我論(自我=仏論)です。

「道元禅師が言ったように、「仏道をならうというは、自己をならう也」(『正法眼蔵』)であります。自己とはいったい何者か、私は誰かを究明することが仏教の問題の全部だというのです。(中略)仏さまに出遇うことによって自分に出遇った。「自分」に先に出遇っておいて、次に「仏」に出遇うのではありません。仏に出遇うことが自分に根源的に出遇うことなのです。根源的にということは、つまり、仏が先ということです。
 考えてみたら、私どもが生まれた時もそうではないでしょうか。自己自身の始まりなど自分ではわかりません。この世における始まりだって、両親は知っているかもしれないが、本人は知らなかった。どんなに自意識の強い子供でも、「今、おれは生まれる」などと自分の初めを自分で確認して出てくることはない。もうすでに自分よりも先なるものがあった。これは明々白々なことで、自我主義がとどかない次元が私自身の底にあるのです。
 そうして、三歳か四歳ころのある日、自分というものを知るわけです。そこから自我が始まる。私とか僕という言葉を使った時が始まりと言います。その時、その子ははじめて自意識をもち、両親や他人を知る。しかし、そこで自分そのものが始まったわけではありません。自己は意識の根源ですが、自己そのものの根源は意識より以前です。自分そのものの始まりは普通にいう自分、すなわち自意識より先にある。それは両親とは別な次元です。私たちは自分、自分と、何もかもを自己の統制下に置けるように思っていますが、自己にはそうでない次元がある。自意識よりも先の次元があります。いったん自意識が発生しますと、こんどはすべて自分の自意識下にある、言い換えれば、自分というものが支配しているように思うのですが、初めにあった自分の自意識を超えたものが、実は絶えず私の自意識の根底にあるのです。その根源から、私は両親という縁を通って、この自分というものにやってきたのだと言えるでしょう。
 それを錯覚して、自意識が出たからには、世界を全部、自分の力の統制のもとに占領したと思ってしまう。今までは自分のものでなかったけれども、それを占領した。そういうふうに自分本位に世界を見てしまいがちです。しかし私を超えていたものは、私の自意識の根底に、すこしもなくならないままに今もあるわけです。それが私どもが「仏」と呼ぶものだとも言えます。」(本書23-5頁)


大峯氏の議論をつきつめていくと、仏というものがいわゆる「仏」ではなくなってしまう可能性すらあると思うのですが、それを容認したうえで、自意識の先にとあるなにものかを見出していこうというのが、大峯氏の考え方といえるでしょうか。
この自意識の先の次元、普通に考えるとただちに超越なり絶対者にいってしまいそうですが、そうではなくて、他者の意識の転移の次元ということもできると思います(こちらの考え方の方が私にはおもしろいし、後にでてくる言語論とも結び付けやすい)。大峯氏が幼児を例にひいて意識形成を問題にしているのは、そうした含みもあるのではないでしょうか。

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  1. 2006/08/11(金) 12:00:14|
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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその1

伊藤益氏の『歎異抄論究』(北樹出版、2003年)を読んでから気になっていた大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』(法蔵館、1990年)を読みはじめました(参照:7月23日「真理の住みつく場としての『ことば』)。
本書全体は、「Ⅰ 生死を超えてーーほんとうの救いとはーー」「Ⅱ 名号の宇宙ーー親鸞の念仏とは何かーー」の二部六章からなり、第一部は朝日カルチャーセンターでの講演にもとづくもので、第二部は単独で行われた講演をまとめたもの。著作全体として共通するテーマを扱ってはいますが、個々の章の連続性はやや弱いように思われます。
本書の「あとがき」によれば、『親鸞のコスモロジー』をまとめた大峯氏の立場は、「浄土教の思想を出来るだけ現代人の普通の言葉で考え、かつ言い表したい」(本書223頁)ということであり、「教義や教学の概念はあっても、生きた言葉としての機能を発揮していない」(本書223-4頁)という一種の危機意識が大峯氏にはあるといいます。したがって、「仏教をこのような危険から守るには、伝統されて来た教義の用語をもう一度その発生の源泉にまでもどして、そこから言葉を新しく語りなおそうとする試みが必要である。概念から概念へと横這いするのではなく、概念の殻を破って、その内部にある言葉のエキスをしぼり出すことである。言葉を言葉として感じることだと言ってもよい。そういう思いが最近の著者には通切になっている。十九世紀のドイツの詩人ヘルダーリンは、『帰郷』と題する詩の中で、「聖なる名が欠けている」という暗示深い句を記している。聖なるものについての種々の言葉が語られて来たけれど、聖なるものそれ自体を宿しているような真に生きた言葉、つまり名がないのが現代世界の状況だ、とハイデッガーはこの詩句を解釈している。聖なるものがないのではない。聖なるものが無名となっているのである。これはヨーロッパだけのことではなく、われわれの社会のことでもあると思う」(本書224-5頁)とします(大峯氏は、ヨーロッパの宗教哲学研究者)。

   *    *    *

さて本書第一部「Ⅰ 生死を超えてーーほんとうの救いとは」は、「生死を超える自然の道」「人間の願いと仏の願い」「親鸞のコスモロジー」の三章からなります。個人的にもっともおもしろかったのは巻頭の「生死を超える自然の道」で、まずはこの章の要点を以下に抜き出してみます。

「法然上人には、どこか知的なところが感じられます。『選択本願念仏集』という書物は非常に論理的で、われわれでもなるほどとすぐ納得できます。これと比べて『教行信証』という書物の論理は、ちょっとわかりにくいのです。親鸞聖人は、「なぜ阿弥陀如来はわれわれ衆生の往生のために必要な至心、信楽、欲生の三心を起こしたのか」という問いを出しておられますが、これこれだという明確な、わかりやすい答が返ってきません。まず「仏意量り難し」という言い方をされる。仏さまの心、意図というものは、とても人間にはわからないと言うのです。なぜ仏さまが「ナンマンダブツ」だけで救う、そんな願をたてたかということは人間ではわからない、「仏意量り難し」と言っているのですから、われわれはどこかはぐらかされたような印象を受けます。
 それに続いて、「われわれ、衆生の心の中を見たら、清浄心、つまり澄んだ浄い心などもとから微塵もない」と書いてある。実は答はそこにあるのです。なぜ南無阿弥陀仏で救おうという如来の本願が出たかというと、如来の心の中にこれこれのものがあるからだというのではなかった。如来の心が、こうなっているのではないのです。われわれの心の中には救われる条件はひとつもなく、それだから如来が自らその条件を作って、われわれに回向してくださったのだ、というのです。これはつまり、われわれは救われないから救われるのだということです。これが親鸞の論理です。これこれの理由によって救われるというのではないのです。救われないことが救われることだ、そういう論理を語ったものです。
 これはちょっとわかりにくいですね。救われないから救われるとはいったいどういうことか。これは論理学で言ったら矛盾律を破るパラドックス(逆説)に当たります。救われないから救われる。これは普通の論理ではない。しかし親鸞にとっては、そういう言い方でしか正確に、念仏の本当の真理を言うことはできない。これこれの理由で救われるなどと言うと、念仏の真理というものはどこかに消えてしまうのだということです。人間の言葉を差し向けるなら逆接でしか表現しようがないのです。「われわれは、なぜ仏に救われるのですか」ーー「救われないからだ」。これが、親鸞が発見した本願念仏の救済の論理です。」(本書8-9頁)


「阿弥陀仏の本願といいましても、まず阿弥陀さまがおりまして、その阿弥陀さまが本願を起こしたというふうに考えると間違いです。「弥陀の本願」とは阿弥陀という仏さまがいらっしゃって、その方が十方衆生を救おうとの願いを起こされたーーこう受け取りますと、これはもう本願ではなくなる。それでしたら、本願という広大無辺なものを、なにかひとつの主体の枠の中に閉じ込めることになる。枠に入れることになってしまいます。
 ところが私たちは普通、どうしてもそうした発想をしてしまいます。これは誰の物かと所有者や主体を決めようとする。これが人間のはからいなのです。だから弥陀の本願でも、まず阿弥陀さまがいて、それが発願して、十方衆生を救うという本願を成就した、というふうに考えがちですが、そうではなくて、本願が先にあるのです。主体なき本願というものが、形をとったのを阿弥陀仏と呼ぶわけです。
 本願という広大無辺なもの、われわれの世界の根底にある、あらゆるものを捨てないという根源的な願い。この願いには主語はありません。有限なものには主体がありますけれども、広大無辺なものには主体などありはしません。ひとりも捨てない。十方の衆生をひとつも捨てないという本願。すべてを包もうという願いに、主語があったらおかしいわけです。つまり本願は無我です。
 ここのところを親鸞は和讃でこう言っています。
「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」。十方の世界の念仏する人を、ずっと見ている、見るということは眼の中に入れるわけだから収め取るということですね、そしてどんなことがあっても捨てることがない。そういう摂取不捨のはたらきのことを阿弥陀という、と言っているわけです。阿弥陀仏がいて、それがどうかするのでなく、そういう摂取不捨の誓いが根源的にある、それを阿弥陀と言うのです。」(本書19-20頁)

「親鸞聖人はこういう具合におっしゃったのです。つまり、仏さまに抱かれているということを一生わからずに、私は本当に孤独で不安だと思って死んでしまう人と、抱かれていることをわかっている人と、二種類ある。それを「信」と「不信」というわけです。抱かれているという事実は同じなのです。みな抱かれている。この宇宙の中に、仏に抱かれないで生きることなど誰にもできない話です。けれども、そのことをわかる人とわからない人がいる。これがわかったことを「信」と呼ぶのです。如来の本願を信じるというのです。」(本書28頁)

「さて、『末灯鈔』では親鸞が年齢を加えてきまして、思想がますます単純かつ明瞭化してまいります。七番目の書簡にこう言われています。
  往生は何事も何事も凡夫のはからひならず、如来の御ちかひにまかせまいらせたればこそ、他力にてはさふらへ。様々にはからひあふてさふらふらん、おかしく候。
「往生の心とは、どういうことでしょうか」と、弟子があれこれと聖人に聞いてくるわけです。如来にまかせよと言われても、さまざまな心配がつきまとうから、どういう具合にまかせたらいいのですかと尋ねる。それに対して親鸞は、そんなことをあれこれ思わないことが、如来にまかせるということであると答えているのです。極楽に生まれるということは、もともと人間の力などのとうてい及ばない世界です。人間の力などではどうしようもない仏智の不思議による事柄について、なお自分のはからいでどうかなるように思っているのがおかしい。如来にまかす以外に何も要らないのだと言っています。」(本書41頁)

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  1. 2006/08/09(水) 10:00:49|
  2. 仏教史&仏教思想
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親鸞の「師」

下の記事で紹介した千輪慧氏の『歎異抄と親鸞』を読むと、「二十九歳の時の本願との出会い」ということが繰り返し繰り返し書かれていて、とても重視されているんですね。ある意味で、それがこの本の特徴でしょうか。
ところで、法然は師なく一人で専修念仏の信仰に入ったわけですが、よく考えてみると、親鸞も法然の影響を受けて信仰に入ったわけではなく、一人で信仰にめざめ、そのめざめたものを深めるために法然のもとに身をよせたといえるわけですね。ですから、親鸞にとっての法然というのも、やはり通常の意味での「師」とは違う。
私は、千輪氏はこの辺のことを強調したかったのかなとも思います。

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ところで、すると親鸞は法然のもとでいったい何をしてたんでしょうね?これはまあ親鸞だけじゃなくて他の法然の「弟子」も同じことで、学問するわけでなし、修行するわけでなし、戒も保つ必要がないとなると、「法然教団」の日常というのは、皆目想像がつかないんです。もしかすると昼は布教活動で夜になると戻ってくるというような生活でしょうか?
要するに、専修念仏の信仰というのは、入信する時がもっとも重要で、僧であれ俗人であれ、普段の生活の細部は問わないようなところがあるから、信仰生活を想像するというはとても難しい。

常陸での親鸞の生活というのもよくわからないんですけれども、念仏の教団は広がっても自分の信仰の主旨が周囲の人に思うように伝わらないという不満のなかで、自証としての『教行信証』執筆を思いついたということはあるんじゃないでしょうか。その時点で、これから書き綴っていく本の出来はどうであれ、自分はこれに賭けようと…。ですから、極端にいえばその時に、親鸞のなかで「布教」という考えは捨てられ、なりゆきにまかせようというようなことになったと推測することもできるんじゃないでしょうか。要するに、彼にしても法然にしても、つきつめていけば人のすすめで信仰に入ったわけではないわけです。ですから、親鸞は、通常の意味での「布教」に対する関心はもともとそれほど強くないんじゃないでしょうかね。
京都に戻っても、積極的に新たな布教活動を開始したようには思われないですし…。

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  1. 2006/08/07(月) 09:09:25|
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千輪慧氏の『歎異抄と親鸞』を読む

『歎異抄』について、(ここまでの当ブログでの議論を離れ)少し第三者的に書かれた本が読みたいと思い、千輪慧氏の『歎異抄と親鸞』(勁草書房、1984年)を読んでみました。ただしこのところ自分なりに親鸞思想や『歎異抄』のことをいろいろと考えているので、それからするとこの本にはどうも不満が残るのですが、それはそれとして、いくつか興味深い点もありましたので、以下、それらを自由に抜き出してみます。

まず、千輪氏の方法論ですが、「『歎異抄』は、(或る場における)対話の筆録であるから、前提(として語られたこと)と結論(的な考え)とを結ぶ途中の、親鸞じしんの(そこに到達するまでの)思索については委細をつくし難い(という事情がある)。そこで、それをおぎないながら『歎異抄』を読んで行こう、というのが私の読み方」(同書134頁)とされ、第一章では『歎異抄』の文章と作者が、第二、第三章では歴史的な背景と「信」との係わり合いがそれぞれ論じられ、第四、第五章では『歎異抄』の中心思想の前段階(親鸞の体験と思索の跡)が、第六、七、第八章で『歎異抄』の中心思想が検討されます。

『歎異抄』成立の歴史的背景としては、第二条が重視されていますが、これは善鸞異端説に全面的に依拠しており、私としてはうけいれ難いところがあります(もっとも、この点は、千輪氏だけでなく大半の<歎異抄本>がそうなってはいるのですが)。

「悪人正機」の問題に関しては、「親鸞の悪人正機思想は、彼の二十九歳の時の本願との出会いに、つまり、「善き人にも悪しきにも、同じように生死いづべき道」に感動した時にその出発点があったと考えることができる。法然の門に入ることの理由として他のこと(易行、専修念仏等々)を挙げないで善・悪をとりあげたことは、二十九歳の親鸞が、善悪の問題に深い関心をもっていたこと、そしておそらく、当時彼の周囲で一般化していた善悪観に深い疑問を持っていたことを示すものといえよう。そして、善人も悪人も平等に救われる道ということに深く感動したことは、彼が悪人という自覚に苦悩していたことを示すものである。”善人も悪人も平等に”という教えに対しては、普通の人間は不審に思い、自己を善人と自覚する人間は不満に思うのが普通である。善人意識が強ければ強い程その不満はつのる。”平等”の救いということに感動するのは、自己を悪人と自覚して苦しんでいる人間に他ならない。そして、二十九歳の親鸞はまさにそれであったのであり、「世々生々にも迷いければこそありけめ」という親鸞の言葉(恵信尼消息)は彼のその苦悩の深さを語りつくしてあますところがないのである。建長四年、八十歳の親鸞は関東の弟子に「はじめて仏のちかひをききはじむるひとびとの、わが身のわろく、こころのわろきをおもひしりて、この身のやうにては、なんぞ往生せんずる、といふ人にこそ、煩悩具足したる身なれば、わが心の善悪をば沙汰せず、むかへたまふぞとはまふしさふらへ。」(末灯鈔)と書き送っているが、これは彼の二十九歳の時の体験に根ざした言葉にちがいない。」(上掲書145-6頁)と、世間でいう具体的な悪人というより、個的なものでありながらある意味で普遍的な悪人観に根ざしたものであることを千輪氏は強調します。そして次のようにも記します。
「親鸞の信仰は、「信仰によって人は罪から解放され、…ここに万物の支配者となる」というルターの言葉よりも、「自己の悲惨を知ることは悲惨なことだが、しかしそれを知っていることは偉大である」というパスカルの言葉に近いように思えるがどうであろうか。」(上掲書143頁)

千輪氏のみる親鸞の往生観も、結局はこうした悪人観と結びつくものといえるでしょう。
「彼は、当時の、臨終に仏が来迎して下さるという一般の信仰に対して、七十九歳の時の弟子宛の書状の中で「真実信心の行人は、摂取不捨のゆへに正定衆のくらいに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心のさだまるとき往生またさだまるなり、来迎の儀則をまたず」と記し、また臨終とか来迎とかを問題にする人は、「いまだ真実の信心をえざるがゆへなり」と記している。親鸞にとっての基本的な対峙関係は、決して死後の問題としての地獄対極楽、ではなく、煩悩具足の人間(穢身)の住む矛盾に満ちたこの現実(穢土)対その矛盾の解消した地点(浄土)、すなわち穢土対浄土であったのであり、さらにいえばその根底にある「穢」対「浄」であったのである。」(上掲書189-90頁)

さてこれらの諸点をふまえたうえで語られる千輪氏の「信」に関する考察(主として本書第八章)は、読むべき点が多々あります。まずはその前提。
「親鸞のようにきわめて内面的な信に於いては、”自己唯一人が、唯一人として、聖なるものに面する”という<孤独>の面がその底にあると思う。「つくべき縁あればともなひ、離るべき縁あれば離るゝことのあるをも」(第六条)という師弟間の(さらにひろい人間関係の)無常を語る言葉の奥に、一人の<求道的な師>の<孤独>を私は見るのである。」(上掲書63頁)
「親鸞は、念仏して踊躍歓喜の心が起こらぬことに自己の問題点を見出して悩んだが、そのことは、自己に真実の「信」の心が起こらぬことの悩みでもあったにちがいない。そして誰でも深く考えてみればわかることだが、本当の信の心、殊にかぎりなく広く深い、超越的な大悲に対する、本当の信の心というものが、簡単に起り得るとは思えぬのであり、ましてやそれを「起す」ことなど思いもよらぬことであろう。世に「信ずる者は救われる」といわれる。しかしその言葉の前に、信ずるということがいかに難しいかを考えるべきだろうと私は思う。」(上掲書176頁)
続いて、そうした信の核心となる名号についての考察。
「親鸞は『興福寺奏状』が単なる名として軽視した名号を、単なる仏の名前とは考えずに、弥陀の本願の衆生救済の営み(即ちその行)の表現と見た、と私は考える。」(上掲書163頁)
「『南無阿弥陀仏』の六字について親鸞は、善導のそれについての解釈をさらに敷衍、展開しての解釈(六字釈)を『教行信証』行巻に記している。して彼は、「南無」とは帰命であり、帰命とは命に帰せよ、という「本願招喚の勅命」であり、次に「阿弥陀仏」とは、選択本願の行であると解釈したのである。親鸞は、南無阿弥陀仏という名号を、弥陀の本願の行に帰依せよ、という、本願からの神聖な命令でありよびかけだと解釈したのであるが、ここまで来ると、親鸞にとっての名号の意味は、弥陀の本願の、衆生救済の営みとその真心の表現であるとともに、ここに来たれ、という本願からのよびかけの言葉でもあったということがわかるのである。親鸞は名号について、経論釈を渉猟しながら右のように解釈し把握したのであるが、そのような作業の奥にあって彼を支え続けたものは、彼の二十九歳の時の体験だったと私は思う。「雑行を捨てて本願に帰」したその時には、法然の教える南無阿弥陀仏に、本願の万人救済の営みと真心と、そしてそこからのよびかけとを、しかと聞きとったにちがいないからである。そして名号は「やすくたもち、となへやすき」(歎異抄第十一条)ものであるから「釈迦如来よろづの善のなかより名号をえらびとりて、五濁悪時、悪世界、悪衆生、邪見無信のものにあたえ」(唯信鈔文意)たとし、そこに<易>によって末法の時代の悪人を救おうとする、仏の智慧による仏からの「廻向」を親鸞は感じたのである。『興福寺奏状』は<念仏>において、(念ぜられる)仏を名と体とにわけ、名を念ずるのを<劣>、体を念ずるのを<勝>としたが、親鸞は阿弥陀仏の名号においては、”名が即ち体”だと考えたのである。」(上掲書165-6頁)

以上からする本書の結論は、次のようなことになります。
「弥陀の本願の、衆生救済のための大悲の行、つまり真実の行など、もちろん到底人間の及ぶ所でないことはいうまでもないが、しかしわれわれは「聞」と「信」の不完全を克服しながら、ということは、自己だけの「楽」や名利の思い等を、つまり仏の捨てられたものは捨てる心を持ち、一方衆生を救おうという真心のように、仏の持たれた心については、これを持ちたいと切に願い、そして、大悲と、矛盾の現実と悪業きわまりない自己について深く「思」いながら大悲を推し求めて行かねばならぬ、と親鸞は語っているのである。それは親鸞の苦闘を語るものであるが、そのことについてはすでに見たとおりであり、彼は、”仏の、衆生救済の真心を自己が少しも持ち得ないという深い苦悩”の中で、その暗黒の地底において限りなく大悲に近づいていっていたのである。そして、闇の中で光を仰ぎ得たとき、というのは、本願からの「招喚の勅命」つまり、そのよび声が心に聞えた時に他ならないが、それは切に求める者の感動の一時にちがいないのである。そして、本願招喚の勅命を感動の心をもって聞き得た者は、その神聖なる命令に従おうという心が起るにちがいないのである。」(上掲書174-5頁)
「信」とは絶対からの招喚(よび声)であり、自力での「信」などありえない。したがって、念仏とは往生のための「行」ではない。
「その時、念仏は、念仏の行者にとって、「易行」であることさえも超えて「非行」となる。本願からのよび声を心に聞き、それにこたえようという心の表白としての念仏は、もはや人間の「行」とよぶに相応しくないものだからである。「わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆへに、行者のためには非行・非善なり」(第八条)といわれるゆえんである。」(上掲書175-6頁)

私としては、千輪氏が提起した「よび声」の問題、自分なりにもう少し考えてみたいと思っています。

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  1. 2006/08/06(日) 09:51:29|
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北関東での親鸞布教の意味

ずっと書き続けてきた親鸞関係の記事に、azumandoさんからコメントをいただきました。うれしいことです。さて、azumandoさんは、「個人的には武士による受容のされ方に興味があります」とのことですが、その問題をも含めて、このところ私は、常陸を中心とする北関東における親鸞の布教とはなんだったのか、はたしてそれは成功といえるのか、晩年の親鸞はなぜ北関東を離れ京都に戻ったのかという問題をずっと考えています。といっても、この辺は有効な史料がほとんどないので、少ない史料や議論からなんとか自分で納得のいくこたえを導こうという程度のものですが…。

ともかく、嘉禎元年(1135年)頃に六十歳を過ぎた親鸞が京都に戻り、それ以後二度と関東に来ることがなかったということは動かしようがない事実と思われますが、さまざまな親鸞研究者によっても、その理由は不明とされているわけです。
7月13日付けの記事「秘伝としての『歎異抄』」のなかでは、私は、それを「親鸞からすれば、法然から伝えられた浄土の教えは、非常に簡潔であり、自分が関東にいようがいまいが、それが誤解されることはありえないということだったのでしょう。したがって、その教えが関東にある程度定着したと見はからって、彼は信徒を置いて上京したのではないかと考えられます」と推測したわけですが、その後さまざまな研究書を読んでいるうちに、そうした考え方に対する疑問が生じ、むしろ親鸞は北関東の教団を見限って京都に戻ったのではないかと思えてきたのです。
そこでもう一度、北関東における親鸞の布教の意味を考え直したいと考えるようになったのですね。

その出発点としては、一度引用しましたが、まず伊藤益氏の次の推定を掲げておきます。
「親鸞直々の門弟たちは、それぞれ道場主として数十から数百の門徒を抱えていた。『親鸞聖人門侶交名牒』から類推するに、道場主として立っていた門弟の数は、四十四名にのぼる。これに『末燈鈔』記載の門弟を加えれば、その数はおよそ六十に達する。したがって、直接・間接に親鸞の影響を受けた人々は、一万名近くを数えたことになる。」(『歎異抄論究』49-50頁)
これに対し、前は、今井雅晴氏の、親鸞の門弟たちの信仰をつぶさにみていくと、専修念仏ではなく雑修と考えざるをえないという、門弟の「質」からくる疑問をあげておきました。
今度は、少し方向をかえて、北関東における親鸞教団は具体的にどのような人たちだったのかを、やはり今井氏の著作からみてみようと思います。
今井氏によれば、昭和二十年代から三十年代にかけて、親鸞の布教対象はどのような社会階級に属する人だったのかに関して論争があったといいます。つまり、
「(昭和二十年代から三十年代には)親鸞は労働者・農民の味方である、関東の草深い農村で農民のために支配者と戦っていたのだという考え方が根本にありました。そうすると、その考え方からは当然、親鸞の門弟たちは農民ということになります。しかし実際のところ、武士出身としか思えない門弟もいましたので、このような論争になったのです。親鸞が自分を悪人であるとする内省の深さなどは、人や生き物を殺さざるをえない武士の罪業観を反映しているとして、門弟の中心は農民であっても武士のそのような内省心がもとにあるのだ、とする考えかたもありました。でも論争はいつのまにか立ち消えになってしまいました。それは昭和四十年代の日本の経済的発展が背景にあります。政府を敵視する感情がいつのまにか日本の国内で弱くなっていったからです。それに農民説は明らかな誤りです。もともとこの説は無理だったのです。その理由は、親鸞の生きていた鎌倉時代、ほとんどの農民たちには宗教を選択する権利はなかったからです。それを持っていたのは領主である武士たちです。外からやってきた親鸞の布教に応じることができるのは武士たちだったのです。事実、二十四輩第一の性信は鹿島神宮の神主の一族とされています。神主というのは、今日からでは想像がつきませんが、鎌倉時代は武士なのです。農村の支配者なのです。二十四輩第二の真仏は、先に申しましたように椎尾氏あるいは大内氏という武士の出身です。真仏の息子は近隣の大豪族結城氏の婿に迎えられたと伝えられています。二十四輩第三の順信の出身も鹿島神宮の神主の一族とされています。これも武士で片岡氏といいます。二十四輩第四の常念は順信の弟と伝えられていますから、同じように武士です。これを見ただけでも、主な門弟たちは武士の出身であったことがわかります。その武士たちが、自分の領地の農民たちに親鸞の宗教を信仰することを許し、あるいは強要することはあったでしょう。しかしその場合でも、あくまでも主体は武士です。」(112-3頁)
この説と先にあげた伊藤氏の説を単純にプラスすれば、北関東には武士を主体とする一万名近くの親鸞教団が存在したということになります。
実際、『歎異抄』第二条には、関東の親鸞教団での混乱に際し、唯円ら複数の有志が北関東から京都まで上洛したことが記されているわけですから、こうした教団幹部クラスはゆとりのある領主階級の人間であったと推測されます。

ところで、私が疑問に思うのは、実際問題として北関東の親鸞はまず領主クラスの武士を対象として布教したにせよ、それは、そうしないことには布教活動が成立しないからそうなっただけで、だからといって、親鸞がほんらい布教しようとした対象は武士だと考えることはできるのかということです。すなわちこれは、今井氏が指摘する昭和二十年代から三十年代にかけての論争の原点に戻ることを意味します。

推測するに、この論争は、想定布教対象と実際の布教対象を同一視して行われたために、実際の布教対象が武士であるということが明らかになったとき、(今井氏によれば)立ち消えになったわけですが、私の考えでは、実際の布教対象と想定布教対象の相違ということは十分考えられることであり、親鸞が実際にどのような人に布教していたかという問題とは別に、親鸞が想定していた布教対象はどのような人であったかという問題も、思想史的な問題としては十分成立するのではないかと思うのです。
今井氏の文脈に戻して私の疑問を要約すれば、親鸞は(法然の意志をついで)実際の労働者や農民に専修念仏を布教したいと考え北関東に移住したが、そこで直面したのは、まず領主階級(武士)に布教しないと、ほんらい布教したい労働者・農民にも布教できないという事実であり、そこで戦略を変更して、まず領主階級に布教したというものです。専修念仏の教えがもつ普遍性からは、私にはこう考える方が「腑に落ちる」のです。
で、とりあえず領主階級、すなわち武士に布教するということになると前面に出てくるのが「悪人」もしくは「悪人往生」の問題ですね。法然や親鸞が考えていた「悪人」というのは、必ずしも人や生き物を殺すことを職業とする人=武士に限定されたものではなく、(自己をも含む)末世に生きるすべての衆生という普遍的な意味の言葉だったのではないかと思いますが、武士たちは、浄土宗の教えと自分たちの処世・後世の問題を直結してとらえる傾向があった。今井氏があげている「親鸞が自分を悪人であるとする内省の深さなどは、人や生き物を殺さざるをえない武士の罪業観を反映している」というとらえ方が生じてくるのは、こうした背景があってのことだと思います。
すると問題は、こうしたかたちで、北関東での布教はある意味で成功し、一万名近くの門弟を数えるに至ったとき、果たして親鸞はそれに満足したのかということなのですね。で現在、私は、帰洛という事実がそれに対するこたえではないかと考えているわけです。つまり、北関東にいて布教活動を続けても、あまねき人のための念仏、自己の内奥をみつめての念仏という考え方が、限定されたかたちでしか受け取られない。もうこれ以上この地で布教を続けるのはやめようと…。
教団側の論理からこれをとらえれば、教祖自身が教団を見限ったというような、かなりきわどい結論になってしまうんですけど、もう少し親鸞よりに考えれば、自分は教えられるだけのことは教えたのだからこの人たちはこの人たちでやっていけばいい、もともと自分は門弟も名誉も欲したわけではなし、弟子一人いないという原点にもどって、浄土宗の教えを根本から見つめ直し、深めていきたいというようなことになるでしょうか。『教行信証』も、親鸞のこうした思いのなかで執筆され、京都で完成されたといってもいいような気がします。この辺、厳しいといえば厳しいし、冷たいといえば冷たい。親鸞という人は、法然や一遍とはやはり違うタイプの人だと思います。
さて、それ以後の親鸞と門弟の考え方のズレというのは、北関東におる親鸞の弟子・唯円が執筆した『歎異抄』に見事に描き出されていますね。なんとしても往生したいという門弟たちと往生そのものは必ずしも問題ではないのだという晩年の親鸞の思想のズレは、結局埋まらなかったのではないでしょうか。

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  1. 2006/08/05(土) 10:47:13|
  2. 仏教史&仏教思想
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人を「理解」するとは?ーーある父親の手記を読む

このところ抽象的なことばかり考え、このブログにもそんなことを書き綴ってきましたが、下の記事(手記)↓を読んで、A、父親、それぞれの心の闇の問題もさることながら、人を「理解する」ということはどういうことなのかについて、いろいろ考えさせられました。

『奈良高一放火殺人犯、父親の手記』(毎日新聞)

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  1. 2006/08/02(水) 13:19:42|
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