le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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スタイルが語る

すぐ下の記事で書いている芸術表現におけるスタイルのこと、毎○新聞の記者にはとてもわかりにくいようで、知人になんどもくりかえし質問していました。それはようするに、芸術的ということと職人的ということの対立の問題でもあったのですが、知人は、とあるメッセージ等を直接表現する「芸術的作品」に対し、そうしたものをストレートにはめざさない「職人的作品」もあることを主張し、自分はその「職人的作品」を支持するということを強調しているのですね。
このことそのものは、たとえばブレッソンの映画などにも通ずる問題で、ブレッソンは、直接的な「主義・主張」といったものを作品から徹底的に排除しようとし、その主義・主張の排除ということが、ある意味でブレッソンの「主張」になっている(ちなみに、知人もブレッソン映画が大好きで高く評価しており、ブレッソンのことは、ふたりのあいだてよく話題になります)。主義・主張の徹底した排除の背景に、ある積極的なメッセージがこめられているといった作品が存在するのだということ、肩肘をはった自己主張だけが芸術表現のすべてではないのだということ(トリュフォーは、ブレッソンの『バルタザールどこへいく』を「気負わない映画」といってとても高く評価してますね)を理解するのに、毎○の記者はとても苦しんでいるようにみえました。というか、彼女は知人の本を読んだときに、おそらく直感的にそのことを感じ、でもそれを自分で言葉にするのがとても難しくて、インタビューを申し入れてきたのですね。ですからこのインタビューは、彼女にとっての自己確認でもあって、だから彼女は異様に緊張していたのだと思います。
まあようするに、「スタイル」もしくは「日常性」というのは、作品のなかで言語等による直接的な主張を行わないときに大きくクローズアップされてくる問題で、ブレッソン作品は、スタイルそのものがメッセージ性をもっている典型的な例ですね。
(だったら、そんなまわりくどいことはやめにして、直接メッセージを伝えればいいという考え方もあるとは思いますが(笑)、知人なんかは、そうした直接的メッセージはその場限りのものでなにか弱いところがあると考えているのですね。)
インタビューでは、そんなところから、「日本的表現」ということも話題になったのですが、ブレッソン作品をみればわかるように、これは日本的とか西欧的といった問題でもないし、またエロティシズムを論ずるときに、これを必ずセクシャリティーやジェンダーと結び付けなくてはならないといった単純な問題でもないということで、かなりつっこんだものになりました。

さて、今日は、とある本を一緒に訳そうとメールで話し合っている人とはじめてお会いします。私からすると、その本でも表現の「スタイル」は大きな問題の一つで、彼には、このブログでも紹介しているブレッソン『バルタザールどこへいく』をめぐっての浅沼圭司さんと品田雄吉さんの対談のコピーをお送りしてあります。
一緒に訳そうという本のこと、ブレッソンのこと、スタイルのこと、どうなるかとても楽しみです。
(ちなみに彼の専門は美学で、クレーの作品と芸術活動をとても高く評価しているようです。)

【参照】
「ロベール・ブレッソンの作風をめぐって 1」
「ロベール・ブレッソンの作風をめぐって 2」

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テーマ:研究者の生活 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/01/31(水) 13:08:38|
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報告終了し、原稿依頼

昨日行った浄土教団についての研究、おかげさまで大好評でした。私が報告させていただいた研究会では、毎年会報を発行しているのですが、報告終了後、おもしろい報告でいろいろな人に知らせたいので、報告内容をまとめて、会報に『研究ノート』として寄稿して欲しいという依頼もいただきました。小さな疑問からはじまった研究が、ここまで評価していただけるというのは、ほんとうにありがたいことです。

   *    *    *

ところで、報告前の26日、毎○新聞から知人へのインタビューがありました。
昨年末、知人が、これまで書いたさまざまな文章をまとめてエッセー集を出したのですが、それがとてもおもしろいので、著者インタビューをして、それを紙面に掲載したいというのです。これも、とてもありがたいお申し出です。
この本の編集作業は私も少しお手伝いしましたから、そんな縁で毎○新聞のインタビューにも立ち会わせていただいたのですが、記者の方は、知人のエッセー集を隅の方まで丁寧によく読んでいて、とても内容のあるインタビューになったと思います。
話題はエロティシズムとは何かといったことや文章や芸術作品におけるスタイルとは何かといったことが中心でしたが、たとえばエロティシズムを問題にするに際しても、興味本位のものではなく、インタビューをとおしてその本質を掘り下げようとするとても真摯なものでした。また、ふだん取材慣れしているはずの新聞記者が、緊張したおももちで、一語、一語、慎重に言葉を選びながら質問してくるのも、聴いていてとても心地よかったです。

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  1. 2007/01/28(日) 14:08:16|
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研究者のあるべきすがた

12月に行った私の浄土教団に関する研究報告、M氏の先行研究を直接批判しており、また今週末に予定されている報告でも、M氏批判が核になる予定なのですが、儀礼上、そのM氏に12月の報告レジュメをお送りしたところ、折り返し丁寧なメールを頂き、非常に感激しています。
M氏からのメールの主旨は、「12月の研究会報告レジュメ、お送りいただきありがとうございました。教学面と宗教受容者のがわと両側面から検討を加え、今までの研究史の批判的検討の上に立って、浄土信仰の解明に意欲を燃やしているlunatiqueさんの研究の内容がよくつかめました。宗教が日常の社会の中に大きく根を下ろしていて、政治・社会・経済と不可分の関係にある中世社会の解明には宗教面からのアプローチは不可欠と信じて疑いません。研究会の成果を踏まえて論文として発表されることを願っています。よろしくお願いいたします」というもの。あいにく今週末は、M氏は別の研究会への参加があらかじめ決まっており、私の報告には立ち会えないとのことですが、私のこざかしい批判を許容してくださったM氏の度量の広さには、研究者としてのほんとうの姿をみる思いがしました。
M氏のメールにこたえる意味でも、M氏の研究はきちんと批判しなくてはいけないと、責任の重大さを感じています。

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  1. 2007/01/22(月) 13:16:46|
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初顔合わせ

前の記事に書いた音楽家の伝記の翻訳、月末にようやく私に共訳を申し入れてくれた方とお会いすることになりました。
その方とはネットをとおしての知りあいで、メールをとおして一緒に翻訳しようということを決め、一度電話でそのことを確認しあっただけで、実はまだお会いしたことがないのです。
ということで、どんな方か、お会いするのが楽しみです。

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  1. 2007/01/19(金) 10:18:26|
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親鸞教団研究

鎌倉時代の浄土教団についての研究、27日、仏教関係の某研究会で、再度報告することが正式に決まりました。こうした歴史の研究報告で、一つの報告が再度取りあげられるというのは稀なことですから、非常にありがたいと思っています。
12月に行った研究報告は、法然教団、親鸞教団を包括する総論的なものだったのですが、これだと報告に2時間以上かかりますから、今回は、そのなかから④親鸞没後の親鸞教団を論じた部分を抜き出し、坂東版『教行信証』奥書の読みを中心に報告しようと思っています。
内容的には、峰岸純夫氏の研究をベースに、今井雅晴氏による補説をもまじえながら、親鸞教団と幕府権力の関係を探るといった報告になると思います。
報告レジュメ作成のあいだ、またブログ更新が滞ってしまいそうですが、どうぞよろしくお願いします。

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  1. 2007/01/17(水) 12:46:51|
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「受容」の歴史

遅まきながら、明けましておめでとうございます。
みなさんは今年、どんな計画をたてておられますか?

さて、私はとある人からのお誘いで、今年はある音楽家の伝記を翻訳することになりました。もっともこれは、私を誘ってくれた人とのあいだでその伝記を訳そうという同意ができただけで、出版社も何も決まっていない、あくまでも計画段階の話なのですが、なんとか出版社を見つけ、ぶじ公刊にこぎつけたいと思っています。ということで、去年の暮れからずっとその伝記を読んでいるのですが、これがほんとうにおもしろいのですね。なんというか、波瀾万丈という意味でおもしろいのではなく、この時代にこういうことを考えていた人がいて、こんな演奏が行われていたんんだーーという意味でおもしろいのです。ですから、私を誘ってくれた人とは、単なる音楽家の伝記としてではなく、とある文化史としてこの本を紹介しようということで合意しています。出版社もその方向で探すことになると思います。
それともう一つ、去年の12月に行った浄土教団についての研究報告が好評で、今月末、それをもう一度、今度は仏教関係の研究会で報告して欲しいという要請が入っています。これもとてもうれしい話で、ただ報告日まであまり時間がないので、昨年の報告の手直しに追われています。

クラシック音楽の演奏者の伝記と日本の仏教教団の研究、いっけんなんの脈絡もないのですが、私のなかでは、それは音楽や仏教思想が社会のなかにどのように受け容れられていたかという受容の歴史ということで、共通しているという感じですね。つまり、音楽の歴史を考えるときに、ある時代にある作曲家がいてこういう曲が作曲されたというだけでは不十分で、それらの曲がどのように演奏されたか(演奏されなかったか)をみていかないと、ほんとうの意味での音楽の歴史は語れないし、仏教でも、偉い祖師の思想を分析するだけでなく、実際の民衆の信仰、彼らが祖師たちの思想をどのように理解し受け止めたかをみていかないと、信仰の歴史は語れないということです。
とはいえ、実際には雲と泥ほどかけ離れた話題で、参考文献もそれぞれまったく異なりますから、頭の切り替えが大変です。

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  1. 2007/01/12(金) 11:30:25|
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