le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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『メゾン・ド・ヒミコ』

なんとファンタスティックで美しい映画!
今日(28日)は、渋谷のシネマライズで犬童一心監督の新作映画『メゾン・ド・ヒミコ』をみた。キャッチ・コピーは、「私を迎えに来たのは、若くて美しい男。彼は父の恋人だった」。このコピーが映画の内容をすべて語っている。

himiko.jpg

塗装会社の事務員・吉田沙織(柴崎コウ)には、父とは認められない父がいる。その男は、母と自分を捨てて銀座でゲイ・バーを経営し、そのゲイ・バー「卑弥呼」をたたんでから、海辺の小さな町でゲイ向けの老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を運営している。その男・卑弥呼(田中泯)が癌の末期症状となり、卑弥呼の恋人で老人ホームの管理人をしている春彦(オダギリジョー)が、卑弥呼への配慮から、沙織にコンタクトをとってきたのだ。とはいえ、父を父と認めない沙織への配慮もある。春彦は、日曜だけ老人ホームの雑用係のアルバイトをしないかという。思いがけない高額の日給に沙織はその申し出をうける。
ここからは、ひたすら老人ホームの描写。ニューハーフの老人等、他に行き場書があるとは思えないような奇妙な住人たちが次々に紹介される。
と、ここまで読むと、なにか非常にリアリスティックで陰鬱な映画という印象をうける方も多いと思う。それが実際には、老人ホームに住むゲイの描写はリアルをとおりこして非現実的であり、シュールとしかいいようがない。
ストーリーは、女装願望をもつ山崎(青山吉良が好演!)を中心にみんなでディスコにくりだすところから一変する。沙織と春彦のあいだに名づけようがない感情が生まれてくるのだ。沙織にも春彦にも、その感情をどう処理したらいいかわからない。ホーム内のゴタゴタから沙織はホームを去る。そして卑弥呼が死に、卑弥呼の荷物はすべて処分される。
だが…。
この映画はまず一つ一つのシーンが極めて美しいのだが、映像が美しいだけでなく、出てくる人たち、一人一人の心情も美しい。弱い人たちが、その弱さをかばい合うように生活している。もちろん、ホームの周辺にはゲイに対する無理解があり、そうした無理解と自分のありのままでありたいとするゲイたちとの葛藤もある。しかしそれでも、映画はけして重くはならない。また、卑弥呼と春彦の感情描写が希薄で、特に春彦の性格がよくわからないなどと野暮なことはいいますまい。そうした細部のストーリー展開はさておき、この映画、すべてが美しいとしかいいようがないのだ。
それでもこの映画から、あえてリアルとファンタジーをつなぐものを探すとすれば、ゲイの屈折した心理ではなく、沙織の母親の存在ではないか。沙織には知らせていなかった母の一面が、「メゾン・ド・ヒミコ」の壁にかけてあった一枚の写真から明らかになる。そのことからくる沙織のなかの深刻な葛藤。しかし母は映画のなかにその写真でしか登場しないがゆえに、沙織の葛藤が観客の眼にリアルなものとしてうつることはない。つまり、この映画のなかにリアリティーがないのではなく、映画は、そうしたリアリティーをリアルに描きだすことに関心をもっていないのだ(リアリティーの問題は映画の外で展開している)。ゲイの父と娘の和解はこの映画の重要なテーマなのだが、もしかすると沙織は、父をそのままうけいれたのではなく、ありのままの母をうけいれることで、母をとおして父をうけいれたのかもしれない…。
それはさておき、この映画のもつ美しさ、あるいは一種のファンタジー性がどこからくるか疑問だった私は、劇場を出てからプログラムを読んで「あっ」と納得した。犬童監督は、当初、大島弓子のコミック『つるばらつるばら』を映画化したかったのだという。資金難からその企画が挫折したとき、ゲイの老人ホームを描いた映画という企画が提案され、犬童監督は、その企画に大島弓子の世界をオーバー・ラップさせることで、ゲイの老後という陰鬱な問題をファンタジーへと昇華させたのだ。

オダギリジョーのあやしくも美しい存在感が、バラバラになってしまいそうなストーリーを有機的に結び付け、この映画に不思議な説得力を与えている(こんな素敵な恋人、私も欲しいです♪)。
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  1. 2005/08/28(日) 22:38:08|
  2. 映画
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  4. | コメント:2
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コメント

リアリティーについて

「この映画のなかにリアリティーがないのではなく、映画は、
そうしたリアリティーをリアルに描きだすことに関心をもっていないのだ」
・・・この部分、この映画の演出上の作戦を上手く言い当てていると思います。

僕はこの映画を、すごく「演劇的な映画」だと感じました。
演劇では「虚構」であることが映画よりも観客に意識されやすい仕組みになっているので
論理や意味に捉われず、演出が自由に「飛躍」することが多く行なわれます。

ところが凡庸な監督の作る映画ほど、論理や意味に捉われてしまって
テレビの2時間サスペンスドラマの種明かしの場面のように
すべてを映画の中で論理付けて説明しようとしてしまいます。

しかし、現実というものはそもそも、そう簡単に言葉で説明できるような薄っぺらいものではない。
上質な映画表現とは、言葉をいかに超えて行くか、
観客の心の中で多義的に育ってゆく表現になるかを
意識して目指したものであると思います。

この映画ではダンスシーンが特に象徴的なのですが、
現実や論理ではあり得ない描写が
あの場面では強調されて描き出されています。
主人公たちが、振りを知っているはずも無いのに突然踊れたり・・・(笑)
ものすごい笑顔で、いわば「ショー」になっています(笑)。現実にはあり得ない。

しかし映画の全体を振り返って想起した時に、あの場面というのは
あの時点での登場人物たちの内面をとても象徴的に観客の脳裏に印象付けている。

全編に渡って貫いている演出姿勢がわかりやすく象徴されているのは
あの場面なのではないかと僕は思いました。
ファンタジーっぽい印象もありますが、
それも「虚構」であることを意識化させるための作戦なのではないかと感じました。

TBありがとうございます。TB返しさせていただきました。

  1. 2005/10/08(土) 09:11:49 |
  2. URL |
  3. akaboshi07 #z6hOmddI
  4. [ 編集]

「演劇的」ということ

Akaboshiさん、TBありがとうございます。
Akaboshiさんのおっしゃる「演劇的」ということ、私はもっと先があると思うのです。
Akaboshiさんは、ちょうど映画『曾根崎心中』(私はこの映画未見)をご覧になったようですが、これ、もともと人形浄瑠璃ですよね。近松の戯曲というのは、大半が人形浄瑠璃用に書かれていて、後からその台本が歌舞伎にそっくり転用されるわけです。
で、同じ台本による人形浄瑠璃と歌舞伎を観比べると、私見では、人形浄瑠璃は象徴性において際立ち、歌舞伎は逆にリアリティ(生々しさ)によって際立っているのです。
この辺、日本という国は、「演劇的」ということを二つにわけて考えてきたのではないかと思いますが、それでもあえてどちらのジャンルがより「演劇的」かと問うならば、私は人形浄瑠璃の方が演劇的だと思っています。
で、私の考えでは、『メゾン・ド・ヒミコ』は、希有なことに、人間をつかって、そうした人形浄瑠璃的な演劇性を達成しているのですね。
   *   *   *
この問題、これで充分説明できたとは思っていませんから、よろしければ、私のブログなりAkaboshiさんのブログなりで、継続的に話していきませんか?
  1. 2005/10/13(木) 02:04:26 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

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