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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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尾崎宏次氏の『ジャンヌ・ダルク裁判』分析

ロベール・ブレッソン作品『ジャンヌ・ダルク裁判』のプログラムである『アートシアター』72号では、演劇研究者・尾崎宏次氏も、ブレッソンが素人を起用して映画をつくるのはなぜかについて、非常に興味深いコメントを執筆している。比較的短い文章なので、以下、全文を引用・紹介する。

   *    *    *

演技の一回性 尾崎宏次氏

 ジャンヌ・ダルクほど有名な人物を、そしてこの裁判ほどポピュラーな事件を、まったく既成の俳優からはなれてつくったのはなぜだろうか。私はこの秀抜な映画をみて、ブレッソンという監督のなかにある、いってみれば、表現者として持っている複眼のようなものを考えた。ごくつづめて言ってしまえば、映画にでてくる素人たちがここに残したものの高さは、ねりにねった技術をもっている狂言師が残すものと、じつによく似ていた。
 これはいったいどういうことなのであろうか。一応の映画についての常識を通ったうえで、どうも、演技の一回性ということがきわめて整然とこの人のなかにたくわえられているように思う。それは、リアリズムにまつわりついている類型的な描写みたいなものをとりのぞかなければならないという、一種の覚悟のようにも見受けられるのである。
 裁判だけを撮る、しかも、この裁判には弁護ということがない、欠けている。そこで、裁判とはいうものの、裁くものと裁かれるものしかいない。そのうえ、証拠は抽象的でだれにもつかみだせない神の実話だから、しぼっていくと、ごく単純化された「対話」なのである。法廷と石廊下と牢獄だけが、なんどもくりかえされるけれども、そこにしか「対話」はないのである。対話は、それが通じあわないからはげしく高揚するのであって、通じあうためのものではない。ここに劇の発生がある。
 素人がブレッソンにとって必要欠くべからざる「俳優」でありうるのは、そういう場においてである。ストーリイの上を滑っていくためではない。ということは、この監督の頭のなかには、たぶん、人間がそういう場に立ったらかならず演じうる可能性をだれでも一回ははらんでいる、という考え方があるにちがいない。それは、演技をくりかえすということとはちがう。くりかえされぬ「場」、ここでは裁きである。この場がくりかえされぬものとなるために、映画はできあがったら、もう二度とくりかえされない、という条件とぴったり合っているのである。この両方の支柱のうえで、素人が必要になっている。
 よく言われることだが、芝居やオペラで人物が死ぬときには、ずいぶん大げさなまねをしているのであるが、それでも充分に観客を納得させることができるのは、それが様式化されているからである。この様式は映画が拒否する。しかし映画は無様式ではない。ブレッソンの映画様式は、この拒否をすこぶる潔白に拒否としてもつことからはじまっているのだと思う。
 そこで、私に興味があるのは、描写癖の削除ということもあるが、演技の一回性をたしかに手中のものとするためには、この裁判のような二者対立の矛盾が要るのである、ということである。矛盾は解決されるどころか、一本の黒く焼けた棒になって、そのまま残るだけの話である。そこで、矛盾は私たちの内面の問題になってくる。つまり、素人がはらむ表現の可能性というものは、そういう矛盾の一方にじぶんが立つということであって、だから、ある意味でいうと、俳優が失った不安を、素人は持ちうるということになるのかもしれない。これはきわめて挑戦的なことである。
 この一回性を私たちがスクリーンを通して追体験すると、映画のジャンヌ・ダルクは、けっして歴史は事件であるなどとみていないことが、判然としてくると思う。私が合せた焦点はそこにある。


   *    *    *

荻昌弘氏の作品分析と尾崎宏次氏のコメントから、『ジャンヌ・ダルク裁判』という映画の構造がかなり明確になってきたのだが、それによれば、この作品は英雄ジャンヌ・ダルクの一生を描いた伝記映画ではなく、文字通り、「裁判」を描いた映画であるということ、そしてその裁判とは、おそらく神学論争のようなものであろうということ(見神体験の普遍化・論証)だ。
ブレッソン映画の系譜のなかで、今までこの作品はうまく位置づけようがなかったのだが、これによってようやくブレッソンが『ジャンヌ・ダルク裁判』を撮った理由がほのみえてきたような気がする。

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テーマ:名作映画 - ジャンル:映画

  1. 2006/04/20(木) 11:24:39|
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