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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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和歌文学会の例会を聴く

昨日は、Mの読書を一時中断して和歌文学会例会を聴講して参りました。そのなかで行われた加畠吉春さんの発表「金葉集の撰進」に興味があったからです。というのは、私も『金葉集』のことを少し研究しており、それについて小さな文章を発表しているものですから。

さて加畠さんの発表、はじめに私も依拠している松田武夫さん(岩波文庫版『金葉集』の編者)の説を要約してその問題点を指摘し、次に最近の説としてなんと私の説を紹介・吟味し、次に自説に移るというものでした。基本的には『金葉集』の三つの版(初度本、二度本、三奏本)の新たな成立年代比定と、『金葉集』が編まれた理由の推定の二点から構成された発表だったと思います。
『金葉集』という勅撰集は、いつ成立したのか、なぜ三つの版があるのか不明の点が多いのですが、加畠さんの説、『金葉集』の成立年代に関しては、たとえば、現存する初度本『金葉集』に、天治二年(1124年)三月に行われたと考えられる鳥羽院の歌会の歌が含まれているところから、初度本の成立を松田説の天治元年末成立より繰り下げた方がよいというもののように伺いました。ただこれについては、現存する唯一の初度本(伝冷泉為相筆本、すなわち鎌倉時代後期の書写)が善本とはいえず、その書写・伝本経緯等をさらに吟味した方がよくはないかという疑問を述べさせていただきました。
また、『金葉集』を難じた『良玉集』の成立年代比定から、逆に『金葉集』二度本の成立年代を推定し、二度本の成立をも松田説(天治二年四月)より繰り下げて大治元年(1126年)夏頃にするという提案もありましたが、これについては、『良玉集』を研究された久保木秀夫さんから質問がでました(久保木さんの考えは、『金葉集』二度本の成立は松田説のままでよいというもののように伺いました)。久保木さんの研究「『良玉集』考」は、『国語と国文学』平成17年6月号に掲載されているということでしたので、これについては、私も図書館で確認してきたいと思っています。
要するに、『金葉集』初度本の成立が天治二年三月以降(加畠説)とすると、一カ月でそれを改訂するのは不可能なので、二度本の成立も同年四月(松田説)より繰り下げなくてはならないが、その下限は『良玉集』の成立問題とからんでくるということです。
『金葉集』の撰進の背景そのものに関しては、加畠さんは、私の説をも評価してくださったうえで、白河法皇の晩年において待賢門院がしめていた位置を重視し、待賢門院の皇子・崇徳天皇の治世の予祝ということに意義があったのではないかという説を述べられました。そのなかで、『金葉集』には保安四年(1123年)の大嘗会の和歌が含まれており、現天皇の大嘗会和歌を採用するのは勅撰集として最初の試みであるという点は新たな視点で、興味深かったです。
いずれにしても、私の説を取りあげて吟味してくださいましたので、非常にうれしく聴かせていただきました(私の説に関していえば、私の説は松田武夫さんの『金葉集』成立年代推定に全面的に依拠したものであり、むしろその補説的な位置づけにあるように自分では考えていたのですが、それが松田説と切り離しても検討に値するとして頂けた点、望外の喜びでした)。

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テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/06/18(日) 11:08:07|
  2. 和歌および古典文学
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