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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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『金葉集』の編纂

『金葉集』の名前が突然飛びだして、とまどわれている方も多いかもしれませんね。『古今集』『新古今集』ならいざ知らず、『金葉集』は、普通、あまり読まれることのない勅撰集(天皇や院が編纂させた国家的和歌集。ちなみに『万葉集』は編纂の勅命がなく、非常に重要な和歌集ではありますが「勅撰集」ではありません。勅撰集に和歌が採用されることは、歌人にとって大きな名誉であり、重視されました)ですから。以下、下方の記事と一部重複しますが、『金葉集』の編纂に対する説を整理してみます。

さて、勅撰集は、平安時代から室町時代まで、二十一回編纂されていますが、そのなかでも『古今集』から『新古今集』までの八つの集は、八代集として特に重要視されています。『金葉集』はそのなかで五番目の勅撰集であり、編纂を下命したのは白河院、撰者は源俊頼です。
ところでこの『金葉集』、下の記事にも少し書いたように、編纂に複雑な事情があったらしく、初度本、二度本、三奏本の三つの版があるうえに、それらがなぜ改訂されたのか、いつ成立したのか、はっきりしないのです。
当時の和歌界の事情を伝えるものとして藤原清輔が執筆した『袋草紙』という著作あり、これによって『金葉集』が編纂された事情が少しわかるのですが、それによれば、『金葉集』は天治元年(1124年)に編纂の命令が下り、大治元年(1126年)もしくは二年(1127年)に完成したとあります。白河院が『金葉集』の前に編纂させた『後拾遺集』は、編纂に十年以上かかっていますから、下命後二三年で完成したというのは、勅撰集としては異様にスピーディーな編纂です。また上にも書いたように、『金葉集』にはいろいろな版があって、『袋草紙』によれば、撰者・俊頼の案は二度却下され、三度目の版がようやく承認されたとあります。俊頼の案のどこが白河院の意にそぐわなかったのかは、『袋草紙』によってもはっきりわかりません。
さて『金葉集』の三つの版ですが、現在それぞれに書写本が残っています。
まず初度本(最初の版)ですが、藤原定家の孫で鎌倉時代後期の歌人・冷泉為相が書写したとされる版だけが残っています。ただしこの版(伝為相筆本)は、『金葉集』前半の五巻分しかなく、初度本の全容は不明です。
二度本(二番目の版)。二度本も白河院に却下された版であり、その点からすると『金葉集』の最終的な形体を示すものとはいえないのですが、一般に広く流布し、数多く書写されました。通常、『金葉集』といえばこの二度本を指します。
三奏本(三度目の版)。白河院公認の『金葉集』最終版ですが、なぜか白河院がこの版をしまい込んでしまったため、世人の眼にはほとんどふれませんでした。それでも、三奏本には、定家の同時代人・藤原良経が書写したとされる版など、いくつかの書写本が現存しています。
そうしたなかで、『金葉集』がいつどのような経緯で編纂されたのかを詳細に研究し、現在にいたる定説をつくったのが、岩波文庫版の『金葉集』編集者でもある松田武夫さんです(『金葉集の研究』、山田書院、1956年)。
松田さんは、まず、『金葉集』に保安五年(1124年)閏二月の歌会の歌が含まれているところから、『金葉集』が編纂されたのはそれ以降であり、この点に関する『袋草紙』の記事は信頼できるとしました。そのうえで現存する初度本と二度本を比較し、初度本の伝本が不完全なためこの伝本から初度本成立年代を確定するのは不可能として二度本を優先的に検討し、その奥書から二度本天治二年四月成立説を唱えました。そこから遡って、初度本は天治元年四月以降の下命から二度本が成立した翌天治二年四月までの成立とし、両本に採用されている歌人の肩書きの変化から、天治元年末から天治二年はじめの成立と推定しています。そのうえで、「この仕事は、天治元年四月以降、恐らく同年中に成就されたと思はれるので、精々八箇月ぐらゐの間になされたのである。これは容易ならぬ仕事で、俊頼の識見と手腕をもつてして初めて成し得るところである」と、俊頼の仕事ぶりを評価しています。
三奏本に関しては、これまた手がかりが少ないため成立年代の確定が困難なのですが、『金葉集』成立後、俊頼は『散木奇歌集』を編纂しており、その編纂にかなりの期日を要したと考えられるところから、「三奏本の成立を天治二年とするよりも、天治元年と見る方が、合理的なやうに思はれる」というのが松田さんの考えです。

先日の和歌文学会例会での加畠吉春さんの発表「金葉集の撰進」は、一つには、この松田説の『金葉集』成立年月を全面的に見なおし、それぞれの版の成立を松田説より繰り下げようというものですが(加畠説にしたがうとしても、俊頼の編纂作業の速さは特筆されます)、そうすると今度は、『良玉集』成立と『金葉集』の関連という問題が浮上してくるというわけです。

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  1. 2006/06/23(金) 12:25:14|
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