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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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複数の親鸞伝を読む

鎌倉時代の足利氏の信仰を密教(足利)と禅宗(鎌倉)の両面からからみるという研究発表のことを書いたので、鎌倉時代に影響力が強かったのは浄土仏教ではないか、浄土仏教と足利氏の関係はどうなっていたのかといぶかしく思っておられる方もいたかもしれませんね。Mさんによれば、鎌倉時代の足利氏に浄土仏教の影響はほとんどみられないということであり、私もそれは正しいように思います。
ただ、鎌倉時代の北関東というと、親鸞が常陸に移り住んできたりして浄土仏教の勢力が強かったのも事実ですし、そんなことから、このところ浄土仏教、具体的には親鸞関係の本ばかり読んでいました。
とはいえ、私の関心はやはり、信仰そのものというよりは史料と親鸞思想の関係にあるのですが、たまたま読んだ本がおもしろい問題を提起しているので少し紹介してみたいと思います。

   *    *    *

さて私が最近読んだ親鸞関係の本というのは次の三冊です。
今井雅晴氏『親鸞と東国門徒』(吉川弘文館、1999年)、同じく今井雅晴氏『親鸞の家族と門弟』(法蔵館、2002年)、佐々木正氏『法然と親鸞ーーはじめて見たつる思想』(青土社、2003年)。
まずはじめに、それぞれの本が書かれた経緯を記しておきましょう。
『親鸞と東国門徒』は、歴史書としては非常にオーソドックスなもので、大学(筑波大学)の紀要、学会報などに書いた論考を集めて編集したものです。
『親鸞の家族と門弟』は、浄土真宗の信徒を前にした講演を編集したものです。
一方、『法然と親鸞ーーはじめて見たつる思想』は、NHK文化センターでの講演(公開講座)を下敷きに書き下ろされた著作です。
それぞれの著作の出発点となった場の宗教性、非宗教性ということになれば、『親鸞の家族と門弟』『法然と親鸞ーーはじめて見たつる思想』『親鸞と東国門徒』という順に宗教色が薄まるといえそうですが、今井氏が『親鸞と東国門徒』と『親鸞の家族と門弟』で論旨や主張を変えているようには思われません。ただし、対象・聴衆の違いが主題の違いとなってあらわれている面はあると思います。浄土真宗の信徒(おそらくは平信徒ではなく真宗寺院内部の人)を対象として語られた『親鸞の家族と門弟』では、一般には興味の薄い親鸞の家族(=真宗教団の宗祖たち)の行情を明らかにすることに力点がおかれています。

さて、今井氏の著作と佐々木氏の著作はいろいろな意味で異なるのですが、その背景にあるのは史料論・史料観の相違ではないでしょうか。
これについては、佐々木氏が、一般論として自著のあとがきにその依拠する史料論を略述していますから、まず簡単にそれを一瞥してみたいと思います。
「江戸時代までは比叡山の20年を含めて、親鸞の生涯を詳細に記した存覚作『親鸞聖人正明伝』はじめ高田派の学僧・五天良空が編纂した『親鸞聖人正統伝』(東国門弟の直系・高田派の倉庫の伝記類を精査して集大成した伝記)など、さまざまな伝記や伝承が広く流布して、世人に信じられていた。玉日との結婚も事実として公認されていたのである。その流れを一気に切断したのが、明治以降の「実証主義」歴史学だったと言ってよい。(中略)赤松氏の流れを汲む弟子筋の人は、『正統伝』やその原史料となった『正明伝』など、一顧だにしないことは論を待たないだろう。」(『法然と親鸞ーーはじめて見たつる思想』、250-1頁)
今井氏が赤松(俊秀)氏の弟子かどうか私は知りませんが、たしかに、今井氏はその著作のなかで『正明伝』や『正統伝』を一顧だにしておらず、その結果、親鸞の妻・恵信尼の手紙(これ自体は大正10年に発見された新史料)が重視されます。今井氏の『親鸞の家族と門弟』は、恵信尼の手紙から読み取れる親鸞像を門徒に向けて敷衍したという一面をもっていると思います。
しかしその結果、今井氏の親鸞像(親鸞伝)と佐々木氏の親鸞像(親鸞伝)にはどのような違いがでてくるでしょうか。
たとえば、上に引用した『法然と親鸞ーーはじめて見たつる思想』のあとがきでもふれられているように、佐々木氏が、親鸞が京都で結婚した相手は九条兼実の娘・玉日であるとするのに対し、今井氏は、親鸞が結婚した相手は恵信尼であり、二人はおそらく京都時代に知り合ったとします(佐々木氏は恵信尼の存在そのものは否定しませんが、二人の結婚は親鸞の越後配流時代との見解をとります)。また今井氏は玉日の存在にはまったくふれません。つまり、佐々木氏が複数の親鸞伝にもとづき、親鸞は(自分の意志に反して)法然の勧めによって兼実の娘と結婚したということからその親鸞像を組み立てているのに対し、今井氏は、親鸞と恵信尼が京都時代に結婚していたという説を採用して、京都時代の親鸞と恵信尼の関係を独自の推論や恵信尼の手紙の文法に関する説でふくらましています。
したがって、親鸞の思想形成に重要な役割をはたしたとされる建仁元年(1201年)の六角堂参籠と女犯の夢告げを説明するに際して、佐々木説と今井説の、両極とも思われる考え方がでてくるのです。
実はこの結婚(女犯)問題の前に、佐々木氏と今井氏は、親鸞の比叡山生活に関しても見解を異にしています。すなわち、佐々木氏が、伝承によれば兼実の実弟・慈円が養和元年(1181年)とされる親鸞出家の戒師であることを重視し、「慈円の弟子として宮廷や貴族の邸宅に出入りすることもあったろう」(『法然と親鸞ーーはじめて見たつる思想』、61頁)と推測しているのに対し、今井氏は「いくら親鸞が藤原一族の端に連なるとはいえ、慈円とは身分が違いすぎる。まして京都ではいまだ平氏が圧倒的に強い勢力を有するなかで、親鸞は政治犯の長男である。慈円が後見の立場についたかどうか。それに、以後20年にも及ぶ延暦寺での修行生活のなかで、慈円が親鸞を援助した形跡は見あたらない」(『親鸞と東国門徒』、16頁)とします。また今井氏は、「慈円戒師説は伝説にすぎないのではないかと思われる」(同書、16頁)と、慈円戒師説そのものを疑問視します。
また佐々木氏の著作では、慈円は、法然・親鸞の流罪につながる建永元年(1206年)の浄土宗弾圧問題にも登場します。つまり、ここで佐々木氏は、梅原猛氏の説を援用して浄土宗弾圧の黒幕は慈円だとし、親鸞の戒師としての態度との矛盾を指摘します。一方今井氏も、浄土宗弾圧問題について著作のなかでさまざまに触れていますが、この弾圧と慈円との関係については一切触れていません。
最後にもう一点。親鸞による息子・善親の義絶問題でも、佐々木氏と今井氏は正反対の立場をとります。
これは、京都にいた晩年の親鸞が、関東での教えの乱れを配慮して自分の代理として善鸞を関東に派遣したが、結果的にこれが混乱に拍車をかけることとなり、最終的に親鸞は善鸞を義絶したとされる問題です。
これについて、佐々木氏は、通説をそのまま受け入れ、親鸞から浄土教の奥義を授けられたとする善鸞を親鸞が義絶したことにまったく疑いをはさんでいませんが、今井氏は、親鸞帰京後の関東門徒には、事実、専修から雑修への教えの変質があったのであり、それを非難し親鸞直流の専修への帰一を強硬に主張する善鸞が門徒から浮き上がり、最終的に親鸞は教団(門徒)をとって自分の教えを忠実に守る善鸞を義絶したのだとします。これに関連して、今井氏は、親鸞の義絶状には、書写の誤りもしくは積極的な作為を推定しています。

以上、親鸞の伝記に関する佐々木氏と今井氏の説の相違を簡単に記しましたが、それには、史料をどう扱うか、どのような史料にもとづいて親鸞伝を構成するかという問題が深く関わっていることがおわかりいただけたのではないでしょうか。
(ただし、佐々木氏が目指しているのがあくまでも法然・親鸞思想の新たな解明、新たな位置づけであり、そのために法然・親鸞の伝記を再構成したのに対し、今井氏は、親鸞の思想を解明するというより、親鸞に関する伝承を見直すことそのものに比重を置き、その問題だけに自己限定しているのは事実だと思います。)

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テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/02(日) 22:46:34|
  2. 仏教史&仏教思想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
<<二つの親鸞伝・二つの親鸞像 | ホーム | 鎌倉時代の足利氏の信仰からほのみえてくるもの>>

コメント

関係無いですが、少年の頃読んだ吉川英治の「親鸞」は、単に煮え切らないオッサンに思えて腹立たしかった事を憶えています(笑)。
その頃に比べると、穢土歴も多少長くなりましたので、現在読んでみたら感想も変わるかも知れんが…
汚レスすんまそん。
  1. 2006/07/05(水) 07:17:08 |
  2. URL |
  3. LC-CUTER #-
  4. [ 編集]

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  1. 2006/07/05(水) 14:02:32 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

等身大の親鸞

LC-CUTERさん、コメントありがとうございます。
吉川英治さんの著作、私は『新・平家物語』と『私本・太平記』しか読んだことがありませんが、『新・平家物語』を読んだことが、今にいたるまで中世史に興味をもつきっかけの一つとなりました。
『新・平家物語』を読んだときには、平家の滅びの美にとてもあこがれ、その後、それをヴィスコンティ映画などにかってに重ねあわせていたということですかね。『山猫』、まさに滅びの美学だと思います。

親鸞に関しては、現在二つの親鸞像がありうるということのようですが、同じく穢土に生きる身としては、やはり等身大の親鸞に興味があります。
  1. 2006/07/06(木) 12:16:16 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

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