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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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中世仏教を考える枠組ーー「顕密体制論」

法然、親鸞についての書き込みをすすめるための予備知識として、この辺で「顕密体制論」について、私なりに少し説明しておきたいと思います。

鎌倉時代および中世の仏教というと、普通は、法然、親鸞の浄土宗(浄土真宗)、日蓮の日蓮宗、道元の曹洞宗など、この時代に登場した新しい宗派を思い浮かべ、その教説の革新性が多くの人を魅了し、社会にひろがっていったというイメージをもつかと思います。
これらの教説(宗派)が、平安末から鎌倉時代にかけて次々に登場したということ自体はそれでいいのですが、第二次大戦後、中世史の研究、なかでも鎌倉時代の社会の研究が進むにつれ、こうした新しい宗派がただちに社会に受け入れられ、大きく広がったということに対する疑問が出されるようになってきました。
また、戦後まもなくの中世史は、中世=武士の自己実現の時代という階級闘争的テーゼのもとにすすめられてきましたが、はたして武士だけが時代の主役だったのか、武士や幕府について語れば中世の叙述はそれで済むのかと、その図式に対する批判も生じてきました。
ところで、この中世=武士の自己実現の時代というテーゼを思想的に支えてきたのが、中世は浄土宗立宗にはじまる仏教改革の時代という思想史上のテーゼで、「悪人」の往生を保証する浄土宗の教説が武士社会のイデオロギーとして社会に認められ広まっていったという説が、中世=武士の自己実現の時代という政治史上の説と一体化して、長い間、鎌倉時代を理解するための基本的枠組みとして受け入れられてきました。
この両説を簡単に整理すると、古代=天皇・貴族の時代、その時代を代表する宗教は密教、中世=武士の時代、その時代を代表する宗教は浄土宗などの新仏教という図式となります。これからすると、武士が幕府を中心に結集して天皇・貴族から権力を奪う、またそれと同時に新仏教が旧仏教を圧倒していくのが中世というわけですね。この図式の浸透力、影響力は、一般的には今も根強いと思います。
これに正面から異を唱えたのは、歴史学者・黒田俊雄氏で、黒田氏は、「中世における顕密体制の展開」(『日本中世の国家と宗教』所収、岩波書店、1975年)という論文のなかで、「平安時代に密教が移入されて以来、密教の理論と実践が他の宗派(顕教)にも浸透し、仏教界全体を統合していた。この基本構図は浄土宗などが登場した平安末から鎌倉時代にかけても基本的に変化はなく、こうした密教と顕教の併存を最も妥当なものとみなす体制が、仏教内外で続いていた」としたのですね。つまり、中世日本における宗教界の主流は天台宗を中心とする奈良・平安時代に移入された仏教諸派(教義的には密教および密教化した顕教)であり、これに対して浄土宗などの改革派は社会的にはあくまでも少数派でしかなく、いわゆる新仏教を中心に中世社会を考えるべきではないというものですね。黒田氏は、こうした体制を「顕密体制」と名づけました。
ちなみに、黒田氏は、中世=武士の自己実現の時代という政治史上の図式にも異を唱え、1960年代に「権門体制論」という理論を提唱しています。こちらは、中世とは中央の強い権力が解体していく時代であり、武士(幕府)のみならず、朝廷、大寺院等が「権門」として権力機能を分掌していく時代だというものです。この理論を思想的に支えるのが「顕密体制論」だともいえますね。
黒田氏の説は、仏教史研究者や中世社会の研究者に受け入れられ、その後、顕密体制論に基づいて多くの新しい研究が登場しています。
私はというと、私はもともと和歌に興味があり、和歌から中世文化、中世社会全般に興味をもつようになったのですが、定家などの和歌を具体的にみていくと、浄土教の影響ではかたづけられないことが多く、むしろ密教的な発想の和歌が多いのですね。ですから、もともと密教を中心に中世和歌をとらえてみたいと思っていましたから、顕密体制論を知ったとき、これは渡りに舟とすんなり受け入れました。浄土教が社会の中心という説で定家らの和歌をみていくと、源平合戦が終わり、鎌倉幕府が設立されたことを受けて、貴族の時代は終わったという一種の喪失感から、『新古今集』など鎌倉時代の和歌にはしんみりした和歌が多いのだといった否定的な見方しかでてこないのですが、私はこうした見方は根本的に間違っていると思っています。
ところで、平雅行氏の仏教研究も黒田氏の影響下にある研究の一つで、平氏は、『親鸞とその時代』の冒頭で、顕密体制論にいたる仏教史研究の歴史をうまく要約しています。以下、平氏による「中世仏教」の定義をみてみたいと思います。

「私たちはこれまで、法然・親鸞・道元・日蓮の思想を中世仏教と位置づけてきました。しかし中世社会に受け入れられなかった思想、広まらなかった仏教を、中世仏教と呼んでよいのでしょうか。もちろん、「中世仏教」という用語の使い方は研究者によって様々です。でも私は、それを中世法・中世都市・中世家族・中世文化などと同じ使い方をすべきだと思います。中世で一般的かつ支配的な法を中世法と呼び、中世で一般的かつ普遍的な文化様式を中世文化と呼んでいる以上、中世でもっとも浸透した仏教こそ中世仏教と呼ぶべきではないでしょうか。つまり顕密仏教こそが中世仏教であり、これが鎌倉時代の中核なのです。これまでの鎌倉仏教論でほとんど取りあげられなかった旧仏教が、鎌倉仏教論の中心となったのは、こうした考えに基づいています。しかもそれはただ単なる論理的要請によるものではなく、むしろ顕密仏教を中世仏教の中核と捉えた方が、中世仏教の実態を無理なく説明することができるという研究者の実感に支えられて、位置づけが大きく変わったのです。」(12-3頁)

ちなみに、このブログの浄土宗関係の記述も、浄土宗の教理を批判するという意図から行っているのではなく、鎌倉時代におけるその実像を知りたいという歴史学的関心から行っているのだということ、ご理解いただければ幸いです。

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  1. 2006/07/10(月) 09:39:37|
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