le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

鎌倉時代の同時代人による法然、親鸞思想の受容

さて、親鸞の行状、言説が、親鸞没後一世代を経て少しずつ編纂され、そのときに、親鸞ほんらいの思想とは異なるものに変質していったということは、下の整理(7月9日付けの「親鸞の子孫たちーー三者三様の覚如、存覚像」」)からほのみえてきたのではないでしょうか。法然と親鸞に関し、私は思想そのものよりも、やはりその受容や変質ということにとても興味があるのですね。
ですから、法然や親鸞の思想は、彼らの死とともに滅亡してもはや存在しない、彼らの死後にそれが法然や親鸞が考えていたのとは違ったように受け取られたとしても当然だと言い切って済ましてしまうのではなく、死後のみならず、たとえば生前、法然や親鸞の思想はどのように受容されていたのかを考えてみたいのです。それが私からする「法然、兼実、直実の問題」です。つまり、法然と面識があった九条兼実や熊谷直実は、果たして法然思想を真に理解していたのかということです。つまり、法然や親鸞の思想のすごさというものが時代全体の基調から屹立していたということにあるとすると、はたして「時代」はそれを受容、すなわち理解し受け止めることができたのかということですね。
この点は、たとえば道元思想の受容の問題と比較しながら考えるとわかりやすいと思います。道元の思想のすごさというのは、ある意味、時代から屹立しているというところにあるんだと思いますが、その分、時代には受容されませんし、教団(曹洞宗)もすぐには広がりません。これに対し、法然や親鸞の主張の核心は平等性・容易性にあるから道元と一緒に論ずることはできない、法然や親鸞の思想は現実に社会に受け入れられていたというのが、通常の見解だと思いますが、その平等性・容易性ということそのものが、時代から屹立している分だけ時代からは受容されなかったのではないかというのが、私の基本的な捉え方です。
これを下の書き込み「親鸞の子孫たちーー三者三様の覚如、存覚像」にもどして考えると、親鸞の思想(教え)というとき、血族であれ、面授の弟子であれ、それを各人がもっていた顕密仏教や土俗的信仰のカテゴリーのなかに位置づけ、受け入れたのではないかということですね。
いいかえると、法然思想のすごさというのは、顕密仏教や土俗的信仰のカテゴリーそのものを破戒してしまうところにあって、たとえば親鸞は法然思想のそうした画期性を理解していたと思うのですが、それは親鸞にしてはじめて可能だったのであり、それ以外の人は、自分がもっている信仰のカテゴリーをまもりながら、そのカテゴリーのなかで法然や親鸞の教えを(無批判に)信奉した。その時、思想の変質が生じてしまうということではないかと思うのです。
もちろん、宗教や救いということに重きをおいて考えればこれと違う見解がでてくるのは当然ですし、そうした立場からすれば、各宗教の教義が、法然や親鸞ほんらいの思想と同じなのか違うのかは、あまり大きな問題ではないといえると思います。

   *    *    *

もしこの記事がおもしろかったら、クリックお願いします↓
banner_01.gif
スポンサーサイト

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/12(水) 13:29:27|
  2. 仏教史&仏教思想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<秘伝としての『歎異抄』 | ホーム | 中世仏教を考える枠組ーー「顕密体制論」>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://lunatique.blog20.fc2.com/tb.php/118-fbe90c02
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

lunatique

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。