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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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秘伝としての『歎異抄』

何十年ぶりかに『歎異抄』を読んでみました。唯円とされるこの著作の作者がどのような人物であるか、この著作が「親鸞の実像」をどこまで伝えているかといった問題は別にして、読み返してみるとやはり非常に興味深い著作であり、鎌倉時代における親鸞思想の受容に関して、重要なことを伝えている書だと思いました。そこで、『歎異抄』から親鸞の思想内容に迫るといった一般の読解(たとえば「松岡正剛の千夜千冊」~『歎異抄』参照)とは大きく異なりますが、以下、私の読みを自由に記してみたいと思います。
なお、私が読んだ『歎異抄』は金子大栄氏校注の岩波文庫で、引用ページ数は、同文庫によります。ただし私は、テクストの細かい異同にはこだわっていませんから、このブログを読んでおられる方は、お手元の版で『歎異抄』のテクストを確認しながら私の書き込みをお読み頂ければありがたいです。またネット上にも、たとえば「浄土真宗本願寺派高山寺サイト」~『歎異抄』といったページがあり、もちろん、これらを参照して頂いてもかまいません。
ちなみに、親鸞思想に関する私の関心は、下の書き込みにも記したように、それは同時代人にどのように理解され・受け止められたかという歴史的な事実関係の確認にありますから、私の読みはまずその点に集中しています。

前置きはこのくらいにして、今回『歎異抄』を読んで一番驚いたのは、その結びの文章です。曰く、「外見あるべからず」(結文89頁)。この本はほんらい秘伝書なのですね。親鸞思想なり浄土真宗の教理に対する一般的な理解からするとこの「秘伝」という事実はちょっと不思議な感じのする話で、親鸞の言説が隠されなくてはならないということは、親鸞の教えの平易性・民衆性と矛盾しているように私には思えるのです。
すなわち、現代、一般的に考えられている親鸞(法然)の教えの核は、①念仏すれば往生できる、②念仏よりほかに往生のみちはないーーの二点であり、そのことは、『歎異抄』冒頭にも、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏まうさんとおもひたつこゝろのをこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。そのゆへは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆへにと、云々」(第一条40-1頁)と明確に記してあります。つまり、この原則自体は浄土宗の公けの教えであり、秘すべき点はどこにもなかったと私には思われます。また一般に、親鸞(法然)の教えは、平等・容易であるとされていますが、それは教えの公開性と表裏一体のものなのではないでしょうか。つまり、相手の老少善悪や身分学識を問わず、法然、親鸞はこの二原則をこそつねに説き続けていたのではないかと私には思われるのです。
以上のことを前提に、今度は、『歎異抄』の著者(考証が面倒なので、以下、定説に従い唯円としておきます)が、なぜ、『歎異抄』を秘本としなくてはならなかったかを少し考えてみたいと思います。するとその直接的な理由は、結語の直前に記してある次の文章から説明できるように思われます。
すなわち、「まことに、われもひとも、そらごとをのみまうしあひさふらふなかに、ひとついたましきことのさふらふなり。そのゆへは、念仏まうすについて、信心のをもむきをもたがひに問答し、ひとにもいひきかするとき、ひとのくちをふさぎ、相論のたゝかひかたんがために、またくおほせにてなきことをも、おほせとのみまうすことあさましくなげき存じさふらふなり」(結文88-9頁)が、一応、その理由と考えられのではないでしょうか。
要するに、親鸞の教えを信じる信徒のあいだには、信心の内容に関する問答や親鸞の言説に関する論争(相論)があり、唯円は、こうした相論を避けるために『歎異抄』を秘本としたものと考えられます。もし『歎異抄』が無原則に公開されたならば、「いや、親鸞聖人はそんなことはおっしゃらなかった」「私には別のことをおっしゃった」といった論争が際限なく生じ、終始がつかなくなるであろうことを、唯円は予期していたのではないでしょうか。
実際、唯円が上京し親鸞と面談した理由は、関東の混乱した状況を背景に、親鸞から直接教えを授かること(もしくは教えの本質を糺すこと)、またその言説を直接聴くということにあったものと考えられます。
しかし、唯円のこうした態度を、親鸞は次のように激しく問詰します。
「おのおの十余ケ国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こゝろざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こゝろにくゝおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゝしき学生たち、おほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、たゞ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」(第二条42-3頁)
親鸞からすれば、法然から伝えられた浄土の教えは、非常に簡潔であり、自分が関東にいようがいまいが、それが誤解されることはありえないということだったのでしょう。したがって、その教えが関東にある程度定着したと見はからって、彼は信徒を置いて上京したのではないかと考えられます。
あまりにも有名な、「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」(第六条50頁)という言葉も、そうした親鸞の考え方の延長線上にあるのではないでしょうか。
浄土の教えの要は、上にあげた、①念仏すれば往生できる、②念仏よりほかに往生のみちはないーーの二点につきるのであり、それ以上教えることはない(他の教え、たとえば「悪人正機説」なり「悪人正因説」といったものは、この原則から導き出される系に過ぎないといえるのではないでしょうか)。そしてこの二原則自体は、わざわざ教えるというほどのこともないことであり、それを教えたからといって、その教えを受けた人を「弟子」とするいわれはない。それが親鸞の基本的な考えではないでしょうか。
さらにいえば、専修念仏の教えが以上の二点に尽きていると考えるからこそ、親鸞は、「善信(親鸞)が信心も聖人(法然)の御信心もひとつなり」(結文85頁)と、自信をもって断言できるのではないでしょうか。
しかし現実には、親鸞上京後の関東では、浄土の教えや親鸞の言説をめぐってさまざまな混乱が生じたものと考えられます。おそらく、直接、親鸞の教えを得て不審を解決したいという欲求・悩みは、唯円に限ったことではなかったと私は思います。その混乱を、あまりにも聡明な親鸞は理解できないのですね。つまり、私が考える親鸞と唯円の思惑のずれは、単に関東の混乱状況に帰せられるものではなく、そもそも、親鸞から直接教えを受けてその混乱を打開しようとする唯円の態度そのものにあったように思われるのですが、それをさらにつきつめていけば、親鸞の教えそのものが含む矛盾につきあたってしまうのではないでしょうか。
その矛盾とはなんでしょう。法然・親鸞の教え、すなわち、①念仏すれば往生できる、②念仏よりほかに往生のみちはないーーの二原則は、言葉の表層的な意味は非常に簡明ですが、いざそれを自分の信仰の柱として真摯に受け止めようとすると非常に理解困難な教えだったのだと私は思います。すなわち、教科書的には、浄土宗(法然・親鸞の教え)は論理が単純明快とされるのですが、私は逆に、それを理解するのは非常に難しいことだったのではないかと思うのです。
ゆえに、親鸞が関東にいた間は親鸞の教えを信じる人たちが増えましたが、いったん親鸞が関東を去ると、信徒のあいだで親鸞の言説をどうとらえるかについてさまざまな解釈が生じ、混乱に陥ったのではないかと思われます。そして『歎異抄』は、そうした親鸞の教えを理解することの困難さ、親鸞の教えがおかれていた状況を端的に記しているように思えるのです。

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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/13(木) 12:33:16|
  2. 仏教史&仏教思想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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