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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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鎌倉時代の親鸞教団の内実とは

伊藤益氏の『歎異抄』第二条の読みの引用、続けてみましょう。

「彼らが投げかけた疑義に対する親鸞の回答は、至極単純だった。親鸞はいう。あなだがたがもし、この親鸞が念仏以外の法文等を知っていてそれを隠しているとでも考えているのなら、それは見当違いというものだ。念仏の教義の詳細を知りたいのなら、奈良や比叡山にこちらの身がすくむほどに優れた学匠たちがあまたいらっしゃるのだから、彼らに尋ねればよい。この親鸞においては、ただ念仏して弥陀にお助けいただくがよいという法然聖人の教えを被り、それを信じることのほかに格別のいわれはない、と。関東在住時の親鸞は、おそらく、弥陀の本願の不思議な力を信じてひたぶるに念仏せよ、そうすれば救われる(往生できる)と説いただけだったであろう。『教行信証』に説かれるような、複雑で晦渋な論理に、関東の門弟たちの理解が届いたと考えることには無理がある。親鸞は、法然以来の浄土教の教説から、すべての剰余的な部分を削ぎ落とし、それを極限まで単純化して布教した。それが、仏教的な教養を欠いた、文字にさえ暗い民衆のあいだに広く受け容れられた結果、一万人にもおよぶ教団が成立したと見るべきであろう。極限まで切り詰められた教説は、そこからの逸脱を厳しく指摘する指導者の存在をまって、はじめて誤解の伴わないものとして普及しうる。一般に、単純なものは、余分な尾鰭をつけて説明づけられる傾向にあり、単純な外観の背景に存する複雑な体系を熟知する者を後ろ盾とする場合にのみ、尾鰭の部分の剰余としての無意味さをきわだたせることができるからである。親鸞帰京後の親鸞教団、すなわち、親鸞という思想的な後ろ盾を失った教団は、教説の単純さゆえにかえって深い惑いのなかに陥った。親鸞は、上京した門弟たちに向かって、もう一度徹底した単純さのなかへと立ち返ることによって、その惑いを断つべきだ、と述べたのだった」(『歎異抄論究』50-1頁)

私は、『歎異抄』第二条の読みは、だいたい伊藤氏のとおりだと思います。
ただそうすると、「歴史」という観点からは、関東に親鸞教団が成立したのは事実にせよ、その教団に属する人たちは、ほんとうに親鸞の主張を心から理解していたのかという疑問が消せないんですね。あるいは、「単純な外観の背景に存する複雑な体系を熟知する者を後ろ盾とする」ことを必要とするような教説が、果たしてわかりやすい教説といえるかどうか。まあ、ここでいう「わかりやすい」ということは、言葉の表層的な意味ということと、心底理解し納得するという二つの意義をもちます。つまり、「言葉の表層的な意味」ということでいえば、親鸞や法然の主張はとてもわかりやすいんですけど、「心底理解し納得する」ということからいえば、とてもわかりにくいんじゃないでしょうか。
歴史の教科書などで浄土宗の主張がわかりやすいという場合、従来、この前者の「言葉の表層的な意味」におけるわかりやすさしか問題にされてこなかったように思います。でもそれはあまりにも一面的ではないかと私は思うんですね。
ですから、親鸞が関東にいなくなると、「教団」にはすぐに混乱が生じる。でもその混乱というのは、親鸞の主張が本質的に含んでいるものではないかと私には思えるのです。
『教行信証』の執筆にしても、いくら親鸞が、それはふだんの自分の主張とどこも違わないのだと力説しても、(漢文調で書かれていて信者には読みこなすことができない本なわけですから)親鸞の教えには、ふだんの主張とは別に、『教行信証』が読めるような教養ある人向けの奥義があるんじゃないかという疑念が生じるのは、ある意味当然ではないかと思います。
なんというか、親鸞には、分かりすぎて分かってないといったところがあったんじゃないでしょうか。
ですから私は、伊藤氏の解説のなかで、「親鸞は、法然以来の浄土教の教説から、すべての剰余的な部分を削ぎ落とし、それを極限まで単純化して布教した。それが、仏教的な教養を欠いた、文字にさえ暗い民衆のあいだに広く受け容れられた」という点にはあまり賛成ではありません。というか、これは解説全体と矛盾しているように思えるのです。
では親鸞の布教はなぜ成功したかというと、「主張のわかりやすさと民衆性」を強調する定説とは逆に、親鸞の教えのもつ神秘性と親鸞個人のカリスマ性によるものではないかと私は思います。

   *    *    *

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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/20(木) 11:47:55|
  2. 仏教史&仏教思想
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