le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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信者のとまどいーー法然の手紙を読む

下の記事の論点①に関し、これは浄土仏教の教理に対する私や伊藤益氏の主観的な解釈だとする人がいるかもしれませんから、その論拠として津戸三郎に宛てた法然の手紙(年代不明、9月18日付)を引用しておきます。残念なことに、津戸三郎から法然に宛てた手紙は残っていないのですが、法然の手紙を読むと、津戸三郎のもとには、「法然は熊谷入道(直実)、津戸三郎のような無智のものには念仏をすすめ、有智の人には念仏以外のことも教えている」と告げる人があり、それに戸惑った津戸三郎が法然に確認をもとめた手紙に対する返信であることが読み取れます。
この法然の手紙、通常は、法然は無智有智をとわず念仏だけをすすめていたという論拠としてのみ用いられるのですが、そうした観点にとらわれることなく自由に読めば、法然の信者といえども法然の教えの簡潔さ、平明さを十分には理解できず、まわりの人から何か言われるたびに戸惑っていたということの有力史料になるのではないかと思います。

「御フミクハシクウケタマハリ候ヌ。タツネオホセタヒテ候事トモ、オホヤウシルシ申候。クマカヤノ入道ツノトノ三郎ハ、無智ノモクナレハコソ、念仏オハススメタレ、有智ノ人ニハ、カナラスシモ念仏ニカキルヘカラスト申ヨシ、キコエト候覧、キワメタルヒカ事ニ候。ソノユエハ念仏ノ行ハ、モトヨリ有智無智ニカキラス、弥陀ノムカシチナヒタマヒシ本願モ、アマネク一切衆生ノタメ也。無智ノタメニハ念仏ヲ願シ、有智ノタメニハ余ノフカキ行ヲ願シタマエル事ナシ。十方衆生ノタメニ、ヒロク有智無智有罪無罪善人悪人持戒破戒、タフトキモイヤシキモ、男モ女モ、モシハ仏在世、モシハ仏滅後ノ近来ノ衆生、モシハ釈迦ノ末法万年ノノチ、三宝ミナウセテノ時ノ衆生マテ、ミナコモリタル也。マタ善導和尚ノ、弥陀ノ化身トシテ、専修念仏ヲススメタマヘルモ、ヒロク一切衆生ノタメニススメテ、無智ノモノニカキル事ハ候ハス。ヒロキ弥陀ノ願ヲタノミ、アマネキ善導ノススメヲヒロメムモノ、イカテカ無智ノ人ニカキリテ、有智ノ人ヲヘタテムヤ。モシシカラハ弥陀ノ本願ニモソムキ、善導ノ御ココロニモカナフヘカラス。サレハコノ辺ニマウテキテ、往生ノミチヲトヒタツネ候人ニハ、有智無智ヲ論セス、ミナ念仏ノ行ハカリヲ申候也。シカルニソラコトヲカマヘテ、サヤウニ念仏ヲ申トトメムトスルモノハ、コノサキノヨニ念仏三昧、浄土ノ法門ヲキカス、後世ニマタ三悪道ニカヘルヘキモノ、シカルヘクシテ、サヤウノ事オハ、タクミ申候事ニテ候ナリ。ソノヨシ聖教ニミナミエテ候也。(後略)」(『昭和新修法然上人全集』501-2頁、平楽寺書店、1955年)

ところで、法然側にたってもう一度この手紙を読み返すと、法然は有智の人にこそ念仏をすすめているのだととれなくもないのは、おもしろいですね。九条兼実あたりは、法然の教えのこうした部分に魅力を感じたのではないでしょうか。

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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/07/31(月) 12:45:01|
  2. 仏教史&仏教思想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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