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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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千輪慧氏の『歎異抄と親鸞』を読む

『歎異抄』について、(ここまでの当ブログでの議論を離れ)少し第三者的に書かれた本が読みたいと思い、千輪慧氏の『歎異抄と親鸞』(勁草書房、1984年)を読んでみました。ただしこのところ自分なりに親鸞思想や『歎異抄』のことをいろいろと考えているので、それからするとこの本にはどうも不満が残るのですが、それはそれとして、いくつか興味深い点もありましたので、以下、それらを自由に抜き出してみます。

まず、千輪氏の方法論ですが、「『歎異抄』は、(或る場における)対話の筆録であるから、前提(として語られたこと)と結論(的な考え)とを結ぶ途中の、親鸞じしんの(そこに到達するまでの)思索については委細をつくし難い(という事情がある)。そこで、それをおぎないながら『歎異抄』を読んで行こう、というのが私の読み方」(同書134頁)とされ、第一章では『歎異抄』の文章と作者が、第二、第三章では歴史的な背景と「信」との係わり合いがそれぞれ論じられ、第四、第五章では『歎異抄』の中心思想の前段階(親鸞の体験と思索の跡)が、第六、七、第八章で『歎異抄』の中心思想が検討されます。

『歎異抄』成立の歴史的背景としては、第二条が重視されていますが、これは善鸞異端説に全面的に依拠しており、私としてはうけいれ難いところがあります(もっとも、この点は、千輪氏だけでなく大半の<歎異抄本>がそうなってはいるのですが)。

「悪人正機」の問題に関しては、「親鸞の悪人正機思想は、彼の二十九歳の時の本願との出会いに、つまり、「善き人にも悪しきにも、同じように生死いづべき道」に感動した時にその出発点があったと考えることができる。法然の門に入ることの理由として他のこと(易行、専修念仏等々)を挙げないで善・悪をとりあげたことは、二十九歳の親鸞が、善悪の問題に深い関心をもっていたこと、そしておそらく、当時彼の周囲で一般化していた善悪観に深い疑問を持っていたことを示すものといえよう。そして、善人も悪人も平等に救われる道ということに深く感動したことは、彼が悪人という自覚に苦悩していたことを示すものである。”善人も悪人も平等に”という教えに対しては、普通の人間は不審に思い、自己を善人と自覚する人間は不満に思うのが普通である。善人意識が強ければ強い程その不満はつのる。”平等”の救いということに感動するのは、自己を悪人と自覚して苦しんでいる人間に他ならない。そして、二十九歳の親鸞はまさにそれであったのであり、「世々生々にも迷いければこそありけめ」という親鸞の言葉(恵信尼消息)は彼のその苦悩の深さを語りつくしてあますところがないのである。建長四年、八十歳の親鸞は関東の弟子に「はじめて仏のちかひをききはじむるひとびとの、わが身のわろく、こころのわろきをおもひしりて、この身のやうにては、なんぞ往生せんずる、といふ人にこそ、煩悩具足したる身なれば、わが心の善悪をば沙汰せず、むかへたまふぞとはまふしさふらへ。」(末灯鈔)と書き送っているが、これは彼の二十九歳の時の体験に根ざした言葉にちがいない。」(上掲書145-6頁)と、世間でいう具体的な悪人というより、個的なものでありながらある意味で普遍的な悪人観に根ざしたものであることを千輪氏は強調します。そして次のようにも記します。
「親鸞の信仰は、「信仰によって人は罪から解放され、…ここに万物の支配者となる」というルターの言葉よりも、「自己の悲惨を知ることは悲惨なことだが、しかしそれを知っていることは偉大である」というパスカルの言葉に近いように思えるがどうであろうか。」(上掲書143頁)

千輪氏のみる親鸞の往生観も、結局はこうした悪人観と結びつくものといえるでしょう。
「彼は、当時の、臨終に仏が来迎して下さるという一般の信仰に対して、七十九歳の時の弟子宛の書状の中で「真実信心の行人は、摂取不捨のゆへに正定衆のくらいに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心のさだまるとき往生またさだまるなり、来迎の儀則をまたず」と記し、また臨終とか来迎とかを問題にする人は、「いまだ真実の信心をえざるがゆへなり」と記している。親鸞にとっての基本的な対峙関係は、決して死後の問題としての地獄対極楽、ではなく、煩悩具足の人間(穢身)の住む矛盾に満ちたこの現実(穢土)対その矛盾の解消した地点(浄土)、すなわち穢土対浄土であったのであり、さらにいえばその根底にある「穢」対「浄」であったのである。」(上掲書189-90頁)

さてこれらの諸点をふまえたうえで語られる千輪氏の「信」に関する考察(主として本書第八章)は、読むべき点が多々あります。まずはその前提。
「親鸞のようにきわめて内面的な信に於いては、”自己唯一人が、唯一人として、聖なるものに面する”という<孤独>の面がその底にあると思う。「つくべき縁あればともなひ、離るべき縁あれば離るゝことのあるをも」(第六条)という師弟間の(さらにひろい人間関係の)無常を語る言葉の奥に、一人の<求道的な師>の<孤独>を私は見るのである。」(上掲書63頁)
「親鸞は、念仏して踊躍歓喜の心が起こらぬことに自己の問題点を見出して悩んだが、そのことは、自己に真実の「信」の心が起こらぬことの悩みでもあったにちがいない。そして誰でも深く考えてみればわかることだが、本当の信の心、殊にかぎりなく広く深い、超越的な大悲に対する、本当の信の心というものが、簡単に起り得るとは思えぬのであり、ましてやそれを「起す」ことなど思いもよらぬことであろう。世に「信ずる者は救われる」といわれる。しかしその言葉の前に、信ずるということがいかに難しいかを考えるべきだろうと私は思う。」(上掲書176頁)
続いて、そうした信の核心となる名号についての考察。
「親鸞は『興福寺奏状』が単なる名として軽視した名号を、単なる仏の名前とは考えずに、弥陀の本願の衆生救済の営み(即ちその行)の表現と見た、と私は考える。」(上掲書163頁)
「『南無阿弥陀仏』の六字について親鸞は、善導のそれについての解釈をさらに敷衍、展開しての解釈(六字釈)を『教行信証』行巻に記している。して彼は、「南無」とは帰命であり、帰命とは命に帰せよ、という「本願招喚の勅命」であり、次に「阿弥陀仏」とは、選択本願の行であると解釈したのである。親鸞は、南無阿弥陀仏という名号を、弥陀の本願の行に帰依せよ、という、本願からの神聖な命令でありよびかけだと解釈したのであるが、ここまで来ると、親鸞にとっての名号の意味は、弥陀の本願の、衆生救済の営みとその真心の表現であるとともに、ここに来たれ、という本願からのよびかけの言葉でもあったということがわかるのである。親鸞は名号について、経論釈を渉猟しながら右のように解釈し把握したのであるが、そのような作業の奥にあって彼を支え続けたものは、彼の二十九歳の時の体験だったと私は思う。「雑行を捨てて本願に帰」したその時には、法然の教える南無阿弥陀仏に、本願の万人救済の営みと真心と、そしてそこからのよびかけとを、しかと聞きとったにちがいないからである。そして名号は「やすくたもち、となへやすき」(歎異抄第十一条)ものであるから「釈迦如来よろづの善のなかより名号をえらびとりて、五濁悪時、悪世界、悪衆生、邪見無信のものにあたえ」(唯信鈔文意)たとし、そこに<易>によって末法の時代の悪人を救おうとする、仏の智慧による仏からの「廻向」を親鸞は感じたのである。『興福寺奏状』は<念仏>において、(念ぜられる)仏を名と体とにわけ、名を念ずるのを<劣>、体を念ずるのを<勝>としたが、親鸞は阿弥陀仏の名号においては、”名が即ち体”だと考えたのである。」(上掲書165-6頁)

以上からする本書の結論は、次のようなことになります。
「弥陀の本願の、衆生救済のための大悲の行、つまり真実の行など、もちろん到底人間の及ぶ所でないことはいうまでもないが、しかしわれわれは「聞」と「信」の不完全を克服しながら、ということは、自己だけの「楽」や名利の思い等を、つまり仏の捨てられたものは捨てる心を持ち、一方衆生を救おうという真心のように、仏の持たれた心については、これを持ちたいと切に願い、そして、大悲と、矛盾の現実と悪業きわまりない自己について深く「思」いながら大悲を推し求めて行かねばならぬ、と親鸞は語っているのである。それは親鸞の苦闘を語るものであるが、そのことについてはすでに見たとおりであり、彼は、”仏の、衆生救済の真心を自己が少しも持ち得ないという深い苦悩”の中で、その暗黒の地底において限りなく大悲に近づいていっていたのである。そして、闇の中で光を仰ぎ得たとき、というのは、本願からの「招喚の勅命」つまり、そのよび声が心に聞えた時に他ならないが、それは切に求める者の感動の一時にちがいないのである。そして、本願招喚の勅命を感動の心をもって聞き得た者は、その神聖なる命令に従おうという心が起るにちがいないのである。」(上掲書174-5頁)
「信」とは絶対からの招喚(よび声)であり、自力での「信」などありえない。したがって、念仏とは往生のための「行」ではない。
「その時、念仏は、念仏の行者にとって、「易行」であることさえも超えて「非行」となる。本願からのよび声を心に聞き、それにこたえようという心の表白としての念仏は、もはや人間の「行」とよぶに相応しくないものだからである。「わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆへに、行者のためには非行・非善なり」(第八条)といわれるゆえんである。」(上掲書175-6頁)

私としては、千輪氏が提起した「よび声」の問題、自分なりにもう少し考えてみたいと思っています。

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  1. 2006/08/06(日) 09:51:29|
  2. 仏教史&仏教思想
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