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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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親鸞の「師」

下の記事で紹介した千輪慧氏の『歎異抄と親鸞』を読むと、「二十九歳の時の本願との出会い」ということが繰り返し繰り返し書かれていて、とても重視されているんですね。ある意味で、それがこの本の特徴でしょうか。
ところで、法然は師なく一人で専修念仏の信仰に入ったわけですが、よく考えてみると、親鸞も法然の影響を受けて信仰に入ったわけではなく、一人で信仰にめざめ、そのめざめたものを深めるために法然のもとに身をよせたといえるわけですね。ですから、親鸞にとっての法然というのも、やはり通常の意味での「師」とは違う。
私は、千輪氏はこの辺のことを強調したかったのかなとも思います。

   *    *    *

ところで、すると親鸞は法然のもとでいったい何をしてたんでしょうね?これはまあ親鸞だけじゃなくて他の法然の「弟子」も同じことで、学問するわけでなし、修行するわけでなし、戒も保つ必要がないとなると、「法然教団」の日常というのは、皆目想像がつかないんです。もしかすると昼は布教活動で夜になると戻ってくるというような生活でしょうか?
要するに、専修念仏の信仰というのは、入信する時がもっとも重要で、僧であれ俗人であれ、普段の生活の細部は問わないようなところがあるから、信仰生活を想像するというはとても難しい。

常陸での親鸞の生活というのもよくわからないんですけれども、念仏の教団は広がっても自分の信仰の主旨が周囲の人に思うように伝わらないという不満のなかで、自証としての『教行信証』執筆を思いついたということはあるんじゃないでしょうか。その時点で、これから書き綴っていく本の出来はどうであれ、自分はこれに賭けようと…。ですから、極端にいえばその時に、親鸞のなかで「布教」という考えは捨てられ、なりゆきにまかせようというようなことになったと推測することもできるんじゃないでしょうか。要するに、彼にしても法然にしても、つきつめていけば人のすすめで信仰に入ったわけではないわけです。ですから、親鸞は、通常の意味での「布教」に対する関心はもともとそれほど強くないんじゃないでしょうかね。
京都に戻っても、積極的に新たな布教活動を開始したようには思われないですし…。

   *    *    *

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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/08/07(月) 09:09:25|
  2. 仏教史&仏教思想
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