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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその4

本書第二部「Ⅱ 名号の宇宙ーー親鸞の念仏とは何か」は、「人間と言葉」「名号の宇宙」「芭蕉と親鸞」の三章からなります。「人間と言葉」から順番に、その内容をみていくことにしましょう。ただしこれら三章はもともと独立した講演を本書用に改稿したものであり、第一部との論理的なつながりがやや弱いと同時に各章間で内容上の重複もあります。したがって、それぞれを独立した論文として読んだ方が大峯氏の意図が把握しやすいように思われます。以下の私の読みも、各章の連続はあまり重視していません。

さて「人間と言葉」の冒頭、大峯氏は、、「言葉というものは、人間生活の目的を果たすための手段にすぎないという考え方が、無意識にいろいろなところへ浸透していっているのが現代社会の傾向」(本書128頁)とし、これに対し、後期ハイデガー(とりわけ『言葉への途上』)はそれとは異なった言語観をもっていたと指摘します。
しかしながら「人間と言葉」の章の内容は、ハイデガー思想の紹介ではなく、あくまでも名号論です。ハイデガー思想を媒介として、大峯氏は、言葉としての名号はどのような性質をもつのか、名号を称えるというのはそもそもどのような行為なのかを考えるようになり、この章でそれを記しているといえるでしょう。
「念仏によって救われることを説く浄土真宗とはいったい何か。私が思いますには、親鸞の浄土真宗とは、「仏が言葉であった」ということの発見ではないかということです。南無阿弥陀仏という名号がすなわち仏であります。人間存在を本当に救うところのものは本当の言葉以外にはない。名前のない仏は私を救うことはできない。名前のない仏を一生懸命考えたり、その仏についていろいろ研究したり分析したり、そんなことで人間は救われない。そうではなく仏の名前を称えることによってはじめて人間は救われる。逆に言いますと、本当のもの、真実あるいは如来とは、言葉になってわれわれに現れるものである。浄土真宗の本質にそういう思想があると思います。」(本書133頁)
しかしながら、大峯氏のみるところ、南無阿弥陀仏が人間を救うとはどういうことか、称名念仏によって救われるとはどういうことかということを、(経典などに記された論拠を示した人は多くいても、)その内在的な論理をはっきりさせた人はいません。
つまり、「これはどういうことかと申しますと、名号の概念的な説明はこれまで多くの宗学者たちがやって来ています。むしろ真宗教学の中にその種類の研究はたくさんあり過ぎると言ってもよいでしょう。けれども、名号という概念を分析するのではなくて、名号そのものを言葉として経験して、名号そのものの内部へ入っていくような研究はこれまでのところ少ない。仏がその名によって衆生を救うというのは何を意味しているのか、どうして名前というものにそういう不思議な力があるのかをあまり問題にしていない」(本書134頁)ということであり、したがって、大峯氏は、そもそも南無阿弥陀仏とは何かということを考えてみたいとします。
要するに、浄土真宗の信仰の核として「南無阿弥陀仏」という称名があるわけですが、これがなぜ信仰の核となりうるかを経典や論釈から「説明」するのではなく、名号を口に出すという念仏という行為そのものの意味、そしてその行為がなぜ信仰とつながるのかを大峯氏は問題にするということです。そしてここで、「念仏という行為が信仰につながる」とは、それが経典によって裏付けられているからといった無味乾燥なこたえを予期したものではなく、経典以前の一種の原行為論として、発語行為そのものが深いところで信仰とつながっているのではないかという問題意識が大峯氏にはあると思います。またそのように考えない限り、念仏の有効性の問題は、「誰それが言ったから」とか「何々に書いてあるから」という具合に、論拠の論拠を示しながらの永劫回帰を避けることができないというのが大峯氏の考えではないでしょうか。
したがって大峯氏は、経典や論釈を一端離れて念仏という行為を分析することになります。それはつまり、経典等の上からの権威によって念仏を意味づけるというのではなく、念仏という原初的行為のもつ宗教性を明らかにすることで、浄土思想、浄土経典が成立してきた過程をたどるというような議論になっていきます。
そのとき、後期ハイデガーの言語論が有効な武器になるということですね。

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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/08/13(日) 11:46:51|
  2. 仏教史&仏教思想
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