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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその5

大峯氏は、独自の観点から言葉を三つの層、三つの次元に分類します。それらは、「日常生活の言語」「学問的認識の言語」「宗教的言語」です。

日常生活の言語は、手段としての言語であり、理解されるとすぐに消えてしまうという特徴をもっています。「そういう日常生活の次元での言語が実は言語のすべてだという考え方が、われわれ現代人を無意識に支配しているようです。地球という惑星の上をくまなく支配しているこの考え方が不気味なんだ、ということをハイデッガーは警告するのです。人類はおそらく、科学技術による生活をもはや止めることはできないでしょう。そして、科学技術による言語の支配という傾向はどんどん進んで行きます。人間が人間であることを喪失していく危険がどこまで伸びていくかわからないのです」(本書140-1頁)と指摘します。
第二の学問的認識の言語とは、概念語、ロゴスの次元の言語のことです。この言語は日常言語とよく似てはいますが、大峯氏は、「このロゴスとしての言語は日常語ではない」(本書141頁)と断言します。すなわち、それは「ものの内部に入って、ものの本質というものを表現しようとする言語」(本書143頁)であり、そこでは、言語の厳密さが大事な問題となります。続いて大峯氏はヘーゲルを引き合いにだし、「普通には概念と言いますと、それは単なる概念であって実物ではないという具合に言いますが、ヘーゲルの言う概念というのは、現実のもの、実物のことなのです。あらゆるものは判断であり、あらゆるものは概念だという言い方をしています。つまり、人間の言葉に絶対者をとらえる次元があるという考えを、この概念という言葉の中に込めた」(本書144頁)と指摘します。
この二つに対し、宗教的言語というのは、「ものと一体であるような言語」(本書146頁)です。
これら三種類の言語の「次元」を、大峯氏は、「われわれの人生の表層のところ、つまり日常生活という名で呼ばれるような言葉の次元においては、言葉はものそのものを言い表していません。ものと言葉は別々になっています。先ほどの『歎異抄』の言葉にあるように、「そらごとたはごと」でわれわれは満足しているのです。けれども、それよりもっと深い生があります。(中略)学問というものはそうではなく、その日常生活のもうひとつ底へ降りる営みです。だから、日常用語よりももうひとつ深いところに学問の言葉がある。けれども、学問の言葉でもって言語の宇宙というものが全部尽きるのではないのです。もうひとつ底がある。世界にはもっと深みがある。それが宗教の世界であります」(147頁)と分析します。
大峯氏は、この「宗教的言語」を「詩的言語」とも呼びます。つまり、「言葉とそれが表現する事柄とが一つである場合」(本書150頁)というのが詩であり、この意味において、宗教的言語と詩的言語は通底するというのです。
大峯氏によれば、そういう詩の性質を一番はっきり分析した現代の思想家がハイデガーです。「ハイデッガーは、言葉というものの一番本来の姿はどこに現れているかというと、優れた詩人の言葉の中に現れていると言っています。本当の詩人は、言葉がすなわち事柄であるような世界を経験しているのであって、そういう詩人の言葉の中に言葉本来の本質が現れているというのが、ハイデッガーの考え方です」(本書151頁)と指摘します。
続いて大峯氏は、芭蕉の
 六月や峯に雲置く嵐山
の句を例示・分析し、「これが、(スイスの思想家マックス・ピカートがいう)詩人というものは人間の言葉を聞いているのではなく、もの自身の言葉を聞いているということの意味」(本書153頁)とします(ちなみに大峯氏は、毎日俳壇の撰者でもあります)。そして、「われわれの世界の表面にある日常生活では、言葉とものとは分かれておりますけれども、世界の一番の深みにおいては、言葉とものとは一つになっているのです。世界の一番の根底は、言葉が事柄であり、事柄が言葉であるという場所です。南無阿弥陀仏の名号というのは、実にそういう世界の深い底から出てくるのです。はかり知れない世界の深みから出てくるのです」(本書153頁)とします。

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テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/08/14(月) 11:03:30|
  2. 仏教史&仏教思想
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