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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその7

続く第二章「名号の宇宙」のなかで、大峯氏はまず、名号が人間と仏との通路であると指摘します。
「私ども人間と仏さまとの通路は、ひとつの原始言語以外にはないというのが浄土教の根本思想だと思います。私どもと仏さまとが何によってつながるかといえば、南無阿弥陀仏という原始言語、根源的な言葉によってつながる。だから、名号というものはけっして人間が語っている言葉ではないのです。そうではなく、仏さま自身が私どもに語りかけている言葉です。本願が語っている。本願の海鳴りです。」(本書167頁)
続いて、もし名号が人間が通常用いている言葉と同じ性質のものであったなら、人間は、南無阿弥陀仏で救われるわけがないと大峯氏は断言します。
「もし言葉というものが、人間の道具、人間同士の意思の疎通をはかる手段ということで終わるのなら、名号の深い意味、本当の意味はわからないのではないでしょうか。言葉の一番の深み、根源は、人間が語るというあり方を超えているのです。」(本書168頁)
そこから、大峯氏の視点はハイデガーに移動します。
「(通常の会話において)人間同士が語っているということは事実だけれども、その人間が言葉を語るということの根底にあって、そのことを支えているものはいったい何か。それは言葉が語るということだ。言葉こそ言葉を語る真の主体だということを、ハイデッガーという人は、言葉の本質を突き詰めていったあげくに発見しています。」(本書168-9頁)
そして親鸞。
「親鸞聖人の『一念多念文意』とか、『唯信鈔文意』などを拝見しますと、一如とか真如とか、色も形もない法性法身が、方便法身という形をとって現れて、み名と形に自分自身を示されたとあります。そうしますと、言葉というものは色も形もないところから現れて来る。法性法身から現れて来る。それが南無阿弥陀仏という名号です。それは人間存在よりも先にあるものです。法性法身から形をとって現れてきたものが名号という言葉です。これは言葉というものの根源的な姿ですから、原始言語と呼んでいいと思います。」(本書169頁)
これに続いて、キリスト教の『聖書』~『ヨハネ伝』冒頭の記述「はじめに言葉ありき」などをふまえながら、大峯氏の視点はハイデガーに戻ります。
「ハイデッガーは、そこのところを神が語るとは言わないのです。人間が語るのではなくて、神さまが語っているのだといえば、それはキリスト教のドグマになります。人間が語るのでないのなら、神さまが語るのかというと、そうではなくて言葉が語るのだというわけです。私はこの「言葉が語る」ということが、法性法身というものが方便法身の名号という形になってくる消息を、一番よく言い表していると思います。」(本書169-70頁)
法性法身の言語論、それが大峯氏のみる浄土思想の核心ということに思えます。
「言葉というものの不思議さ、言葉の重要性ということが、浄土真宗の信仰と思想の核心にあると思います。そういう意味で真宗は言葉の宗教だということができます。仏さまは言葉を持っていらっしゃらない、名前もないように思いますが、実はそうではない。親鸞聖人とか法然上人は、何をされたのかと言いますと、仏さまに名前があったということを発見されたのだと言えましょう。仏さまに名前があった、南無阿弥陀仏という名があることを教えてくださったのです。それまでは、仏さまとは色も形もない存在と思っていたけれども、そうではなくて名前があるのだということを発見された。名前を名告る存在こそ仏である。仏さまにとって名前というのは偶然的なものでなくて、名前を持つところに仏さまがあるのだということです。」(本書170-1頁)

私見によれば、大峯氏のように法性法身の言語を問題にしだすとき、浄土仏教の思想(発想)は、ハイデガーの思想というよりむしろ真言宗の根本思想(発想)に限りなく近づいているといえると思います。しかしこれは、基本的に、真言宗が原始言語・根本言語に焦点をあてた思想だからではないでしょうか。通常、浄土宗は、真言宗・天台宗などの先行仏教(顕密仏教)を否定して登場し、教義的にもそれらの宗派と鋭く対立すると考えられていると思います。しかし、表層的な対立だけに着目して浄土宗を語るのは、浄土宗の思想を必要以上に狭くしているのではないでしょうか。

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テーマ:言語学・言語論 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/08/17(木) 09:20:11|
  2. 仏教史&仏教思想
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