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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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大峯顯氏の『親鸞のコスモロジー』を読むーーその10

『親鸞のコスモロジー』のなかで大峯顯氏がいいたいことは、「名号の宇宙」の章でほぼつきているのではないかと私は思います。ですから、最後の章「芭蕉と親鸞」は、これまで大峯氏が主張してきたことを芭蕉の俳句(詩的言語)を例にしてみていくという、適用、応用の試みといえるでしょう。
仮に名号に関して大峯氏と同じようなことを構想したとして、私だったらやはり藤原定家の歌を引きながら、名号のコスモロジーを検証しくというような方向になるでしょう。そしてそれによって宗教と和歌の二つの側面から「時代精神」といったものを浮き彫りにしてみたいというようなのが、私の基本発想なのですが、芭蕉を引き合いに出すと、時代精神というよりむしろ思想のもつ普遍性が明らかになってきます。大峯氏の発想全体からすると、そうした方向性の方が正しいといえるでしょうね。
それと、和歌と俳句では詩形が違いますから、うねるような和歌的発想よりも、対象にずばっと切り込む俳句の発想の方が、大峯氏の名号論に適合的だとはいえそうに思えます(定家の和歌は、メタ言語的)。
ただ、それはそれとして、大峯氏の名号論を鎌倉時代初期の和歌にも適用してみたい、適用できるのではないかという感じが私には強いのです。それはやはり、この時代の和歌が独自の言語感覚をもっていて、その独自の言語感覚という点で、大峯氏が分析する親鸞の名号論と通底しているのではないかと思うからです。
また人脈という点からみると、法然の大パトロン九条兼実は定家のパトロンでもありますし、常陸の隣、下野の大豪族・宇都宮頼綱は法然の弟子であるとともに定家の息子・為家の舅です。頼綱は、『小倉百人一首』の選定を定家に依頼したのは彼ではないかとされるほど定家に近い人で、この宇都宮氏の動向が、親鸞が常陸に移住したこととからんでいるのではないかと推測している研究者もいます。
親鸞ももとはといえば藤原氏(日野一族)ですから、貴族社会の動向、ものの考え方と完全に無縁ということはないと思います。

【参照】 「藤原定家の法華経題名和歌」

   *    *    *

前置きはこれぐらいにして、「芭蕉と親鸞」の章を読んでいくことにしましょう。
まずは、大峯氏自身による、これまでの主張の要約。
「われわれの言語は親鸞聖人がおっしゃったように、そらごと、たわごとです。まことがないと同時にまことでない。まことということは、本当の事柄、真実という意味と同時に、本当の言葉という意味です。真実と同時に真言という意味です。それがまことということです。われわれ人間の世界は、ウソの事ばかりがあると同時に、ウソの言葉ばかりがある世界です。それがわれわれの世界だとしますと、その世界の中では当然われわれは救われないわけでしょう。いったいわれわれはどうしたら救われるか。本当の言葉に出遇ったら救われる。称名念仏こそ、その本当の言葉だと親鸞聖人はおっしゃっているのです。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのことみなもてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」、とおっしゃっているのは、そういうことです。
 南無阿弥陀仏の名号は仏さまが実際にその中にある言葉です。仏さまの符合や記号ではけっしてないのです。南無阿弥陀仏をもしそう思っていらっしゃったら、これは仏さまを信じていないにならざるを得ません。南無阿弥陀仏というのは自分が言っている言葉だ、「きょうは暑いです」とか、「いつもお元気ですね」とかいうように、私が南無阿弥陀仏と言うのだと、もしそう考えていたら、それはたしかに救われません。私が言う言葉では私はけっして救われません。名号は仏さまの方が私に呼びかけている言葉だから、私は必ず救われるわけです。」(本書189-190頁)

このあたりの議論、ぜひこの記事の上方に記したページ「藤原定家の法華経題名和歌」もご参照ください。親鸞が入っていくのは南無阿弥陀仏の名号の世界、これに対して定家が追求しているのは法華経の世界(その象徴としての南無妙法蓮華経の題目)ですが、定家はそれを「仏さまの符合や記号」以上のもの、「本当の言葉」ととらえていたと思います。この「本当の言葉」とは何かという問題意識において、親鸞と定家は非常に近いところにいたのではないかと私は思うのですね。
さて、大峯氏の議論の続きです。
「しかしながら、そういう言葉の世界というものを、われわれはなかなか信じられないようです。というのは、言葉は人間の約束事だとみんな思っているからです。南無阿弥陀仏の名号だけは特別のものだというだけでは片付かない問題がここにあります。どういうわけで南無阿弥陀仏という言葉だけがほかのわれわれのすべての言葉と違うのか。いったい名号がなぜ人間の救いになるのか、仏の名前を信じることがどうしてわれわれの救いになるのか、という問題をもっと本気で問わなければならないのではないでしょうか。名号というものの論理をはっきりさせなければならない。名号というものはこういうものですという説明ではダメなんです。名号論は今までたくさん書かれています。名号というものはこういうものだと説明はされてあるけれども、名号がなぜ人間の救いになるのか、言い換えると、言葉というものは一番根源のところではいったい何か、という問題がすこしも問われないで残っていると思うのです。」(本書190頁)

こうした問題意識を前提として、大峯氏は詩的言語の世界に話題を転換します。
「そのことをおわかりいただくために、私は詩というものがひとつの入口になると思うのです。たとえば芭蕉のような偉大な詩人の言葉というものは、これは人間と人間との間だけに関係する言葉ではないのです。」(本書198頁)

ここで大峯氏がまず引用するのは芭蕉の次の句です。

  菊の香や奈良には古き仏たち

「「菊の香や奈良には古き仏たち」という言葉は、芭蕉が菊について誰かに説明しているのではないのです。菊そのものをここへ提示したのです。この言葉は、奈良について「奈良とはこういうものですよ」と言って私たちに説明しているのではないのです。奈良そのものを端的に、ここに出しているのです。ということは菊の言葉を芭蕉は聞いたのです。奈良の言葉を聞いたのです。純粋な詩の世界というものは社会的人間の言葉ではありません。菊が言っている言葉を聞きとり、奈良というものが言っている言葉を聞く人が詩人です。
 この俳句で芭蕉は私たちに、言葉というものは、その最も深い根源においては人間と人間との関係ではなくて、人間と自然との関係なのだということを証明してみせました。それは芭蕉の意見ではないかとおっしゃるかもしれませんが、けっしてそうではない。私たちがもしこの芭蕉の俳句に感動したら、その時私たちも奈良や菊の声を聞いたことになるのです。この芭蕉の俳句の中に、この芭蕉の俳句を手だてにして、私たちもやはり菊の言葉を聞いたことになる。奈良の言葉を聞いたことになる。それが詩と呼ばれてきた人間の営みの正体なのです。一口に言葉と言いましても、日常生活の「おはようございます」とか「この花は高いですね」とかいう言葉とは違う世界が詩的言語の世界の中に現われているわけです。
 芭蕉の偉大さはそういう世界を発見したというところにあります。人間が自然と話をするような世界を発見したということです。」(本書203-4頁)

大峯氏の芭蕉論、続けてみていきましょう。
「「ものの見えたる光、未だこころに消えざるうちに言ひとよむべし」と芭蕉は俳句の方法を教えています。すべてのものは光芒を放つ瞬間があると言うのです。その光芒を言葉に言い止めるのが俳句だ。ものの見えたる光、木の葉も松茸も光を放っている(「松茸や知らぬ木の葉のへばりつく」)。われわれが平生、たかが木の葉と思っている時にはそういう光を見ていないのですね。我を捨てないと光には出会えない。芭蕉は、われわれが平生当り前のものと思ってすこしも驚かないでいるその当のものが、まだ言葉のないところから現われてくるその瞬間の光、それをすかさず言葉にするのが詩というものだと教えているのです。」(本書212頁)
ちなみに、定家の法華経題名和歌も、「ものの見えたる光、未だこころに消えざるうち」に詠んだ速詠和歌ですね。この和歌では、宗教的なものを重視したがゆえに、定家は、時間をかけてじっくり詠むことによって和歌のなかに「自己の意識」が入り込むことを嫌ったのだと思います。

   *    *    *

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テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/08/20(日) 09:13:04|
  2. 仏教史&仏教思想
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