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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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伊藤益氏『親鸞ーー悪の思想』『歎異抄論究』を読むーーその2

直前の記事を前提として、『歎異抄論究』のなかから、伊藤益氏の『歎異抄』の読みの要点と思われる箇所を、私見により抜き出してみましょう。

まずは第六条(本書第七章「単独者の自覚」)。
「信心の媒介者(師)は、信心の主体(弟子)に対して、弥陀をめぐる教説の概要を手ほどきすることができる。弥陀とは何か、弥陀の本願とは何か、それを信じるということはいかなる事態なのか、といった事柄を媒介者は主体に対して事細かに教授することができるだろう。だが、信心は、それによって十全な形で成り立つわけではない。事細かな教授によって、主体の側が、信心の本質についてその細部を熟知したとしても、それは信心が確立されたこととは別次元の事柄でしかない。ある人は、信心の内容をだれよりも詳しく理解している。しかし、彼自身はいまだに信心を有するものとはなっていない。そういう事態が生起しうることは、ことさらに現実に例を求める必要もないほどに歴然としている。信心について知を得た者が、真の信心へと立ち至るには、単なる知識の次元を一挙に超え出るいわば精神の「跳躍」がなければならない。主体を跳躍へと導くことは、もはや媒介者の権能を超えている。それは、弥陀と主体とが直接に対向する場面でしか果たされない。親鸞は、このことを理解していたのではなかったか。そして、その理解を、「親鸞は弟子一人も持たず候ふ」という言説によって表出したように見うけられる。」(本書134頁)

次に第十条(本書第十一章「念仏の本義」)。
「親鸞の考えでは、念仏とは、「如来より賜はりたる信心」(歎異抄第六条)のゆえに弥陀の懐に掻き抱かれた者が、弥陀のもよおしに与ってとなえるものであった。それは、行者と弥陀とをつなぐ媒介などではない。行者が念仏を媒介として弥陀につながるというような、念仏を救済の手段と見る発想は、親鸞からもっとも遠い地点で成り立つ。親鸞にとって、念仏は、弥陀の意志の直裁の具現であり、人がとなえる念仏のなかに弥陀が現成するというのが、彼の念仏観の根底をなす基本的な思考であったと見てよいであろう。いいかえれば、親鸞にとって、念仏は弥陀そのものであった。弥陀そのものである念仏が、行者の意図によって作意されるとするのは、論理的に見て、とうてい成立しがたい考えかたである。親鸞にとって、念仏とは弥陀そのもののわが肉体の口をとおしての立ち現われであり、それは弥陀自身のむ「はからひ」以外の何ものでもなかった。」(本書175-6頁)
「念仏とは、「南無阿弥陀仏」あるいは「帰命尽十方無碍光如来」ととなえることにほかならない。となえられる名号は、字面を辿ってゆけばおのずからにその意味が判然としてくるから、人間知の範囲内で十分に意味を担うことばと見てよいかもしれない。しかし、それはもともと、弥陀が人知を絶する権能のもとに紡ぎ出したことばであり、人間的世界の論理によって割り切れるものではない。「南無阿弥陀仏」ととなえることが、なぜとなえる者が弥陀の大慈悲に摂め取られて浄土へと救済されることにただちにつながるのか、人間の知はそれを日常的思考の論理によって解き明かすことができない。その意味で、念仏は、通常のことばを超えた「ことば」であるといわざるをえない。その日常性を超絶した絶対的な「ことば」は、本来、人間のことばではいい表わせないはずである。わたしたちは、それをただ仮初めに、「南無阿弥陀仏」あるいは「帰命尽十方無碍光如来」と称しているにすぎない。すなわち、念仏とは、その本義を弥陀の視点に立ってあらわにしようとするとき、本質的にいい表わしえないものとして、仮の姿をとってわたしたちの許に立ちあらわれるものだといえよう。親鸞は、おそらく、そのように考えていた。そうした観点に立って、彼は、念仏を「不可称」ととらえたのであろう。
 親鸞によれば、念仏は、通常のことばを超えた「ことば」であり、本来的に弥陀自身に属する。弥陀はその「ことば」をとおして、わたしたち凡愚の内面に現成する。弥陀は「ことば」であり、「ことば」は弥陀であるといってもよいであろう。それはしかし、本性的に限界づけられた人間の知性にとって、いい表わすことも、説き明かすことも、思慮分別を以てとらえることもできないものであった。そして、それは、人間の知性を超えるがゆえに、人間の意志的かつ主体的な作意の対象とはなりえない。それゆえ、念仏は、「無義をもつて義とす」るということになる。」(本書177-8頁)


最後に流罪記録(本書第二十二章「積年の怨恨」)。伊藤氏の『歎異抄』論の結びです。
「怨恨や憎悪、あるいは憤怒を人は煩悩と呼ぶかもしれない。もし、そうした情念が煩悩であるとすれば、親鸞は、生涯煩悩から脱却しきれなかった人物だったといっても誤りではないであろう。親鸞は、彼の教説に随順する人々から「聖人」と呼ばれる。聖人が、煩悩を完全に払拭した人格を指すとすれば、厳密には親鸞は聖人の名に値する人物ではなかったというべきであろう。しかし、親鸞が信じた浄土真宗は、煩悩から脱却し切った聖なる人間の宗教だったろうか。それは、煩悩を捨てきれない人間、すなわち煩悩具足の凡愚の救済を求める宗教ではなかったか。だとすれば、怨恨や憎悪、あるいは憤怒を抱懐し続けた親鸞が煩悩の徒にほかならなかったとしても、それはけっして矛盾ではない。ただし、親鸞は、煩悩にとらわれ続ける自己を無批判に肯定していたわけではなかった。彼は、権力に対して怨恨と憎悪を保ち続ける自己を、彼が根源悪ゆえの無力を噛み締める衆生に対して差し向けたのと同様の、悲しみの眼差しを以て見つめていた。唯円は、その眼差しが、眼光の鋭さと同時に、心底に染み入るような切なさを湛えていることに気づいていた。唯円を師への絶対的な随順へと奔らせ、ひいては歎異抄という今日なお人々の実存的心性をうつ書物を書かせたものは、実はこの気づきではなかったか。」(本書314-5頁)

他に、伊藤氏は、「親鸞思想の核心は、往相・還相二種廻向の実践にある」(本書185頁)とも指摘していますが、『歎異抄論究』全体の叙述の流れとしては、「悪性をつきつめる」という視点が強く、往相・還相二種廻向の実践がなぜ親鸞思想の核心といえるのか、少なくとも私は、伊藤氏の記述から十分読みとることができませんでした。

   *    *    *

ちなみに、『歎異抄論究』をとおして『歎異抄』を再読して、個人的には後序のなかの次の箇所に目がとまりました。
それは、「善信(親鸞)が信心も、聖人(法然)の御信心も、ひとつなり」という言葉と、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」という言葉が、矛盾を感じさせることなく一つの文脈に収まっているということです。浄土信仰の難しさというのは、この普遍であると同時に個的であるという点に集約されているのではないでしょうか。

   *    *    *

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  1. 2006/08/23(水) 09:46:47|
  2. 仏教史&仏教思想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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