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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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宗教言語論ーーイスラームの場合 その2

イスラームにおける神的コミュニケーションについての井筒俊彦氏の考え方、「言語現象としての「啓示」」(『超越のことばーーイスラーム・ユダヤ神学における神と人』<岩波書店、1991年>所収)から補足しておきます。

「「不可視界」の「濃霧」の奥から、神の声が聞こえてくる。神の声、神のコトバ。ヤスパース的な表現を借りるなら、神が人間に向かって「暗号」を送ってくるのだ。声は聞こえるけれども、神の姿は見えない。「啓示」は『コーラン』においては、神の自己顕示、自己開顕ではない。神は絶対に自己を直接人に開顕しない。ただ「暗号」を送ってくるだけである。(中略)
 「暗号」とは、その意味指示対象が、直接にそのままでは、わからないような性質の記号である。だから、言語的であれ非言語的であれ、「暗号」は解読されなければならない。正しく解読された場合、『コーラン』における神の言語的「暗号」は、例外なく、人間に一定の宗教的・倫理的義務を課するものとして了解される。つまり人間は、神のコトバ(「啓示」)を正しく了解することによって、神にたいして「責任を負わされた存在」(mukallaf)となるのである。そして勿論、第一次的に神にたいして「責任を負う」人は、同時に、第二次的に、神によって制定された社会、共同体、の中に生きる他の全ての人にたいして「責任を負う」者となる。「啓示」に基づく宗教としてのイスラームの律法性はここに由来する。そしてまた、人間の倫理的な性格も。(中略)「啓示」を通じてこのような事態が成立するということそれ自体から我々は、イスラームにおける「啓示」の本質的機能がいかなるものであるかを知ることができる。他の宗教、特にいわゆる密儀宗教などによく見られるような秘儀開顕的な事態はここには全く見られない。イスラームにおける「啓示」の機能は、「隠れた神」の秘儀、玄義を開示するところにあるのではない。「啓示」は人間に一定の宗教的・倫理的義務を課し、「責任を負わせる」(taklif)ことをもって第一次的機能とするのである。
『コーラン』的世界像において、神は「記号」発信者である。神は、人間に向かって、絶えず「記号」を送ってくる。それらの神的「記号」の多くは「暗号」である。意味指示対象が、そのまま直接には判然としない「記号」を「暗号」という、そのことは前に書いた。無論、なかには意味がそのままはっきりわかるような普通の「記号」もたくさんある。これら二種の神的「記号」を一括して、『コーラン』では「アーヤ」(ayah,複数ayat)と呼ぶ。字義どおり訳せば「徴<しるし>」(表徴)。『コーラン』における最も重要な鍵言葉の一つである。神が人間に「徴」を示すことをtanzil al-ayatという。「タンジール」とは、一般的用法としては、何かを下に向かって降ろすこと。従ってtanzil al-ayatは、「徴を下す」という意味。つまり、「不可視界」(上)から「可視界」(下)に向かっての「記号」送出であって、これが現代風に言えば、神から人間へのコミュニケーションである。しかもこのコミュニケーションは、不断に行われているゆえに、結局、我々の経験的世界は「アーヤ」に満ちた場所、神的「記号」の世界、と考えられなければならない。この世界に存在するかぎりの全ての物、そこに起こるかぎりの一切の事、全存在世界が「記号」的性格を帯びる。存在は、第一義的に「記号」であるということ、それが存在にたいする『コーラン』の最も根本的な見方である。
 「不可視界」から「可視界」に向けて送られてくる神的「記号」は、先にも一言したとおり、言語的、非言語的、の二種に分れる。ひとしく「アーヤ」と呼ばれ、ひとしく神の下す「記号」ないし「暗号」とされてはいるが、言語的「記号」と非言語的「記号」との間には根本的な相違がある。
 存在を神的「記号」と同定する『コーラン』的存在論について、私が上に述べたことは、実は非言語的「記号」のレベルで成立する事態なのであって、言語的「記号」には全く当てはまらない。普通、我々が、べつに特別の意義をもたない客観的事物と見なしているものを、全て、神から送られてくる「記号」であると見ること、あるいは我々がそれに気付くこと、そこに存在の非言語的「記号」性の根拠があるのであって、いったんそういう意識の立場に立てば、この世の一切の事物事象が、神的「記号」となるのである。
「我ら[神]は彼らに我らの徴を示すであろう。遠い空の彼方にも、また彼ら自身の内部にも。やがていつの日か、彼らにも、これが真理だということがわかるであろう」(『コーラン』41.53)。「遠い空の彼方」とは、狭義では天空、天体、星辰、広い意味では自然界。「彼ら自身の内部」とは人間の意識の領域に生起するあらゆる内面的動き。要するに外界、内界、一切の存在現象が神的「記号」である、あるいは、神的「記号」として見られなければならない、ということだ。人間の歴史に起こる事件が、全てまた神的「記号」であることは言うまでもない。すなわち、世界は無数の神的「記号」の空間的広がり、歴史は無数の神的「記号」の時間的連なり、ということである。
 神が人間に向かって発信する非言語的「記号」には、二つの大きな特徴がある。その一つは、「記号」の意味的に指示する領域が、明確な境界線をもたず、従って、ごく例外的な場合を除いて、それが何を意味するかを、厳密に同定することができない、ということ。例えば、これこれの歴史的事件は、神の怒り、神の復讐を示すとか、またこれこれの事物の存在は神の愛、神の慈悲を示すとかいうふうに、漠然としたものばかりである。これが第一の特徴。
 非言語的「記号」の第二の特徴は、それが原則的には全ての人に開かれている、ということ。つまり、そうしようと思いさえすれば、誰でもそれを神の「記号」として認知できる、べつに特別の認識能力が必要とされるわけではない、ということである。
「ものを正常に考えることのできる人なら、誰でもわかるはずだ」と、この種の「記号」に関して『コーラン』は絶えず繰り返している。」(上掲書、7-11頁)

   *    *    *

あえて私見を記せば、「この世界に存在するかぎりの全ての物、そこに起こるかぎりの一切の事、全存在世界が「記号」的性格を帯びる。存在は、第一義的に「記号」である」という視覚において、イスラームは真言密教に通底しているのではないかという気がします。
それはそれとして、「本願の海鳴り」(大峯顯氏)という現象、もしくは比喩的表現を、私は生理学的な方向からではなく、世界における記号(暗号)の遍在の問題という観点からとらえてみたいと思っています。つまり、人間意識が介在する前に、世界にはまずとある「海鳴り」が暗号もしくは絶対的シニフィアンとして遍在している、という世界のあり方の問題として。イスラーム的には、そこに人間が登場してきて、その段階で暗号の「解読」がはじまるわけですけど(人間は記号を読みとろうとする存在?)、一般的にいえば、その暗号が解読されるか解読されないか、もしくは誤解・誤読されるかは、さほど重要な問題ではないのではないでしょうか。つまり、私には、「解」もしくは「意味」という現象そのものが相対的なものなのではないかと思えますから(ただし、イスラームにおいては、預言者の「解」すなわち『コーラン』は絶対です)。
ここで私の思念のなかに浮上してくるのは「音楽」というモデルなんですけれど、音楽というものには、現象としての表現行為(記号、文法)はあるけれど、その「解」とか「意味」というのは、当の音楽にとって本質的に無意義ではないかと思うのです。つまり、音楽というのは自己完結的な「ありてあるもの」「記号の戯れ(jeu)」ではないか、と。ベートーヴェンの「田園交響曲」のような例外を除けば、多くの場合、音楽を愉しむというのは、それを「意味」に還元して意味を味わうことではなく、記号の戯れを戯れそのものとして愉しんでいるわけです。なんというか、世界が記号や表現意志に充ち充ちているということ、そのものを愉しんでいる。
いずれにしても、世界そのものが記号の集合であるという認識ですね。これがイスラームの根底にあるというのは、啓示という問題を考えていくうえでとても重要なことではないかと思います。
この辺のところをもっとつきつめていくと、人間が語るのではなく「言葉が語る」(ハイデガー)という表現・認識がでてくるように思えるのです。

   *    *    *

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テーマ:言語学・言語論 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/08/25(金) 14:49:48|
  2. 哲学
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  4. | コメント:1
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