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峰岸純夫氏「鎌倉時代東国の真宗門徒」を読むーーその1

平松令三氏の『親鸞』<吉川弘文館歴史文化ライブラリー>の抜き書きをさらに続けたいのですが、親鸞帰洛の時期に関する問題で、平松氏は、峰岸純夫氏の論文「鎌倉時代東国の真宗門徒ーー真仏報恩板碑を中心に」(北西弘還暦記念論集『中世仏教と真宗』所収、吉川弘文館、1985年)に論及しており、やや回り道になりますが、ここで、峰岸氏の論文を紹介しておきます。

峰岸論文「鎌倉時代東国の真宗門徒ーー真仏報恩板碑を中心に」(以下、「鎌倉時代東国の真宗門徒」と略す)の構成は、つぎのとおりです。
 はじめに
 一、荒川河畔に立つ大板碑
 二、幕府権力と真宗(1)ーー性海の教行信証開板と親鸞の一切経校合
 三、幕府権力と真宗(2)ーー唯善事件をめぐって
 四、真仏報恩板碑の造立

峰岸氏の論文執筆時点で、萩原龍夫氏「中世下総地方の一向宗」(川村優編『論集房総史研究』、名著出版、1982年)、菊池勇次郎氏「親鸞とその門下」(『茨城県史研究』51号)、岡田寿恵子氏「下野における真宗の展開」(『栃木県史』<通史編3・中世>第二章第四節、1984年)などの論文が次々に発表され、また金石文や板碑に刻まれた偈頌の集成が公刊されたこと、さらには絵画資料としての絵解き研究が活発化したことなどをうけ、峰岸氏は、「地方史研究・宗教史研究の一部として、埼玉県蓮田市馬込にある真仏報恩碑をとりあげ、その造立の背景を追求するなかで、東国真宗門徒の特質を考えてみる」ことを論文の目的と記しています(「はじめに」)。
以下、例によって私の関心に添うかたちで、峰岸論文の論旨を章別に紹介してみます。

   *    *    *

一、荒川河畔に立つ大板碑

埼玉県蓮田市馬込に残る「真仏報恩板碑」といわれる名号大板碑は、地上の高さ400センチ、上幅65センチ、下幅80センチ、厚15.6センチの大板碑で、埼玉県秩父郡長瀞町に残る「釈迦一尊種子板碑」に次ぐ、関東最大級の武蔵型板碑の一つです。わずかに周縁部の剥落はありますが、保存状態も良好です。
表面には次の文言等が刻まれています(このブログでは横組みのため読みにくくなりますがご了解ください)。

                報恩真仏法師      敬
  南無阿弥陀仏(蓮座) 延慶四 辛亥 三月八日
                大発主釈唯願      白


また、裏面には線刻で、

  銭已上佰五十貫

と刻まれています。
供養されている真仏は親鸞の高弟で、下野国高田専修寺(当時は如来堂)の真仏です。真仏の忌日は正嘉二年(1258)三月八日で、碑面に記された「延慶四年(1311)三月八日」は真仏の五十四回忌にあたります。唯願は「親鸞聖人門侶交名牒」に、真仏の弟子として記され、また「常陸国・唯願」と記されている人物と考えられます。
裏面に記された「銭已上佰五十貫」は、「大発主」と記された唯願の「勧進」によって集められた銭貨の総量を示し、秩父長瀞からの石材の採取・加工、荒川を筏流しによると思われる輸送、そして文字の彫刻などの経費の支弁にあてられたもので、峰岸氏によれば、「盛大に行われたであろう仏事供養の費用も含まれていたかも知れない」(上掲書44頁)といいます。ちなみに、銭一貫は現在の十万円程度と考えられます。
この板碑に関し、峰岸氏はまず次の四つの疑問を提出します。
①板碑研究の上では、真宗系板碑といわれるものは少ない。その例外が建立されたのはなぜか。
②真仏は、下野高田専修寺の開祖である。それがなぜ、下野高田ではなく、武蔵馬込に板碑が建てられたのか。そもそも、この馬込の地は真宗にとっていかなる地であるのか。
③五十四回忌というのは、法要として異例に思われるが、なぜ、延慶四年というこの時点に板碑が造立されたのか。
④唯善とはいかなる人物であろうか。彼が、この地にこの大板碑を造立した背景にはどのようなものがあったか。

   *    *    *

以上の補足として、峰岸氏による註を若干引用しておきます。

【金石文や板碑に刻まれた偈頌の集成公刊に関して】
「千々和実編『武蔵国板碑集録』(1)(2)(3)((1)私家版、1956年、(2)小宮山書店、1968年、(3)雄山閣、1972年)、埼玉県教育委員会『埼玉県板石塔婆調査報告書』ⅠⅡⅢ、1981年、千々和実編『上野国板碑集録』(全)、西東出版、1977年、千々和実編『東京都板碑所在目録』(1)(2)、東京都教育委員会、1979年、千葉県史料調査会『千葉県史料・金石文篇』(1)(2)(3)、1975・78・80年などがある。」(註6抄)

【板碑の資料集成にもとづく宗教史研究に関して】
「『板碑概説』(鳳鳴書院、1933年、角川書店、1972年復刻)によって板碑研究の基礎をつくった服部清道氏は、「時宗名号の原初書体」(『横浜商大論集』14巻2号)を発表し、板碑に見られる書体から年代判定の問題を提起し、今井雅晴氏は、「踊り念仏の板碑」(『時衆研究』95号)、「『踊り念仏の板碑』補論」(『時衆研究』97号)、「一遍『六字無生頌』の板碑」(『藤沢市史研究』17号)などにおいて板碑に刻まれた銘文や偈頌に着目し、時衆と板碑の関連を論じ、板碑に「往生要集」の章句や一遍の作った頌が用いられていることを立証した。千々和到「『往生要集』と板碑の偈」(『金沢文庫研究』273号)は、この今井の提言にもとづき、板碑の偈頌から往生要集の世界と板碑の関連について論じている。なお千々和到「東国における仏教の中世的展開ーー板碑研究の序説として」(『史学雑誌』82-2・3号)は、板碑と宗教史研究の結合を目ざした画期的な論文である。なお今井氏は善光寺信仰と時衆一遍の関連についても論じている(『時宗成立史の研究』吉川弘文館、1981年)。」(註9)

【「真仏報恩板碑」裏面に彫られた銭貨に関して】
「千々和到前掲註(9)『史学雑誌』論文は、この150貫を板碑の造営費のみに解することに疑問を呈している。これはあくまで勧進額と考えてよいと思う。」(註13)

【参照】「鎌倉時代東国の真宗門徒」原文 (「後深草院二条」サイト内)
     「真仏報恩碑(寅子石)」画像 (蓮田市公式サイト内)

   *    *    *

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