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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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ブラームス・デイ

昨日はなぜか一日ブラームスのCDを聴いていました。

ゆっくり起きて、ブランチをとりながらまず交響曲第一番(ベーム、ベルリン・フィル)。これはベームの比較的若い頃(59年)の録音で、廉価版CDが出たのを機に購入したもののじっくり聞き込む機会がなく、そのままになっていたもの。次に、ベームからの連想でベーム、バックハウスが共演しているピアノ交響曲第二番。その次には、ブラームスを続けに二曲聴いたのだからまたブラームスをという発想でピアノ三重奏曲第一番(イストミン、スターン、ローズ)。この曲のこの演奏は、私が最も好きなCDの一つで、ブラームスに限らず、これ以上ノーブルな曲と演奏は他にちょっとないだろうと思っています(たとえば、同じ曲のルービンシュタインらによる演奏は、ゴツゴツした感じであまり好きではありません)。
と、ここまでくればオール・ブラームス・デイにするしかないということで、次にはヴァイオリン協奏曲。こちらは、これまた私が最も尊敬する指揮者であるクレンペラーとオイストラフの演奏。
この曲を聴いている最中に友人から電話があり、友人の買い物につきあうことにしました。赤坂の某ホテルで洋服のバーゲン・セールがあり、友人はそれを見に行きたいというのです。実はこのところメールの調子がよくなく、パソコン通の友人にはそれをどうしたらいいかの相談もあったので、着替えてホテルに向かいました。
このホテルは私のあまり行ったことのないホテルで、アーケード街から待ち合わせを約束したロビーにたどりつくのにちょっと手間取りましたが、なんとかすべりこみ。バーゲンでは、友人はいろいろ物色して気に入ったジーンズを見つけたようでした(友人がジーンズを試着している間、私はふだんなかなかできないジャケットの試着にトライ)。
買い物後は、広い庭の見えるホテルのラウンジでしばし休息。友人は巨大なショートケーキのセットを、私はマロングラッセをのせたナポレオン・パイに挑戦。
さてティー・ブレイクの話題はいろいろありましたが(もちろん親鸞論を含む)、その柱の一つは音楽演奏論。私は、今日出かけるまで聴いていたベームのことなどを話しました。

朝?一番に聴いたというのは、ベームが私のお気に入りの指揮者だからかというとそうではありません。逆に、ベームは私が最も苦手とする嫌いな指揮者の一人です。昨日も、ベームのブラームスは、勢いがあるといえばあるけれど、力まかせのかなり荒っぽい演奏だという感を強くしたばかりです。
で、音楽演奏の話題というのはまずは指揮者論なのですが、二十世紀に活躍した大指揮者たちを分類するのに、通常は主観派(フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、クナッパーツブッシュ等)と客観派(トスカニーニ、クレンペラー、セル等)でわけますが、そうではないのではないかという持論を存分に語りました。
つまりこれは、主としてブルーノ・ワルターの演奏を聴きながら考えていることなのですが、通常、フルトヴェングラーなどとともに主観派の代表と考えられている彼の演奏、じっくり聴くと、曲のなかの一つひとつの音を大事にした、いわば「音楽本位」のものであるという気がしてくるのです。
となると、ブルーノ・ワルターは、クレンペラー、セルとならぶ、「音」重視派であり、この三人は、音楽においては音もしくは響きが最も重要な要素で、それがきちんとだせたうえではじめて、主観とか客観といった表現があると考えていたという点で共通していると私は思います。彼らに比べると、フルトヴェングラーやベームの演奏は、音を整えることは二の次で、まずは表現だと主張しているようで、私には抵抗があるのです。
(このなかでカラヤンをどう位置づけるかは少し面倒ですが、カラヤンという人は、一見「響き」重視派のようにみえながら、セルやクレンペラーに比較すると非常に不徹底だと思います。カラヤンのモーツァルトやベートーヴェンは、私にはとても濁ってきこえるのです。)
ところで、50年代、60年代を代表する彼ら大指揮者たちを私のように二分すると、その区分はそのまま、ユダヤ系指揮者(ブルーノ・ワルター、クレンペラー、セル)とドイツ系指揮者(フルトヴェングラー、ベーム+カラヤン)という区分でもあります。私としては、双方のグループに属する指揮者の演奏の違いを、いわゆる「血」や「気質」の問題に還元したくはないのですが、となるとこれは20世紀のドイツ社会のなかでドイツ系音楽家とユダヤ系音楽家がおかれていた立場の違いに起因するのではないかと考えたくなります。つまり、ドイツ系の音楽家たちは、聴衆ととあるコミュニティーを共有し、その暗黙の了解のもと、結果的にコミュニティーの結束を高めるような演奏、演奏者と聴衆が同じコミュニティーに属することを体感できるような演奏をしていたのではないでしょうか。そういう演奏として、フルトヴェングラーの演奏は、やはり非常にすぐれたもの、インパクトの強いものというべきでしょう。
実は、聴衆を感動させるのがいい演奏だと、演奏論をここで打ち切る考え方もありますが、私はそれには賛成できません。
フルトヴェングラーに対し、ブルーノ・ワルターやクレンペラー(ともにマーラーの弟子)は、第一次大戦後のドイツ社会で華々しく活躍しながらも、ユダヤ人であるがゆえに、根本的なところでコミュニティーに受け容れられていないということを自覚していたのではないでしょうか。そのことが、無意識的に彼らの演奏を自己防衛的な色彩の強いもの、自己の主観をストレートにさらけだすよりも音そのものを磨き上げて欠陥の少ない音楽、批判されることの少ない音楽を練り上げるという方向に向かわせたのではないかと私は考えます(この音を磨き上げるという方法論は結果的にモーツァルトの音楽演奏に合致しており、ブルーノ・ワルターもクレンペラーも、モーツァルトを主要レパートリーの一つとしています。これに対するベームのモーツァルト演奏は、よくいえば、モーツァルトの人間性を重視したものといえるでしょうか。音がざらついていて、私にはそれがとても気になるのです)。
ところで、このところ私はハイデガーの著作も少し読んでいるのですが、就中、『言葉への途上』を読んでいると、この著作のもととなった講演の多くが50年代に行われており、その時期はちょうどフルトヴェングラーの晩年に重なること、フルトヴェングラーもハイデガーも、戦争中のナチスとのかかわりが問題とされ、戦後の活動に制約を受けたことを考えてしまいます。
この二人を同時代人として一緒に論究した例を私は知りませんが、戦後、ともにナチスとの関わりを問題にされながらも、フルトヴェングラーの方は、音楽家であったがゆえにその活動は本来的には非政治的なものであったとされ、許容されているように思われます。しかし、フルトヴェングラーの演奏が、主観か客観かという単純な表現スタイルの問題ではなく、ドイツ社会(コミュニティー)のあり方と深く結びつくものであることを考えると、フルトヴェングラーの演奏の政治性も、より深いレベルで考えなくてはならないのではないかという気がしてきます(注意していただきたいのですが、私はここで、フルトヴェングラーは戦犯だといいたいのではありません)。
そしてこの問題は即座に、ハイデガー思想の政治性の問題ともかかわってきます(現在この問題を考えるならば、『ハイデガー「哲学への寄与」解読』<鹿島徹他著、平凡社、2006年>がとてもおもしろいと思います)。戦後のハイデガーは、その関心領域を「言葉」の問題に先鋭化させていったともいえますが、言葉の問題とはすなわち社会(コミュニティー)の問題であるともいえるのではないでしょうか。
友人と話しながら、昨日は、そんなことをとりとめもなく考えていました。

(帰宅してからは、ルービンシュタインでブラームスのピアノ・ソナタ第三番を聴きました。)

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