le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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『言葉と物』とハイデガーの思想:その1

フーコーの『言葉と物』(渡辺一民、佐々木明訳、新潮社、1974年刊、原著は1966年刊)を読んだ。この著作、実は30代、40代にも読んでいて、今回が三読目。最初に読んだときは、フーコー独自の発想がどこからくるのかさっぱりわからなかったため、とにかく難しくて読むのに時間がかかり、二度目は逆に、最初の読みにくさが嘘のようにすらすらと納得しながら読め、今回は、最初読んだときに自分がなぜ『言葉と物』につっかえたのか、また二度目はなぜすらすら読めたのかなど、ちょっと客観視しながら読んだ。『言葉と物』の場合、たまたまちょうど10年おきぐらいに読んでいるので、なにか自分を発見する旅をしているようだ。

ところで、今回の読みのなかで、もっとも気になっていたのは、東浩紀が『存在論的、郵便的ーージャック・デリダについて』(新潮社、1998年)のなかで指摘しているハイデガーの『存在と時間』との関係(同書258頁)。自分でもそれが確認できたという意味で、収穫のある読書だった。

まずこの『存在と時間』との連関という観点から、『言葉と物』のテクストをチェックしてみよう。
「起源にあるものの直接性のなかで告示されるのは、したがって、人間は、人間をその固有の実存と同時期のものとするような起源から引きはなされているという一事であろう。時間のなかで生れ、もちろんそこで死んでいくあらゆる物のなかで、人間は、いかなる起源からも引きはなされ、すでにそこにあるわけだ。かくして、物が(人間のうえに張りだしている物さえも)そのはじまりを見いだすのは、人間のうちになのであって、人間こそ、持続の何らかの瞬間に刻印された傷痕というよりはむしろ、そこから出発して時間一般が再構成され、持続が流れ、物がそれ固有のときに出現することのできる、そのような入口にほかならない。経験的領域で、物がつねに人間にたいして後退し、その原点において補捉しえぬとすれば、人間も、基本的には、この物の後退との関係において後退しつつあり、物が、起源についての経験の直接性にたいして、その堅固な先住性の重みをくわえることができるのも、まさしくそれゆえなのである。
 そのとき、ひとつの任務が思考にあたえられる。物の起源に異議を申したて、しかも、それにもとづいて時間の可能性が構成される様態を再発見しながら、物の起源をーーこの場合の起源とは、そこから出発してすべてが誕生することのできる、起源もはじまりもない起源のことだーー基礎づけるために異議を申し立てる任務である。このような任務は、そこから時間の由来する裂け目が時間継起も歴史もなく出現するように、時間に属するすべてのもの、時間のなかで形成されたすべてのもの、時間の可動的な本領に宿るすべてのものが、疑問に付せられることを含意している。そのとき時間は、それでも時間を逃れられぬあの思考のなかで、その思考がけっして起源と同時期のものでない以上、中断されるであろう。けれどもこの中断は、起源と思考とのあの相互関係を転倒させる力を持つにちがいない。起源と思考との相互関係はそれ自身のまわりを一回転し、起源は思考がなおつねにあらたに思考しなければならぬものとなるから、つねにより間近い、だがけっして到来しない切迫のうちに思考にたいして約束されるであろう。そのとき起源は、立ちもどりつつあるもの、思考の赴く反復、つねにすでにはじまっているものの回帰、どんな時代にも輝いてきた光の接近となるだろう。こうして、三たび、起源は時間をつらぬいてその横顔を見せる。けれどもこのたびは、それは、未来のなかへの後退であり、思考を可能にすることを止めなかったものを目指しての鳩の足どりですすみ、前方、つねに後退していく地平線上に、思考がそこからきた光、思考がそこから豊かにあらわれる光を見張るようにという、思考が受けとりみずからに課する緊急命令にほかならない。」(『言葉と物』~第九章「人間とその分身」、353~4頁)

フーコーは引用文のなかほどで、「つねにすでに」というやや奇妙な感じのする言い回しを使っているが、この「つねにすでに」はハイデガー特有の術語であり、この箇所でフーコーは、ハイデガーという固有名詞を挙げることなくハイデガーに言及するというアクロバット的な書き方をしていることが、具体的に確認できた。
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  1. 2005/09/16(金) 01:44:15|
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