le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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MY KAMAKURA, MY SHIBUSAWA AND MY FRIENDS

ブログに何の記事を書こうか、自分のことでも少し書いてみようか、しかし私に自分のことなどかけるだろうかと思っていたら、ふと矢川澄子さんのことを思い出した。

yagawa.jpg

彼女の小説の大半は自伝的なもので、別れた夫のこと、なぜ自分たちは別れたのかを綴ったものだが、そうした自伝的な小説を書きながら、矢川さんの視点は、いつしか自分と夫のことを離れ、幻想の世界に飛躍していくのだった。
私は、その自己解体のすごさが矢川さんの真骨頂だと思うが、そうやって自己を解体するためにはどうしても夫との別離というフィルターをとおさざるをえず、そのことに気づいてはもう一度作品の出発点に戻って自己の矛盾になやみ続けるーーそんな強烈なトラウマ文学、彼女にしか書けない痛々しいトラウマ文学(ファンタジーの外貌をまとった)だ。
私は、矢川さんにお会いするまで矢川さんの作品を読んだことがなく、やはり「澁澤龍彦前夫人」という強烈なレッテルのもとに彼女の存在を考えていたのだが、それは矢川さんにとっても同じだったのだろう。いや、安易に「同じだったのだろう」などという推測を許さないほど、彼女のなかの「澁澤龍彦」は、別れてからも彼女を呪縛し、それゆえいつもその呪縛について書こうとしながら、結局はそれを果たさずに亡くなってしまった。実際の矢川さんに数度お会いし、少し言葉を交わさせてもらったら、私の作品も読んで下さいと、ある日、彼女から作品集成(書肆山田)が送られてきた(今メモをみたら、私はこの集成をいただいた直後と矢川さんが亡くなった直後の二度読んでいる)。そんなやさしいところのある人だった。

さて、先日、九州に住んでいる友人Y君と電話で話をしていたら、彼の夢のなかに私が登場し、私の論文が本になったのを示して自慢げに話していたという(夢の中の会話の場所は新宿・紀伊國屋書店店頭)。いい夢なので、その夢が実現するよう、手元にあったクラシックのCDを彼に送り、彼の夢と私のCDを交換してもらうことにした。

Y君とは、彼が東京に住んでいたころしょっちゅう会っていたが、二度ほど、一緒に鎌倉に行ったことがある。
鎌倉を訪問するときの私のルートはだいたい決まっていて、北鎌倉駅で降りて浄智寺に向かい、澁澤龍彦さんの墓にお参りしてから、その足で澁澤邸を訪問し、そのあと、ふらふらと鎌倉を散策するというものだ。
Y君と鎌倉に行ったときも、二度ともこのコースで、私たちにとって、鎌倉に行くということはイコール澁澤龍彦について考えるということなのだった(あらかじめお断りしておくと、私は澁澤龍彦の熱心な読者ではない。ただ私の周囲の状況で、澁澤龍彦とは何だったのかいろいろ考えるようしむけられている感じだ<ちなみに、サド侯爵は18世紀人>。矢川さんとの出会いも、そんな「偶然の必然」のなかに入るといえる)。
ちなみに、澁澤さんの自宅、なかでもその書斎は、澁澤さんが生きていた当時そのままに残されており、書斎にいれていただくと、ふと澁澤さんが奥の方から出てくるのではないかという幻想にとらわれそうになる。

さてY君との二度目の鎌倉行きでは、澁澤邸を出てから鎌倉駅に移動し、そこで誘われるままに人力車で鎌倉を見物した。とは言ってもその日は時間が遅く、大半の名所はすでにしまってしまったからといって、人力車がまわってくれたのが、鎌倉市内から少し入った滑川沿いの小さな赤い橋。その川沿いの光景をみているうちに、澁澤さんと矢川さんが最初に住んでいた古い家はこの滑川沿いにあって、二人はいつも部屋の窓からこの川を見下ろしていたのだと、不思議な既視感におそわれた(そのあとで、私とY君は、澁澤さんと矢川さんはなぜ別れたのかといった話をしたと思う)。

その日はそれから、由比ヶ浜まで歩き、暗くなった海をみてから近くの江ノ電に乗ることにしたのだが、その江ノ電の駅「長谷」にもなにか既視感がある。そのベンチをどうもどこかで見たような気がするのだ。それで考えてみたら、江ノ電の長谷駅は、私が好きな吉田秋生のコミック『ラヴァーズ・キス』のラストシーンの舞台で、このコミックを何度も読み返していた私は、いつのまにか駅のたたずまいを記憶に焼き付けていたのだ(そういえば、矢川さんに鎌倉を舞台にした青春物語『ラヴァーズ・キス』を読ませたいと思いながら、彼女の早すぎる死でそれを果たさずに終わってしまった)。

さて、この『ラヴァーズ・キス』のなかでヒロイン理伽子がいつも弾いていた曲がベートーヴェンのピアノ・ソナタ「テンペスト」。
そして私が友人の夢と交換しようとしているのがその「テンペスト」だ。
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  1. 2005/10/04(火) 14:45:23|
  2. 文学(人と作品)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

澁澤龍彦さんは、ペローの「長靴をはいた猫」の翻訳家ですね。それで、ググってみると、マルキ・ド・サドの翻訳家だったんですね!
IQの低い私は、映画「クイルズ」を観ただけですが。
  1. 2005/10/04(火) 23:38:09 |
  2. URL |
  3. sea1900 #-
  4. [ 編集]

矢川さんの翻訳

『長靴をはいた猫』の翻訳、異端派の澁澤さんとしてはかなり異端な方の仕事でしょうね♪

一方、矢川さんには、いわゆる児童書の創作や翻訳がたくさんあります。
そのなかからどれを推すかといわれても難しいですが、ギャリコの『雪のひとひら』と『さすらいのジェニー』の翻訳(新潮社、大和書房)は、矢川さんを代表するといってもいい、すばらしい翻訳だと思います。
『さすらいのジェニー』に関して、次のようなブログを発見しましたので、ご参照ください↓。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/20359/661766
  1. 2005/10/05(水) 13:46:37 |
  2. URL |
  3. lunatique #KAqg7Yzw
  4. [ 編集]

昨日2度目の「ラヴァーズ・キス」を読み、夜このDVDを見ました。原作の持つ、月と朋章との距離感が
好きなのですがやはり、これは原作にしかない物でした。「長谷」こういう駅なのですね。4
  1. 2005/10/24(月) 08:08:25 |
  2. URL |
  3. sea1900 #-
  4. [ 編集]

『ラヴァーズ・キス』

まあ、映画『ラヴァーズ・キス』を観てないんで確たることはいえないんですけど、『ラヴァーズ・キス』は、原作の構成があまりにも完璧すぎるので、映画化といっても、ちょっとどうしようもないんじゃないかなあという気がしますね。
それでもあえて映画化するとしたら、私だったら、原作を完全に再構成して、違う構造のストーリーにするしかないと思うんですけど…。
昔みたので記憶が曖昧ですけど、同じ吉田秋生原作でも『櫻の園』の方は、映画もよくできてましたね。
  1. 2005/10/24(月) 13:33:31 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

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