le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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多田智満子さんのこと

矢川澄子さんのことを書いていたら、反射的に多田智満子さんのことも書きたくなってきた。
矢川さんの場合とは逆に、多田さんはまずその翻訳をとおしてお名前を知ったのだが、多田さんがどういう方なのかという関心は、その時点ではまったく生じなかった。矢川さんの場合とは逆に、多田さんは、自分の創作や翻訳から自分の存在感をきれいにぬぐい去ることができる人で、そんな多田さんの個性が、私に多田さんに対する関心を生じさせなかったといっていい。
多田さんを代表する仕事は、ベルギー出身の女性作家マルグリット・ユルスナールの長編小説『ハドリアヌス帝の回想』で、私が最初に読んだのもこの作品。同性愛者であったローマ皇帝ハドリアヌスが、死を目前にしてその生涯をふりかえるという内容だ。しかしその書き方は、細々とした身辺雑記といったものからはほど遠く、時間を超越してヨーロッパ文化全体を見据えたというような、壮大な視点から描かれている。
実は、この翻訳には三島由紀夫によるこれ以上はないと考えられる讃辞があって、曰く、「多田という人は知らないが、これはおそらく男性の偽名ではないか。内容が内容だけに、本名で翻訳するのを憚って女性の名をつかって翻訳したのではないかと思われる。いずれにしても、女性にはこの硬質な文体は書けない」といった趣旨のものだ。三島の推測はみごとにはずれているのだが、その一方で、その翻訳の文体に関する洞察は、多田さんへのこれ以上は考えられない讃辞になっている。
そんな多田さんが、矢川さんと女学生以来の友人だと私が知ったのは、そう古いことではない。澁澤龍彦との家庭生活に失敗しながらも、その家庭に、そして自分が女性であることにこだわり続け、そのこだわりを作品にし続けた矢川さんと、幸福な家庭生活のなかで、家庭や女性性といった個人的なものをすべて遮断して磨かれた言葉を紡ぎ続けた多田さんほど対照的な存在はないだろう。全く違った資質をもち、嫉妬やライバル意識があったればこそ、矢川さんにとって多田さんは、どうしても無視できない「友人」だったのだと思う(矢川さんが亡くなる一ヶ月ほど前、私は、矢川さんから、神戸に行って多田さんに会ってきたというメールをいただいた。その時はなんとも思わなかったのだが、あとから考えたら、あれは死を決意した矢川さんが多田さんに最後のお別れをしに行ったのだと気がついた。この矢川さんの最後の訪問については、多田さん自身による「水澄みてあれ」という手記がある<『ユリイカ』特集号 矢川澄子・不滅の少女>)。
私は、一度だけ多田さんにお会いしたことがある。仕事で徳島に行った折、神戸で下車して六甲山のふもとにある、閑静な多田さんのご自宅を訪問させて頂いたのだ。神戸に住んでいると、文学に関心をもつ人になかなか会えなくて寂しいと、多田さんは、手づからヘレンドのカップで紅茶をいれて歓迎してくれた。その時の会話の内容はほとんど忘れてしまったが、なにか、西洋と東洋の文学観の比較論のようなことを話したような気がする。そんな多田さんが、回復不能な癌に冒されたのが数年前。自分の死期を知り、最後の時をめざして気丈に身辺整理をしている伝えられる多田さんの姿が、ハドリアヌスの姿とオーバー・ラップした。

多田さんのユルスナール翻訳では、『ハドリアヌス帝の回想』が代表作とされるが、小品ながら『東方綺譚』もすばらしい。自分の作品が、日本で多田智満子というまたとないすぐれた翻訳者にであったことはユルスナールもよく知っていた。女性であることをまったく感じさせないどこか豪毅なところのあるユルスナールの作風と多田さんの文体は、まさにこれ以上は考えられないベスト・マッチというべきだろう。
また、ユルスナールには三島由紀夫論『三島あるいは空虚のヴィジョン』があるが、こちらは澁澤龍彦さんの翻訳。自分の三島論が、三島の盟友ともいえる澁澤によって翻訳されたことに、ユルスナールは、これまた非常に満足していたにちがいない。
ちなみに、マイベスト・ユルスナールは『黒の過程』(岩崎力訳)。宗教改革の時代のヨーロッパを舞台にした歴史小説だが、その主題は、ヨーロッパ思想とは結局なんだったのかということ。「思想」そのものを主題として、これだけの厚みを描き出した小説を、私は他に知らない。

なお、多田さんの翻訳を含むユルスナールの主要作品は、白水社からユルスナール・セレクションとして刊行されている。
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  1. 2005/10/05(水) 15:06:17|
  2. 文学(人と作品)
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:4
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コメント

『ハドリアヌス帝の回想』

この方の著作をまだ読んだことがないので興味を持ちました。
三島由紀夫氏が絶賛したのなら、なにか通じ合うものが
あったのでしょうね。
「この著者は男にちがいない」という彼の分析が、
いかにも彼らしくて面白いと思いました。

ユルスナールの『三島あるいは空虚のヴィジョン』も
面白そう。あぁ・・知らないことがありすぎる(笑)。
  1. 2005/10/22(土) 20:39:59 |
  2. URL |
  3. akaboshi07 #-
  4. [ 編集]

『鏡のテオーリア』

akaboshiさん、今のエネルギーでどんどん進んでいけば、知らないことなんて、すぐになくなることでしょう。その時はまた、いろいろ教えてください(笑)。

え~、ところでコメントのなかで、一箇所訂正箇所が…。三島は『ハドリアヌス帝の回想』著者・ユルスナールをではなく、訳者・多田智満子さんを男ではないかと分析したのです。
もっとも、ユルスナールの作品自体、非常に硬質ですから、多田さんの文体にはうまくあっていると思います。多田さんの著作では、『鏡のテオーリア』がまず思い浮かびます。
  1. 2005/10/23(日) 01:06:01 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

ふたたびTR

こんばんは。
こちらからも”ひねった”TBいたしました。
  1. 2005/11/12(土) 00:38:38 |
  2. URL |
  3. R #VWFaYlLU
  4. [ 編集]

目の毒

は、は、は。
ひねったTBどうもありがとうございました。
白水社のネーミングが中国古典に由来するとは以外でした。
本日、書店で90周年記念の本たちを見つけ、あれも欲しい、これる欲しいと思いながら、何も買わずに素通りしてきました。
この企画、けっこう目の毒ですね(笑)。
  1. 2005/11/12(土) 17:32:09 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

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白水社が創設90周年を向かえ、記念フェアを開催している。社名は「白水は崑崙の山に出で、これを飲めば死せず」と伝えられた中国の神泉に由来する、という。フランス語の辞書や語学書の名門出版社であり、少々偏りのあるセレクションの翻訳文学は、偏りのある嗜好をもった読
  1. 2005/11/12(土) 00:34:28 |
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