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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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日本史研究会で京都行き:その2

すぐ下にも書いたように、8日、9日と、京都女子大で開催された日本史研究会大会を聴講した。今回の大会の共通テーマは「歴史的環境と自己意識」。このテーマにそって、初日は全体会シンポジウム「中世仏教の国際環境」が、二日目は個別報告が行われた。

個人的に刺激的だったのは、初日の「中世仏教の国際環境」というシンポジウム。日本の政治や仏教界は、平安時代の末期に大きな転換期を迎えるが、この時期は、唐の滅亡など東アジアのさまざまな地域で王朝(国家)の交替が起こった時期でもあり、東アジア全体をとらえた大きな視点から日本仏教に生じた変化を見なおそうということで、上川通夫さんの「日本中世仏教の成立」、横内裕人さんの「自己認識としての顕密体制と<東アジア>」、古松崇志さんの「考古資料・石刻史料よりみた契丹(遼)の仏教」の三つの報告が行われた。
報告後の質疑応答のなかでは、平雅行さんの「中世日本を導く国家原理は、ほんらいさまざまな可能性が考えられたのであり(仏教、儒教、神道)、仏教はその一つにすぎなかった。ただ、仏教には中国中心主義を相対化するという側面があり、それゆえ、唐滅亡後の中国(宋)が儒教を中心に国家を編成していくのに対し、日本を含む同じ時期の周辺国家は、逆に仏教中心に国家を編成していったといえるのではないか」という発言がおもしろかった。
私も、上川さんと横内さんに不明の点をちょっと質問させていただいた。
シンポジウム終了後は七条の居酒屋に場所をかえて懇親会。この大会をめざして全国から集まった研究者同志が、改めて面識を深めた。日本史研究会にかぎらず、研究会というのは、報告もさることながらこの懇親会が実におもしろい。この日の懇親会には、報告者三人も顔を出し、シンポジウムの正式の席とはちょっと違ったくだけた感じで、ざっくばらんにさまざまな意見を交換し合った。私はというと、Sさんという気になる研究者が会場にいたので、彼に挨拶し、その研究レジュメを送ってもらうことにした。
二日目は、水谷千秋さんの「古代天皇と天命思想―七世紀を中心として― 」と宇佐見隆之さんの「中世末期地域流通と商業の変容」を聴講した。こちらは、私が関心をもって取り組んでいる分野ではないので、正直なところ、かなり難しい。
また大会会場には、歴史図書の販売コーナーも特設され、ここでさまざまな専門書が二割引で買える。私は、元木泰雄編『古代の人物6 王朝の変容と武者』(清文堂)、桜井好朗『日本の隠者』(塙書房)、中井真孝『法然絵伝を読む』(思文閣出版)、中尾良信『日本禅宗の伝説と歴史』(吉川弘文館)などを買い込んだ。

宇佐見さんの報告後、昼食をはさんで質疑応答やコメントが予定されていたが、私はここで大会を辞去し、少し京都市内を回ることとした。
まず足を運んだのが、京都女子大から徒歩で10分ほどのところにある三十三間堂(蓮華王院)。実は、ここは、前日も大会に行く直前にちょっと訪問したのだが、何度観てもすごいとしかいいようがない。蓮華王院は、平安時代の末期に後白河院の命によって創建された寺院(現在の三十三間堂はその一部)で、後白河院は、この蓮華王院を自己の宝蔵と位置づけ、絵巻に代表されるさまざまな宝物を収集する大コレクターだった。頼朝が上洛した際に後白河院がそのコレクションを見せつけようとしたところ、後白河院の世界に引きずり込まれまいとする頼朝が、それをやんわり拒否したというエピソードも伝えられている。その後、後白河院のコレクションの大半は散逸してしまったが、現在の三十三間堂に残る千一体の千手観音は、後白河院のコレクションにかけた情熱を、数々の戦火をくぐりぬけて今まで伝えている。だから三十三間堂は、一体一体の観音像を鑑賞する場所などではなく、私にすれば、それを千一体も作らせた(集めた)という後白河院の「狂気」を鑑賞する場所なのだ。
三十三間堂の次にどこに行くかちょっと迷ったが、ここから近いし、まだ一度しか行ったことのない東福寺を訪問することにした。
東福寺は洛中の名所から少し離れているので、大寺院のわりには訪れる人が少ない。鎌倉時代中期に摂関として絶大な権力をふるった九条道家が創建した禅宗寺院だ。ただここは、火災などのために創建当時の建物がほとんど残っていないのだが、広大な敷地に配された巨大な堂や門の雰囲気は、道家の栄華をしのぶに充分だ。また創建当時は大仏もまつられていたというが、今その大仏はなく、だから、ここは三十三間堂とはまったく雰囲気が違う。「空間」が東福寺の主役だ。
さて、三十三間堂、東福寺と、京都市内を南下した後は、ついでに宇治の平等院を訪問することにした。宇治には東福寺から京阪電車でいけるので、交通の便もよい。宇治に行くのはこれで三度目だが、実は私は鳳凰堂のなかにはいったことがない。三度目の正直を狙ってはいるのだが、東福寺を出るときに三時をまわっているのが気がかりだ。ままよ、と京阪電車に乗り込む。
さて、結論からいうと、今回も鳳凰堂には入れなかった。四時少し前に平等院に着いたのだが、鳳凰堂への入場はもう締め切りという。やむなく庭から鳳凰堂を眺めた。今みてきたばかりの三十三間堂、東福寺と比較すると、平等院はいかにもこじんまりとしていて(創建当時は、平等院を中心として周辺に多くの堂が立ち並んでいたと考えられるが)、それでいて鑑賞(崇拝)の対象(阿弥陀仏)がきちんと中心に据えてある。寺院のあり方が蓮華王院や東福寺とはまるで違う。ある意味では、最も寺院らしい寺院だ。
いずれにしても、この日回った寺院は、平安後期から鎌倉中期までいちおうそれぞれの時代を代表する人物がたてた寺院であり、宗旨も、浄土信仰、密教、禅と異なっている。日本史研究会のシンポジウムを思いやりながら、時代の変換をこうして具体的に凝縮してみることができたことに満足した。

平等院を後にして宇治川の川沿いを少し散歩。宇治川の流れをしばらくみていると、これは『源氏物語』~宇治十帖そのままできないかという気がしてくる。浮舟が吸い込まれそうになったのはこのとうとうとした流れだったとのだと、最後は仏教を少しはなれて『源氏物語』の世界に思いをはせた。
夕暮れの宇治を後にして、再び京阪電車に乗り込んで四条の繁華街に出、少し土産を買い込んでから新幹線に飛び乗った。短いが充実した京都行だった。
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  1. 2005/10/10(月) 10:08:35|
  2. 日本中世史
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:2
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コメント

早わかり日本史と早わかり世界史を片手に、
lunatiqueさんの記事についていこうと必死です。
(ーー;)
学ぶ事は、面白いですからね!
  1. 2005/10/10(月) 20:19:46 |
  2. URL |
  3. sea1900 #-
  4. [ 編集]

人間くさい王

sea1900さん、「歴史」のことは、私もわからないことだらけなんですよ。でも、それだからいろいろ勉強するのは楽しいのかも♪
後白河院のことを考えるとき、反射的に、私は神聖ローマ帝国のルドルフ2世を思い浮かべます。この人も、プラハの自分の城にいろいろながらくたを集めてたんですね。
そして、後白河院は絵巻の大スポンサーだったけど、ルドルフ2世はアルチンボルドのへんてこな絵のパトロンだった。
戦争ばかりしていた王より、後白河院やルドルフ2世のように人間くさい王に私は惹かれます。
  1. 2005/10/13(木) 01:47:48 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

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  1. 2005/10/12(水) 17:15:45 |
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