le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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<言葉と物>ーー「シナのある百科事典」

ロックについて書き込みした直後、フーコーの『言葉と物』の書き出しを読んでみた。この書き出し、下に記した「種別」についてのロックの考え方と比較しながら読むとおもしろいというか、フーコーの意図するものがわかりやすいと思う。

「この書物の出生地はボルヘスのあるテクストのになかにある。それを読みすすみながら催した笑い、思考におなじみなあらゆる事柄を揺さぶらずにはおかぬ、あの笑いのなかにだ。いま思考といったが、それは、われわれの時代と風土の刻印をおされたわれわれ自身の思考のことであって、その笑いは、秩序づけられたすべての表層と、諸存在の繁茂をわれわれのために手加減してくれるすべての見取図とをぐらつかせ、<同一者>と<他者>についての千年来の慣行をつきくずし、しばしば困惑をもたらすものである。ところで、そのテクストは、「シナのある百科事典」を引用しており、そこにはこう書かれている。「動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの、(b)香の匂いを放つもの、(c)飼いならされたもの、(d)乳呑み豚、(e)人魚、(f)お話に出てくるもの、(g)放し飼いの犬、(h)この分類自体に含まれているもの、(i)気違いのように騒ぐもの、(j)算えきれぬもの、(k)駱駝の毛のごく細の毛筆で描かれたもの、(l)その他、(m)いましがた壺をこわしたもの、(n)とおくから蝿のように見えるもの。」この分類法に驚嘆しながら、ただちに思いおこされるのは、つまり、この寓話により、まったく異なった思考のエクゾチックな魅力としてわれわれに指ししめされるのは、われわれの思考の限界、<こうしたこと>を思考するにあたっての、まぎれもない不可能性にほかならない。」(渡辺一民・佐々木明訳、新潮社)
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  1. 2005/08/24(水) 12:08:32|
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