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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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三島由紀夫の初期短編を読む:その1

三島由紀夫作品もだいぶ読み進んで、今は短編集をいくつか読んでいる(『真夏の死』<新潮文庫>、『ラディゲの死』<新潮文庫>、『花ざかりの森・憂国』<新潮文庫>、『中世・剣』<講談社学芸文庫>)。この辺で、三島の短編をいくつか読んだ中間報告をしておこう。

三島の短編の特徴は、まず、それが彼の十代~二十代に集中して書かれていることではないだろうか(もちろん三十代に書かれた『憂国』のような例外はある)。したがって、三島の短編を読むことは、私にとって、十代の三島とはじめて接するということでもあった。すでに読了した作品のなかから、彼が十代に書いた作品をあげてみる。
『花山院』、『花ざかりの森』(昭和16年)、『みのもの月』(昭和17年)、『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』(昭和19年)、『中世』(昭和20年)。ここで興味深いのは、『花ざかりの森』をのぞきすべての作品が平安時代~室町時代に題材をとった歴史小説であることで、『花ざかりの森』も、平安末を想定した小さな物語を挿話としてもつ。したがって、この時期の三島がどのような題材に関心をもっていたか、この五つの短編はある程度物語っているといえる。またついでにいえば、この五つの短編の世界は、平安時代(『花山院』『花ざかりの森』『みのもの月』)と室町時代(『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』『中世』)に偏しており、古代と近世が欠けているというだけでなく、鎌倉時代を題材とするものもない。このことは、三島が単に古い時代に関心を寄せていたというだけでなく、その関心が特定の時代に限られていたことを示しているように思われる。

さて、以上の五つの短編のなかでまずおもしろいと思ったのは『みのもの月』(短編集「ラディゲの死」所収)で、この作品が、私にとっては三島読解の大きな手がかりになってくれた。
『みのもの月』は平安末とおぼしき時代のある女性と貴族の手紙のやりとりという形式の小説である。そのなかに、「君は艶にうつくしく荘厳されたみ寺がほのおにつつまれてもえおちようとするとき、もえ頽れるがままにまかせておくことこそほんとうの法師の心ばえとはおもわぬであろうか」(新潮文庫版、21頁)というフレーズが出てくるのだが、このフレーズを読んだとき、私は反射的に『金閣寺』(昭和31年)を思い浮かべた。つまり、のちに小説『金閣寺』となって結晶する思想は、この『みのもの月』のなかにすでに含まれており、昭和25年に実際におこった金閣寺放火事件は、三島のなかに小さな芽として存在していた思想が、作品として結晶するきっかけをあたえたに過ぎないものではないかと思えてきたのだ。してみると、『金閣寺』を執筆した折の三島の関心は、現実の金閣寺放火事件の背景を再現することにあったのではなく、美しい寺が燃えていくのをみたいとい屈折した願望を、三島にかわって実現した男の内面にあったのではないかという気がしてくる。金閣寺放火事件も『金閣寺』という作品も、通常、「戦後」という時代の特殊性のなかで理解されるのであるが、三島にとってそれは「戦後」という問題と無縁であるということを、『みのもの月』は示しているのではないだろうか。
おそらく、十代の三島にとって、平安末と室町時代は、美しいものや文化が次々と解体していく滅びの時代ととらえられ、そのことが、目の前で進行している第二次大戦のさなかの社会と二重写しになって、魅力を放っていたのではないだろうか(「力」を義とする新しい社会が建設されていく鎌倉時代は、三島の関心を呼ばない)。そうした滅びの目撃者であることの自覚と戦争のもたらすある種の緊張感が、この頃の三島文学のあり方を決定していたように私には思える。

ところで、上にあげた五つの短編は、十代の三島がどのような作家をめざしていたかをも明らかにしてくれる。そしてその理想の作家像は、戦後まもなく書かれた『禁色』(昭和26-7年)の狂言回しである老作家・檜俊輔に明確に示されているように思われる。すなわち、三島自身が描く俊輔の作品(文体)の特徴とは次のようなものである。
「不感のうちに鋭敏な感覚のおののきが、不倫のうちに危殆に瀕した倫理観が、不感のうちに雄々しい動揺が立ち現れる。この逆説的ななりゆきを辿るために、何と巧みに編み出された文体であろう!いわば新古今風な、ロココ風なこの文体、言葉の真の意味における『人工的』な文体、そこにはいわゆる裸の文体と対蹠的なもの、パルテノンの破風に見られる運命の女神像や、パイオニオス作のニケ像に纏綿するあの美しい衣類の襞に似たものがあるのである。流れる襞、飛翔する襞、それは啻(ただ)に肉体の動きに照応しこれに従属した流線の集合ではなく、それ自体流動し、それ自体天翔ける襞なのである。」(新潮文庫版、9頁)
しかしこの理想像は、二十代の三島によって決定的に放棄される。
二十歳になった三島が目撃せざるを得なかった第二次大戦後に実際におとずれた一種の弛緩状態とそれに続く滅びや破壊は、三島を含めたほとんどの日本人にとって予期せぬものであった。戦争中に訪れた滅びが物質的世界の滅びであったとすれば、戦後に訪れたものはそれより遙かに深刻な精神的世界の滅びであった。三島由紀夫が実質的に世に出ていったのは、そうした荒廃のなか、しかも皮肉にも、最も檜俊輔的ではない作品『仮面の告白』(昭和24年)によるものであった。戦後の荒廃した社会のなかで世に受け入れられようとすれば、檜俊輔的作品、すなわち三島が十代に書いたような典雅な作品は、三島自身によって否定されるしかなかったのだ。『仮面の告白』に続けて書かれた『青の時代』(昭和25年)も『愛の渇き』(昭和25年)も、『仮面の告白』の延長線上にある社会小説・風俗小説であったし、なにより『禁色』自体が、同性愛の世界を描いたセンセーショナルな風俗小説として読まれる運命にあった。
してみると、三島の不幸は、自己が理想とする作品と社会に受け入れられるために必要な作品とのこうした乖離にあったのではないかと思えてくるのだが、するとそれは、三島自身の資質や才能の問題というだけではなく、やはり「戦後」という時代の問題ということにもなる。戦争がなく、戦後もなかったならば、われわれが知っているような三島由紀夫という作家は存在しなかったのではないだろうか。
戦後の文壇のなかで寵児ともてはやされながら、そうした自己の作品をどこかしら不満げにつきはなして眺めざるをえなかった作家、さりとて時代から超然とすることもできずに時代を意識した作品しか書くことができなかった作家。そうした不幸な作家のありようを、三島由紀夫が十代に書いた小説は裏側から示しているように私には思われる。
つまり、これは三島を読む重要なポイントではないかと思われるのだが、三島の場合、作家として自己形成した十代後半という重要な時期と第二次世界大戦がちょうど重なってしまったために、作家としても人間としても自己形成が途中で放棄されたまま、まったく想定外の世界に作家として出て行かざるをえなかったのではないだろうか。私には、このことが三島の生涯と作品に、自死という結末を呼び込んだように思える。
三島の作品を読むとき、私はいつも三島自身の所在がわからないという中途半端な感じをうけてきたのだが、今の私には、それは、三島由紀夫が経たこうした個人史と時代の重なり方および戦後がもたらしたそれらのねじれによるものではないかと思えてきた。つまり、三島作品をあいかわらず中途半端なものと思いつつも、ここへきて、その中途半端さのよってきたるところがみえてきた、あるいは従来より一歩踏み込んで三島作品と接することができるようになってきたといえる。

私にとって、それが三島が十代に書いた短編の功であり、これらの短編は、それ自体すぐれているというだけでなく、三島という現象を解く重要な鍵であるように、私には思えるのである。

   *    *    *

この記事のなかで取りあげた五つの短編のなかで、私は『中世』を最も好むと同時に、三島を代表する傑作の一つではないかと思う。ここには、ヨーロッパであればユイスマンスやユルスナールを思わせるデカダンスが色濃くあらわれている。ちなみに、三島の『中世』もユイスマンスの『さかしま』も亀を偏愛する男の話である。
また『花山院』(「ラディゲの死」所収)の実質的主人公が陰陽師・安倍晴明であるのも、三島の先見性を示しているといえるのではないだろうか。

参考サイト「三島由紀夫の歴史と生い立ち」~戦時下の青春期

訂正:三島は『花山院』という短編を二度書いており、新潮文庫「ラディゲの死」におさめられていて私が読んだ作品は昭和25年に書かれた二度目のものです。最初の作品は昭和16年に書かれていますが(『大鏡』のなかの挿話の書き換え)、こちらには安倍晴明はほんのわずかしか登場しません。訂正致します。
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テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/11/28(月) 11:52:42|
  2. 文学(人と作品)
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:6
<<三島由紀夫の初期短編を読む:その2 | ホーム | 市川崑『炎上』ーー三島の『金閣寺』を自由に読み替え>>

コメント

そのうち読むと思います。

初期短編もなかなか面白そうですね。
僕も三島氏に対しては「神聖化」や「天才視」するのではなく
世間が作り出した色眼鏡から解放された視点で
見つめ直したいと思っています。
  1. 2005/11/28(月) 19:52:48 |
  2. URL |
  3. akaboshi07 #z6hOmddI
  4. [ 編集]

三島の原点

世間的にいえば、もちろん三島は成功した小説家なわけですけど、すぐれた作品といえるものをどれだけ書いているかということになると、私にはちょっと疑問です。むしろ、三島という人は、非常に聡明な人だから、社会に対して自分をどう演出していくか、どのような作品を書けば社会に受け入れられるかを怜悧に計算しながら行動し、作品を書いている感じがするのです。
そうした三島の裸の部分というか、原点を探るうえで、十代の作品は重要だと思います。
しかし考えてみると、初期作品においてすでに、三島は裸の自分をさらすことをこばんでいるわけですね(笑)。だからこそ彼は歴史小説を書くわけですけど、彼が世に出たのはそうした本来書きたかった作品ではない。『仮面の告白』という作品は、ある意味で三島が書きたかったものから一番とおい作品ではないかと思うのですが、これによって世に出たということが、その後の三島のあり方を決定づけたのでしょうね。
  1. 2005/11/29(火) 14:08:24 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

文三劇場へのご来場ありがとうございました

記事の話題とは関係がなくてすみません。
自分の中で劇をやったことの意味を考えています。
ご来場いただいただけでなくコメントまでいただいて、本当にありがとうございました。
  1. 2005/11/29(火) 20:37:37 |
  2. URL |
  3. John #-
  4. [ 編集]

おつかれさま

Johnさん、おつかれさまでした。ドロシーの最後の長セリフおもしろいと思いました。ただ全体としては、もっとコンセプチュアルというかストレートにメッセージ性を打ち出した方がよかったのではないかというのが私の印象です。
  1. 2005/11/30(水) 09:49:01 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

三島由紀夫の死について、TBさせていただきます。お読みくださいませ。
  1. 2005/12/01(木) 03:00:05 |
  2. URL |
  3. 海の上のピアニスト #-
  4. [ 編集]

三島由紀夫の十代書簡集

sea1900さん、コメントおよびTBありがとうございました。
私の方は、本日新潮文庫の『三島由紀夫 十代書簡集』読み終えました。これは、学習院の先輩で昭和18年に夭折した東文彦への書簡をまとめたものですが、三島の「肉声」を記したものとして、『仮面の告白』などよりずっとおもしろく読めました。
この頃の書簡や作品を読んでいるとますます、作家・三島由紀夫は十代に完成されていたという思いが強くなります。
  1. 2005/12/02(金) 14:48:08 |
  2. URL |
  3. lunatique #tmBa20pk
  4. [ 編集]

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三島由紀夫の死に方

昨日、書店で立ち読みした12月1日の週間新潮に、三島由紀夫の最後の姿が特集されていた。写真は白黒で、何枚かに及んでいた。バルコニーに立つ三島由紀夫の姿は元より、盾の会のメンバーの物や、死んだ部屋の最後の様子等など。余り観ると、そのシーンが焼きついて、生々
  1. 2005/12/01(木) 03:01:53 |
  2. 海の上のピアニスト

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