le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

三島由紀夫の初期短編を読む:その2

三島由紀夫の短編、また少し読み進んで、短編集「岬にての物語」(新潮文庫)におさめられている『苧菟と瑪耶(おっとおとまや)』(昭和17年)と『岬にての物語』(昭和20年)を読んだ。
この両短編を読みながら、私の頭に反射的に浮かんできたのは藤原定家の存在。第二次世界大戦のさなか、三島はまさに「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」と日記『明月記』の巻頭に記した定家のことを思い浮かべながら、これらの自己完結しているかのようにみえる世界を書いていたのではないかという気がする。戦争中ほど、三島が定家を意識した時代はなかったのではないだろうか。

さて、三島のこうした短編をどのように評価するかは、評者の三島論にかかわる重要な問題だと思うが、私にはこれらの作品は単なる習作とは思えない。三島の場合、十代に書いた作品がすでに完成されていると思う。ただ三島の場合、こうした十代の完成が二十代以降の作品につながらず、作品群がそこで明確に断ち切られている。今の私は、この断絶のなかに三島由紀夫のほんとうの姿、三島の作品全体を読むうえでの最大の問題点があるような気がしている。
ところで、三島作品におけるこうした断絶には、終戦という決定的な外因が存在しているわけだが、結局、三島という人は、終戦という事実をうけとめそこねたのではないだろうか。そしてそれは、三島の(定家的)資質とも関係しているのではないだろうか。つまり、戦争中は戦争をのろい、それが終わることをのぞんでいるのだが、実際に戦争が終わると、そこで緊張がとぎれてしまう。戦後派の作家の多くは、そうした緊張からの解放や一種の浮遊観を言語化して世に出て行ったわけだが、三島の場合は、解放そのものを言語化することはなかった。これには、空洞そのものがあまりにも大き過ぎたと同時に、三島がめざしていた文学的世界が私小説や時流小説のなかにはなかったために、戦争中に培った文学観の延長として時事的な「戦後小説」を書くことは最初から不可能だったという個人的な事情が関係していると思う。
三島の場合、そうした閉塞的なぎりぎりの状況のなかで『仮面の告白』(昭和24年)という作品が生み出されてくるわけだが、それまで私小説に背を向けていた作家が「告白記」を書くのであるから、この作品は奇妙なものにならざるを得ない。三島的に考えれば、この作品もまたそれなりに普遍を志向しているのであろうが(プルースト的な普遍性?三島は戦争中に『コンブレエ』を愛読している)、社会はそれを私小説として受けとめ、その告白の大胆さに衝撃をうけた。
したがって、『仮面の告白』は何を基準として論じるかによって評価が大きく異なる非常に評価の難しい作品だと思うが、結局、この作品は、三島がそれ以前に書いていた作品との関係のなかで読み解かれるべきものだと私は思う。戦後のある時期に登場した時代の証言としては非常に興味深いと思うのだが、戦争中の三島が達成していたような高さ・完璧さは、もはやかけらもない。一方、これが完全な私小説かというと、そうも簡単に言い切れない。やはり「文学的告白」ではある。
つまり私からすると、『仮面の告白』という作品は、三島にとって非本質的な作品に思われるのだが、それ以降の三島の社会的存在を考えると、『仮面の告白』こそ三島にとって本質的な作品であり、それ以前の作品はあくまでも習作・実験作でしかなかったということになってしまう。三島という人は、こうした矛盾を自ら招き寄せてしまったのだ。それが三島の選んだ人生であり、戦後の三島が選びなおした小説家の道というべきなのであろう。

ところで、最初に書いた三島と定家という問題にもどれば、戦争中の三島の心境に一番しっくりする定家の歌は、「こぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ」ではないだろうか。ひたすら身をこがしつつ未だこぬなにものかを待つ。しかし実際には、世界はその待機のなかで完結しており、とあるものが訪れたとき、それはもはや待っていた者をみたすことはない。
「こぬ人を」の歌は定家の晩年の作だが、鎌倉幕府成立後の定家は、後鳥羽院と幕府の対立をはじめとするさまざまな政治的事件に巻きこまれざるを得なかった。そうした緊張感のなかで、定家の歌は、実生活と切り離されたところで、完成度を高めていった。
一方三島は、定家同様自己完結した美の世界を描くことから出発しながら、戦後は、自らもとめて社会のなかに飛び込み、社会風俗を描くことに活路を求めていった。自己を描くことを最初から放棄している以上、三島には外的世界・社会風俗を描くしか小説家としての道はない。そのことによって三島は、いちおう成功者になったわけだが、それは定家的な世界、定家的な生き方からの離脱をも意味した。三島には、「未だこぬなにものか」をひたすら待つことはできなかった。三島にとって、定家はしだいに批判の対象になっていく。

   *    *    *

『苧菟と瑪耶』は文字どおり幻想的な作品で、そこで生じている具体的なできごと(瑪耶の死)は茫洋としている。しかしその茫洋さのなかを、17歳の三島が放つ言葉が燦めいている感がある。好きな作品だ。
「そこはあまりあかるくて、あたかも夜なかのようだった。蜜蜂たちはそのまっ昼間のよるのなかをとんでいた。」(新潮文庫版、11頁)
「蓋をあけることは何らかの意味でひとつの解放だ。蓋のなかみをとりだすことよりもなかみを蔵っておくことの方が本来だと人はおもっているのだが、蓋にしてみればあけられた時の方がありのままの姿でなくてはならない。蓋の希みがそれをあけたとき迸しるだろう。そうした一見かよわそうな無生物の意志は、ふしぎに釣合のとれた調和した緊張であらゆる場所にたち罩(こ)めているのだ。ただ人はそれに気づかないだけだ。そしてほんの一寸その均衡がやぶれると、筥だとか柱だとか扉だとかが、ふだんのむしろ不自然な謐けさから、なんだかひどく生々した、それだけ人目には叛逆のような気味わるさをもよおさせる、かれらのかけがえのない瞬時の意志をとり戻すのだ。」(上掲書、18頁)


しかし『岬にての物語』は、作品のなかの特定の描写が優れているというより、作品全体の緊張感が『苧菟と瑪耶』よりもさらに高まっているように思える。技術的な完成度という単純な観点からいっても、十代の三島にとって三年という歳月のもつ重みは大きい。
この作品は、11歳の少年が房総半島のとある避暑地で過ごした晩夏の一日の思出話という枠構造をもっており、そのときはじめて、少年は両親を含めた他人には語れないできごとを体験する。しかし結局、物語のなかでおこる最も重要なできごとは明確にされない。少年は岬の廃屋で不思議な男女と知り合うのだが、女の提案で隠れんぼをしている最中に男女は消えてしまう。小説のなかのできごとは、つきつめていけばそれだけだ。しかしこの茫洋さが、『岬にての物語』という作品では、象徴の域に達しているような感すらうける。物語全体は不透明であるにもかかわらず、その不透明さのなかに不思議な透明感がある。
「私は思わず目を下へやった。すると体全体がぐらぐらし、足がとめどもなく慄えた。その深淵へその奈落の美しい海へ、いきなり磁力に似た力が私を引き寄せるようであった。私は努めて後ずさりすると身を伏せ胸のときめきを抑えながら深淵の底をのぞき込んだ。再び覗いたそこに私は何を見たか。何も見なかったと云った方がよい。私はたださっきと同じものを見たのだから。そこには明るい松のながめと巖と小さな入江があり、白い躍動して止まぬ濤とがあった。それは同じ無音の光景であった。私の目にはただ、不思議なほど冷静な渚がみえたのだ。私はふと神の笑いに似たものの意味を考えた。」(新潮文庫版、58頁)
三島はこの作品を執筆中に終戦を迎え、それだけに「作者にとって忘れがたい作品」と記しているが、作品の表層構造をなす主人公の幼年時代から少年時代への移行が、重苦しいなにかが決定的に終わり新たななにかがやってきたという印象(しかもそれは取り返しようがない喪失でもある)と重なった不思議な印象(「神の笑い」)のする作品だ。『岬にての物語』は、三島にとっても二度と書けない記念碑的な作品といえるだろう。

   *    *    *

さて最後に、『三島由紀夫 十代書簡集』(新潮文庫)から、『苧菟と瑪耶』や『岬にての物語』を執筆した当時の三島の心境を示すにふさわしいと思える手紙を抜き出しておこう。『赤絵』という文芸誌の同人・東文彦に宛てた昭和18年9月14日付の書簡の一部だ。
「世人の『赤絵』に対する非時局だという批評を、屈服させる本当の道は、ほら赤え同人だって戦時生活がかけるぞ、というようなやり方でなく、相手をしてなにか厳かな美しさの前に沈黙させ、どんな論議も泡のようなものだとおもわせるだけの源をさがしあてることであろうとおもいます。貴下の御作品のよさはいわば堀辰雄氏のよさに似かよっているとおもいます。堀氏は現在の青年作家のうちで、時局を語らない唯一の人ともいえましょうか、なんといったってお先走りの文報連中、大東亜大会などで獅子吼を買って出る白痴連中より、数千倍の詩人、したがって数千倍の日本人と思います。」(上掲書、206頁)
この書簡をとおしてみると、『苧菟と瑪耶』も『岬にての物語』も、時代とまったく無縁のところで存在している作品ではなく、時代がさかしまな緊張を強いるがゆえに、茫洋としていることが、それ自体において時代に屹立することなのだったということがよくわかるのではないかと思う。
スポンサーサイト

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/12/04(日) 16:32:00|
  2. 文学(人と作品)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<三島由紀夫の書簡を読む:清水文雄への書簡 | ホーム | 三島由紀夫の初期短編を読む:その1>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://lunatique.blog20.fc2.com/tb.php/54-b5c7aa46
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

lunatique

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。