le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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三島由紀夫の書簡を読む:清水文雄への書簡

「決定版三島由紀夫全集」(新潮社)第38巻「書簡」から、清水文雄(明治36年~ 平成10年)に宛てた書簡を読んだが、非常におもしろい。
清水文雄は昭和13年に学習院に赴任した平安文学研究者で、若い三島に強い影響を与え、「三島由紀夫」というペンネーム決定にも与っている。三島は、昭和16年7月から昭和45年11月の死の直前まで、清水に宛てた手紙や葉書を書いているが、なかでも戦時中に書いたものは、三島の文学観がどのようにして形成されたのかを理解するうえで必須のものではないかと思われる。以下、そのなかから、特に興味深く思われた部分を抜き出してみる。
なお、清水文雄宛ての書簡の大半は、『師・清水文雄への手紙』(新潮社)に収録されている。

   *    *    *

「近ごろ近世の文学中、中世の衣鉢をあえかにとゞめてゐる類ひゆかしく、大正末から昭和はじめまでの一部の江戸文芸愛好者の変態趣味が禍ひしてか、未だに江戸文学といふと頭から軽蔑したり、イヤな顔をしたりする人が多いのにつけても、もつとよい面が明るみに出されて愛でられて然るべきだと思ひますが、永井荷風氏ながく沈黙され、岡鬼太郎氏が急逝されるに及んで、心細さは一しほの、私一人でもガアガアどなり立てゝやりたいと思はずにはゐられません。大川周明の日本歴史のやうに平安朝文化を優柔文弱で片附けてすんでゐるやうな世界に、日本がなつては大変。ーー萩原全集の詩集をよみ、三嘆いたしました。萩原氏が生きてゐられたら、私こそ氏の感情の一隅一隅までの共鳴者になつてあげられたのに、と大それたことが悔やまれるほど、氏は私共に親近した世界に住んでゐられます。(中略)今の時代に、われがちに自分ひとり好い子にならうとすること位ゐ、いやしい、非国民気質はありますまい。西田哲学排撃派の人たちにそれが多いのが遺憾です。時勢の論とは東条さんの演説に拍手することではない。ともすれば好い子にならうとしたがる、(総親和などに甘えたがる)我々自身への鞭の論でありませう。萩原氏はその点で実に深い教へを与へて下さいます。日本にハ随順の精神が大本ですが、それは何も不純なものを礼拝することでも何でもない。反抗精神(といふとすぐ人はフランス革命を連想するのですが)と言はれたくなさに、随順一点ばりで行かうとするのは却つて随順の冒涜。「直毘霊(なほびのみたま)」の如き教へは、自らへの鞭とするべきものであり、それが外へ発して、俗眼に反抗精神と映らうとも大道に変りはありますまい。宣長は「悪神は良くならぬ」とつつぱなしてゐるさうですが、萩原氏がもつとも深く日本人を愛した故に、もつとも強く日本人を憎み得たといふことはたしかに大事な精神でありませうと愚考いたします。」(昭和18年11月4日)
註1:岡鬼太郎は明治から昭和にかけて活躍した劇評家、劇作家、花柳小説の先駆者。洋画家・岡鹿之助はその長男。昭和18年10月29日没。
註2:萩原氏とは萩原朔太郎のこと。朔太郎は昭和17年5月、肺炎のため没。
参照:「きょう川路(柳紅)さんのところへ伺いましたが、その節、萩原朔太郎の「猫街」というのをみせていたゞき、大変感服しました。結局、極度に先鋭化された神経がふとえがく四次元的な幻の世界なのですが、たとえば芥川の短編(ことに晩年の歯車だの)と比較して大きな稟質の差を感じ、萩原氏をより尊敬したい気持がしました。芥川はいわば詩人でなかったから自殺できたのでしょう。萩原氏は詩人でいられたから自殺はなさらなかった。就中日本の詩人でいられたから。…しかし萩原氏の苦悩は自殺し得ないところに発するふしぎな四次元世界を彷徨せねばならなかった。「河童の国」と「猫街」とではこうなっては河童の皿の水が猫の爪でひっかきこぼされた末のほうほうの体の惨敗ともいえましょう。」(東文彦宛書簡、昭和18年3月17日付、『三島由紀夫 十代書簡集』<新潮文庫>所収)
「近頃よんだ本でハ朔太郎全集第二巻、岡鬼太郎戯曲集。朔太郎の情調哲学、散文詩には、時折、めざましい一行あり。岡鬼太郎の戯曲はこれまた絶品です。その会話のイキのよさ。筋の運び方のなんともいえないウマさ。こういうものこそ、明治の人の最高の遺産で、現代人も創作その他に学ぶところ多かろうと思います。」(東文彦宛書簡、昭和18年8月8日、上掲書)
「俗な精神が世界を蔽うた時、それは世界の滅亡です。萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当たりでにくみ、きらい、さげすみ、蹴とばした気持がわかります。」(東文彦宛書簡、昭和18年8月20日付、上掲書)

「方丈記のこと。私も今、「新方丈記」らしきものを、全く別の発想で書いてをります。けふ五十三枚に達しました。駅のまへで人々が疎開家屋のたふされる有様を凝然とみつめてゐます。薄暮のなかで電信柱が醜く傾き、瓦礫が道をうづめてゐました。見物人たちの群はシルエットになつて不吉にさへみえました。人々は頽唐への美感を失つてしまつたのです。」(昭和19年7月16日)

「林氏との満一年のお附合で、大きな収穫が二つあります。一つは、「小説を書くといふのは汚いことだ」といふ林氏の持論が僕流にはつきりわかつたことです。一つは、芸術家は長生きをしなければダメである、といふ定理です。この二つは身にしみてよくわかりました。林氏から得た大きな教訓だと思つてゐます。日本の芸道は凡て青年時代を犠牲にして、老来の花ざかりを招いて来ました。若者の詩は凡てはかないもの、凡てほのかな花の余薫でありました。廿代で賀歌はうたへませぬ。このごろ僕はそれを切に感じました。」(昭和20年1月8日)
:林氏とは林富士馬のこと。林富士馬は大正3年生の詩人・評論家。佐藤春夫に師事。著作集として『林富士馬評論文学全集』(勉誠社、1995年)がある。

「私共は遺書を書くといふやうな簡単な心境ではなく、私たちの文学の力が、現在の刻々に、(たとへそれが喪失の意味にもせよ)、ある強烈な意味を与へつゞけることを信じて仕事をしてまゐりたいと思ひます。その意味が刻みつけられた私共の時間は、永遠に去つてかへりませんが、地上に建てた摩天の記念碑よりも、海底に深く沈めた一枚の碑の方が、何千万年後の人々の目には触れやすいものであることを信じます。私共が一度持つた時間に与へた文学の意味が、それが過去に組入れられた瞬間から、絶対不可侵の不滅性をもつものであると思はれます。」(昭和20年7月3日)
:この手紙の直後、三島は動員先で『岬にての物語』を書き始めている。

「長歌の御葉書ありがたくなつかしく拝見。あれより二週間病床に臥り、つい御返事がおくしまゝにかくの如き事態となりました。玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられたる使命なることを確信しました。気高く、美しく、優美に生き且つ書くことこそ神意であります。たゞ黙して行ずるのみ。今後の重且つ大なる時代のため、御奮闘切に祈上げます。
 たわやめぶりを みがきにみがかむ」(昭和20年8月16日)


   *    *    *

引用した最後の書簡、三島の理想とするところが「ますらおぶり」ではなく「たわやめぶり」であるところが、私には特におもしろい。
全体として、これらの書簡は 、通常われわれが三島の思想とみなしている武張った軍国主義が三島の晩年に形成されたものであり、少なくとも十代の三島は、そうした考え方から非常に遠かったことを明らかにしていると思う。たとえば昭和18年11月4日付けの書簡にみられる萩原朔太郎礼賛も、この時期の三島が非常に柔軟な考え方をしていたことを示すものではないだろうか。
三島が好んだ歌舞伎のたとえでいえば、戦争中の思想の主流が荒事であったのに対し、三島の考え方は徹底した和事礼賛であり、実際、この時期に書かれた作品も、三島のそうした思想を反映しているように思われる。
昭和20年1月8日付けの手紙にある「芸術家は長生きをしなければダメである」という文言も、三島の死を考えると興味深いが、この文言は、そのまま昭和20年8月16日付けの葉書の「気高く、美しく、優美に生き且つ書く」という言葉と繋がっていると考えられる。三島は、結局、長生きするということをみずから放棄してしまったわけだが、そればかりではなく、戦後の彼の作品ほど、「気高く、美しく、優美」という理想から遠いものはないのではないだろうか。
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テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/12/07(水) 12:58:05|
  2. 文学(人と作品)
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