le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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森茉莉による三島由紀夫と森鴎外の比較

知人(仮にYSさんとしておく)と三島由紀夫のことを話していたら、YSさんは、三島については森茉莉(明治36-昭和62年)も私(lunatique)と同じようなことを書いているといって、彼女の『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』(筑摩書房『ちくま文庫』、1994年)の存在を教えてくれた。読んでみると、たしかに森茉莉が指摘する三島の小説の欠点は私がいつも感じていることとほぼ同じであり、かつ独自の視点から書かれた三島と森鴎外との比較論もおもしろかったので、以下に抜き出しておく。

「今更言っても仕様がないことだが、三島由紀夫の切腹を止めることの出来たかもしれないのは鴎外だけだったような気がしている。批評文と、戯曲に長じていたが、小説は理屈が前面に出ていすぎていた点も、鴎外は三島由紀夫と共通していた。又、三島由紀夫は鴎外を重く見ていたように思われるからだ。私が小説を書く時のように、書いている内に一人の男が相手の少年を嫉妬し出したり、だんだん殺意を抱くようになって来る、それを作者の私が見ていて、だんだん小説がそのようになってくる、というような、作者が小説の中の人物に引っ張られて行く、というようなところが鴎外にも三島由紀夫にもない。彼らの小説には最初の一行を書く時に、既(も)う、その小説の最後の一行が作者にわかっている、というようなところがある。それでは小説は読んでいて面白くないのだ。作者も、読者と一しょになって、小説のなりゆき、小説の中の人物がどんなになって行くか、ということに引っ張られてゆくのでなければ、面白くもおかしくもないのだ。それが鴎外にも三島由紀夫にも、わかっていない。これが鴎外と三島由紀夫との二人の生徒に対して呈出するモリマリ先生の忠告である。二人とももう死んでいるので手おくれだが。これを読んだ地下の鴎外はクックックッと笑い、三島由紀夫は明るいが、鋭く強い、時には凶暴に、血の匂いさえする大きな目を甘い、砂糖蜜のような微笑いに崩してにっこりするだろう。
 草野心平が或日、(森さん、お父さんには「恋人の森」は書けないよ)と微笑って言ったが、(その時にはまだ「甘い蜜の部屋」は書いていなかった)それはほんとうである。私は鴎外の訳したシュニッツレルの「恋愛三昧」や、ハウプトマンの「僧房の夢」(原題エルガア)を読んでひどく惹きつけられた。そうして、それらを読んでから一年位経った頃、「恋人たちの森」と「枯葉の寝床」とを書いた。「恋人たちの森」や、「枯葉の寝床」を書いた時にはもう、「恋愛三昧」や「僧房の夢」のことは頭になかったのだが、どこかで、知らず知らずにそれらを読んだ時の感動や陶酔が、私の頭に作用していたらしい。そういうのを影響というのだろう。ちゃんと意識して、読んだものを頭に思い浮べ、書く時にその感動を牛の食い物のように反芻していて、人に、自分の小説について訊かれた時に、「何々の影響をうけて書きました」なぞと言うのは、それも影響かも知れないが、少くとも素晴らしい、本当の影響とは言えないだろう。「恋愛三昧」や「僧房の夢」を読んだことのある人がいて私に、あなたの「恋人たちの森」や「枯葉の寝床」は、ああいう小説の影響をうけて書いたのでしょう?と言うような時に私は、(そうかも知れないと思います)と答えるが、そういうのが影響というのだと、私は考えている。私は傲慢であるから、出来れば誰からも影響をうけたくないと思っているのだが、こういう風に、影響というものはいつの間にか、どこからか、頭のどこかに入って来ているのである。又私は鴎外の翻訳小説の中にある恋愛小説や戯曲を読むと、彼が「恋愛三昧」、「僧房の夢」、「みれん」のようなのが好きなのだが、自分にはそういう風なのが書けないので、好んでそういう小説や戯曲を翻訳していたような気がする。彼はそういう小説や戯曲が好きだったのだろうというような気がしている。」(上掲書、1994年、77-9頁)


また、この『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』という本は、三島が昭和18年11月4日付けの清水文雄宛て書簡でその急逝を惜しんでいる岡鬼太郎(明治5年-昭和18年)についても少しふれており、参考までにその箇所も抜き出してみる。

「明治大正にかけて演芸画報に筆をふるっていた岡鬼太郎というすごい劇評家がいた。その人はむろんプロ中のプロで、役者の楽屋に入りこみ、興業の間は楽屋と客席を行ったり来たりしていた人だが大変な辛辣な人で毎月当るを幸い切りまくっていて少女の頃私は楽しみにして読んでいた。或日「野崎村」の引込みで寿美蔵と松蔦が両花道を揚幕に入った時観客の顔が一せいに松蔦の方に向いたことを書き(寿美蔵たるもの以って如何となす)と書いた。寿美蔵は巧い役者だったが、顔も淋しくパッとした人気がなく、又、座頭の左団次は相手役の松蔦を可愛がっていた。意地も悪い評である。無論鬼太郎のような名人のまねをアマチュアがするのはおかしいのだが、プロにもそういう人物がいたことを書いておくのである。」(上掲書、26-7頁)

若い頃の三島に対する文学的影響というと、一般的にはイデオロギー的なものの指摘に傾きがちのような気がするが、私は、三島がこうした劇評家に親しんでいたということも重要ではないかと思っている。

   *    *    *

参考のため、以下に三島由紀夫による森茉莉讃も引いておこう。

「森茉莉さん。戦後の文学における最も例外的な恩寵と秘蹟。
最も男性的古典的な構文の骨格のうちに、最も女性的な感覚の奔逸をちりばめた、絢爛たるエルマフロディット。ものごとの細部を記憶し、物象の核心に迫る目を持ちながら、同じ目が現実を否定して、夢みることをやめない絶妙の資質の持主。幼女にして獣。ユーモアを含んだすばらしいデッサン力と詩の結合。富める賤民に対する終始渝(かは)らぬ侮蔑。王妃さまにして乞食。
言葉に対して最も厳格な閨秀作家。しかもその言葉を色彩や音楽のやうに用ひる画家にして作曲家。狂気に見せかけた戦後最高の正気。カナリヤと鸚鵡とアルマジロと針鼠の混血児。
とにかく何ともいひやうのないもの。その前ではシャッポを脱ぐほかはないもの。」(昭和45年執筆。決定版三島由紀夫全集第36巻所収)


カナリヤや鸚鵡はともかく、アルマジロというたとえがよくわからないのだが、よくわからないながらなんとなくわかるようにできているところがおもしろい。それにしても、三島も、没後に森茉莉に上の引用のようなことを書かれるとは思っていなかったのでは(笑)。
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テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/12/10(土) 13:08:28|
  2. 文学(人と作品)
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