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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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「三島は小説より戯曲に適していた」(奥野健男)

現在、『三島由紀夫伝説』(新潮社、1993年)を読んでいる。生前の三島由紀夫と親しかった文芸評論家、奥野健男による三島由紀夫の評伝で、刊行の翌年、芸術選奨文部大臣賞を受賞している。
読んでいていくつかの不満や違和感はあるのだが、それはさておき、三島には、「小説より戯曲の方が、気質的、体質的に適していた」とする奥野の分析が、これまでの私の三島論とも合致しているので、その前後の文章を抜き出しておく。

「三島由紀夫にとって小説より戯曲の方が、気質的、体質的に適していた。もし三島が生きた時期の日本のように、小説が文学の中心であり、小説万能の時代でなければ、つまりギリシャ時代やシェイクスピア、あるいはゲーテ、またはラシーヌ、モリエールの時代とか、元禄時代や文化、文政の頃や明治初年の南北や黙阿弥の時代に生まれていたら、三島は小説など書かず、はじめから劇作家として芝居を書いていたに違いない。三島の思考形態、構想力、そして文体自体が、本質的に演劇的なのである。
 三島由紀夫を天才的な小説つくり、才能あふれるうまい小説家とする定評ができあがっているようだが、ぼくは必ずしもそうは考えない。小説に夢中になるには余りに醒め過ぎていて、陶酔がなく、自然な感情の流露に欠ける。筋の組立て方も人工的だし、文章に凝り過ぎ、形容の過剰に陥りやすい。何か小説家としては気取り過ぎているきらいがある。小説家であるためには、余りにも明晰で、論理的で分析的であり、批評的才能に恵まれ過ぎている。そしてくどくどと心理の過程を描写したり、啓蒙的弁解的に説明するのがきらいであった。それより鮮やかに人間や心理を裁断するのを好んだ。」(奥野健男、前掲書、258-9頁)


奥野の三島論は、『仮面の告白』を三島の頂点とするものであるように思えるが、その奥野の目からみても、「三島にとって、作中人物を作者の立場から絶対者として定言的に裁断してしまう小説は、往々にして、二律背反の矛盾の場になる」のである。三島作品を高く評価する人間の分析であるだけに、三島の小説のもつこうした特徴の指摘は説得力をもつものであると考える。
参照奥野健男

   *    *    *

ところで、歌舞伎座の一月興業「寿初春大歌舞伎」昼の部で、三島由紀夫に縁のある演目が上演される。三島がどのような歌舞伎が好きだったのか興味ある方、一月の歌舞伎座に出かけるのも一興では。
昼の部の幕開きに演じられる『鶴寿千歳』は、東文彦宛の書簡(昭和18年8月8日付)で三島が「絶品」とする岡鬼太郎の作品(ただし祝祭的な小品)。
三番目の『奥州安達原』~「環宮明け御殿の場(袖萩祭文)」は、このブログでもすでに数回とりあげている近松半二の作。前半には「袖萩祭文」の見どころ、聞きどころがあり、また後半で桂中納言の正体が露顕するどんでん返しもおもしろい時代物の名作。
ちなみに、昼の部では、『奥州安達原』と『曾根崎心中』(近松門左衛門作)の二作が、人形浄瑠璃に由来する丸本歌舞伎。
参照歌舞伎座「寿初春大歌舞伎」
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テーマ:演劇 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/12/24(土) 00:43:52|
  2. 文学(人と作品)
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