le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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三島における純文学とエンターテインメントの書き分け(奥野健男の三島論から)

奥野健男は、評伝『三島由紀夫伝説』(新潮社、1993年)のなかでおもしろい事実に着目している。

「昭和27年から翌年にかけて、<朝日新聞>夕刊に連載した『にっぽん製』は、特別通信員として外遊したあと義務的に書いた通俗小説であり、そこに月並な民族感情と逆の諷刺があるにせよ論じるに足りない愚作である。むしろ気位の高い三島由紀夫が『純白の夜』からはじまる『夏子の冒険』『にっぽん製』それ以後のエンターテインメント、というよりいかにも程度を落して書きましたという通俗小説を最後まで書き続けたということに問題がある。本気に娯楽読物を書くのなら、それはそれで立派だ。ところが三島は明らかに本格的純文学とは違う作品だということを玄人にわかるようなかたちで、低俗な大衆のために、さらにいえば金や編集者への義理のため書きましたよといわんばかりの小説を書く。それはぼくに対する場合、三島由紀夫が署名して贈ってくれないということで区別ができるようにしてある。たまたま週刊誌で、そういう小説、たとえば『愛の疾走』などを書評すると三島由紀夫はきわめて不愉快な顔をした。文学として書いている仕事と、別の理由から書いている手抜き仕事との区別がお前にはわからないのかという調子であった。しかしそういう中でも、『永すぎた春』や『音楽』のように成功した作品もある。作者ははっきり区別して書いたのだろうが、読者にはわからない。米国の日本文学研究者のひとりが、なぜ『真夏の死』のあと『にっぽん製』みたいな愚作を書いたのですかと、本気に質問した時、三島由紀夫の当惑したかなしそうな顔が忘れられない。そんな違いがわからないのかと日本人にならいえるところだが、アメリカ人には説明しがたい。それは当時の読者ならわかったが、次第に日本の読者にもはっきりしなくなって来る。いかに必要があって行ったこととはいえ、こういう娯楽小説を書いたことは、大文学者三島由紀夫らしからぬ軽率な行いであったというそしりを免れない。」(前掲書、304頁)

奥野の指摘するこうした書き分けは単なる処世術ではすまされない重要な事実だと考える。かつまた「当時の読者」ならぬ私にとって、三島作品を、こちらは純文学、こちらはエンターテインメントと読み分けることは実際問題としてとうてい不可能であり、純文学、エンターテインメントと混じった作品群のなかから三島の全体像にアプローチし、三島を論じていくしかない。また逆にいえば、私は奥野の指摘する本格的純文学としての作品(『仮面の告白』『禁色』『潮騒』等)のなかにも、純文学に徹しきれないエンターテインメント性を感じる。というか、三島作品の場合、作品のなかに明確な社会的テーマが存在しないので、そもそも純文学とエンターテインメントという区分が不可能なのではないかという気がするのだ(純文学作品も一種のエンターテインメントとして書かれている)。したがって、奥野のいう三島の純文学作品とエンターテインメントのあいだには、作品としてのグレードの違いしか存在しないともいえるのだが、三島の場合、奥野や森茉莉が指摘しているように、資質的に小説に不向きと考えられるようなところがあり、純文学的であることを意図した作品に関しても小説として完全とはいいかねるような点がある。このため、純文学であれエンターテインメントであれ、三島作品を作品としてプラスに評価することは非常に困難だといわざるをえない。
さて奥野健男は、上記の指摘に続いて、昭和27年から29年にかけての三島作品(『潮騒』『鍵のかかる部屋』等)に、「文壇の正統的主流の強者の中に入り、文壇の中心に確固たる地歩を築こうとする三島由紀夫の意志を見る」(前掲書、312頁)としている。そしてこれは奥野が三島に感じる違和感であろうし私の違和感でもあるのだが、「文壇の正統派」というのはあくまでも結果であり、そういうものになろうとする目標ではありえないのではないかと思う。したがって、そうした意識をもった三島にも問題はあるが、そのような三島を「文壇の正統派」と認めたところに、閉塞的な日本の文壇、ひいては日本社会の問題があったのではないかと思えてくる。
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テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2005/12/24(土) 12:15:05|
  2. 文学(人と作品)
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