le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

モーツァルトとブラームスの親近性

モーツァルトとベートーヴェン、モーツァルトとシューベルト、モーツァルトの音楽は後世の様々な音楽家の作品と比較可能だと思うが、私自身は、1月28日付けの記事にも書いたように、今、モーツァルトの音楽とブラームスの音楽の親近性を強く感じて、代わる代わる聴いている。
もちろん、モーツァルトの音楽の明るく澄み切った響きとブラームスの音楽の重厚な響きをそれだけとらえれば、天と地ほども違うのだが、この二人に関して私が似ていると思うのは、音楽との向き合い方だ。というのは、どちらも、音楽はとある意味や作曲家の心性・心情を伝えるものではなく、純粋な表現(形式)のもたらす喜悦だと思っていたのではないだろうか(この辺はおそらくバッハも同じ)。あるいは、音楽のもつ規則性、一種の数学性に対する信仰といってもいい。その点、ベートーヴェンはちょっと違う。純粋な形式美だけではなくて、明らかにそれとは異なるなにものかをも求めている。
ブラームスの作品、たとえば交響曲、通常の音楽史ではベートーヴェンを発展させたものということになっているわけで、響きの問題としてはそれでいいのだが、ブラームスが作品をとおして追求したのは、意味性や心性の表現、さらにいえば感情表現といったものではなくて、形式のもつ美だったのではないだろうか。だから、ブラームスには明確にバッハやハイドンを意識した作品がある(例:「ハイドンの主題による変奏曲」、第四交響曲第4楽章のパッサカリア)。
要するに、ブラームスは、交響曲というジャンルをオーケストラのためのディヴェルティメント(嬉遊曲)としてとらえていたのではないかと思うのだが、そのとらえ方は、モーツァルトと完全に同じではないだろうか。
だから、モーツァルトやブラームスの演奏は、感情移入だけでは片づかない。
ちなみに、私がもっているクラリネット五重奏曲のCD(アマデウス四重奏団の演奏)は、モーツァルトのクラリネット五重奏曲とブラームスのクラリネット五重奏曲が一緒にはいっていて、私のような聴き方をする者には非常に便利だ。考えてみると、クラリネット五重奏曲というのはクラシック音楽のなかでもかなりレアな曲種で、この曲種で成功したのはモーツァルトとブラームスぐらいではないか。そんなところにも、モーツァルトとブラームスの意外な近さはあらわれているように思う。
スポンサーサイト

テーマ:クラシック音楽 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/01/30(月) 15:26:38|
  2. クラシック音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<赤坂の呑み屋でいろいろ取材 | ホーム | ブルーノ・ワルターのモーツァルト演奏に思う>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://lunatique.blog20.fc2.com/tb.php/79-d5cc86f1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

lunatique

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。