le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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藤原定家「韻歌 百二十八首和歌」の超絶技巧と政治性

藤原定家の和歌、よく知られているようで実は限られた和歌しか知られていないというのが実情ではないかと思うが、その本当のすごさ、さらには定家が活躍した良経歌壇のすごさを理解してもらうために、定家の歌集『拾遺愚草』から、建久七年(=1196年)九月十八日に良経の命で詠まれた「韻歌 百二十八首和歌」という連作和歌を取りあげてみよう。この連作和歌は、春、夏、秋、冬、恋、述懐、山家、旅の八つのテーマから構成され、それぞれのテーマ各十六首、計百二十八首の和歌からなる。シンメトリックな非常に整然とした構成だ。以下にまず、冒頭の春十六首を引いてみる。

 いつしかと出づる朝日をみかさ山けふよりはるの峯の松風
 かすみぬる昨日ぞとしはくれ竹の一夜ばかりのあけぼのゝ空
 むさし野のかすみも知らずふる雪にまだ若草の妻や籠れる
 去年もさぞたゞうたゝねの手枕にはかなくすぐる春の夜の夢
 谷ふかみまだ春しらぬ雪の中にひとすぢふめるやまびとの蹤
 子の日する野辺のかたみに世に残れうゑおく庭のけふの姫松
 日はおそしこゝろはいざや時わかで春か秋かのいりあひの鐘
 白雲か消えあへぬ雲かはるの来てかすみしまゝのみ吉野の峯
 なにはがた明け行く月のほのぼのと霞ぞうかぶ浪のいり江に
 ふかき夜の花と月とにあかしつゝよそにぞ消ゆるはるの釘(ともしび)
 あれはてゝ春のいろなきふるさとに羨む鳥ぞつばさ雙ぶる
 かぜかよふ花のかゞみはくもりつゝ春をぞかぞふ庭の矼(いしばし)
 散る花にみぎはの外のかげそひて春しも月はひろさはの池
 春よたゞ露の玉ゆらながめしてなぐさむ花のいろは移りぬ
 朝露のしらぬ玉の緒ありがほに萩うゑおかむはるの籬に
 あはれいかに霞も花もなれなれて雲しく谷にかへるうぐひす

元旦、霞、残雪、子の日、桜の開花、落花、うぐひす(定家が用いているのは、「麗」と「鳥」を組み合わせた字で「高麗ウグイス」の意とのこと)の帰山と、季節の光景が順番に詠み込まれている。また、たとえば第一首の「みかさ山」は、「朝日を見る」ということとの、第二首の「くれ竹」は「年が暮れる」ということとの掛詞。
定家によれば、この課題は難し過ぎて、他の人は詠めなかった由。ちなみに、おそらくこれは、一晩で詠んだ速詠であろう。掛詞の使い方など、やや安易すぎる(その分、定家のふだんの詠みぶりがわかるというメリットはある)。ただし普通に考えれば、以上の課題をこなすだけでも大変なことだ。
ところで、上掲の十六首を読んで、どこが「韻歌」かおわかりいただけたであろうか。
各和歌の最後に出てくる漢字に注目すると、「風・空・籠・夢」「蹤・松・鐘・峯」「江・釘・雙・矼」「池・移・籬・<麗+鳥>」と、音読みで漢詩のように脚韻を踏んでいるのだ!
これはおそらく、漢詩、漢文を好む中国趣味の良経が、漢詩の世界を念頭において、その脚韻の構造を和歌に移し入れたらどのような作品になるか、即興で歌を詠むようにと定家に下命したものであろう。良経は、こうした刺激的で誰も考えたことのない課題を考案するのが得意で、定家もまた、自分の力をフルに発揮できるのはこうした機会だとばかりに、良経の課題によくこたえている。
しかしこのような複雑な歌を詠んできた定家であるがゆえに、如何に高貴な人とはいえ、守覚法親王や後鳥羽院からなんの課題もともなわずにただ五十首歌や百首歌を詠めといわれても、それだけでは燃えなかったであろうと想像するに難くはない。良経が政治的に失脚し、もはや歌会を催すことがなくなったとき、定家の歌も実質的には終わったと私が考えるのは、そうした理由からだ。
ところで、こうした視点からみなおしてみると、定家の「韻歌 百二十八首和歌」は、十一月に良経をはじめとする九条家が失脚するわずか二カ月に詠まれた、九条家歌壇最後の強烈な輝きということができる。九条家が考えていた良き政治とは、まずだいいちに身分社会としての古代国家の秩序・規範を重視したうえで、それらを充分に知悉した専門家が行う整然とした政治ということであったと考えられるが(したがって院の好みによる恣意的な人事や行動が多い院政の政治方針とは180度対立する)、するとこの「韻歌 百二十八首和歌」という試みは、九条家の政治的イデオロギーに見事合致したものということができる。
そうしたイデオロギーをもった九条家の政界失脚が、後鳥羽天皇に遇された女性の妊娠・出産という「縁=人間関係」の世界に属するできごとの結果だったというのは皮肉だが、中世の政治原理とは所詮そんなものと言ってしまえばそれだけのことに過ぎない。九条家失脚の問題など、同じ時期に進行していた幕府権力の確立の問題に比べれば、問題にするにも値しないような小さなできごとなのかもしれない…。
しかし縁の世界は滅びても、良経・定家がかわした言葉のきらめきは、時代を超えて未だ燦然と輝いている。いや、言葉の世界にかけた良経・定家の思いが、そのものとして輝きを増すのは、コップのなかの嵐のような人間関係がすべて消えてしまってからこそだともいえるのではないだろうか。
なにはともあれ、まずは定家の超絶技巧をじっくりと味わっていただきたい。
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テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/02/15(水) 14:03:13|
  2. 和歌および古典文学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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