le monde lunatique

白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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『東文彦作品集』を読む

病床で聞く世相には、何かしら現実ばなれのしたもの、いはばお伽噺めいたものが感じられる。それは、病気といふものの持つ、ひとつの特権だらうか。

   *    *    *

神があると確信して揺がないのなら、なにもそんなに声を高くして、神の有ることを叫ぶ必要はないのではないか。これはたしかに脅かされた者の声である。自分の声を高くして、他人の声を耳に入れまいとする臆病者の声である。神は心のひろいものではないか。そして神の御意のままに動かんとするものの心も、ひろくなければいけないのではないか。ところが、この脅えたやうな調子はどうだ。しかもここに語られている神は、いかに抽象的であることか。正義が神の証拠であると云ふが、こゝでは正義が神であるかのやうに語られてゐる。まるで党派の宣伝のやうに。

   *    *    *

ーーなぜそんなに、きいきい声で叫ぶのか。
ーー君たちが俺を信じないから。
ーーきいきい声で叫ぶから、余計、俺には信じられない。


   *    *    *

弱さは、運命と真正面にぶつかるのを避けるところから来る。変つたことを求める、といふのもそれである。

   *    *    *

太宰治ーーこれは他人の偽善の暴露を面白がつてゐる。もうひとりの偽善者にとつては愉快であるかも知れない。しかし自分がやはり一介の偽善者であることを知り、その事実に心から苦しんでゐる者にとつては、これは少しも面白くない。何故なら、この作者は苦しんでゐるやうに見えて、実はその苦しみを筆にすることによつて自らの解放を企ててゐるのだから。彼の試みは決して誠実なものではない。自分と一緒に他人をも中傷して、さうして自分だけ解放されようとするやり方だ。

   *    *    *

東文彦、大正九年生。本名タカシ(行人偏に建)。衆議院議員東武の嫡孫。父季彦は法学者で後に日大学長となる。生まれながら病弱で十八歳頃から文彦の筆名で小説を書き出す。学習院の文学同人誌『輔仁会雑誌』に掲載された平岡公威(三島由紀夫)の短編「彩絵硝子」に書面で批評を贈ったのがきっかけとなり、三島との交友がはじまる。昭和十七年、三島および徳川義恭に呼びかけ同人誌『赤絵』を創刊。ただし三島との交友中は絶対安静の時期が多く、田園調布(東)、渋谷(三島)と近くに住みながら、二人はほとんど会っていない。かわりに二人はしきりに文通しており、そのうち三島から東に宛てた書簡は、『三島由紀夫 十代書簡集』として刊行されている(新潮文庫)。
昭和十八年十月、急性胃拡張から腸閉塞を併発し、死亡。
十代の三島作品の最高・最良の読者・批評者で、三島に多大な影響を与えた。
昭和四十五年、三島は東文彦作品集の刊行に注力し、みずから序文を書いて、同作品集を講談社から刊行させた。
上掲覚書は、講談社版の東文彦作品集巻末に伏された「覚書より」のさらなる抜粋。
以下、『東文彦作品集』の感想、十代の三島作品のこと、東文彦と三島由紀夫の交友(影響)のことなど、思いつくまま書いてみたい。

【参考記事】 「三島由紀夫の書簡を読むーー東文彦への書簡」
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テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2006/02/25(土) 23:06:08|
  2. 文学(人と作品)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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