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白銀色の月光を浴びて、狂ってしまったのは世界?それとも私?

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ロベール・ブレッソンの作風をめぐって 2

以下、『アートシアター』76号(1970年)に掲載された品田雄吉氏と浅沼圭司氏の対談「ブレッソンという人と作風」の続きを記しておく。両氏の対談は「ブレッソン作品のその序列」「バルタザール讃詩」と、『バルタザールどこへ行く』の作品に即した内容が続くが、当引用・紹介では、後半部は省略する。

   *    *    *

【ブレッソンとフランスの哲学】
浅沼 最初の『罪の天使たち』は見ていないのですけれども、『ブーローニュの森の貴婦人たち』から『バルタザールどこへ行く』まで、全く変わっていないですね。
品田 よくわからないけれども、ブレッソンの映画に、フランスの哲学とのかかわり合いみたんなものがあるんではないか。
浅沼 映画をつくること自体が一種の哲学なんですね。
品田 戦争中に使われた悪いことばだそうですけれども、「哲学する」みたいな、ね。
浅沼 そうなんですよ。映画をつくることが哲学することだ。そういう意味では、本当の意味の映画の思想家じゃないかと思うんです。そういう意味の哲学で問題になるのは、「何が語られたか」であって「どう語られたか」は必ずしも思想とは関係ないと考えられることが多い、内容がよければ少しくらい語り方が拙劣でも、というような区別の仕方をよくやるのだけれども、ブレッソンの場合、語ることと考えることが全く一致している。そういう意味では、最も根本的な哲学を持っている人だと思うんですね。
品田 そういうやり方というのが、かなりブレッソンの場合純粋ですが、一種の主知主義のような流れが感じられるような気もするし、それから、デカルトですか、の言ったクラルテ(明晰)という姿勢みたいなものが、人間というとおかしいけれども、つくっているもの自体の中に肉体的な形であるのではないかと思う。
浅沼 ぼくもそれは賛成ですね。特に、いま言った主知主義的な、あるいは明晰さというものは、ブレッソンの根本的な資質ではないかと思われます。さっきドレイエルの話も出したけれども、ブレッソンの映画の内容を考えると、一方でどうしてもドレイエルが出てくるし、他方、神なんかを常に考えているという意味ではベルイマンなんかが出てくる。この三人を比べてみると大変おもしろいと思うんですよ。ドレイエルの場合は一種のミスティシズム(神秘主義)が大変強い。特に『ゲートルート』とか『言葉』とか、ああいう後期の作品や、ごく初期の『吸血鬼』なんからずっと一貫してある。『裁かるるジャンヌ』でも、ああいう描き方の中に神秘的なものがどこか強いですね。ところがブレッソンの場合は同じ『ジャンヌ・ダルク裁判』でも神秘主義のようなものはない。
品田 非常に明晰ですね。
浅沼 一方、ベルイマンの場合は神秘じゃないのだけれども、思い切って荒っぽく言ってしまえば、人間というのを中心においているんですね。神が不在の世界の中で人間がいかに存在し、神を回復しようとしているか、つまり人間のナマな実存というものが問題にされているわけですから、当然そこでは明晰さというよりは、むしろ根源的なものを追求するという性格が非常に強いわけですね。
 その二人に比べるとブレッソンの世界というのは非常に明晰なんですね。

品田 一種のきびしさみたいな面では、いまの三人は共通したものがあるんですけれども、表れ方が全く違う。
浅沼 地上から直ちに離れて神の世界に神秘的に入っていくドレイエルの場合にも、文体というか、そういうものはきっちりあるけれども、明晰な文体ではない。むしろ、一種晦渋というか、ヘタすると冗長になりかねないような文体を持っている。ベルイマンの場合にも、人間の具体的な存在の問題を追及するのですから、当然、セックスその他の問題をどんどん追求していく。ときどきは精神分析的なものが出てきたり、一種混沌とした世界を形づくっている。思い切って言ってしまえば、ドレイエルの場合は現実から直ちに聖なる世界に飛び込もうとするところに一種の神秘性が生まれてくるし、ベルイマンの場合は人間の具体的な生存に、ドレイエルとは逆に、ぐっと入っていこうとするところに彼の世界が成り立っていると思うんですよ。
 ところがブレッソンの場合は、そういう直接的な神とかなんとかへのかかわりというのを持たずに、まず確固とした映画そのものの世界をつくろうとする意志がある。でき上がった映画は大変明晰なものになってくる。神とか聖なるものとのかかわりは、そうして作られた世界が始めて持つわけです。そういうかかわり方をしている点では、新しい古いと言うのはおかしな話だけれども、ベルイマンなどよりかえって現代的であり得ると思うんですね。
 一般的な問題として言うと、例の『抵抗』を論じた文芸評論家のことばにサジェストされて少し考えてみると、もっとはっきり言えばマラルメなどの”ことば”に対する考え方と大変、もちろんブレッソン自身はそんなことは考えていないと思うけれども、ぼくらが脇からみると、共通したものを感ずるんです。マラルメの有名な「詩の危機」(crise de vers)という論文があるんですが、そこの有名なことばで、ナマのことば日常のことばというのは貨幣みたいなものであって、思想交換、感情交換のための手段でしかない。それはそれ自身の存在を持たない。それに対して本来のことば、本質的なことばというのは”何かのための”ことばでなく、ことばそのものであって何かとの交換のためにあるのではない。それはいろいろひっついた思想とか感情とか習慣とかをどんどん落としていったところで純粋化されたことばなんですけれども、どんどん純粋化してみると結局何もなくなってくる。なくなるどころかあるものをなくしてしまうような働きを持ってくる。マラルメはおそらく彼の詩作を通して、ことばの純粋化をどんどんやっていたのだろう。ところがそうしていくと、純粋化されたことばというのは、いろいろな現実の表面的皮相的な、あるいはくっついたものをどんどん消していく力を持ってくるわけで、ことばそのものへの関心から始めた詩作は、次第次第に今度は現実の表面的なものを洗い流していくという力をおのずから持ってしまう。そうすると、向こうに見えてくるのは、現実を越え出た何かではないだろうか。ことばそのものへの関心、その純粋化への試みは結局超越的なもの、聖なるものへの関りを生じるわけですね。マラルメの確固たる硬い主知主義的な詩の世界は聖なるものに対して開かれ、現実に対しては閉ざされているような気がします。そういう性格というのはどうもブレッソンなんかにも、非常に強くあるんじゃないか。

品田 強いですね。ブレッソン自身が好むと好まざるとにかかわらず、あるような感じですね。
浅沼 最初、あるいは、ややフォーマルに映画的な表現への関心があったかもしれないけれども、その追求の仕方が非常にシビアであり、また映画というものの本質を衝いた追求の仕方であったために、おのずからそういう現実を越え出たように世界をめざさざるを得なかった。めざすというか、そういう世界を表わし出すようなことになったのじゃないか、という気もするんです。まあ、これは憶測ですから、どっちが先かわからないが。
 映画が非常に現実的な具体的な芸術だというのも一方では事実だけれども、それがすべてでないということも事実ですし、具体的現実的といっても現実そのものではないわけですから、そこに抽象化の可能性は常に秘められている。映画が現実的だというのも映画に関する単なる俗説ですし、ね。

品田 一種の素朴な信仰みたいなものですね。
浅沼 他方、厳密な反省もなしに、モンタージュはもうだめなんだ、それは終わっちゃったからだめなんだというのも俗説ですし、映画は時間芸術であり、その時制は常に現在形なのだから、現実の意識の流れの表現に非常に適しているというふうな考え、それも俗説にすぎない。そんな俗説を盲信するから、レネの亜流があとをたたないのでしょうね。ブレッソンが一切のそうした俗説から全然自由であるというのは、大変みごとだと思いますね。大体、ことばによって何ものかを表現する時代から、ことばそのものを反省し、ことばそのものの限界とか特性を見据えた上で、ことばによってのみ表現されるものを追求していって、いろいろな要素はつけ加えないという真摯な態度は、一種の、象徴主義以来ずっとつながる、大きな現代的な思想の流れなんですね。そういう意味では、ブレッソンというのは映画そのものへの反省といいますか、映画そのものを対象とし、映画”そのもの”以外を全部捨て、そこで語れるものを語ろうという、これは非常に現代につながるものがあると思うんですね。 (以下省略) 

   *    *    *

なお、浅沼圭司氏には、『ロベール・ブレッソン研究ーーシネマの否定』(水声社)という著作がある。
【参照】『ロベール・ブレッソン研究』(紀伊国屋書店サイト内)
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テーマ:映画の見方 - ジャンル:映画

  1. 2006/03/22(水) 12:25:25|
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